○篠原
委員 私の経験を御紹介したいと思います。四ページをちょっと見ていただきたいんです。
私はチェルノブイリに二度行ったことがあるんです。写真を見ていただきたいんですけれども、私だと識別できないですけれども、右側がいずれも私です。二〇〇五年の十一月にゲートの入り口だけ、このときは入れないんです。二〇一〇年の秋から入れるようになって、案内できるようになったんです。そして、二〇一一年の四月、私は国
会議員ではあの石棺のところに近づいた一番最初の人間だと思いますけれども、ここに行っているんですよ。
それで、私が出る必要もないところだったのかもしれませんけれども、土壌汚染の関係の学者のところへ出て、十五分間ぐらい下手な英語で
説明して、いろいろ現状を聞かれたんですね。そのときにどう言ってきたか。
地震で大丈夫なのか、あちらの国の人たちが心配しているわけです、日本は大丈夫なのか。
僕はどうやって答えたかというと、いやいや、大変なんですよと。ウクライナなんというのは、モスクワの周辺、さっきの三ページのところを見ていただくとわかるんですけれども、マグニチュード五以上の
地震なんかほとんど起きないんです。そういうところで、では、日本というのは
地震はどの
程度の頻度で起こるのかと言うので、例えて言うならば、昔、日本列島を不沈空母と言う人がいた、それと同じなんだと。黒海に浮かぶ大型遊覧船と同じように、日本は毎日ちょっとずつゆらゆら揺れているんだ、この辺と違うんだということを言いました。そうしたら、例がいいか悪いかは知りませんけれども、それは危険なところなんだなということを言っておりました。
どうでもいいことですけれども、四ページを見ていただきたいです。これは二〇〇五年十一月八日の私のブログです。そこのところにちょっと線を引っ張っておきましたけれども、私はずっと
原発のことを見ながらというか、本でですけれども、現場に足を踏み入れてというわけではないですけれども、
環境問題にちょっと関心がありましたので、ずっと追っかけてきた。バードウオッチャーじゃなくて、
原発ウオッチャーの一人なんです。ここを見ていただくとおり、僕は気がつきませんでしたけれども、日本にも世界にもチェルノブイリと同じことが起きてしまうんじゃないかと。
だからぜひ見ておきたかったので、全然中に入れなかったんです、朝六時に起きて車を飛ばして行って、
皆さん御一行は九時に出られるので朝飯も抜きで行って見てきたんです。その後、日本に起きてしまって、このときは農林水産副
大臣で行ったんですが、またチェルノブイリに行くとは思いませんでした。
地震についてはいろいろなところで
指摘がもうあるんですよ。日本
国内でも、二〇〇九年の六月、岡村行信産業技術
研究所の
活断層研究センター長が、例の八六九年の貞観
地震、あれと同じのが起こるんだ、だから準備した方がいいということを言っていたわけです。
そして、
廣瀬社長は覚えておられるかもしれませんけれども、一〇年六月十七日、二号機で、そんなに大きな
地震ではないんですけれども、それで電源喪失が起きているんです。よく知りませんけれども、メルトダウン一歩手前だったというふうにも言われております。
地震の被害でおかしくなりかけたのは、さっき言いました二〇〇七年の中越沖
地震のときの柏崎刈羽
原発、いっぱい例があるんです。それを全然やっていないということなんです。
一九六八年にドイツのヴェーゲナーという学者がプレートテクトニクス理論をやってから、いろいろなプレートが押し合って、そして山脈ができてきている。私の
地元の長野県の北というのは、四つのプレートがぶつかり合っているんです。だから、二〇〇四年中越
地震、二〇〇七年中越沖
地震、二〇一一年長野県北部
地震、みんな震度六
程度の物すごい
地震でした。これからずっと起こり得る。
石橋
先生も藤井
先生も言っていますけれども、二十世紀の後半は、地学的に見ると本当に短い一瞬ですけれども、何も起こらなかった、
地震も火山活動もなかった珍しい時期だ、これからは、百年、二百年、地球の歴史からすれば百年、二百年というのはあっという間ですけれども、
地震活動期、火山活動期になるかもしれないと言われているんですね。
そういうことを考えると、
田中委員長は慎重に今、
判断はできないんだよ、そういうお答えだったですけれども、私は、世界の他の国々と異なり、日本には
原発適地は
一つもない、これが結論だと思っています。このことをよく認識しておいていただきたいと思います。
次に、
原発事故収拾
作業についてちょっと聞かせていただきます。
これについては、私がしつこく表にしたのをちょっと見ていただきたいんです。せっかくの機会ですから見ていただきたいと思います。五ページからずっと四ページにわたって、
事故対応、どういう
対応をしているかというのを表にしました。
チェルノブイリを
皆さん余り御存じないかと思います。一九八六年にチェルノブイリの
事故が起きた後、いっぱい本ができているんですよ、欧米でも。日本語訳されているのもいっぱいあります。それらを僕はちょこちょこ読んでいたんですが、
福島原発の
事故が起きましたので、ばあっともう一回読み直して、この表をつくり上げました。
対応は、日本の方が非常にまずいんですね。五ページのところで関係するところは一番下、
中心組織がどういうところかと。これは突発的だったんですけれども、日本では自衛隊が
中心になりました。
しかし、右側、チェルノブイリを見ていただきたいんですが、日本と違うなと。核戦争を
想定していますから、その核戦争が起きたときにどう処置するか、核攻撃されたときにどうするかということを準備している軍、精鋭がいるわけです。その大将のピカロフさんという方はアフガニスタンに行っていたんです。一日で帰ってきます。そして彼が陣頭指揮をとり、被曝量も一番多くなって、被曝量が多くなると声がしわがれてくるんです、声が出なくなるんです。それまでこの方はやっているというんですね。
次のページ、六ページを見ていただきたいんです。ここからよく見ていただきたいんですけれども、
作業者がどういう人か、どういう
作業をしているか、責任者はどうか、
政府の
対応がどうかというのを、ずっと線を引っ張ってあるところを
中心に見ていただきたいと思います。
ここからがぞっとするようなことになるわけですね。
中心は軍隊、全国から動員した消防士とかそういう人。日本は
東電の下請の
作業員。正社員は少ないということ。
「
事故直後の
作業」、これは日本はやる必要はないんですが、あちらは人海戦術で、カミカゼ作戦と呼ばれて、一人二分間ずつ、人海戦術をやっている。こんな危険なことをしているわけです。
それから「
原発現場の責任者」、これは語弊があるので書きませんが、日本側の三行目を見てください。撤退すると言ったか言わないかと。私の
判断でこれは書いているんですが、ここは
議論があるところなので、「この件は、事実不明」と書いてあります。客観性もそれに倣う。つまり、両方ともここは同じで、
理解をする人たちが余り現場にきちんといない。チェルノブイリも同じなんです。
「
政府の責任者の
対応」というのを見ていただきたいんですが、ここが段違いなんです。旧ソ連です。首相、それからリガチョフ第一書記、覚えておられますかね、ゴルバチョフのライバルでした。二人ともチェルノブイリ入りをすぐしているんです。シチェルビナ副首相は、すぐ翌日飛んでいっています。
それから、傑作なのはなんて言ってはいけないんですけれども、シチェルビナとレガソフ、レガソフというのは、
原発の
研究所の副所長で辣腕の学者なんですが、上空から視察している。左側に、菅総理が現場に行ったことをいろいろ言われていますけれども、何か、トップに立つ人は上から見おろすのが好きなようで、両方ともすぐ上から見ています。
それから、次に大事なのは、ここなんかは本当に日本はだめだなと思うんです。プリピャチ、五キロメートル離れたところに精鋭が集まった住宅があったんですが、日本と違いまして、全国各地から集められてきちんとした訓練を受けた人、若手ばかり、平均年齢が二十八歳だったそうです。左を見てください。「オフサイトセンターを大熊町から
福島市に移す」と。
これはおわかりになる方はおられますでしょうか。これは大したものでして、自民党の江渡議員が二〇〇四年に毎日新聞の記事を引用して、ジェー・シー・オー
事故の後、これはよくないということで、オフサイトセンターが各地につくられたんです。ところが、二十キロメートル圏内にあるのが十一個ぐらいあって、そんなので大丈夫なのかと。EPZのゾーン内にあって、安全
設備が問題になっちゃって、
原発事故が起きたら使えなくなるんじゃないかと聞いているんです。
それに対して当時の松永和夫原子力保安院長は、そんなことはないんだ、問題ないと。それだけだったらいいんですよ。毎日新聞の記事は
国民に誤解を与えている、不安を与えている、けしからぬといって
答弁しているんですよ。とんでもない難癖ですね。どうなったかというと、役に立たずに
福島へ移っているわけです。
しかし、ソ連では、その五キロ先のところで、司令塔で副首相、副首相は何人もいるんですね、放射線量が高いので副首相が入れかわり立ちかわり行って、その現場で陣頭指揮をとっているんです。この責任感の違い、危機管理がちゃんとしている国とそうじゃない国。
その下の「
原発関係者の責任のとり方」。レガソフという学者、先頭になっていた人、これは、IAEAの総会に行ったりして四時間の大
報告をしたりする立派な人ですけれども、放射線量が物すごく高く、いっぱい被曝しているせいもあったと言われていますけれども、ちょうど二年後、自殺しています。苦悩があったんだろうと思います。それから、
関係者を解任しています。党から除名されたりしています。
別にやめればいいというわけじゃないんですけれども、日本国
政府はこういうことをしていません。腹切り文化があって責任をとる国という江戸時代の侍の映画を見ている人たちは、不思議だなと思うんです。
それから、大事なのは
専門家、科学者の
対応です。レガソフの話、二年後自殺したと申し上げました。次々に学者が
現地入りしています。ピカロフ大将のことも書きました。ところが、私は全部チェックしているわけじゃないですけれども、
原発推進をやってきた学者さんたち、テレビに出てだらだらした解説をされていましたけれども、現場に行って、そしてどうなっているということをちゃんとやられていたんでしょうか。
次に大事なのが、右で言うと下から二行目です。
原発を
設計した人も、これはだめだった、
原発は間違っていた、大変なことをしてしまったと。ソ連も、ああいう体制の国で、ウクライナになったりしますからちょっと変わったりするんですけれども、少なくともソ連では、
原発を
推進していた人たちは一斉に大反省をしている。日本では余り反省の言葉は聞かれない。
そしてここで、
東電の社長さんにも来ていただいていますが、一体、
東電の中で、きちんとした訓練をして、こういうところにてきぱき
対応できる人がどのくらいいるんでしょうか。非正規雇用者がふえている。私は、
東京電力のような会社は、きちんとした人を社内で訓練して、その人たちに仕事をしていただいて、きちっと安全管理をしてほしい。それでもって電気料が高くなっても、日本
国民は誰も文句を言わないはずです。
人材育成についてどういう配慮をされておられますでしょうか。