○藤原良信君 藤原良信でございます。御質問をいたします。
まず、遅ればせながら、
太田大臣、
大臣御就任おめでとうございます。今後の御活躍と御活動を御祈念申し上げる次第でございます。
大臣の
所信の中で、冒頭から、東
日本大震災からの復興の加速でございます、今なお三十一万人もの人々が
避難生活を続けられておられるという現実、我々が目指すものは、この
方々が復興を実感できる取組ですということから始まりました。誠にそのとおりでございまして、全国会議員がこの目的に向かって一丸となって取り組まなきゃならぬと思っている次第でございます。
また、今回の大震災は今後にたくさんのことを明示をしたとも思っております。全国
防災の、
大臣、教科書にもなろうと思いますので、事実関係を申し上げますので
大臣の御見解をお示しをいただきたいと思うんですが、私は今回の大震災は社会資本
整備の重要性が改めてクローズアップされたのではないかと思うんです。これは社会資本の
整備の状況によって被害の差がくっきりと表れました。
例で申し上げますけれども、何点もあるんですけれども、これは何度もいろんなところで報道等もされておりますからお分かりの点でございますけれども、まず
道路関係でいきますと、これは岩手県釜石の鵜住居
地域で五百七十名の生徒が全員助かったと。
地震が来てから津波が来るまで三十分間の時間がございまして、釜石市が指定をしておりました近くの
避難所は老人ホームだったんです。その老人ホームまで
子供たちは逃げるんですが、もっと高いところへ行こうということで、六日前に一部完成しておりました三陸自動車道に逃げおおせるんですね。で、全員助かるんです。老人ホームは津波で流されます。
御案内のように、あの
地域環境というのは、国道四十五号線一本でございまして、どうなったかといいますと、国道四十五号線は瓦れきで埋まってしまうんですね、この
地域は。ですから、もしという言葉は適当でないかもしれませんけれども、三陸自動車道が完成を一部でもしていなかったら、
子供たちの生命に
影響をしたと思いますね。当日はみぞれの日でございましたから寒かったんです。仮に助かったとしても行き場がなくて、これは一晩中寒いところで過ごさにゃならなかったという事例でございます。
これ、
大臣、三陸自動車道、今いい
整備をしていただいております。これがあの当時全線開通していたならば、私は数千人の命が助かったんじゃないかと思うんですよ。そう実感いたしますね。先ほど
大臣、午前中の
質疑の中で命を守る
公共事業というお言葉をお使いになられましたが、まさしくこのことだと思うんです。
それから、もう一例の大きなことで申し上げますけれども、これは海でございます、海。
私は岩手県の大船渡市でございまして、すぐ南の市が陸前高田市で、すぐ北が釜石市なんでありますね。釜石市と大船渡市は、その被害は陸前高田から比べれば半分でございます。行って御覧になればお分かりのとおりでございますが、陸前高田市は、町はもう全滅をしたんですね。大船渡と釜石は半分で済んだと。なぜかと。これも社会資本の
整備の違いでございますよ。大船渡と釜石にあって陸前高田になかったもの、湾口防波堤なんです。大船渡と釜石には湾口防波堤があって、防潮堤がありました。陸前高田市は湾口防波堤はなかったんです。防潮堤があって、七万本の松があったんです。一本残って有名になりました。
ですから、いかに社会資本の
整備ということの
観点を私は今回顧みる必要があろうと思うんですね。これは、
地震が来たならば、海沿いの
方々、イの一番には早く逃げるということが大切であります。そして、夜は高台に住むということも、これも
考えていくことが必要であります。しかしながら、日中海辺で仕事をしなきゃならない、日中海に関するそういう生き方をしなきゃならないという
方々は、これ今後も宿命的にそういう環境が残っていくのであります。
したがいまして、最低限度のハードの防御だけは、沿岸沿いについては私は国家の
責任でやるべきだと思います。そしてまた、港湾が、実は余り気付かないんですけど、私は今回大きく、全国
防災で是非これ
大臣、御認識を深めていただいて、更にこれ進めていただきたいんですけれども、いろんなことを今回体験いたしました。
世界中に工場の生産をストップさせましたね。東北のあのエリアですら、あのエリアですら、部品とか素材を海外に輸出をしておったんですね。生産、港湾が止まったから、もう行かないわけです。入ってくるものも同時に入ってこなくなりまして、
燃油がストップになりました。
先ほど午前中で
田城先生から話がありました鉄道で迂回して持ってくるというの、だけど数か月掛かりましたよ。ですから、内陸の本線沿い、内陸の方の奥州市というところでは、寒い
地域でございますから、
子供さんの、
ガソリンを入れにお父さんが並んで待っていて、そうしてこんろを持っていって一酸化中毒で死にましたね。
それから、私は大船渡ですけれども、いつも例に出すんですけど、あそこブロイラー産業がありまして、百万羽、これ全部死にました。なぜかというと、津波で死んだんじゃないんですけど、港湾が機能がなくなりまして、配合飼料が入ってこなくなったから餓死したんです。
ですから、港湾の全国的に、今、東海、東南海、南海のことを言われておりますけど、この比じゃないと思います。こういうことを鑑みたときに、いかに港湾の持つ重要性ということを、これ認識を新たにしていくことが必要だと思うんですよ。
これらを含めて、
大臣のお
考えを改めてお聞かせをいただきたいと思います。