○山崎力君 これまでの
議論を飛び飛びで聞かせていただいているんですけれども、この持続可能な
経済社会と
社会保障の
在り方という場合にまず最初に何を考えるかといえば、持続可能とは何かということを考えると、これはもう明らかでございまして、出生率の低下をいかに防ぐかという、そこにまずプライオリティーを置くことが必要だろうと思っております。それではそのために何が必要かといえば、若年層を中心とした
雇用機会、
雇用の場をしっかり設けていく、これが
政策の目標になっていなければいけない。そういったときに何が欠けているのかということをいろいろお話を伺っているんですが、個々の場合では
先生方おっしゃること、いいことを言っているんだけれども、トータルとしてそれじゃ
政策としてどうやっていくのかということになると専門外みたいな
感じになってしまうというのが率直な印象でした。
ということは、これはもうデータ分析その他、学者に任せる時期ではないだろうと。少なくとも我々
政治家が、
言葉は悪いですけれども、えいやあと、こうやらない限りは、そっちの方に思い切った形でのかじは切れないのではないのかなというふうに私自身思っております。もちろんバランスというのは必要でして、いわゆる
程度問題というものもあるわけですから、思い切ってといっても何度かじを切ればという、そういったことを、急旋回してひっくり返ってもしようがないわけですから、そこのところをどう割り切ってやるのか。
それで、
政治の場でいうと、非常にテクニカルに言えば、そういった
政策を
国民に受け入れてもらうための方便という
意味でのいろいろな形は必要だろうとは思いますけれども、悪く言えば目くらましと言ってもいいかもしれません。そういったのに向いた人も
政治家でいらっしゃるわけですが、そういった
人たちの力を借りつつ、その人が暴走しないように、行き過ぎないようにかじを切ってもらって、それ以上行くとひっくり返るところで止めるのが我々の
仕事ではないのかなというふうに聞いてまいりました。
そして、もう
一つ厄介なことは、劣化という
言葉がありますが、これはアメリカというか、アングロサクソンだかどっちだか知りませんけど、そういったいわゆる新
経済主義といいますか、そういった形での、何というんでしょう、お金が全て、もうけた人が勝ちというような
経済と、我々の、
日本のこれまでのやり方というものがどこかでずれている。だけれども、理屈の上からいったら、この間、出所してこられたですけど、ホリエモンのやり方というのはある種、思い出していただければ、実にさっそうとやろうとしていたわけですね。ところが、我々の旧来の感覚からすると、何という人だ、あいつはと。
今、若い
人たちのヒーローがホリエモンだとは言いませんけれども、その一方で、若い
人たちがあそこまで行かないということになると、投げてしまうといいますか、我慢が足りないと一口で言えるんですけれども、そういった
意味での若い
人たちのある種の原始的なと言ってもいいかもしれないエネルギーといいますか、生物としてのエネルギーをどうやってこれから
教育の場で植え付けていくか。しかも、相手は、
世界を相手だとすれば、そういった白色人種と言っちゃうとおかしいんですけれども、そういった
方たち。それから、ようやっと、私に言わせれば、西欧の植民地あるいは劣悪な
環境に置かれていた昔のそれなりの国の
方たちが再度自信を持って、エネルギーを持って
世界に雄飛しているときに、先導役の我々が取り残されていくんではないかという不安感を今の、私、若い
人たち見るとあるものですから、それだけ、我々とすれば、その若い
人たちをどうやってそれぞれの場で活躍して、我慢強く、粘り強く、そして将来に向かってやっていくかということだと思っております。
最後に申し上げたいことは、やっぱり
日本人は宗教がないとかいろいろ言いますけれども、ある
程度の宗教的な感覚でそれなりの
社会の
基盤というものをつくっていたところでいえば、今一番私が欠けていると思うのは、人間というのはいろんな立場がある、同じ人でも、
子供であったり青年であったり、あるいは親であったり、あるいは病人であったり、そして
最後はあの世へ行くという、その流れの中に我々人間がどういう
対応をしていくかということが、それぞれの立場で見ていくんだということの
教育が欠けているのかなというのが私の感想でございまして、余り
先生方の
教育の成果がないなと思いながら、私自身反省しているところでございます。
以上です。