○川田龍平君 私たちに必要なのは、労働生産性と
関係なく
企業や組織に肩代わりさせてきた社会保障を政府がきちんとして労働生産性を図るということ、そして適正で公平で安心して切磋琢磨できる
仕事の条件を誰もアウトサイダーにすることなく保障していくことです。不合理で不公平で、チャレンジしなくても何とかなった
仕事は、もう今は誰にとってもあり得ないのです。
しかし、だからといって、その流動性が不安定さと直結するような選択肢しかなかったら、それは選択肢とは言えません。
正規労働者は毎年自動的に収入が上がっているのに、時給千円にも満たない
バイトが
能力給と称され、評価されながら働かされています。登録はしたものの、いつ入るか分からない
仕事で、
生活保護にも満たないような収入をやりくりして毎日を不安に暮らしています。短期
雇用の繰り返しで、毎年毎年雇い止めの恐怖と闘いながら、何とか解雇されないように、短距離競走の速度で
職業生活を心をすり減らして送っています。そうした日々を暮らす人には、無理な労働がたたって精神を病み、
生活保護への道はリアルに見えても、将来でなく今を安心して楽しめる
生活が送れる労働の
機会は永遠に回ってこないのです。
この不合理な格差は何でしょうか。同じ
日本国民なのに、十八歳や二十二歳のときに、たった一回の
チャンスで、そのときの採用状況に左右されて振り分けられたインサイダーとアウトサイダーで一生が変わってしまう、こんな不合理があっていいのでしょうか。そして、その後の人生を左右するからこそ、大学生たちは
就職活動に必死で、勉強する暇もなく、大切な若い時期を
企業回りで空費し、自己否定の日々を送る残酷な国となってしまっています。
最近では、やっとのことで
正規労働者になれたとしても、名ばかり
正規で、月給はもらえても全て
サービス残業。むしろ時給分が出るアル
バイトの方が高給であるような場合もあり、先日、過労自殺が認められましたが、若い女性が亡くなるという、飲食業のチェーンなどにもあるように、ひどい状況もあります。安楽な年功賃金の
正規の
仕事も、実際は正社員が非
正規の労働条件以下でただ働きを強要され、辞める自由も奪われた奴隷のような名ばかり管理職になっている
サービス残業の正社員も間違っていますし、毎日が転落との闘いである非
正規の
仕事も、いずれも働き方として間違っています。
私たちは、
労働者に区分けをした
派遣法自身、必要がないという立場です。労働法をきちんと守って、働く皆同じ
労働者同士で同一労働同一賃金で、老若男女、その属するものは何にもよらず、行う行動によって賃金が支払われるというシンプルな分配がされればよいと思います。パートだから、
バイトだから、
派遣だからということはその人と一切
関係がないのです。実際、非
正規雇用が家計補助者だけではなく主たる家計の担い手にも増加している状況下で、正社員との格差をどうとらえるのか。厚労省の一昨年の
職業形態の多様化に関する総合
調査では、正社員以外の
労働者で主な収入源が自分と回答したのが四九・一%なのです。
労働者はひとしく、例外なく労働法で守られるべきで、屋上屋を架すような
労働者保護の
法律を幾つも作る必要はありません。
派遣法もパート法も結局労働官僚の天下り先としか思えません。複雑な
法律は要りません。官僚をのさばらせるだけです。労働基準法第四条の同一労働同一賃金に、性別だけではなく
雇用形態による差別も禁止し、また同一価値労働同一賃金を入れ込むだけでよいのです。
EUでソーシャルインクルージョンが言われたのは、このインサイダーの既得権益が大きいためでもありました。既存の
雇用が守られ過ぎて、採用制限がされ、
失業者が減らないのです。まさに岡田副総理が提起した国家公務員の採用大幅抑制と同じ道です。
今の守られた労働条件で狭き門にすれば、ますますエリートになり、賄い切れない
仕事は短期
雇用の非常勤職員に押し付けられ、不安定
雇用を更に増やし、官製ワーキングプアを生み出しているのです。政府自らが社会的排除をつくり出している。もうこんなばかなイタチごっこはいいかげんにしなければなりません。
そんなことで時間も資源も無駄にしている場合ではありません。インサイダーの既得権益を広く公平に開放しなければなりません。不当に損する人をなくすためには不当に得をする人の分を回さなければならない、それが民主主義です。女性も男性も同じくらいの給与にすべきです。
日本の会社では、同じ
仕事をしていても、大きい会社では収益が大きいと賃金が高くなり、規模の小さい会社では安いです。これではいつまでたっても同一労働同一賃金にはなりません。その人がどの会社に入るのかは運もあります。合わなければ変えればよいのです。どの会社でも同じ賃金、それは
企業にとっては過酷です。
労働者の賃金を切り下げることで収益を上げることができないからです。うちは小さいから給料安くても我慢してというのは通用しません。同じハンディがなければ本当の意味の経営力を発揮することができないのです。
労働者を使い捨てて、過労死させて長らえるような
企業が大きくなっていくようでは、この国の発展は望めません。
みんなの党は、これまでの既得権益に縛られることなく、誰かにしわ寄せをして誰かが利益を得るのではなく、全ての人が皆チャレンジできる
機会、権利を持った上で、平等に切磋琢磨できる社会にすることを目指しています。
正規であろうが非
正規であろうが、男性であろうが女性であろうが、何のかかわりもなく、お互い競い合い、良い
仕事をすることを幸福として感じられる社会を目指しています。国民の幸せなくして何のための経済発展でしょう。その観点から、今回の継ぎはぎの対症療法の
派遣法の改正には反対です。
北欧などで機能しているフレキシキュリティーが、
雇用の安定性と柔軟性を併せ持ち、平等性を担保するモデルとしてあるとは思いませんか。
小宮山大臣は、正社員と比較して
年齢による賃金の上昇度合いが低い実態にあるという現状
認識がおありになり、
派遣元
事業主に対し、
派遣先の
労働者との均衡を考慮しつつ賃金の決定などを行うよう配慮することを義務付けていると
お答えになっていましたが、実際、
企業が正社員の給与体系に
派遣社員を合わせるとお考えでしょうか。それなら、なぜ
企業はわざわざ
派遣会社を
利用するのでしょうか。
年齢が生産性と関連しない。単に子供の教育費と住居に
生活費がかさむ
日本の社会のシステムから引き起こされる現状に合わせただけの給与体系です。同一労働同一賃金の
原則が
日本で常に無視されてきたのは、この年功的な
日本の賃金慣習と関連してきたことを旧労働省の役人は知っているはずです。まさにこうした、かつては合理性を持っていたかもしれない、時代や社会に合わせてできた
正規の賃金体系こそが
企業にとって重荷になっているのです。こうした旧来の給与体系が変わらないからこそ、非
正規が増えているという問題を立てるべきでしょう。
属人的な給与をやめ、
仕事に応じた給与にしない限り、同一労働同一賃金は達成できません。そして、それを怠ってきたからこそ、公務員を含め、
日本の組織は人件費の重圧に苦しみ、急速な収益の減少、そして非
正規化をたどっているのです。
派遣を不合理な
正規の賃金に合わせようとしても無理で、もしそれが万一できたとしても、そして更に別の形の非
正規雇用が生み出されただけになるでしょう。
正社員の職務と
派遣の職務を厳密に査定すべきなのです。現実に、
派遣社員よりも甚だしく
能力のみならず職務自身の質が落ちるにもかかわらず、正社員が
派遣の何倍ももらっている。
派遣社員の不当な低賃金によって正社員の不当な高賃金を賄っている不合理な実態、つまり正社員の男性、つまり稼ぎ主の働き方も同時に変えなければならないと思います。賃金は職務によって決定され、それによって、男女のみならず、
雇用形態による平等を図るように転換し、
改善すべきなのです。
津田政
務官、いかがでしょうか。