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参考人(
西修君) 本日は、このような
機会に
参考人として
発言をさせていただく
機会を得たことを非常に光栄に思っております。
時間が限られておりますのでちょっと早口になるかもしれませんけど、
資料を見ながら説明をさせていただきたいと思います。
まず、私、書いたこととの
関連で、
高見先生とちょっと違う点、二つだけ最初に申し上げておきたいと思います。
一つは、
災害緊急事態、これを
発動すべきだったかどうか。確かに、現在の
災害対策基本法では、この
該当要件、
要件に該当した
措置かと思いますけれども、しかしながら、やはりこの
災害緊急事態というものを発する、そして
緊急災害対策本部を設ける、この方が
国家の
災害緊急事態、特にこの間の
大震災、これは極めて甚大だったわけでありますから、そこでまずそういうものを布告し、そして
本部を設ける、こういうことは十分可能であったし、そうすべきではなかったか。これは
佐藤正久委員も前に
参議院の
予算委員会で御指摘なさっていらっしゃるところであります。要するに、
政治的
効果は非常に大きいはずである、
国家がやっていくんだ、
国民に是非協力をいただきたい。
それからもう一つ、
安全保障会議の
重大緊急事態、これはやっぱり招集すべきであったという私の考えでありますけれども、これは何といっても
自衛隊、自衛官を十万以上招集をしたわけであります。そして、いろいろ防衛
体制で少し問題が出てくる。そこで、そういう、
国家的にどういう
措置をとるか、まさに国防の最高の機関である
安全保障会議で
重大緊急事態というものを発することによって、自衛官のモラール、士気と、それから対外的な
意味においても非常に違う。事実、当時、ロシアとか中国、こういったところから空域、海域へのいろいろ偵察行為もあったというようなことからして、やはり私は必要であったのではないか。
それから、
憲法の五十四条二項、三項との
関連でありますけれども、これはやはり平時における問題であって、非常な
災害事態においては、これは五十四条二項、三項では対応できない、ここがちょっと違いだということを申し上げておきたいと思います。
以下、A4判の私の方の、これ時間の
関係で後でどこまで
資料に沿って御説明できるかどうか分かりませんけれども、まずこの
提言というところから申し上げたいと思います。
これも
緊急権の
定義、これは、私のこの今日の皆様方お手持ちのものであれば、芦部先生の
定義を用いたわけでありますけれども、ちょっと先生と引用文献は違うかと思いますけど、三十ページですね、戦争、内乱、恐慌、大
規模な
自然災害など、平時の
統治機構をもっては
対処できない
事態において、
国家の存立を維持するために、
国家権力が、立憲的な
憲法秩序を一時
停止して
非常措置をとる
権限を
国家緊急権という。
そこで、今日の私のテーマでありますけれども、
自然災害というものが中心でありますけれども、しかしながら、やはり
国家緊急権というものを考えていくと、それだけをなかなか切り離すことができない。まさに、芦部先生の
国家緊急権の
定義の中で考えていかなきゃいけないのではなかろうか。ただ、非常に広くして戦争まで行くとこれは問題なので、大
規模な
自然災害を中心としつつ、しかしこの芦部先生の
定義の
緊急権、こういったものにも触れていきたいと、こんなふうに思うわけであります。
さてそこで、
憲法というものをどんなふうに考えればいいか。そこで、
提言の(1)でありますけれども、私は
憲法というものをこんなふうに考えているわけであります。
それは、すなわち、皆様方のお手元のものであれば三十九ページを御覧になっていただきたいと思うんですけれども、三十八ページから三十九ページ、これは実は私なりの
憲法の家というものを考えてみたわけでありますけれども、細かいことは省略いたしますけれども、要するに、過去、現在、未来があって、我々は一つの
憲法の家に住んでいる。そして、そこには個人、家族、
地域社会、コミュニティー、地方自治体、
国家というものがある。それらがやはり一つの国というものをつくっている。そして、自然環境、国際社会というものがあるわけでありますけれども。
何を申し上げたいかというと、どうも日本の
憲法論というのは、
国家権力を規制する、それが
憲法だと、こういうふうに考えられてきているわけでありますけれども、私の考え方は、それはちょっと古い、絶対王政の十八、九世紀の考え方であって、今やもう大衆社会、もう選挙権も全部持っているわけでありますから、要するに、国の形というものをどんなふうに我々自身が、
国民が
国家権力というものと一緒に国というものをどういうふうに形成していくか、こういう中で
憲法というものを考えていかなければいけない。
そこで、この私の家からいうと、個人がいて、家族、社会の基礎単位としての家族、それから
地域社会、コミュニティーというもの、連帯というものに結ばれたコミュニティー、そして地方自治体、これは、三十九ページの上の方が住民の
権利とありますけど、住民の福利を第一に考えるというようなこと、そして
国家と。こういうものをやっぱり我々自身が、
国民も一緒に考えていく、その
基本法が
憲法である、そういう認識で私は
憲法というものを考えている。要するに、戦後
憲法のどちらかといえば主流という、
国家権力を規制する、これだけではない、これももちろん当然であります、しかし
国家の一単位である、こういうことから考えていく必要があるんではなかろうかということであります。
それから、(2)でありますけど、
提言。そうすると、
憲法というのは何なのか。
憲法の真価というのは、平時だけではなく、
有事において、いや
有事においてこそ発揮されるべきではなかろうか。
我が国の
憲法というのは平時
憲法であります。
有事を考えておりません。そういう中において、本当に
国家の存続、それからまた
国民の生命、身体、自由、財産、守っていけるかどうか、そういうところに
憲法の真価があるんだ。私は、今の
憲法というのはそういう面においてまだまだ考える必要があるんではなかろうかというふうに思うわけであります。
そして(3)、これはすなわち、そのためには
憲法を改正しなければいけません。
国家緊急権規定を導入すること、これは私は必要と考えております。
そして、(4)でありますけれども、
憲法にまず
規定を導入する。まず
憲法、それから
高見先生はちょっと否定的でありましたけれども、
国家緊急事態基本法、そして更に個別法、
災害対策基本法とか
武力攻撃事態法とか、そういうものを強化する。そういう三層構造によって、いわゆる非常な
災害対策を含めた
緊急事態というものに対する対応ができるんではないか、こんなふうに思うわけであります。
そして、なぜ
憲法というものにこの
緊急事態を入れるのをちゅうちょしてきたんだろうか、なぜ
憲法改正を考えなかったんだろうか。そこで、本当に時間が限られておりますので、十七ページから、これ私かなり苦労したわけでありますけれども、簡単に表を見ていただきたいと思います。
これは、十七ページのものでありますけど、各国の
制定年と改正の実際を見ました。下線部分を中心に行きたいと思うんですけど、日本は新
憲法、新
憲法と言われていますけど、今や、私、百八十八の成典化
憲法を調べたところ、古い方から十四番目で、しかも無改正であります。これを御覧になれば分かるように、世界の
憲法はかなり頻繁に改正しているということであります。
そこで、十八ページ。ここでは下線部分、ネルー・インド初代
首相はこういうことを言っております。下線だけを拾い上げます。
憲法を固定的で永続的なものにしてしまえば、
国家の成長と活気のある生き生きとした、そして有機体としての人々の成長を止めてしまうことになるだろう。もし諸君がこの
憲法を抹殺したいというのであれば、
憲法を本当に神聖で不可侵なものにすればよい。この
憲法を神聖化するということは、すなわちこの
憲法を抹殺するんだと。こういうことをネルーが言っているわけであります。
それから、どんどん行って誠に申し訳ないんですけれども、
憲法の成立過程について、
高見先生の論考なんかを拝見しますと、きちんと対応できるというふうにおっしゃっていらっしゃいますけど、
憲法の成立過程そのものについて宮沢俊義教授が非常に本音を言う、ここで見方を披露なさっていらっしゃいます。これをちょっと読みます。
憲法全体が自発的にできているものではない、指令されている事実はやがて一般に知れることと思う。重大なことを失った後でここで頑張ったところでそう得るところはなく、多少とも自主性をもってやったという自己欺瞞にすぎない。下線ありますけど、宮沢俊義先生ははっきり、今の
憲法は非自発的、非自主的、自己欺瞞、こういうことをおっしゃっていらっしゃるわけであります。
それから、次の十九ページ以下でありますけれども、世界の
現行憲法と平和主義条項及び一九九〇年以降の新
憲法における
国家緊急事態対処規定保有を少し調べてみました。これも世界百八十八か国、全部私ちょっと大変だったんですけれども入手して、まず平和主義条項でありますけれども、十九ページの下線のところを御覧になっていただければと思いますけど、百八十八か国中、私なりに十七のカテゴリーを一応分けてみました。その中で、一項目でも
規定のある成典化
憲法国は百八十八か国中百五十七か国、八三・五%であります。その証拠として各
規定を全部整理してありますので、これ右から左に写すときに三と八を間違ったとかそういうこともあるかもしれませんけれども、これが世界の状況でありまして、日本が唯一の平和主義
憲法、これはとんでもない誤りであります。
それから次に、二十五ページを見ていただきたいと思うんですけれども、一九九〇年以降の新
憲法であります。何とこれ、一九九〇年から二〇一一年まで二十一年の間に、世界では九十八の新しい、全く新しい
憲法ですよ、作られております。そして、その中で、いわゆる
国家非常
事態対処規定を保有していない国は皆無であります。この
国家緊急権の中には、当然、今
議論のありました
災害、そういったことも含めております。だから、そういうものを含めてここでは
緊急権と言っております。
さてそこで、私、実は非常に不思議に思うことが次の二十六ページであります。日本共産党と
憲法九条、これは原点に立ち返ってみると、日本共産党は次のようにおっしゃっていらっしゃいます。これはもう時間がないので下線部分だけを読みます。昭和二十一年八月二十四日、共産党を代表して野坂参三氏はこういうことをおっしゃっています。下線だけ。現在の日本にとって、今の
憲法九条ですね、
政府の
憲法九条、これは一個の空文にすぎない。その次読みますけど、我々はこのような平和主義の空文を弄する代わりに、今日の日本にとってふさわしい、また実質的な態度を取るべきであると考えるのであります、それはどういうことかといえば、いかなる国際紛争にも日本は絶対に参加しないということであると。要するに、当
憲法第二章は、今の九条でありますけれども、
我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある、それゆえに我が党は民族独立のためにこの
憲法に反対しなければならない。我々は当
憲法が可決された後においても、将来当
憲法の修正について努力するの
権利を保留して、私の反対演説を終わる次第でありますと。はっきり今の
憲法九条反対をおっしゃっていらした。まあこれは、この
委員会は私の方からどうこう言う、質問を呈することはできないようでありますので、もし私に対する質問とか御
意見があれば、これについて何か御
意見をいただければ非常に幸いである。
それから、当時の日本社会党でありますけれども、これは、このとき一生懸命努力されました鈴木義男先生、芦田小
委員会のメンバーでもありました。東北帝大の教授でもありました、行政法担当であります。下線部分。局外中立、すなわち、一局に入らない、そういう中立、殊に永世局外中立というものは前世紀の存在でありまして、今日の国際社会においてこれを持ち出すのはアナクロニズムであります、時代錯誤でありますということをおっしゃっていると同時に、ここでは書きませんでしたけれども、二十二年五月三日に、
憲法施行記念日に、日本社会党中央理論機関誌では原彪先生は、一生懸命我々は努力した、でも駄目だった、そこで
憲法を他日改正したい、あるいは森戸辰男先生も、このすぐ後にはっきりおっしゃっていらっしゃいます。ということで、
高見先生、当時のことをいろいろお調べになられましたので、当時の状況もここでちょっと申し上げておきたいと思います。
それから、二十七ページ、二十八ページ、二十九ページでありますけれども、これは一九九〇年以降のものを調べて、これは私の著書の中から取ってきたわけでありますけれども、これは先ほどのと重複しますのでここでは省略をしたいと思いますが、ただ、将来の問題として、世界の一九九〇年以降においては、環境の
権利・保護とかプライバシーとか、あるいは家庭の保護、今の二十四条ではない、家族が社会の一単位である、それから家庭の保護をやるとかあるいは政党条項等、これは結論としては、二十九ページのところにデータがありますけれども、非常に多くの国の
憲法で最近
規定されている。
さてそこで、どんどんどんどん時間の
関係で早口になっていって申し訳ございませんけれども、三十ページ、
国家緊急権に関する考え方等でありますけれども、時間がございませんので、
国家緊急権の
提言を申し上げました。
国家緊急権に関する考え方いろいろありますけれども、ここでは二つだけ、三十ページのカール・フリードリヒとその次のコンラート・ヘッセぐらいを紹介させていただきたいと思います。
まず、フリードリヒでありますけれども、三十ページ。
緊急事態に
対処できない
国家は、遅かれ早かれ、崩壊を余儀なくされる、
憲法上の士気、モラールを危険にし、それゆえ
憲法秩序を危険にするという理由から、このような
緊急権に反対をする論者は存在しない。しかし、どうも日本の
憲法学者はかなりいるようでありますけれども。それから、コンラート・ヘッセ、こういうことを言っております。
憲法は、
平常時においてだけでなく、
緊急事態及び危機的状況において真価を発揮すべきものである、
憲法がそうした状況を克服するために何らの配慮もしていなければ、責任ある機関には、決定的瞬間において、
憲法を無視する以外に取り得る手段は残っていないんだ。
そして、小林直樹先生でありますけれども、
緊急権をこの
憲法に入れることについては反対でありますけれども、もし万が一の場合はどうか、それは抵抗できるんだ、しかし、この抵抗権は原則的に、武器をもってしない批判、討議、説得等の持続的な
国民運動によるべきである、まだ遠いユートピアにすぎない。でも、やっぱり現実的な側面から我々は考えていかなきゃいけないので、ユートピア論を
憲法に持ってくるのはいかがなものだろうか。だから、私が言うところの、ちょっと
言葉はどうかなと思うんですけど、戦後はそういうユートピア的な
議論といいますか、何か現実を無視したごっこ的解釈ということを「正論」に後で述べておりますけれども。
そういうことから、この各国の
国家緊急権規定、これを見ていきたいと思うんですけれども、いわゆる国際
人権規約と言われるものですね、国際条約。これを見れば分かりますように、
国民の生命を脅かす公の
緊急事態の場合においてその
緊急事態の存在が公式に
宣言されているときは、この条約の締約国は、
事態の緊急性が真に必要とする限度において、この条約に基づく義務に違反する
措置をとることができる。ただし、法の下の平等とかいうものは、これは駄目だけれども、しかし、
制約は可能である、国際条約の中で言われておる。
そして、各国の
憲法を見ると、先ほども言いましたように、ほぼ、多くの国で
緊急事態法を設けている。三十二ページはアジア諸国、我が周辺の中国、中国はもう一党独裁でありますから、平時が
有事と考えていいと思いますけれども、韓国とかロシアとか、あるいはヨーロッパのフランスとかドイツとか、多くの国で、あるいは中立国のスイス、スイスでは民間防衛、非常に発達をしております。「民間防衛」という本ですね、これ三十五ページの真ん中ほどありますけれども、我々はあらゆる
事態の発生に対して準備せざるを得ないというのが最も単純な現実なんだということで、この「民間防衛」という本を各戸に配って、どうするかということを厳密にといいますか、かなり詳しく周知徹底している。
そして、最後に、三十五ページの(8)でありますけれども、結局、どんな場合、どの機関が、他機関の関与・
承認、それから何を、ここに書いてありますとおり、抽象的な非常
事態宣言から具体的な
地域の限定、
人権をどこまで
制約できるか、そして期間の限定等々、各国の
憲法の共通の条件はこういうものでありまして、自由
民主党の
日本国憲法改正草案はおおむねこの世界の動向に合致している、こんなふうに思うわけであります。
あと一分少々で、結論を申し上げますけれども、最後、三十七ページですね。この
緊急事態の問題というのは決して今問題になったわけではありません。
高見先生のは、これを奇貨として、これを幸いとしてやるというのではなくて、もうかなり前から
内閣憲法調査会、これはかなり前、一九五四年のものでありますけれども、ここからも、このときは
憲法に
規定すべきとする見解が多数の見解であったとか、そういう流れで今来ているということであります。
そういうような流れの中で、大
災害という問題でありましたけれども、いざこの
国会そのものが崩壊したらどうなるのか、
政府の中枢が崩壊したらどうなるのか、そういうことも含めて
緊急事態といいますか、そういうことを
憲法で
規定する、そういうことは私は必要である、こういうことを最後に申し上げて、私の
陳述を終えさせていただきます。
どうもありがとうございました。