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中島委員 撤廃というのはなかなか難しいなというのは非常に理解できますが、その緩和という
意味ですね。
先ほど言ったように、
平均年齢、妻は九十五歳、
父母等に至っては百歳という
現状ですから、三年でなくて、もし十年にすれば、それで
解決できるんじゃないか。その
意味合いからいっても、そういう部分も言えるかもしれません。そして、今後ふえていく問題ではないので、その辺について、
慰藉の念において、これから御検討いただければなというふうに
思います。
また、
戦没者の妻や
父母等に対して、
国家の
慰藉の手段というのはほかにもあると
思います。
私
自身は在宅
医療をやっていて、先日もちょっとお話ししたんですが、御
高齢の方、百歳近い方もたくさん見ています。そういう方は、認知症が進まれたりしている中で、
さきの
大戦の話になると、もう一時間、二時間と、そういうふうな話を私もよく聞かされております。
そういった中で、この間、一人訪問看護師さんのことで、
大臣から、看護師さん、訪問看護について安心、安定という
意味を言われておりましたが、一人訪問看護師さん、私も一人開業医、一人在宅
医療医ということになるわけですが、そういう、本来の
意味で、身近にいる看護師さんが、そういった話を常に身近な存在として聞いてあげる。
私
自身は、在宅
医療をやりながら、これはちょっと余談になりますけれ
ども、もう二年ぐらいずっと定期的に通っている患者さん、あるとき夜中に電話がかかってきます。ぐあいが悪いかなと
思いましたら、どうも泥棒が入ったようだと。私はぐあいが悪いと思っていたんですが、泥棒だということで、でも、私はやはり行くわけですね。
それが訪問診療なのかどうかというのは非常に微妙な問題でして、ただ、要するに、訪問診療、訪問看護というものに対して、本当の
意味での安心感というものは、もしかしたらそういうところにあるのじゃないか。
大きな病院では、看護スタッフも今七対一とか、医者の数もそろえようとしている。しかし、こういう過疎の地域で、お年寄りに対して本当の
意味で身近に安心感を与える存在という
意味で、一人訪問看護師というのは、非常に小回りのきく、いい
意味合いだと
思います。
何度も言うようですが、一人と二・五人が、どっちがいいという話ではなくて、一人の訪問看護師さんも、近くに住んでいる
方々に対してそういう安心感を与えられる。それをしっかりと
国家資格を持った看護師さんがやることに対しては、どうか認めていただきたいなと、時間がちょっと
余りましたので、その話をさせていただきました。
最後に、
戦没者の妻や
父母等に対して、それ以外に何か
慰藉の念の手段として取り組まれていることがあったら、お聞かせいただきたいと
思います。