○柳澤光美君 お立場は分かりますし、特に
規制委員会を
中心にというふうには分かるんですが、今
大臣が最後に言われたように、本当に必要なところに必要な再
稼働をどうしていくかということは、とても再
稼働を認めるとすれば必要になってくるというふうに思っています。
ここからはちょっと言い過ぎかもしれませんが、私は、地域でいえば、去年の冬、北海道の
電力不足が大きな
議論になって七%の目標を出して協力をもらいました。もちろん、自家
発電、膨大なお金と費用、手間を掛けてやって何とか乗り切れたんですが、元々、北海道は津軽海峡の下、地下ケーブルで六十万キロしか送れないわけです。それから、私は暑さよりも寒さの方が厳しいと思っています。逃げる場所がない、二十四時間逃げ場所がない。暑さであれば、プールに行く、裸になるということもできるんですが、特に北海道の場合には、人間だけではなくて、牛や羊や家畜がたくさんいる、しかも競走馬もいる。これは生き物全員に大きな
影響が出るということが
一つ。
それから、泊の三号機というのは一番新しい、経過年数も三年しかたっていない機種でありまして、こんなところを僕は想定して先ほどの質問をさせていただきました。これは
答弁は要りません。恐らく難しいことになると思いますけど、私はそのことがこれから大事になってくるというふうに思っています。問題提起だけさせていただきます。
次に、少し復興の
取組の中で感じたことを今日は赤羽副
大臣も来られているので
お話ししたいと思うんですが、私は現地に入って一番感動したのは、やっぱり警察、自衛隊、海上保安庁、消防団はもちろんなんですが、役場の役職員の
皆さん、自分が被災する中であれだけ献身的な
努力をしていただいている、この現場力というのは本当に
日本の財産だということは肌身で感じさせてもらいました。
そんな中で、特に
福島第一
原発の
事故現場では、発災から五千名以上、多いときは八千名、発災のころは本当にもう放射線が飛び交う戦場とも言えるところで、昼夜をたがわず復旧復興に協力会社も含めて当たっていただいた。このことに本当に私は心から敬意を表したいと思いますし、それがあったからあれだけ大きな
原発事故が一昨年の十二月には少なくとも冷温停止という状態まで抑え込むことができる。それから、タイベックスを着て、本当に人海戦術で放射線量の高い瓦れきを片付ける。掃除機も掛ける。一号機にカバーを掛ける。港の中はゼオライトでセシウムを下に沈み込ませる。今地下水、問題になっていますが、一昨年の十月の二十八日に、
福島第一の周り八百メーターにわたって二十二メーターの鉄板を打ち込む遮水壁を造るという起工式が行われました。そういうことがあって、あそこの空間線量が一ミリぐらいまで収まって放射線が飛ばないから初めて除染という
取組につながっていったわけです。
入るたびに、当時の吉田所長さん、あるいは協力会社の幹部の
皆さん、それから行くたびに、多くの
皆さんが集まっていて
お話をさせてもらうときに、本当に涙が出そうになる場面が何回も私はございました。この前、藤原
委員が
お話しになったように、本当にこの
原発の
事故を起こしたのが現場で働いている
皆さんではないわけですね。ですから、そこで
お話を聞いたときに、一番つらいのは、使命感を持って私たちはやっているからいいと、しかし、妻や子供が、
原発で働いている東京
電力の社員だということで家族がつらい思いをしているというのが何よりも耐えられないという話が強くありました。労働条件も、本当に寝る場所、食事の場所含めてもうめちゃめちゃで、できるだけ宿舎を造る。今は本当に大分改善をされてきていますが、例えば、東京
電力でいいますと、二号機、三号機のあの線量の高いところの作業というのはどうしても協力会社の
皆さんにはお願いがしにくい。ですから、全国から、東京
電力本社も含めて東京
電力の社員の
皆さんが作業に当たる。
私の方で聞いたところ、今年の四月時点で被曝線量が百ミリシーベルトを超えている作業員、一部協力会社も入れまして百六十七名に達している。もちろん配置転換をして、自主的に辞められた人は別ですが、対応は取っています。でも、このような
努力に対してほとんどスポットが当たらないというか、何かもう少しその人たちに何かができないかという思いは常に私の中にありまして、この辺、今、赤羽副
大臣も対応してくださっていると思いますが、総理も
茂木大臣も入っていただいていますけど、そんなことはやはり是非少し気持ちの中に置いておいていただいて、大事にしていただきたいというふうに思いますが、御感想がございましたら。