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小熊委員 委員長、ありがとうございました。
一方で、中間貯蔵から今度は最終
処分場に移すときも、この
道路の問題はまたさらに、そのとき、また中間貯蔵のものが半減期を迎えていて多少減容化できるという事態になっているかもしれませんけれども、そこまで先を考えなきゃいけないんですよ。最終
処分場、三十年までにですか、きちっとゴールを決めないと決まらないです。
ただ、私、
福島県でありながら本当に言いにくいですけれども、最終
処分場を引き受けてくれる県外の場所なんて本当にあるのかなと、信じられないですよ。だって、仮置き場だって県外でも設置できないところが数多くあったり、また、そういう
廃棄物だけじゃなくて、科学的に安全が担保されていても、
福島県のものを買ってくれない、旅行にも来ない。
この間も、衆議院の予算公聴会でいわきの商工
会議所の会頭さんが言っていました。あのスパリゾートハワイアンズも人が大分戻ってきました。だけれども、三月十一日以前と決定的に違うのは、子供がもう全然いない。私の会津でも、この間予算
委員会でやったとおり、ことしはNHKのあの「八重の桜」で大変多くの観光客に来ていただいていますけれども、修学旅行は半分戻ってきていないです。きのうも分科会で言いましたけれども、
井上副
大臣の地元の中学生、
福島県に修学旅行へ行ったらと言ったら、大変な議論になりますよ。残念ながら、それが今の国民の
皆さんの理解の状況ですから。
そのぐらいでもできないのに、最終
処分場、だから仮に西東京に、副
大臣の地元に持っていくなんという議論をしたら、大変なことになるでしょう。それは栃木だって茨城だって同じですよ。国有地だといったって、これは今風評被害で
福島県も大変な思いをしていますけれども、では、何々県の何々市に最終
処分場ができました、全然山奥で安全も管理されていますと言っても、何々市の最終
処分場と決定した段階で、何々市のものは売れなくなったり風評被害も出たり、そんな状況になるのが現実だというふうに思いますよ。
これは、つくる、必ずやりますと言うのは簡単なんですけれども、実際はなかなか難しいと思いますし、だらだらだらだら十年、二十年かけて努力したって、中間貯蔵は
福島県に決まりました、でも最終
処分場は決まっていないから、三十年で中間貯蔵を見ていますけれども、これが最終
処分場になるんじゃないかという疑念が晴れない限り、そこは除染が終わって双葉郡内は住めますから帰ってくださいと言っても、
一般の人たちは帰るという意識にならないですよ。それは住民の理解は得られますと言ったって、修学旅行ですら来ないんですよ、
大臣の地元の人たちだって副
大臣の人たちだって。そんな状況で、精神論だけでつくりますと言っても、だからそれは、我々は信じ切れないんですよ。
これは、本当に住民の人たちの人生選択を考えれば、十年後、二十年後に百点をとる政策をやったってだめなんですよ。ここ数年で
福島県内はこうなります、
処分場はこうなります、だからあなたはどこに住みますか、新しい地でやり直しますか、それでも帰りますかと。本当に宙ぶらりんの状況です。
本当の
復興というのは、その一人一人が自立していかなきゃいけない、自分で働いて自分の家族を守る、地域を守る、これが本当のあり方ですよ。補償金で食っていくのは
福島県民の本意じゃないです。それを考えたら、しっかりと人生選択をするためには、その判断材料が必要です。
そういう意味では、最終
処分場がいつ、どこに、どう決まるのか。決められなかったら、これは今タブー視されていますけれども、それまで含めて議論していかなきゃいけないと思っています。中間貯蔵が残念ながら最終
処分場になります、そのかわり補償をしっかりしますといったことも含めて、これは厳しいことです、だけれども、一人一人の人生を考えれば、それをもって判断ができる、そうしたことが実は誠実な
対応。つくります、やります、それでできない、それは大変に不誠実なことだというふうに思いますよ。
この時間軸をしっかり考えなきゃいけませんし、先日の衆議院の予算公聴会でいわき市長が言っていました。おおむね、あの三宅島の噴火で避難されていた五年、これがマックスじゃないかと。最大限、
震災から五年以内に全てのものが判断できる状況をつくらなければ、自立しないでいつまでも
仮設で、働いていいのかどこに住んだらいいのかわからない状況が続く。これは、町を壊すということよりも、もともとしっかりと自分で暮らしをやっていった人の心、自立する心、それを壊しているということになるんですよ。一生懸命
対応すると言って決めていないということは、その自立心を奪っていく、そういうことに今はなっているんです。
そうしたことを考えて、もう二年、三年のうちに決定をするということを言っていかなければ、いつまでもどうしたらいいのかわからないというのが
福島県民の状況です。この時間軸というものをしっかり意識していただきたいというふうに私は思います。
その点について副
大臣、最後にお願いします。