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渡辺(喜)
委員 みんなの党代表
渡辺喜美でございます。
きょうは、
安倍総理に、それほどしつこくはお聞きいたしませんけれども、何点かお尋ねをしたいと思います。
まず、このよく使われるグラフでありますが、これは過去一年の日経平均株価の推移ですね。昨年の十一月から急激に右肩上がりになっています。これはなぜかというと、野田
総理が解散宣言をした日からなんですね。まさしく、次は
安倍政権だろうとマーケットは見たわけですよ。そして、当時の
安倍自民党総裁は、
物価安定目標、大胆な
金融緩和、リフレーション
政策、これを掲げておられた。
これは、何を隠そう、みんなの党が結党以来言ってきたことでございます。ぱくっていただいて、まことにありがとうございます。私も、万が一
政権をとるようなことがあったらここから始めようと実はひそかに思っていたことを、
安倍総理がまさにこれを真っ先にやられたというのは、国家経営の肝を心得ておられるなと思いました。これはもしかしたら
長期政権になるかもしらぬな、正直、そう思いましたよ。今まで、やろうとしてもなかなかできなかったことなんですね。それを物の見事に、先ほどから出ておりますように、
期待を、
転換をされたということであります。
最近、
自民党の中では、好事魔多しなんということを言われる方が結構いらっしゃいます。いいことが続くと、時たま悪いことに遭遇をしてずっこけちゃう、こんな例え話です。
最近、私が霞が関かいわいから聞こえてきたジョーク、ちょっと御披露いたします。大阪に阿倍野区というのがありまして、そこのお好み焼きにミックス焼きというのがあるんですね。アベノミックスというものですね。このボリュームを大きく見せるにはコテ先が大事という落ちがついておりまして、これがまさに霞が関の本音を表現しているような気がしてなりません。
まさしく、あらゆる改革に取り組もうとしておられると思っておりますが、例えば、今までの
日銀理論に代表されるそういう旧態依然たるアンシャンレジームの理論、これを大
転換することから始まって、規制改革、公務員制度改革、いろいろな改革をやってくれるのではないかと我々は
期待をしておりますが、霞が関から見ると、この際、小手先で我慢しておけばいいじゃないか、小手先で、上手にびほう策でごまかしておけばいいじゃないか、そういう本音が見え隠れするのであります。
したがって、私は、ぜひ
安倍総理には高い志を持った改革を断行してほしい、途中で腰砕けになることがないように、そういう
立場から、きょうは、我々の提言と質問を行わせていただきたいと思います。
ちなみに、大阪方面でこの
アベノミクスがどう言われているかというと、大阪阿倍野区、ミックス焼きとかけて何と解く、コテ先で終わってしもうたというのが大阪方面で語られている話です。こういうことがないように、ぜひお願いをしたい。
きょう、
黒田総裁それから
岩田副
総裁にお越しをいただいておりますが、
岩田副
総裁については、我々、同意に賛成をいたしました。
黒田総裁につきましては、済みませんが、ペケを出させていただきました。
それはいろいろな理由がございまして、まさに腰砕けにならないためには、
責任論、これをしっかりと持っていただくことが大事なんですね。そして、
日銀官僚の中にただ一人、単身で行かれるわけでありますから、
岩田副
総裁という大変な理論家はおられますけれども、本当に今までのアンシャンレジームを変えることができるのかどうか、そこのところの確信が持てなかったものですから、とりあえず仮免許はペケにさせてもらったんです。
これから本免許の申請と同意がありますので、きょうの
お話を聞いて、本免許でマルにするかバツにするか、これを決めたいと思います。したがって、きょうは白紙の
立場で臨ませていただきたいと思います。
まず、過去の
日銀の
政策の失敗の数々、例えば、今を去ること二十年以上前でしょうか、
日銀に三重野
総裁という方がおられた。
平成の鬼平などと言われて、バブル退治というのをやったんですよ。
当時、
自民党の中でこんな例え話がありました。土地と株が
インフレを起こしてバブルになったわけでありますが、例えてみれば、十五歳の少年がいた、身長百八十センチ、体重八十キロ。こいつはいい関取になりそうだなというので、相撲部屋に入れて、飲ませ食わせ、飲ませ食わせ、稽古もつけながら、五年たったら百五十キロに太っていた。やれ、痛風は出るわ、糖尿病は出るわ、これは成人病オンパレードだ、とてもじゃないが、関取をやっているなんという場合じゃないよなというので、もとの体重の八十キロまでいきなり減らそうと思ったら、どうなっちゃうんだということですよ。
つまり、土地と株という資産が確かに
インフレを起こしておった。では、消費者
物価、一般
物価はどうだったのかといったら、せいぜい一%から三%ぐらいまでであって、ほとんど
インフレと言えるような状況ではなかったんですね。であるにもかかわらず、
金融引き締めをやってしまった。
恐らく、今振り返ってみて、正しい
政策というのは、株価と地価の
インフレをとめる。例えば、株の回転売買が問題であるなら回転売買の規制をするとか、土地転がしの規制をするとかいう
手段、方法でこのバブル退治はできたはずなんです。ところが、いきなり
経済全体に
影響を及ぼすような
金融引き締めをやってしまった結果、その後の
日本経済は、絵に描いたような、不良債権、銀行パニック、
金融危機、
デフレ経済という形で、延々と二十年も経過をしてしまったんですよ。いかに、国家経営の失敗というものが、国力を損ない、そして将来展望をなくすか、若者のチャレンジ精神を奪うかというのを、我々は嫌というほど、この間、見せつけられてまいりました。
福井
総裁の時代、先ほども
お話にございました
安倍官房長官の時代、ゼロ
金利解除をやっちゃいけないときに、つまり、まだ消費者
物価は
マイナスだった、そんなときに
金融引き締めをやってしまったらどうなるんだ、御案内のとおりですよ。
それだけではありません。リーマン・ショックというのがありました。アメリカでは、大恐慌研究家のバーナンキ議長が、ドルの量を三倍ぐらいにふやしていった。我が
日本銀行はどうかといったら、ほとんどお金の量をふやさなかった。さっきもどなたかが言っていましたけれども、
日本銀行のバランスシート、小泉内閣の時代に大体百五十数兆円だった。リーマン・ショックの後、まあ大体そんなものですよ。したがって、いかにこういう不作為が
日本をだめにしてしまったのかということであります。
このあたりの反省について、
黒田総裁、いかがでしょうか。