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参考人(
只野雅人君) 御紹介いただきました
只野でございます。本日はお招きいただきまして、どうもありがとうございます。
実は、
大山先生と私、
前提を随分共有しているところが多いかなというふうに思っておりますけれども、私
自身は今の
憲法の枠の中でできることが随分あるのではないかと、こう考えておりますので、そうした
立場から
お話をしてまいりたいと思います。時間もございませんので、早速ですが本題の方に移りたいと思います。
まず、
前提として二点ほど
お話をしたい点がございます。
一つは、
憲法の
統治機構といいましょうか
政治機構をどのように見るかと、こういうことでございます。
国会を始めとしました
憲法の
政治機構というものは、もちろん
憲法の
テクストによって縛られているわけでございますけれど、
テクストによって記述されていない
部分、
余白といいましょうか、この
部分が相当あるのだろうというふうに思います。そこに
選挙制度ですとか
政党システムですとか、あるいは
国会の
議事ルールですとか、そういったものを配置して
憲法の
機能が決まっていく。したがいまして、その同じ
テクストの下でも
憲法の
機能する姿というのは随分異なってまいります。これは、五五年体制の
国会と現在の
国会を見比べていただければ一目瞭然かと思います。
ただ、その
余白を全く自由に使えるかといいますと、そうではないというふうに私思っておりまして、例えば
参議院というような
制度を組み込んだとしますと、やはりその
制度から生じるある種の
論理といいましょうか、実際の
政治の在り方を緩やかにではありますけれども枠付けるようなある種の
論理が生まれてくるのではないか。その
論理を適切に見極めて
制度設計をしていく、
余白を埋めて
憲法を具体化していくということが肝要ではないかと、こんなふうに考えている次第でございます。
ただ、この
論理を見極めるというのはなかなか難しいところがございます。といいますのは、
参議院もそうですけれども、第
二院というのは大体
妥協の産物としてでき上がっておりますので、当初どういう
論理が入っているかと、なかなかこれははっきりしない
部分がある。例えば、
ねじれというような
条件が出てきて初めて本来の
論理が明らかになると、こういう
部分もあるのかなというふうに感じております。
それから、その
前提として
お話ししたいもう
一つの点がございまして、これは
大山先生の
お話とも重なるのですけれども、その
二院制というものが一般にどういう
構成原理によって組み立てられているかということでございます。
非常に簡単に申し上げますと、
民主的正統性と
権限の
相関関係、こういうことになるかと思います。つまり、強い
民主的正統性を持っている
議院により強い
権限が付与される、逆に、強い
権限を持っていればそれに相応した強い
民主的正統性が求められると、こういうことでございます。
参議院について見ますと、普通直接
選挙で選ばれている強い
民主的正統性を持っておりますので、ある
意味強い
権限を持っているというのはそれなりに合理的な結果でありましょうし、逆に、その強い
権限を持っているということになりますと、それ相応の民主的な
基盤が強く求められると、恐らくこういうことになろうかと思います。
この
権限関係を変えてみまして、例えば不対等型の第
二院にするということになりますと、先ほどの
お話にもありましたように、第
二院が
独自性を発揮して、しかし、その場合にはより民主的な第
一院がそれを覆すような
仕組みを設計すると、こういうことも考えられるかと思いますが、
権限が不対等でございますので、どうしても
独自性の発揮というのは難しい
部分があるのかなと私
自身は考えております。
この
民主的正統性の淵源としてどういうものがあるかといいますと、
一つは今申し上げたような普通直接
選挙ということになりますが、最近ですと、特に
最高裁判所の判例にもありますように、
投票価値の平等というものが重要な要素として組み込まれているように思います。この辺りは、時間もございませんので、もし御質問があれば後ほど少し
お話をしてみたいというふうに思います。
また、
連邦国家などですと、
民主的正統性とはやや違った形の
正統性がハウスの強い
権限を支えるということもあり得るかと思います。州を代表するといったようなことでございますけれど、
日本国憲法の場合にはなかなかそういった
構造を見出すことは難しいのかなというふうに私
自身は考えております。
このように考えますと、
日本の
参議院につきまして問題になりますのは、これはできた当初からのことでございますけれども、民主的に
選挙された、しかも
投票価値の平等を原則にして選ばれているような
議院を二つ置くことに一体どういう
意味があるのかと、まさにその
独自性をどこに求めるのかと、こういうことでございます。
それぞれ
選挙されておりますので、この間の
ねじれなどが示しますように、
両院が対立しますとなかなか調整が付きにくい、あるいは
内閣が非常に不安定になると、当然こういう問題も出てくるわけであります。で、どうしたらよいかということになるのですけれども、改めて
ねじれということの
意味についてここでは
一言お話をしてみたいと思います。
通常、
ねじれといいますと、
両院の
党派構成が異なっていると、こういうことをイメージしがちでありますけれども、実は別の
レベルでもう
一つねじれが生じているのではないかということが指摘されてまいりました。つまり、強い
参議院というものを組み込んだ
憲法の
規範構造と、恐らくこの間ずっと追求されてまいりました二大
政党間の
政権交代とか
政権選択といったものを基調としました
議会制の
運用ですね、この間にある種の
ねじれといいましょうか
ミスマッチが生じているのではないかと、こういうことでございます。
話は単純でございまして、この間の
議会制の
運用といいますのは恐らく
イギリスをモデルにしていたと思われます。
イギリスは、最近少し変わっておりますけど、二大
政党の国であると、その間で
政権交代が行われていると、こういう話でありますけれど、よく考えてみれば、
イギリスには直接
選挙された強い第
二院というものは存在しておりません。
イギリスの第
二院は
貴族院でございます。それであればうまくいくのですけれども、同じ
政党システムを
日本のような
憲法の下に持ってきました場合、二大
政党それぞれが
衆参でイニシアチブを握りますと
妥協というのは極めて難しくなります。
ですから、
ねじれといいます場合、単に
両院の
党派構成が食い違っているというだけではなくて、
憲法の
規範構造が持っているある種の
論理と実際の
議会制の
運用との間にある種のずれが生じてきたと、私はまずこの点を押さえるべきだろうというふうに考えるわけです。
そうしますと、
一つの
選択肢は、むしろその
憲法の方を変えたらどうかと、こういう話でございますが、もう
一つは、やはり
憲法に合わせて
運用を
見直したらどうかと、こういう
選択肢も十分あり得るのではないかと、これが私の
立場でございます。
具体的にどうするかということになりますと、例えば二大
政党の
論理を少し緩和してみる。穏健な
多党制というような言い方がよくなされますけれども、
両院で多数が確保できるような
連立政権中心の
仕組みを考えてみると、例えばこういう
方向性が出てくるわけであります。
当然、これは
選挙制度の
見直しなどともつながってまいります。
衆議院の
選挙制度をどうするかという問題もございますけれども、他方で
参議院の
制度をどうするかという問題にもなってくるかと思います。特に、
投票価値の平等との
関係で、今、
都道府県選挙区の
見直しということが
一つテーマになっておりますので、今私が申し上げたような観点からも、例えば
少数代表機能をもう少し強化したような
選挙制度を考えてみるといったことも検討されてよいのではないかと、こう考えておる次第でございます。
最後にもう一点、今のような
運用というのはある
意味合意型というふうに言うことができるかと思いますが、そうした
合意型の下で
参議院の
独自性なり
存在意義をどこに見出していくのかと、こういう問題が出てまいります。これは
大山先生お話しになったところと重なるのですけれども、まずはしかしその
独自性という言葉の
意味をはっきりさせておく必要があるだろうと思うわけであります。
先ほどの
お話にまさにありましたように、
独自性といいますと、まずは
両院の
構成を変えなきゃいけない、
構成が違えば
投票行動も違ってくると、普通はこう考えるわけでありますけれど、
参議院が強いということを
前提にしますと、まさにそこから
ねじれという深刻な問題が生じてまいります。
参議院の
権限を弱くすればうまくいくではないかと、こういう御
議論もあるかもしれませんが、その場合、
参議院の
独自性というものがどこまで発揮されるのか。特に、
日本のように
社会の
多様性がはっきり表れにくいような
社会の場合、果たしていかがだろうかと、私はやはり
懸念をいたしております。そうしますと、やはりある程度似通った
構成、あるいは
両院に
基盤を置いた
内閣の下で
国会制度を
運用していくと、こういう
選択肢を追求していくことになってまいります。
第
二院の
独自性といいますと、やはり第
一院と違う
独自性を強く出さなければいけないと、どうもこういうイメージになりがちでございますけれど、その強い第
二院の
独自性というのは、むしろ穏健な第
二院といった
機能の在り方にあるのではないかと、私は最近特にそんなふうに感じております。
そうした点から見ますと、実は、例えば立法手続などを取り上げてみましても見直すべき点がいろいろあるのではないかと、こういう感じがいたします。例えば、
二院制を論じます場合に、よくシャトルシステム、あるいはフランス語ですとナベットというような言葉が使われます。これは
両院の間で
法案が行き来しながら
修正を繰り返していくと、これを指す言葉であります。例えば、今の
日本の
国会制度なり
運用を眺めてみますと、なかなかやはりそういった
二院制本来の
機能が想定されていないような
仕組みになっているのではないかと、こんな感じを持つわけであります。
あるいは、これも
憲法学の中ではずっと指摘されたことでありますけれども、
憲法は
衆参両院に
議院規則の制定権といったものを認めております。言わば自主組織権を認めていると、こういうことでございます。例えば、
委員会の
構成といったようなことも本来は
議院規則の射程に入ってくるのかなと私など思うわけでありますけれど、実際には、戦前からの伝統もありまして、
国会法がかなり広い領域を規定していると、例えばそういったことを
見直してみるというのも
一つの在り方ではないかと、こんな感じがいたします。
委員会の
構成を異ならせるといいますのはなかなか
運用上難しいことは承知しておりますけれども、少し違った角度から同じ
法案に光を当ててみる、そういったこともあるのではないか。よく多様な
民意の反映というふうに言われますけれども、これは決して
選挙だけのことではございませんで、
審議の中でそういったものを考えてみるということの
意義も決して小さくないのではないかと、こんなふうに思っております。
ちょうど時間も参りましたので、足りない
部分は後ほどの質疑の中で補わせていただければというふうに思います。