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橘法制局参事 それでは、引き続きまして、第二章
戦争放棄の章の
主要論点につきまして御
報告をさせていただきます。
早速、内容に入らせていただきたいと存じますが、
冒頭、若干のお時間を頂戴して、第九条に関する政府解釈のポイントにつきまして御
説明させていただきたいと存じます。
と申しますのも、多分に
先生方には釈迦に説法であるとは存ずるのですが、戦後、この
国会での九条
論議を通じて積み重ねてこられました政府による九条解釈のポイントとその論理構造につきまして、改めて御確認いただきますことが、本日の
先生方の御
議論をより活発かつ建設的なものとすることに資するのではないかと思料いたすからでございます。
それでは、「
憲法九条解釈のポイント(政府解釈を
前提として)」と題するA3横長カラーの一枚紙をごらんいただければと存じます。
まず、上段の青い網がけの部分に
現行憲法九条の条文を掲げました上で、中段の黄色い網がけの中で、九条の条文の中でよく
議論の俎上に上る四つの
論点について、政府解釈のポイントをまとめてございます。
まず最初のポイントが、第一項前半の「国権の発動たる戦争」という文言でございます。「国権の発動たる」という修飾語が置かれておりますがために、国権の発動でない戦争というものがあるのかといった御指摘があり、さらには、例えば国際的な枠組みの中で行われる武力行使のようなものは、
我が国としての「国権の発動たる戦争」とは別物であると解することができるのではないか、もしそうだとするならば、そのような戦争や武力行使は九条一項では放棄されていないと解釈できるのではないかといった御指摘があり得るからであります。
しかし、これについて、政府解釈及び
学説における通説的
見解におきましては、「国権の発動たる」は、
国家の
行為としてという
意味の戦争にかかる修飾語にすぎず、結局、「国権の発動たる戦争」とは、
国家の
行為としての国際法上の戦争という
意味であって、単に戦争というのと変わらないものであり、国権の発動でない戦争というものがあるわけではないと解釈されているところでございます。
次は、第一項後半の「国際紛争を解決する手段としては、」という文言の
意味についてでございます。
この文言の
意味については、政府
見解及び
学説の多数説におきましては、国際紛争を解決する手段としての戦争というのは、
国家の政策遂行の手段としての戦争というのと同じ
意味であり、具体的には侵略目的の戦争を
意味するものとされ、このような解釈は、一九二九年発効のパリ不戦条約の同様の文言の解釈以来、一貫したものであり、定着しているものであるとされております。
したがいまして、九条一項は侵略戦争だけを放棄したものであり、それ以外の戦争、例えば自衛戦争や制裁のための戦争などは本
条項のみによっては放棄されていないと解釈されているわけでございます。
このように、九条一項
自体では侵略目的の戦争や武力の行使しか放棄されていないとすると、第二項
冒頭の「前項の目的を達するため、」という文言が大きな
意味を持ってくることになります。
すなわち、この文言を第一項で
規定されている侵略
戦争放棄のためというふうに理解いたしますと、第二項は侵略戦争のための戦力は保持しないということを定めているだけということになりますから、例えばそれ以外の、自衛や制裁のための武力行使を行うための戦力なら持ってもよいということになってしまうからでございます。
この第二項
冒頭の「前項の目的を達するため、」という文言は、当初の政府案にはなく、
衆議院修正で追加されたものであり、この修正を行った、当時の
衆議院の小
委員長でいらっしゃいました芦田均
先生が、そのような解釈が可能となるように修正したのだと、昭和三十年代に至って
内閣の
憲法調査会で証言されたため、これは芦田修正と呼ばれ、その
意味するところが大きな
議論となったものであったことは、
先生方、御承知のとおりでございます。
しかし、政府
見解及び
学説の通説的
見解におきましては、「前項の目的」とは第一項全体の
趣旨を指すものであり、第二項の戦力不保持は、侵略戦争のための戦力に限るわけではなく、一切の戦力の不保持を
規定したものと解釈されておりまして、この芦田修正が殊さらに大きな
意味を持つものとは解されてまいりませんでした。
次に、そのようにして保持してはならないとされている戦力とは何かが四番目のポイントでございます。
この戦力の
意味について、政府は、当初は近代戦争遂行能力などと答弁されたこともありましたが、自衛隊法が制定された昭和二十九年以降は一貫して、自衛のための必要最小限度の実力、これを超えるものが戦力であると解釈しております。
わかりやすくするために、少々正確さを欠いた表現で大変恐縮でございますが、あえて申し上げれば、国内の治安を維持するためのいわゆる警察力を超えるものであっても、外敵から自国を防衛するために必要最小限度のいわゆる自衛力、これは九条二項で禁止されている戦力ではないという論理構成になるかと存じます。
以上を
前提として、さらに
二つばかりの補足
説明をさせていただきたいと存じます。
まず、
国会での
憲法解釈の中で最も
議論されてきた
論点と言っても過言ではない自衛権の問題、端的に言えば、
憲法九条のもとで個別的自衛権は行使できるが集団的自衛権は行使できないという政府解釈は、どのような論理構成のもとで導き出されているかという
論点でございます。
なお、ここで言う個別的自衛権とは、
我が国自身が攻撃された場合に反撃を行う権利であり、
我が国と密接な
関係にある
外国が攻撃を受けた場合において、
我が国自身は攻撃されていなくても、実力をもってその
外国を守る、その外敵を阻止する権利、これが集団的自衛権でございます。
政府は、
憲法九条一項は独立
国家に固有の自衛権までも否定したものではない、
我が国も個別的、集団的であるとを問わず自衛権を有することは、主権
国家として当然であると述べておられます。その上で、しかし、九条一項、二項全体のもとで許される自衛権の行使は、
我が国を防衛するために必要最小限度のものにとどまるべきであり、その
意味で、
我が国自身が攻撃されていない場合の集団的自衛権の行使は、その範囲を超え、許されないと解釈されているわけでございます。
もう
一つ、以上のような集団的自衛権行使を否定する解釈が、一部の
先生方あるいは有識者の
先生方から見て余りにも技巧的であるとしつつ、かといって、
憲法改正自体の困難さなどにも鑑みて、
現実的な政策選択として、
憲法解釈の変更でもって集団的自衛権の行使を可能とすることはできないかという重大な問題提起がなされていることをめぐる
議論が、もう
一つの重要な
議論でございます。
これについて、政府は一貫して、これまでの政府の
憲法解釈は論理的追求の結果として示されてきたものであり、自由にこれを変更できるような性質のものではないとされた上で、そのようなことは、政府の
憲法解釈の
権威、ひいては
内閣に対する
国民の信頼を著しく失墜させ、損なうおそれがあるばかりか、
憲法を頂点とする法秩序の維持という観点からも問題があるとして、さらに、九条のような
国家の根本政策に係る解釈について、しかも戦後六十年以上もの間積み重ねられてきたものについては特にそうであるなどとして、もし集団的自衛権の行使を認めようという
国家的な政策変更を行おうとするならば、それは、解釈変更によってではなく、
憲法改正という手段を当然にとらざるを得ないと述べられているところです。これらの政府解釈の
是非も含めて、
先生方の御
議論の俎上に供し、また、上るかと存じております。
さて、前置きが大変長くなってしまいましたが、以上を
前提に、九条をめぐってこれまで
国会でなされてまいりました主な
論点及び
前回この章がテーマとされた際の各
会派の
先生方の御
発言につきまして、
論点表に基づきながら、ごく簡潔に御
報告申し上げたいと存じます。
なお、この第二章につきましては、二〇〇五年、
平成十七年四月の
衆議院憲法調査会報告書の整理に倣いまして、九条に関連して
議論されることが多い、日米安保、在日米軍基地の問題や国際協力、核兵器廃絶等といった
論点についても取り上げさせていただいております。何とぞ御了承願います。
まず、自衛隊の位置づけに関しまして、
明文改憲をして自衛隊を
憲法に位置づけるべきだという御
主張がございます。これについては、まず、現在の、戦力に至らない自衛力の実行部隊としての自衛隊のまま、これを
憲法に
明記することがよいというA1のお
立場と、戦力の不保持を定める九条二項を削除することを
前提に、国防軍あるいは自衛軍といった、戦力を保持する軍隊として明確に位置づけるべきだとするA2のお
立場がございます。
これに対して、
現状どおりでよいとするのがC1のお
立場です。
他方、九条の理念に合わせて、まずは自衛隊の段階的解消こそ図るべきだとするのがC2のお
立場です。
次に、最大の
論点であります自衛権に関する御
議論です。
まず、
冒頭申し上げました政府の九条解釈を
前提とした上で、その結論は妥当であるが、
憲法の文言上はかなり無理があるので、解釈上の疑義を払拭するのが望ましいという
立場がA1であります。そして、現在の政府解釈で実際上の支障はないのであるから、わざわざ
憲法改正までする必要はない、そのままでよいとするのがC1の
立場です。
これに対して、政府の九条解釈では行使できないとされている集団的自衛権についても行使することができるようにするために、
憲法改正をするべきであるとするお
立場がA2であり、同じことを、
憲法改正ではなく、安全保障
基本法などの
法律制定による
憲法解釈変更という形で行おうとするのがBの欄の御
見解です。その右の欄のC2は、
現状のまま、集団的自衛権の行使などは今後とも認めるべきではないというお
立場です。
九条関連の
論点の
三つ目として、日米安保条約をどのように位置づけるべきか、あるいは、在日米軍基地をどのように
考えるべきかという
論点がございます。
まず、
明文改憲に属する
見解として、例えばフィリピン
憲法などにあるように、
外国軍隊の駐留などは認めるべきではないという
規定を、
我が国でも
憲法改正によって設けるべきであるという御
主張が一方にございます。
他方、条約の破棄あるいは
改正という、いわば広い
意味での
立法措置、
憲法改正以外の法的措置を
主張する
見解として、まず、九条の精神に沿って日米安保条約を解消すべきとするB1の御
主張や、あるいは、日米安保条約体制を
前提としつつも、日米の真のパートナーシップを
考えて、日米
地位協定を改定すべきとするB2の御
主張な
どもございます。
これに対して、日米安保条約に基づく日米同盟
関係が果たしてきた役割は極めて重要であり、今後ともこれを維持すべきであるとするC1の
立場や、
我が国の安全保障は、
現実には日米同盟を
前提に
考えざるを得ないが、
我が国の自立のためには国連中心主義をより重視すべきであるとするC2の
立場な
どもございます。
次に、九条の周辺に位置する関連
論点として、国際協力に関する
論点がございます。
一九九〇年代のいわゆる湾岸戦争以来、PKOを初めとする国際貢献の一環として、自衛隊の海外派遣が大きな
憲法上の
論点となってまいりました。このような国際情勢を背景にしつつ、
我が国が直接に攻撃を受けた場合における個別的自衛権の行使による場合以外には、
我が国はいかなる場合でも武力の行使を行うことはできないとの、
冒頭に申し上げた政府の九条解釈は、国際協力の場面でも、武力行使を伴うような国際協力活動ができないということはもちろんのこと、他国の武力行使と一体化するような活動はできないとする、いわゆる武力行使一体化論という
考え方として、現在まで精緻化、具体化されてきたわけでございます。
論点表のA1の
見解は、このような
現行憲法の解釈を是とした上で、これを解釈によって導き出すのではなく、明文の
規定をもって明確にするべきであるとするお
立場です。B1は、同じことを、国際協力
基本法などの
法律ベースで明確に
規定すべきであるとするお
立場です。これに対して、同じ欄のCに掲げた
見解は、結論において
現行の政府解釈と同じなのであれば、特段の法的措置を講ずる必要はないではないかとする御
見解です。
以上のような
現状維持的な
見解に対して、A2の
見解は、軍事を含めた国際協力、すなわち、時として武力の行使を伴った国際協力を含めて国際貢献活動ができるように、まず
憲法に明文の
規定を置くべきであるとするお
立場です。そして、B2は、同じことを、
憲法改正によらずに国際協力
基本法などによって、いわば解釈変更によって認めようとするお
立場です。この国際協力に関するA2やB2のお
立場は、先ほど集団的自衛権に関する
明文改憲の
立場、解釈変更の
立場とそれぞれ軌を一にするものと言えるかと存じます。
最後に、以上の四つの
論点とは若干視点を変えた
憲法改正の
論点として、核兵器の廃絶等に関する
論点がございます。
すなわち、唯一の被爆国である
我が国であればこそ、その
国家の
基本法たる
憲法におきまして、核兵器の廃絶や、
国会決議として定式化されている非核三
原則を
規定するべきではないか、それこそが
日本国憲法にふさわしいという御
議論です。
憲法に
明記すべきとするAの欄の
見解、
法律ベースで法制化すべきであるとするBの欄の
見解がございます。もちろん、そのいずれも必要ないとするCの欄の
見解もございました。
さて、以上の九条をめぐる主な
論点、特に、自衛隊の位置づけ、集団的自衛権の
是非、そして軍事面を含めた国際協力の
是非の三点につきまして、
前回の御
議論を紹介すれば、まず、
自由民主党の
中谷元
先生は、
国家の独立と
国民の安全確保のための軍隊の保有は現代
国家の常識であるとして国防軍の保有を、また、これまでの
憲法解釈の一貫性や
憲法の正統性、
政治に対する信頼確保の観点から、解釈
改憲ではなくて、あくまでも
明文改憲による集団的自衛権の容認を、そして
三つ目として、国際協力についても、武力の行使を伴う国際平和活動に参加できるようにすべきであるとして、いずれの
論点につきましても、Aの欄の
明文改憲の御
主張をされました。
これに対して、
公明党の
赤松正雄先生は、
公明党としては、九条については
明文改憲も加憲も必要ないとのお
立場を御
主張されました。
また、
共産党の
笠井亮先生は、九条は、
戦争放棄だけではなく、戦力不保持、交戦権否認など、
前文とともに、
日本国憲法の真髄、平和
憲法の中核をなすものであり、その理想と精神はアジア諸国の
共通財産であるとし、まずは日米安保条約と在日米軍基地問題の検証こそが必要であると。
さらに、
社民党の
照屋寛徳先生は、
憲法前文の平和的生存権への言及など、平和は人権の
一つと言うべきであり、
平和主義に関する九条はいささかも変更してはならないと述べて、それぞれCの欄の護憲の
立場を御
主張されました。
他方、
民主党の逢坂誠二
先生は、自衛のための実力行使や国連のもとでの平和維持活動への協力は
国民大多数のコンセンサスになっていると
考えるが、それに対する歯どめこそが
国民主権に基づく
憲法の役割であるとした上で、自衛権に関する曖昧かつ御都合主義的な解釈を認めず、国際法の枠組みに対応した、より厳格な、制約された自衛権を明確にし、国際貢献のための枠組みをより確かなものとしていくべきだとの御
発言をされました。
また、き
づなの渡辺浩一郎先生は、九条の解釈は整理し直す必要があり、もっとシンプルな表現にして、自衛、国際協力のための軍の設置を
明記するにとどめるべきだとの御
発言をされました。
また、みんなの党の
柿沢未
途先生は、九条
改正の
是非やその具体的内容については
国民投票で決するのがよいとの御
発言をされたところでございました。
以上、大ざっぱな御
議論の御紹介であったとは存じますが、第二章に関する御
報告は以上でございます。ありがとうございました。