○熊谷大君 自由
民主党の青年
局長代理の熊谷大でございます。
〔
委員長退席、理事加賀谷健君着席〕
冒頭、先日起こった淡路島の
地震で
被災された皆様にお見舞いを申し上げるとともに、大分、
東日本大震災でお世話になった
方々が、関西地方の
地震、大丈夫だったでしょうかという問合せが多く県庁の方にあったということで、この
震災を通して二つの県が大変友情で結ばれた又はきずなが確認できたということでも、少し心温まる交流というか、ものもあったんじゃないかなというふうに思っておりました。一日でも早い
復旧を御期待しております。
先ほ
ども増子委員から言及が、紹介がございましたチーム・イレブンでございます。これは、
自民党の青年局が
野党時代から、
被災地訪問事業として、毎月十一日には岩手、宮城、
福島の三県を青年局メンバーで回っているというものでございます。今年に入ってからすぐは警戒区域内にも入りまして、そのまとめた報告書を
根本復興担当大臣にも手渡しをいたしました。そうしたことを
復興に効率よく活用していただけたらなというふうに思っております。
本日の
質問も、先日のチーム・イレブン、四月十一日のチーム・イレブンでヒアリングさせていただいたこと、そして見てきたもの、聞いてきたもの、そして体感したものを、この
質問の機会を使って
根本担当大臣を中心に
質疑をさせていただきたいというふうに思っております。
今回のチーム・イレブンは宮城県でございました。宮城県は、その行程は、大衡村、山元町、利府町、七ケ浜町、多賀城市、そして仙台市という、大分強行軍で回ってまいりました。その強行軍で回ってきた理由というのは、一つございます。先般、
自民党と公明党さんでまとめた
復興加速化に関する提言というものを、提出を党の方からいたしました。今回のチーム・イレブンの趣旨の一つとして、その
復興の加速化に何が障害となっているのか、その
復興の加速化の提言に書いてあるものの中で阻害する要因は
一体何なのかということを、現地に赴いて、現地、現場主義でまさしく国政に反映させていこうというものが趣旨でございます。
〔理事加賀谷健君退席、
委員長着席〕
そこで、我々は
与党になりましたので、
野党時代のときのように、
被災地に訪問して意見を酌み取って、それをただ国会、
委員会の場で
質疑するということよりも、もう一歩踏み込んで、事前に事務方の方からレクを受けて、予想される課題をその事務方から聞き取って、そしてそれを持って現場に行こうということを今回試みとして行いました。その中で、大分見えてきた課題、明確になってきた課題又は構図といいましょうか、それが今回明らかになってきたんではないかなというふうに
思います。それを中心に
大臣に
質問をさせていただきます。
まずは、資料として提出させていただきましたこちらの大きな地図、これは特別名勝松島で、保護しなければいけない、この名勝松島を守るために保護しなければいけない地区ですよということが一目で分かる地図でございます。ここの色の濃い部分が特別保護地区といって、なかなか開発というか、そういった人の手を加えるということも難しい地域、地区でございます。まずは、この特別名勝松島の景観と、それを守る、保護しなければいけないというのは分かるんですけれ
ども、それと
復興に関係したものについて
質問をさせていただきます。
まずは、この地図にもある利府町というところなんですけれ
ども、ここは、御覧になって理解できますように、海の部分と内陸の部分がございます。小さな漁港が二つありまして、
浜田というところと須賀というところがございます。ごめんなさい、地名はちょっと書いていないんですけれ
ども、海に面しているところがその漁港だと思ってください。今回は、その須賀漁港というところに行ってまいりました。須賀は、横須賀の横を抜いた、横の部分を抜いた名前でございます。
その須賀漁港でございますが、御覧のとおり、特別名勝松島になっておりまして、第一種保護地区になるところでございます。その内容も、一A、一B、一Cとか、そういうふうに振り分けられておりまして、ちょっと色が白黒だと見にくいかもしれないんですけれ
ども、色のグラデーションでその一Aとか一Cとか一Bとかというふうに分かれているんですけれ
ども、
被災直後、
復旧復興のために基準を緩和しよう、この保護地区を基準緩和しようということで、役所と
政府と宮城県教育
委員会で検討会が設置をされまして、国から大胆な権限移譲が、つまり、文化庁長官から宮城県の
関係市町村に移譲がされました。
権限が移譲されました後は
被災自治体が自由にできますよ、まあ自由といっても、もちろん保護区域ですからそうそう自由はないんですけれ
ども、こういう説明を事前の事務方の説明で受けました。いわゆる権限は移譲しましたので、移譲されたこの塩竈市とか利府町とか、松島町、東松島市、七ケ浜町で十分物事が決められますよというふうな説明を受けました。
しかし、これが明らかになってきた構図なんですけれ
ども、現地に行ってみると、東京で説明を受けたものとやっぱり乖離を感じざるを得ないなという部分がございました。
須賀漁港に行ってみると、地域の
人たちは
復旧復興に向けて非常に尽力しております。何とかこの町を活性化させたい。漁港ですので、高齢者の人口も増えて、少子化にもなっております。新しい
人たちに来てもらって何とか、小さな漁港ではありますが、風光明媚な土地に暮らしてもらって定住してもらいたい。
しかし、新しく入ってきた方が家を建てたいと、この漁港の、小さな漁港の
復旧復興を何とか手伝って、自分もここに住んで、家を建てて何とかその一員になりたいというふうな
思いがあっても、待ったが掛かってしまいます。ここは保護しなければならないところだからということでらちが明かなくなってしまいます。町や
地元に任せてもらえれば、景観を壊すことなく、新しい
人たちに来てもらいながら町を活性化できるのではないかということが
地元の非常に高い意見でございます。
しかし、新しく家を建てるということは御法度なんですね。リフォームとか既存の、ある施設なんかを建て直すというのはいいかもしれないんですけれ
ども、新しく、例えばそこの保護地域に竹林があって、そこに何とか家を建てたいと思っても、これはやはり規制が掛かってしまうんですね。つまり、町は定住支援ができないということになります。
町は、このままいけば、ただでさえ高齢化しているのに、新しい住民を入居させることができないということであれば、漫然と町の、この地域の衰退を待つということになってしまいます。東京では、これは大丈夫だよ、地域に任せていますよというふうに言うんですけれ
ども、
地元に行けば、なぜか説明がどこでどう変わるのか、ノーです、待ったです、御法度ですというふうになってしまいますので、これをどのように解決するのか、
大臣にお伺いしたいと
思います。