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2012-04-11 第180回国会 参議院 憲法審査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十四年四月十一日(水曜日)    午後零時三十二分開会     ─────────────    委員の異動  二月二十九日     辞任         補欠選任      水戸 将史君     藤原 正司君  三月一日     辞任         補欠選任     はた ともこ君     大島九州男君  四月九日     辞任         補欠選任      亀井亜紀子君     自見庄三郎君  四月十日     辞任         補欠選任      大島九州男君     安井美沙子君      直嶋 正行君 ツルネン マルテイ君      白  眞勲君     西村まさみ君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         小坂 憲次君     幹 事                 江田 五月君                 鈴木  寛君                 中村 哲治君                 松井 孝治君                 川口 順子君                 中川 雅治君                 西田 昌司君                 魚住裕一郎君                 江口 克彦君     委 員                 足立 信也君                 大久保潔重君                 川上 義博君                 今野  東君                 芝  博一君             ツルネン マルテイ君                 那谷屋正義君                 西村まさみ君                 姫井由美子君                 広野ただし君                 福山 哲郎君                 藤末 健三君                 藤原 正司君                 前川 清成君                 増子 輝彦君                 安井美沙子君                 礒崎 陽輔君                 衛藤 晟一君                 片山さつき君                 藤川 政人君                 古川 俊治君                 山谷えり子君                 谷合 正明君                 西田 実仁君                 松田 公太君                 井上 哲士君                 福島みずほ君                 舛添 要一君    事務局側        憲法審査会事務        局長       情野 秀樹君    参考人        「ふんばろう東        日本支援プロジ        ェクト」代表        早稲田大学大学        院商学研究科専        門職学位課程(        MBA専任講        師        西條 剛央君        学習院大学法学        部教授      櫻井 敬子君        大阪大学大学院        高等司法研究科        教授       棟居 快行君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基  本法制に関する調査  (「東日本大震災憲法」のうち、大震災と人  権保障について)     ─────────────
  2. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ただいまから憲法審査会を開会いたします。  憲法審査会を始めるに当たり、会長として一言申し述べることをお許しください。  この度、本審査会は、「東日本大震災憲法」をテーマに取り上げることといたしました。私たちは、この未曽有の大災害で被災された方々のことを片時も忘れることなく、憲法について率直かつ建設的な議論を行っていきたいと考えておりますので、皆様の御協力をお願いいたします。     ─────────────
  3. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する調査のうち、東日本大震災憲法について参考人出席を求め、その意見を聴取することとし、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  5. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する調査を議題とし、「東日本大震災憲法」のうち、大震災人権保障について参考人方々から御意見を聴取いたします。  本日は、「ふんばろう東日本支援プロジェクト代表早稲田大学大学院商学研究科専門職学位課程MBA専任講師西條剛央君、学習院大学法学部教授櫻井敬子君及び大阪大学大学院高等司法研究科教授棟居快行君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々一言御挨拶を申し上げたいと存じます。  本日は、御多忙中のところ本審査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。審査会代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  これまでの経験を踏まえた忌憚のない御意見を賜り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。  本日の議事の進め方でございますが、西條参考人櫻井参考人棟居参考人の順にお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただいた後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず西條参考人お願いをいたします。西條参考人
  6. 西條剛央

    参考人西條剛央君) 西條です。よろしくお願いします。  僕はふだんは早稲田大学で教えているんですが、今回、仙台出身でして、おじさんが津波で行方不明になってしまったということとかもありまして、ふんばろう東日本支援プロジェクトというものを立ち上げてやっております。そうした活動を通していろいろ気が付いたこと、人権に関することを中心にお話しさせていただければと思っております。よろしくお願いします。  最初、僕は南三陸町に入ったんですが、そこで、四月一日、最初に入ったときは、そのタイミングだったんですが、やはり現地物資が行き渡っていなかったんですね。既に報道では、いろんなところに物資が余っているという報道されていたんですけれども、実際は大きな拠点避難所とか県の倉庫に物資が余っている状況で、そこから先に流れていなかったんですね。  僕が行った時点で三週間経過していましたが、賞味期限が切れたおにぎりしか届かないとか、もう本当にペンもない、何もないという状況を聞きまして、これは大変だと思いまして、それで立ち上げたプロジェクトがそのプロジェクトなんですけれども、直接、僕が実家の両親に物資を送るように、全国の方から送っていただけるようなインターネットを介した仕組み最初に立ち上げました。それをきっかけに、三千か所以上の仮設あるいは避難所、あるいは個人避難宅エリアというところに物資を届けることができたわけですけれども、そこはやはり生存権あるいは幸福を追求する権利というところにかかわってくるのかなと思います。  あと、その後は家電プロジェクトというのも立ち上げまして、これはなぜ立ち上げる必要があったかと申しますと、個人避難宅、自宅に戻られている方、戻られて何とか生活されている方がたくさんおりまして、こういう方には実は国とか赤十字の家電支援家電六点セットですね、この支援が受けられないという状況なんですね。  ですが、たくさんのお手紙をいただきまして、同じように流されて家もない、家族も失っているのに、なぜ住んでいる場所支援を受けられたり受けられないということが決まるのかということで、やはりすごく悲しいという思いの手紙もたくさんいただいたわけですけれども、これはやはり罹災証明書被災証明書で判断すべきことかなと思っていまして、冬物家電等も含めて、扇風機等もそうですが、二万五千世帯の家庭に全国支援者のお力を集めてお届けしたり、そういった活動もしてきました。こちらも、やはり家電、なくても何とか生きていけるという議論もあり得るかもしれないですけれども、やはり最低限の生存幸福追求にかかわるところなのかなと思います。  ですから、僕からお願いしたいこととしては、やはり個人避難宅、そういったお宅にも是非支援の手が伸びるような形にしていただければと思っております。  それとも関連するんですが、今回ボランティア活動をして、僕らは二千名以上、二千何百人という方が集まっている日本でもかなり大きなボランティアプロジェクトになっていると思うんですが、幾つか困っていることもありまして、一つ個人情報保護法なんですね。こちらが大きな壁になっております。というのも、最初時点物資とかも送りにくかったというのもあるんですが、それ以上に今、みなし仮設あるいは先ほど申し上げた個人避難宅にたくさんの方々が住んでいるわけですが、これがボランティア団体、NPOにもこの情報はいただけないんです。それは個人情報保護法があるからですね。ですから、支援したくてもどこにいるのか分からないので支援ができないという形になっています。  北海道大学のそういった情報等に関するシンポジウムでもたくさん、たくさんというか、ほかの有識者の方もおっしゃっていたんですが、やはりこういった有事には柔軟な運用をする必要があるのかなと思います。そうすれば、場所さえ分かれば何とか支援をしたいという団体等はいっぱいありますので、そこも御検討をいただければと思っております。それは知る権利とかにもかかわってくるとは思うんですが、問題が起きないようにルール設定をして、こういう範囲で必ず使うようにということをやれば問題なく進むんではないかと思っております。  それからもう一つは、仮設住宅の問題ですね。  こちら御存じかと思うんですが、震災半年を過ぎ、十月過ぎにできた仮設もあるわけですね、石巻市とかはそうですが。やはり甚大過ぎる、広域過ぎる災害に追い付かずというところもあると思うんですけれども、かなり過酷な状況で暮らされている方がたくさんいて、僕が七月中旬の時点石巻市の市街地にある、ある中学校に行ったら、洗濯機は一台もついていなくて、扇風機も四台、それも公平にということで、誰もいない体育館の真ん中で四台だけ回っているという。  それ、何で行ったかというと、そこの体育館で暮らしている小学生が具合が悪くなっているという話を聞いて行ったら、本当にそういう状況だったんですね。もちろん通電していますし、周りは、洗濯機もその中学校には実はあったんですけれども、問題が起きると困るということでつけなかったとか、それもやはりそういう憲法考え方幸福追求権利あるいは生存権といったことの考え方がどうも十分に理解されていないまま運用されていたんではないかと思わざるを得ないときがありまして、八十歳、九十歳の老夫婦が、その時点で、もう三か月とか四か月たっている時点で、暑い体育館の段ボールの上で寝ていたんですね。毛布は臭くて、震災当初から使っているから、もう使えないということでビニール袋に入れられて、そういった状況が実際にあったということをお伝えしたいと思います。  やはりそこでも、僕らは扇風機を持っていったんですが、そこでは置く場所がないから受け取れないと言われたんですけれども、まあ置く場所はいっぱいあったわけですが、やはり公平性、公平にやらなければいけないということが先にありまして、それは本末転倒かなと。やはり幸福追求、少しでも生活の質を上げるための支援をするのが、それをサポートするのが行政の最も重要なことだと思うので、やはりそういったことも、今後同じ悲劇が起きないように改善していくべきかなと思っております。  それから、それとも関連してくるわけですけれども、仮設住宅の建築が遅れたというのもあるんですが、過酷な状況避難生活をしていた方がたくさんおられた。あるいは仮設住宅も、多くの自治体では阪神大震災のときの教訓が生かされず、阪神のときも七百人以上の方が孤独死されたという報道が広く伝わっていたわけですけれども、実際には仮設住宅、抽せんでばらばらにされてしまったわけですね。多くの人がコミュニティーばらばらにされた状況で暮らしていまして、そういったこともあると思うんですが、現在、二月末の時点報道で、震災関連死震災津波で行方不明になったり死亡された方、亡くなられた方が一万九千人ですか、それに加えて千五百人ほどの方が更に亡くなっているんですね。  これは、僕はある意味で人災だと思っております。やはり防げた死だと思います。合計でもう二万人を超して、またこれからどんどん増えていくと思うんですけれども、仮設住宅のそのばらばらにしてしまったというのは本当に大きな痛手で、やはりそういったものも法を整備しておく必要もあるのかなと思います。  それに関連して僕は提案させていただくと、仮設住宅は、実際、今回平均一棟当たり五百五十万円以上掛かっております。これは冬物の暖房、防寒対策費とか含まれずにですね。ですから、実際は六百万近く掛かっているんじゃないかと思うんですが、それだけの金額があれば、調べると分かるんですが、五百五十万あればかなり立派なトレーラーハウスが買えます。  僕は、全国にやはりトレーラーハウスをまとまった台数常備しておいて、残念ながらこの日本は、十年置き、十五年置きに震災が起きています。これからも起きるでしょう。そのときに、必ず起きるわけですから、全国にそういったものを配備しておいて、どこかで起きたらそれを集めれば仮設住宅群はすぐ造れます。家電も備えておいてパソコンも常備しておけば、それで十分すぐに対応できるわけです。  しかも、仮設住宅は一応名目上は震災が起きてから二年ということになっていますね。それでは今回済まないと思いますが、二年ということはあと十一か月です。それで壊してしまうのかということですよね。それだけのお金を掛けて壊して、壊すのにもお金が掛かります。ですが、トレーラーハウス構想でやれば使い回しも利きますし、しかも移動させることもできますよね。  今、仮設住宅は、一度決められたところにばらばらにして入れられたわけですけれども、原則動いては駄目だということで省庁の方から通知が行っています。県外から移転される方とか、そういった例外は認めるけれどもという形ですね。もちろん、自治体によっては柔軟に運用しているところもあるようですが、原則そういった形になっているので、要するにトレードという形で、ある仮設仮設の、僕の親戚はそっちにたくさんいるから、あなたの親戚こっちにいっぱいいるみたいだから取り替えようということもできないわけですよね。ですけれども、一番今ボランティアでも課題になっているのはコミュニティー形成と言われていますが、最初からできているコミュニティーばらばらにしなければ、そういったことがそもそも問題にならないわけですね。  そういった移動性利便性、それから金額の面でもその方が必ずいいと思いますし、そして実際に五百五十万、六百万近いお金を掛けるんであれば、やはりちゃんとした住宅を建てるところの補助、これにしっかり使うべきだと思います。それが見えないために、皆さん、もうどうしたらいいのか分からない、これからどうやって生きていけばいいのか分からないという状況ですね。現地の方は、そんな経済的に恵まれている方ばかりではなく、かなり元々厳しい状況で、御高齢の方は何とか年金と、それから持家があるから年金で何とか暮らしていけるという方が多いんですね。  ですから、それを失ってしまって仮設を出ろと言われたときにどうすればいいのかということは本当に皆さん不安に思っていて、そういう先の見えなさがまた大きなストレスになって多くの方が、やはり自殺されている方もいますし、亡くなっていくということがあるので、やはり現地の方が希望を持ってこれならやっていけるという、そういった方策を打ち出していくということが極めて重要なのかなと思っております。  もう一つは、あとは勤労の権利とかにもかかわるわけですけれども、やはり現地で一番必要なのはスピードです。働く場所がなければ、これ、働く場所というのは僕は実はライフラインだと思っています。つまり、働く場所がなければ人がいなくなってしまう、人がいなくなってしまっては復興も何もないんですね。  ですから、地盤沈下等に伴って、地面を盛土をしてから数年後になりますとか、そういう決定をしている自治体は多いですが、実は復興も大事ですけれども復旧も極めて大事で、電気、水道、ガスと同じように、働ける場所というものは早期に復旧すべきだと思います。それは何でも、どんな形でもいいと思うんですね。その場で働ける人たちが働く権利をしっかり行使できて、そして経済が回っていくという形ですね。  そのために一つだけ最後にお願いしたいのが高速道路無料化ですね。これ、東北自動車道だけ五年間、十年間は無料化しますと、こう決めてしまえば、多くの企業が動きますし、現地企業にとって極めて有利です。そして、ボランティアの、入る人にとっても入りやすいわけですね。これを一つ決めるだけで物事が大きく動くかなと思っております。  時間になりましたので、以上にさせていただきます。ありがとうございました。
  7. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ありがとうございました。  次に、櫻井参考人お願いをいたします。櫻井参考人
  8. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) 学習院大学櫻井でございます。  今日は、このような貴重な機会をいただきまして、誠にありがとうございます。レジュメがございまして、それに沿う形でお話をさせていただければと思っております。  私の専門行政法という分野なのですけれども、現在、行政関係で生きている法律というのは約千九百本あると言われております。我が国統治構造ということからしますと、憲法価値というものが基本的には法律以下の下位規範でもって実現していくという、そういう構造からいたしますと、憲法議論をする際に、ちょっと手前みそなんですけれども、行政法の視点を持つということは極めて重要ではないかというふうに考えております。  本日は、大変大きいテーマをいただいておりますけれども、そのような観点から日ごろ考えておりますことを申し述べさせていただければと思っております。  まず、一の憲法意味合いについてというところですが、初めに、行政法から見て憲法がどのような意味を持つ規範であるかということについて述べさせていただきます。  まず、憲法法律関係についてですけれども、これは今申しましたとおり、広い意味では憲法を実現するものとして法律があるという言い方が可能なのですが、他方で、法律は一旦できてしまいますとそれはそれとして完結するという存在でもございまして、実は憲法と遮断されているところがあります。  オットー・マイヤーというドイツ行政法学の父と言われる人がおりまして、日本の場合は輸入法学でございますので、ドイツお父さん日本お父さんでもあるという構造があるんですけれども、その人が、憲法は滅びても行政法は存続するという、そういう言葉を残しております。  我が国は一度だけ憲法改正経験しておりますけれども、憲法意味を考察する上で、憲法改正によって法律あるいは行政実務がどう変わったのか、あるいは変わっていないのかというのを見ることは、憲法論議をする上で重要と思われます。  (2)の憲法行政実務乖離についてというところですけれども、両者の間には無関係ということも含めて結構な乖離があるというのが私の認識でございます。  明治憲法は、ドイツ・プロイセンの憲法を主たるモデルとして制定されておりまして、その下で近代的な行政活動が始まって、それが連綿と続く中で、ある時点で全く異質なアメリカ的な憲法が制定されたということから、両者はいまだに融和していないところがあり、行政の方から見ますと憲法が浮いて見えるということが間々ございます。  最近何かと話題の地方自治法を例に取りますと、地方自治に関する規定というのは、これは新憲法になって初めて置かれたものでして、これを受けて地方自治法が制定されるのですが、具体的な法律の内容は、これはついこの間まで、御案内のとおり、機関委任事務制度というのがあって、地方の首長というのは、これは国の下部機関として扱われていて、大臣命令を出すことができましたし、しかも命令に従わなければ、選挙で選ばれた知事が内閣総理大臣によって罷免されるという仕組みがついこの間まで堂々と存在していたということは驚くべきことかと思います。  罷免制度平成三年に廃止されまして、機関委任事務制度は、現在、法定受託事務というようなことで組み替えられておりますけれども、ニュアンスは変わっておりますけれども、しかしながら今なお地方自治法自治体に対する法令統制の道具として機能しているということは、これは周知のところかと思います。  また、これとは逆に憲法に適合的な法律というのも結構できていまして、昭和二十年代ですけれども、そこに書きましたように、公務員法制とかあるいは港湾法なんというのは、文言上は結構適合的なんですけれども、そうであるがゆえにいきなり空文化してしまうというような事例も少なからずあるということも言えるかと思います。  明治憲法につきまして一言だけ申し上げますと、明治憲法については、これは新憲法との対比でマイナスイメージで語られることが多いのですが、実は客観的に言うと、憲法出来としては決して水準の低いものではないということが言えるかと思います。むしろ、私は日本予算制度の歴史について調べたことがかつてあるんですけれども、明治期予算制度に関して言いますと、これは近代的な予算制度を初めて持ってきたわけなんですけれども、その導入に至る過程の議論というのは本当に広くて深くて、しかも当時のヨーロッパ各国憲法典参考にして非常に国際色豊かにつくったものであったということを見まして、率直に驚いた経験がございます。  明治憲法の場合には、近代国家を建設するという大目標があって、知的な、クリエーティブな作業として、しかも時間的余裕がある中で行われたということがその成果物出来具合に影響を与えるというのは当然のことかなというふうに思っております。  さて、二ですけれども、人権論に話を進めたいと思います。  今般の大震災では、今、西條参考人からもお話ございましたように、ある日突然全てが奪われるということが現実に目の前で起きたわけでありまして、文字どおり人間的な生存が脅かされる極限状況が生じていると言うことができるんだろうと思います。  かつて一時期、いわゆる新しい人権論というのがはやったことがあって、喫煙権とか嫌煙権とかそういう話だったかと記憶しておりますが、社会が豊かになるにつれて人権の重みがだんだんなくなって、人権インフレ状況が生じているというような指摘がされたことがございました。しかし、今回の事態というのは、言葉の素直な意味での憲法的な状況というふうに言えるんだろうということで、まさに人権を論ずるべき事態が出現しているものと考えられます。その意味で、大震災人権保障というのは大変テーマが大きかったので、今日何を話そうかなとちょっと思ったんですけれども、誠に正鵠を得ている問題設定かなというふうに考えるものでございます。  そういうふうに考えますと、今の憲法人権カタログというのがございますけれども、これは基本的には歴史的に迫害のリストであったということからいたしますと、ここでは大震災において最も過酷に感じられるものは何であるかということが人権の中身とされてしかるべきであろうというふうに思います。キーワードといたしましては、今お話もあったように、家族とか共同体とか住まいとか仕事とか、あるいは放射能汚染なんかも考えますと空気とか水とか、あるいは生きがいとか希望とか速やかな復興とか、そんな言葉が直ちに思い浮かぶところでございます。  なお、テクニカルに言いますと、ある法益を人権というふうにして書くか、あるいは国家の責務として書くかという問題もありまして、具体的な制度をどうつくるのかということをにらんで憲法を作るといたしますと、あえて国家の責務として書くという選択肢もあるのかなというふうに考えるものでございます。  次に、(2)ですが、大震災のうち地震と津波に関連しましては、今回の事態を受けて、現実のニーズとして、危機管理ないしは緊急事態に関する規定を真剣に考えるべき状況に立ち至っているのではないかというふうに考えております。  自然災害に関しましては一応現行災害対策基本法という法律がありますけれども、これは比較的小さい災害を念頭に置いているもので、市町村を中心にしたボトムアップ型の仕組みを採用するものでありますので、今回のような大規模災害への対応ということで考えますと、いかにも役不足であるという感じは否めないところでありまして、制度としてはベクトルの向きをトップダウン型に反転させて、それから、主体としても国とかあるいは都道府県というのがもう少し前面に出てこられるような仕組みが求められるように思っております。  ところで、この災対法には、御案内のとおり、災害緊急事態における緊急政令の制度というのが実は置かれているわけなんですけれども、つくるときは憲法違反じゃないということでつくったんですけれども、しかし、憲法上の疑義があるということが言われているために、実際執行しようとするとその執行がちゅうちょされるという状況があろうかと思います。危機管理と人権保障が究極においては対立するものではないということを明示するなりしませんと、新たな危機管理法を作るということ自体が非常に難しいですし、作ったとしても動かしにくいというところがあると思います。この種の問題については、とりわけ憲法法律を一体的に整備するという発想が必要かつ有益ではないかと考えるものでございます。  次に、原発についてです。  人権論としましては、今後は原子力災害も視野に入れた環境権の理論というのを展開していく可能性があるように思いますけれども、ここでは裁判所の問題について触れたいと思います。  裁判所は人権保障の最後のとりでということになっているはずなんですけれども、少なくとも、これまでの原発訴訟を見ますと、裁判所が原発行政を有効に統制するということは全くなかったということは、これは事実として受け止めざるを得ないのではないかと思います。  実は、福島第二原発訴訟というのがありまして、これは最高裁まで争われているものがあるんですけれども、今回の事故の後、その訴訟で原告が何を主張していたのかということが気になりまして、改めて判決を読み直してみたのですけれども、原告である住民側の主張というのは、憲法十三条の幸福追求権、これを援用しながら、原子炉が安全なのかどうかということを言わば日常用語で問うているというものであるのに対しまして、被告の国あるいは裁判所の側というのは、これ、問題の施設が原子炉等規制法上は問題がない、法律的には安全であるというふうに言うばかりで、住民側のそういう素朴な問いかけにはこたえるものとはなっておりません。  この点、控訴審判決は、法的安全性とそれから現実の安全性は別問題であるというふうにはっきりと言っておりまして、その上で住民側の訴えを棄却しているんですけれども、この種の裁判で両者が全く別問題だというふうに言ってしまいますと、事実上裁判をする意味がないだろうというふうにも思われるところで、いずれにしましても、憲法価値に対する一定の配慮というものが必要ではないかというふうに思います。  なお、行政訴訟が現在深刻な機能不全に陥っているということについては、実は戦後法制とやっぱりかかわりがありまして、戦前は、我が国ドイツ型の行政裁判所という特別裁判所を持っておったんですけれども、戦後は、アメリカ法に特別裁判所という概念がございませんでしたので、これは非民主的な裁判所であるということで憲法の明文で禁止をされております。  そこで、現在は通常の司法裁判所が民事事件、刑事事件共に行政事件を扱っているのですけれども、これは客観的に申し上げて、行政訴訟というのは門前払いが極端に多くて、これは司法統計で計算しますと、通常事件の大体六十倍の却下があるという数字が出てくるんですけれども、何といいますか、事実上の裁判拒絶みたいなことが日常化しているような状況にございます。これは、憲法の理念ということからしますと、今の裁判制度がどうもそれに合っていないのではないかという疑問を持つところであります。  そのほか、原発テロ対策との関係では海の問題というのがあって、戦後、海の問題って放置されているんですけれども、これは国家主権と密接にかかわるのでちょっと人権の話ではないんだろうと思うんですけれども、憲法上の課題として取り上げる価値はあるのではないかということを一言申し上げたいと思います。  あるいは、行政組織の在り方という点に関しましては、現在議論あるようですけれども、政治が科学技術に対してどういう立ち位置であるべきかという問題について言いますと、今回の事故を教訓といたしまして、レジュメに書きましたけれども、例えば、行政は科学的でなければならず、国はこれを確保する責務を有するというような一文があってもいいのかなというふうに思ったりするところであります。  最後、まとめでございますが、まず憲法価値の設定というのは、これはやっぱり国民の代表者である議員の先生方の専権事項ではないかなというふうに思っておるんですけれども、私として申し上げたいのは二点目でして、憲法の価値というのが結局個別法に生かされていないと余り意味がないんですね。経験的に言って、実務というのは憲法と無関係に展開していくものなので、ここに何か仕掛けが必要だろうというふうに思います。あるいは三点目は、人権保障仕組みといたしまして、これも人権保障システムも画餅に帰してしまっては意味がありませんので、それを担保する仕組みというのが必要であろうと。そういう意味では、裁判所だけじゃないんですけれども、権利救済の仕組みというのも併せて考えていく必要があるだろうというふうに思っております。  以上で私の意見陳述を終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。
  9. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ありがとうございました。  次に、棟居参考人お願いをいたします。棟居参考人
  10. 棟居快行

    参考人棟居快行君) ありがとうございます。  棟居と申します。大阪大学に所属をしております。  以前、憲法調査会でも発言の機会を許されたことがございます。中山太郎先生お越しで、私、中山太郎先生の気配を察しまして、ある詩を思い浮かべたところでございます。中原中也の詩の一節でございますけれども、おまえは何をしてきたのだと吹き来る風が私にいう、まさに今その感が強いわけでございます。それはどういう趣旨かと申しますと、申すまでもないと思いますけれども、憲法調査会発足以来、議論が集積され、また今次の憲法審査会に至っておるわけでございますけれども、まさに天はその虚をつくかのように、今回の大震災、これを我々に与えたわけでございます。そういう意味で、本日、大震災人権保障という大きなテーマをちょうだいしておりますけれども、まさに国家あるいは人権の側からこうした事態、もっと早めに織り込んだ議論ができなかったのか、私個人として大変痛切に反省をするところがございます。  ただ同時に、後ろばかり見てもおれません。ということで、今次の震災あるいはその後の様々の出来事が今我々にどのようなことを言わば示唆しておるのか、考えなさいと言っているのか、そういうふうに前向きに気持ちを取り直しまして、本日、若干の時間ちょうだいして話をさせていただきたいと思います。  今回の震災が、これまでの国家論、人権論の在り方につきまして、その限界、これを示したということは言うまでもございません。具体的には、先ほどの西條参考人の非常にリアルなお話で、国家論、とりわけ人権論の限界、これを再確認した次第でございます。  すなわち、危機管理というものができないということなんですが、これは規定があればどうにかなったのかというふうに考えますと、そう簡単な話でもないという、こういうややこしいことを申すのでなかなか前に進まぬというお叱りがあるかもしれませんけれども、戦後日本最初の宿題は、何よりもまず平和で民主的な国家をスタートさせるということにあったわけでございます。一九四五年の焼け野原の時点で、天災、大震災、大地震、こういったものは人々の念頭にはなかったわけでございまして、専らどうやって平和で民主的で人権を保障できる、そういう国家の在り方、これを実現していくかという、そこに焦点が合わされたわけでございます。  その結果登場しておるのが日本国憲法でございまして、これは人権保障、そして法治国家、法治主義の原理によって行政権を縛っていくと、こういう強い意思がそこには表れておるわけでございます。人権保障、法治主義という観点からすれば、言わば優等生の答案といった趣がございます。しかし、これは、優等生の答案というのは、私のような教師の商売を何十年もやっていますと、毎年優等生という人はいます、しかし、こちらが年を取ってきたせいもあるかもしれませんが、だんだんそれでは物足りなくなってまいります。つまり、こういう人が十年、二十年たって日本に何を寄与するんだろうかというのが見えてこないわけでございます。  今、櫻井参考人がおっしゃった、裁判所も多少そういった弊害から免れていない面があるかもしれません。一言で言うと想像力の貧困という、これに尽きるかと思います。つまり、決められたとおりに守っていく、ルールがこうなっておるからこのようにしていくという、そこで止まってしまっていて、何のためにルールがあるんだというその原点に戻る、そういう発想力がないということに尽きるかと思います。もちろん、そうした権限も与えられていないという言い訳もあるのかも分かりません。  ともあれ、法治国家原理、こうしたものを前面に押し出した日本国憲法では危機管理というものを認める規定はもちろんございませんし、ではそこに危機管理の規定を差し込めばそれでうまくいくかというと、これは単に優等生の答案に何か異質な一行を加えるにとどまると。そして、結局は全体としての日本国憲法は機能し得ない可能性もあると思います。つまり、危機管理の規定を置くと同時に、全体に、憲法によって立つ政治、いわゆる立憲主義、あるいは先ほど来申してきておる法治国家原理、法治主義、こうしたものの、何のためなんだという柔軟さ、想像力を生かした、想像力を伴った法治国家、そうしたもののありようを我々は再度構築する必要があるというふうに思うわけでございます。  それでは、レジュメの一番ということに時間の制約を念頭に置きつつ入らせていただきますけれども、学者的に申し上げると、非常に大きな矛盾の前に我々はおると思うわけでございます。  第一点としましては、国家には、あらかじめこうした大災害から人々を守る、例えばスーパー堤防と言われるようなものよりも更に巨大な堤防をこさえることができなかったのか、あるいは人々を海沿いではなくてもっと高台に初めから住んでいただく、そうした町づくりができなかったのかと。こういう災害の防止あるいは災害復興、これは、かつてより国家が行うインフラ整備という形で、何千年も昔からまさに国家権力のよって立つ正当性の基盤として、とりわけこの東アジアでは国づくりの基本にはこうした治水といったインフラ整備がございました。  また、国民が納税の義務に服するのも、共通のそうしたインフラを国家が造ると。例えば、個人としてこさえますと周りの人がそれでただで得をしてしまうという、いわゆるただ乗り、フリーライドというのが生じます。ですから、これは税金を取る国家権力がみんなのお金で造る、共通の経費で賄うという、こういう発想が合理的でもあるわけでございます。  ただ、このようにインフラ整備というのが正面からの国家の目標であり権限なのかというと、日本国憲法はそうした建前を取っておらないわけでございます。むしろ、このレジュメの二番に書いておりますところの国民相互間の人権行使の調整、これを国家が行うんだ、そうした調整という観点からのみ人権の制約をすると。言わば国家自身は人々の間の調整的な役割しか果たさない、これがいわゆるリベラルな人権保障という近代的な考え方だとされてきておるわけでございます。  つまり、例えば泥棒がいる、犯罪者がいるという場合には、そうした人を抑え込んで被害に遭いそうな人の人権を守るという、ここまでは人権論から導き出すことは可能でございます。保護義務というような言葉を最近我々はよく使いますけれども、そうした大げさな言葉を使う必要もなく、元々、いわゆる社会契約、何のために社会ができたんですか、国家ができたんですかというときに、これは人々の間のそうした他人の権利利益を害する、そうした不法行為を働く者がいる、それを抑止するという観点から社会ができ、ルールができ、国家が生じたというわけでございます。  先ほど申しましたインフラ整備としての国家という第一点、それから今申し上げましたリベラルな調整主体としての国家という二点目、この二つは実は相入れない緊張関係に立つということが指摘できると思います。  先ほど櫻井参考人は、危機管理と人権保障は結局のところ対立するものではないということを確認すべきだといった趣旨を強調されたと思います。私もそう言えるにこしたことはないというふうに思うものでございます。  しかしながら、このインフラ整備というのを追求していきますと、国が無限の財政を持っておれば国民に何の迷惑も掛けずにせっせとインフラ整備をすることができますけれども、これは既に納税という形で多大な負担は当然に予定をしておるわけでございますし、それ以外に、例えば一時的であれ地権の制約といった権利制約を伴わざるを得ないはずでございます。すなわち、国家がインフラ整備という役割を全面的に引き受けるには、国家が個人の人権相互を調整するのみであるというリベラルな国家観、人権観、これは邪魔をするということに結局なるわけです。  そういう意味で、日本国憲法が専ら個人と個人の人権の両立を図る、そして行政機関が不当に個人の人権に介入しないように法治国家原理で抑え込むという、こうしたリベラルな建前を取ってきた反面として、公共事業等はもちろん何ら構わないわけですけれども、それ以上に、個人の人権を制約してインフラを整備して、そして安全を確保するという、そこまで国家に託されておるかというと、むしろそうではないという、これが結局従来からの暗黙の了解としてあったかと思います。ということは、先ほど西條参考人がおっしゃったような、個人で避難をされているところに支援物資が届かない、単に情報がない、個人情報保護法がという、そうした問題だけでは私はないと思います。  つまり、個人補償というのは憲法の建前からはむしろ反するんだと。個人の幸福、その反面としての不幸、これは全て、幸福であれ不幸であれ、国家としては関知しない、個人の問題というふうに切り捨てまして、しかし、だからこそ自由なんだと。自由と自由の調整だけを国家は図るという、こういうことで来ておるわけでございます。個人が不幸になったからといって、それはあなた幸福なこともあったんじゃないのか、そのとき国家には何もしていないじゃないか、不幸になっても、これは自分や自分の友人や家族や周りの人たちと手を合わせて頑張れと、こういう非常に突き放した、あえて言えば冷たい国家観というのが実は先ほど申し上げた法治国家的な優等生の答案に書いてある国家観なんです。  ですから、こうした大震災が起きたからといって、にわかに優等生から劣等生になれるか、つまり、もう本音のみだ、人権だ何だ言っておれぬじゃないかというふうにかなぐり捨てられるかというと、これは無理でございます。戦後の営々たる日本国憲法下でのリベラルな日本国の建築、我々、一応それを達成してきておるわけですから、それをほごなんてことは、これはできません。しかし、他方で、目の前でこれだけ人が苦しんでおるときに日本国憲法の側だけが優等生で済むのかというと、これはこういう場でちょっと言葉として良くないかもしれませんけれども、おかしな話というか、端的に言うとばかげておると言わざるを得ぬと思います。  そこで、残り僅かな時間でございますけれども、日本国憲法の十三条に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」というフレーズがございます。この生命、自由、幸福追求という三つは、非常にこれは由緒のある西欧の政治思想の中にも表れておる、そういう言葉遣いでございますけれども、この生命、自由、幸福追求というものは、従来、ややもすれば全体で一つのものというふうにとらえられてきました。一言幸福追求権などと呼ばれてきたわけでございます。生命は生命として最も重要な命の問題、そして自由はそれとは異なる別の原理というふうに分けて考えてこなかったわけでございます。もちろん、リベラルな憲法観からすれば、生命も自由も幸福追求も皆個人主義という一くくりの下で一体として扱われることに十分理由はございます。  しかし、私はあえて、仮に日本国憲法の解釈でどうにか工夫をするとすれば、もちろん、改憲によってそういう機会が与えられたなら、解釈で工夫をするよりももっと文面上も明示すべきだと思いますけれども、現行憲法の解釈でどうにかこの点をほぐしていこうとするのであれば、生命、自由及び幸福追求と三つ並んでおるこの三つの間に優先順位を付けていく。  優先順位というのは何ですかというと、この書いてあるとおり、まずもって生命だ、そのための自由の制約、あるいは個人のこの場合の幸福追求というのは例えばライフスタイルといった自己決定ということになりますけれども、こうしたものは劣後するというふうに優先順位を憲法自身が意識していると読み替えることはできないかというふうに考えておるんですが、これは、この場で先生方熱心に聞いていただいておって非常にうれしいんですが、学会でもかつてから何度か言っておりますけれども、ほとんど耳を傾けていただく機会を得ておりませんので、参考人の独自意見ということに残念ながらなろうかと思います。  このようなところからほぐしていきませんと、いずれにしましても、優等生の答案である日本国憲法からはなかなか今回の震災に機敏に対応する手掛かりは得られない。それは良くないことかというと、優等生が優等生であるためにはやむを得ない面もあった。だけど、我々は今、単に優等生の答案を形だけ出しておれば済む時代ではなくなっているというのも言うまでもございません。  そこで、何かブレークスルーが要るだろうというときに、その柔軟さを支えるものとして一つ小さな手掛かりは、今の生命、自由、幸福追求のまず生命だというそこのところに着眼してはどうかという、これはあくまで解釈論レベルの話かもしれませんが、先生方の憲法審査会での御議論に多少とも参考にしていただけると大変光栄だというふうに存ずる次第でございます。  以上です。
  11. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ありがとうございました。  以上で参考人方々からの意見聴取は終了いたします。  これより質疑に入ります。  本日の質疑は、あらかじめ質疑者を定めずに行います。質疑を希望される委員は、お手元にある氏名標を立ててお知らせください。そして、会長の指名を受けた後に発言をお願いをいたします。発言が終わりましたら、氏名標を横にお戻しをいただきます。  質疑の時間が限られておりますので、一回の質疑時間は答弁及び追加の質問を含めまして八分以内でお願いをいたしたいと存じます。  参考人方々におかれましても、答弁はできる限り簡潔にお願いをいたします。申し訳ございません。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、発言を希望される方は氏名標をお立てください。  それでは、順番はあれかもしれませんが、まず、こちらの鈴木寛さんの方からお願いいたします。
  12. 鈴木寛

    ○鈴木寛君 三先生方、非常に貴重なかつ示唆的なお話をありがとうございました。  私、是非お話を伺いたいと思いますのは、西條参考人から個人情報保護法お話がございました。私も、まさに物すごくジレンマを感じたわけであります。  それで、この問題は、個人情報保護法に限らず、逆に言うと国家情報の開示ということも含めて、やっぱり情報というものについて考えさせられました。つまり、情報というのは、守秘義務を持っていない人に渡された瞬間にそれは排他的利用が不可能になりますから、公共財に直ちになるわけですね。ということとともに、情報というのは不可逆性を持っていますから、情報の開示というのはそういう意味で非常に特徴的な性質を持つ、その取扱いに我が国のガバナンスが付いていっていないと、こういうことだというふうに思います。  そのときに、最近といいますか、民主党政権になりまして政治主導ということを言ってきましたけれども、これは究極、私なりに突き詰めますと、まさに正義に資する不平等あるいは格差というものを国民から信任をされた政治が判断をしていくということが政治主導ということなんだろうと思います。その一方で、自由、平等、友愛というのが社会の実現すべき価値だとしたときに、形式的平等を見事なまでに実現し得るのが官僚機構だというふうに思いますが、その一方で、今日御提起のあったような問題が起こってくる、だから、あえてそこで不平等あるいは格差というものを正義に資するという前提で判断をしていく、これは官僚機構にできないということだと思います。  そのときの、そこからが憲法原理の話になってくるわけでありますけれども、憲法には立憲主義という大変大事な実現目的があるわけですが、その際に、仮にロールズの正義論に立った場合には、じゃ、正義って何なんだと。最も不遇な人に最善の状況というのが正義だということでありますが、じゃ次に、最も不遇な人は誰なのか、あるいは最善というような状況が誰なのかというところの個別論で非常にジレンマというか悩みが生じるわけであります。  例えば、個人情報の話で申し上げれば、最も不幸な人は、まさに西條さんたちが救おうと思った、私も全く同感でありますけれども、そういう人たちなのか。それは恐らく九九%そういう人たちだと思いますけれども、個人情報がいわゆる公に付されてしまう、そこから要するに漏えいといいますか、悪用のリスクはゼロではございません、そうすると一%、そのことによって例えば詐欺に遭ってしまう人といったときに、どっちが不遇なのかという問題を誰が判断するのかという話。  あるいは、今回の非常なジレンマというのは、例えば原発報道によって、それを見たタンクローリーの運転手さん、あるいは医薬品を運ぶ人たちが被災地に入れなくて、その結果、まさに被災地の医療機能が停止をして、そのことによって救急医療がワークしなくて、そのことによって脳卒中患者の手当てが遅れて、あるいは交通事故患者の手当てが遅れて命をなくしたという人が現にいらっしゃるわけで、それは先ほどおっしゃった西條さんの千五百人の中にまさに含まれているわけです。この方が最も不遇な方々なのか。一方で、もちろん放射線の広がりの状況について、この情報を得て、そしてより適切な避難行動をして健康への影響というものを最小化をする、そういった立場にあった人が不遇か。  これ、どちらも極めてロールズの言う不遇な人でありますが、あえてそこに順番を、そしてまたこれは時々刻々、あるいはもちろん状況に応じて変わっていくわけであります。かつまた、最善な状況というのは、じゃ、何が最善な状況なのかといったときに、まさにこのジレンマをどういうふうに解くかということです。  棟居先生が非常に明快で、それは、生命、自由、幸福追求のプライオリティーで、比例原則に基づいて判断をする、これも大変明快な考え方で、これも非常に参考になる。逆に言うと、そういうふうに決められれば逆に楽なわけでありますけれども、それをどう決めていくのかというのは、まさに憲法の基本原理というか基本ガバナンスというものを考えていくということだと思います。  それで、御質問は、まさに西條先生は、逆に言うと、平等が不全のときに、コミュニタリアンのアプローチというのは、結局、友愛とか博愛原則で、新しいコミュニティーをつくるプラットホームを国家が整備することによって、現に今回その横横連携のいろんなボランタリーなコミュニティーが「ふんばろう」を始めとしてできました。もちろん、政府もそのことについていろいろなサポート、プラットホームをつくることのサポートはいたしました。その中での判断はいろいろな判断があって、しかし、これは極めてうまくいったと思います。その形式的平等の不全に対しては非常にうまくいったと、そういうふうに評価をしていますが、質問は、これを構造構成主義の観点からはどういうふうに御判断をというか考えていったらいいのかというのを御示唆をいただきたい。  また、櫻井さんも何か……(発言する者あり)分かりました。じゃ、西條さんに限ってそこについての御示唆をいただきたいと思います。
  13. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、西條さんに御答弁をお願いいたしたいと存じます。
  14. 西條剛央

    参考人西條剛央君) ありがとうございます。  棟居参考人のおっしゃったこと、構造構成主義の考え方にもすごく合っているところがあるなと思うんですが、やはり何のためのルールなのか、何のための個人情報保護法あるいは公平性なのかということで、現地を見ていると、公平は守ったけれども、全員不幸に、公平に不幸にしましたという、そういった矛盾もあり、やはり何のためというところを見定めたときに、生命、自由あるいは幸福追求、この序列というのは、こういうものを組み込むというのはすごく僕はいいものだと思っています。  それから、こういった議論をするときに、実は絶対性みたいなものを組み込むと議論はジレンマをつくることができるんですね。つまり、最善とか、ゼロにするにはどうしたらいいか、悪用される可能性がゼロではないとか、そういったこともそうですが、そういう言葉というんですか、そこで僕が思うのは、最善というのは誰も分からないし、リスクもゼロにはできないわけですけれども、ベターにすることはできるだろうと。それから、誰が最も不幸なのかということは分からないんですけれども、おおむねこの人たちは幸せではない、あるいは不幸に近いだろうということは判断できると思うんですね。もちろん、先ほどの序列からいっても、生命、生存が脅かされている、これはもうかなり大きな不幸と言えると思うので、やはりそういった観点から考える。  それから、何のためのというところですが、やはりいろいろ活動していて感じたのは、問題、目的がすり替わってしまうんですね。つまり、ボランティアプロジェクトとかも、あるいは企業支援とかもそうなんですが、最初は被災された方々に何とか何かを、できることをしていきたいということがあるんですけれども、そのうち、問題を起こさないこと、批判されないこと、これが目的の上位に来てしまうんですね。そうすると、完璧な支援プロジェクトとかボランティアというのはないですから、必ず穴が当然あります、それは行政もそうだと思うんですけれども。そうすると、本当に、批判するのは簡単ですけれども、結局批判を恐れて多くの団体とか企業支援を取りやめているわけですね。これもやはり目的がすり替わっている。  ですから、僕が常々プロジェクトでも言っていたのは、方法の原理という考え方がありまして、とにかく目的と状況に応じて方法の有効性は変わるんだと、だから随時変えなければいけない。そのときに、臨機応変と言われても、それぞれが、じゃ、どうやったら上手に臨機応変に動けるのか、これが分からないので、常に被災者支援、この場合はですけれども、という目的と現地状況、この二つだけを見定めて、その都度有効な方法を考えていきましょうという考え方をずっと言い続けてプロジェクトを動かしてきたわけですけれども、これは実は災害基本対策法とかにもこういったメタレベルのルールそのものの使い方、法律そのものの使い方、このメタレベルの方法論というものを組み込まないと、常に想定外のことが起こるということが今回の震災が教えてくれたことですから、マニュアルは想定外に対処できないんですね。マニュアル守ったけれども人は死にましたではどうしようもないので、やはりそれは状況を見ながら、目的を考えて、個別に判断するための考え方、これを法律等にも組み込んでいくということが僕は原理的に重要なことなんじゃないかなと考えております。  貴重な御質問、ありがとうございました。
  15. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ありがとうございました。  次に、今野東君。  なお、全体で八分というふうにお願いしておりますので、答弁者三人いらっしゃいます、三名御指名のときにはその分を十分に組み込んで、御質問の方をよろしくお願いいたします。
  16. 今野東

    ○今野東君 今野東でございます。御指名いただきましてありがとうございます。
  17. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 失礼します、済みません。  登録はもう既に十人登録いただきましたので、よほど短い質問が入らない限り、これでもう時間は無理だと思いますので、以上で登録を停止させていただきまして、もし残時間がありましたときはその旨申し上げますので、登録は以上で停止をしていただくようにお願いいたします。ありがとうございます。  済みません、今野さん。
  18. 今野東

    ○今野東君 参考人方々には大変貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。  そして、三人の方々がいずれも共通して触れたのが憲法十三条でございます。私は、人権ということを考えたときにこの憲法十三条が最も大切であると思っておりまして、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」というふうになっているわけでありますが、それぞれの方々から、整理をして短くお話をいただければ大変有り難いと思いますが、この幸福を追求するという国民の権利と、それから公共の福祉に反しない限りとあるこの言葉との関係、これを災害という前提があって置いた場合、どのように整理をし、考えたらいいのか、それぞれの方々からお話をいただければと思います。
  19. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それぞれお願いをいたします。まず、どなたから。お手を挙げていただけますか。それでは、棟居さん、よろしくお願いいたします。
  20. 棟居快行

    参考人棟居快行君) ありがとうございます。  幸福並びに公共の福祉に反しない限りという憲法十三条の文言についてのお尋ねと受け止めさせていただきまして、手短に回答させていただきます。  先ほどの私の申し上げました内容からいたしますと、公共の福祉という文言は、文字どおりの公共の福祉、例えば大震災の場合には、それを防ぐ、あるいは災害が起きた後には速やかに復旧復興をする、あるいは人命を救助する、そうした我々が通常考える公共の福祉というタイムリーな公共の福祉概念は、実はリベラルな憲法観といいますか、個人主義的な、戦後の通常の考え方からいたしますと出てこないわけでございます。  つまり、公共の福祉に反しない限りという文言自体が、ある意味で他人の人権との調整の原理であるというふうに読替えをされておりまして、決してこれは学者が勝手なことを言っておるというわけではなくして、そうした伝統の下に日本国憲法も置かれているリベラルな憲法であるということから出てくる帰結かなというふうに考えております。  ですから、公共の福祉に反しない限りという文言、これは震災の場合に、特にそこが輝いて出番が出てくる、危機管理対応もここで読み込めばいいというふうには多分できていないと。もちろん、そういう解釈を今後立てていくんだという考えはあり得るとは思います、文言が与えられておるわけですから。しかし、今までの考え方とはやや整合しない考えというのは、もちろん十九世紀以来の西欧の立憲主義の伝統に立つ憲法の通常の解釈との関係という意味でございます。  失礼しました。
  21. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) 難しい質問だと思うんですけれども、まず、憲法十三条そのものは非常に包括的な人権で、多元的な意味合いを持っているということを前提にいたしますと、災害との関係でどうかということなんですけれども、まず自由権的な側面というのもあろうかと思うんですが、自然災害から自由でありたいということは、これはナンセンスですのであり得ないと思うんですね。したがって、その限りでは問題にならないと。  この場面で問題になるとすると、自然災害等によって非常に悲惨な状況に立ち至った、明日どこで生きていっていいかどうかも分からないと、そういう状況を前提にした上で、これでは自分の力だけでは生きていかれないというときに、まさに生存権的な意味合いとかぶってくると思うんですけれども、その生存自体が脅かされているところで何か人間的な生存ができるように、むしろここでは国家に対して求めていくという形で幸福追求権というのは機能するんだろうというふうに思います。  そうすると、生存権のところで公共の福祉の議論というのは、必ずしも直接的に言うよりは、むしろ限られた財源の中で、それから制度設計の中で、あるいはほかの政策課題というのもあるので、そういうものの中でなるべくそれをどうやって実現していくのかというものとして権利が恐らく想定されるんではないかというふうに考えております。
  22. 西條剛央

    参考人西條剛央君) 公共の福祉に反しない限り幸福を追求する権利があるということ、これは恐らくヘーゲルの自由の相互承認という考え方からきているのかなと専門ではないんですが思うんですけれども、つまり、個人の自由意思を阻害しない限りにおいて自由に生きる権利があるということですね。  これで考えると、僕は実は災害時の災害対策基本法というのはいろんな自治体の能動的な支援というものをむしろ制約してきたんじゃないかと思っています。つまり、ボランティアはそういった制約がないためにどんどん現地に行って活動できたわけですね。ところが、今の体制ですと、地元自治体から要請がないと動けないんですね、各自治体は、支援がしたくてもできないんですね。  ところが、今回の災害は、ひどいところほど情報が上がってこなかったわけです。大変なことになっているだろうと想像はできても、現地が壊滅的な、自治体が打撃を受けていますから、そういう受動的な体制だと支援が滞ったわけですね。これは例えて言うならば、目の前でトラックにひかれて亡くなりそうな方に、どこが悪いか、どうしてほしいか言ってくれれば治しますよと言っているようなもので、これは死を待っているようなものですから、やはりこういうときには能動的に、先ほどの公共の福祉に反しない限りは動いていいという原則の方をちゃんと守ってあげてというか、各自治体、動きたい自治体には、能動的にこういう場合は要請がなくても動いていいですよと、これだけの規模になったら、そういった文言を基本法の中にやはり組み込んでおく必要があるのかなと。  実際に、赤十字社は以前は能動的に動けなかったわけですけれども、それが今回は、何年か前に、二千何年か忘れましたが、そういった能動的に動くんだということで方針を転換したために、今回は北へ向かえということで、何の情報もない時点現地に向かったんですね。そして、自分たちで問題を探して、そしてそこをちゃんと対策していったわけです。これを自治体レベルでもできるようにすることによって、かなり大きな支援の力というものを、何か有事対応の仕組みというものを整えられると思います。  ありがとうございました。
  23. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ありがとうございました。  次に、魚住委員お願いいたします。
  24. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 公明党の魚住でございます。御指名ありがとうございます。  東日本大震災からの基本理念、人間の復興ということで、復興基本法にも記させていただきました。先ほど出されました憲法十三条の個人としての尊重と人間の尊厳、それを中心概念としてやったわけでございますが、また一方で、二〇〇五年八月ですか、ハリケーン・カトリーナでアメリカでも大変な惨事があったわけでありますが、あのときも人間の安全保障という言葉が出てきましたし、また我が国のODAも人間の安全保障というような観点から出てきている、それが今注目されているわけでございます。  経済学者のアマルティア・セン博士と緒方貞子さんが共同議長をされました人間の安全保障委員会というのがございましたが、その中で、人間の安全保障において重要課題として強調していたのが、突然襲いくる困窮の危険への対処というようなことが強調されているんですね。予期せぬ脅威というのは、今回のような大災害、あるいは突然の経済危機が引き起こす生活不安の拡大、あるいは気候変動に伴う急激な環境変化。だから、こういうふうになると、先進国であれ途上国であれ、問わず起きるわけでございまして、そんな観点から人権というものをしっかり考えていく必要があるなというふうに思っております。  そこで、西條参考人にお尋ねをしたいんでございますが、取り組まれてこられたことに、ふんばろう東日本、本当に心から敬意をするものでございます。必要なものをとにかくやるというこういうアプローチは、今予期せぬ脅威にさらされているという、そういう観点からすれば非常に大事なアプローチだなと思っておりますが、公平主義あるいは申請主義で、現在のこの仕組みでいろいろな限界というのをお感じになったというふうに御報告でございますが、西條参考人のような取組を国あるいは地方公共団体、あるいはコミュニティー、さらにはNPO、NGO、そういう関係でどういうふうに体系化し、ビルトインすることができるか、そういう観点からのお考えがあればお聞かせいただきたいなと思います。  続いて棟居先生にお尋ねしたいと思いますが、人権あるいは国の責務、緊張関係というお言葉があったわけでございますが、西條参考人の行っているようなNPOの取組、国家と個人との中間的存在だと思いますけれども、どのようにこの位置付けをしていくべきか、その観点からのお考えをお聞かせいただきたいと思います。  それから、櫻井先生にお尋ねしたいんですが、先ほど人権論の一般論の中で、権利方式でいくか国家の責務とするかというお話がございました。ただ、災害救助から復興というその過程では、被災者の尊厳をいかに守るかというのは大きな焦点だろうというふうに思っております。ともすれば被災者の健康状態とか生活状況の悪化というのは災害時にある程度避けられないものというふうに見がちなわけでございますが、しかし、むしろ緊急時であればこそ、そうした一つ一つ権利の欠落が被災者にとっては命取りにもなりかねないというふうに思うんですね。だから、やっぱり人権という観点を強調していくべきではないかというふうに私は思っておりますが。  去年の十二月ですか、国連総会で、人権文化を教育や研修を通じて育むための原則あるいは達成目標を示した人権教育及び研修に関する国連宣言というものが採択されたようでございますけれども、この点についてのコメントがあればお聞かせいただきたいと思います。
  25. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、西條参考人からお願いをいたします。
  26. 西條剛央

    参考人西條剛央君) 貴重な御質問ありがとうございます。  どういったものがビルトインできるかというところで、一つは先ほど申し上げた方法の原理、あるいは、もう一つ五%理論というものを言っていまして、こういう有事において五%以内のミスとかそういうものを気にしていると何もできなくなるから、もう五%以内はいいということをプロジェクトの中でも徹底しまして動いたんですね。これが宣言されているかどうかで全然違ってきて、やはり特に地元の自治体行政の方は真面目ですから〇%にしようとするんですね。そうすると、結果として問題を起こさないようにということで、五百人いる中で毛布が三百枚しかないから誰にも配らないとか、こういうことが起きてしまうんですね。ですから、そういった考え方をビルトインするのが一つ。  もう一つは、物資支援仕組みでヤマト運輸さんが、実はヤマト運輸さんに気仙沼は市長が一任したんですね、物資支援。つまり、物流のプロに任せると。その下に自衛隊を付けることによって、かなり潤滑に物資が配られたんですね。ところが、ほかの自治体は、ヤマト運輸さんがやりますよと言っても断ってしまったんですね。僕はこの仕組み最初から導入しておいて、そしてニーズは多様化していきますので、最初生存のところは何とか、自衛隊とそういうヤマト運輸の仕組みで何とかなった後は、僕らが構築した仕組み、つまり、ホームページに現地で必要なものを全部載せて、どんどん送っていただいて、直送で送っていただいて、送りましたという報告だけは受けて、必要な個数が満たされたら消すという方法、これで必要な人に必要なものを必要な分だけ届ける仕組みをつくったんですね。  これは、もうニーズが多様化していくとマスで送る支援仕組みというのは機能しなくなるので、時期に合わせて、最初はそういう運送会社とやると決めておいて、その後はそういう各自治体が、僕らではなくて各自治体が自分たちのホームページで運用する、その運用はボランティアとか協力者を募るという方法とかいろいろあると思うんですね。そういったものを整備しておくことで、やはり今後何か起きたときに柔軟に、柔軟にというか迅速に必要な支援ができるのではないかと考えております。  ありがとうございました。
  27. 棟居快行

    参考人棟居快行君) ありがとうございます。  ボランティアという活動を国家と個人の中間の存在としてどう位置付けるのかという非常に難しい御質問でございます。  ただ、私は、今まさに西條参考人がおっしゃりましたニーズの多様化という言葉をヒントにいたしますと、ボランティア団体ボランティア活動というのを個人と国家の中間の、どちらでもないというふうにあえて位置付けるよりも、むしろ個人の自助努力の延長だというふうに個人を膨らませてとらえることができるのではないかというふうに考える次第でございます。もちろん、まさに被災をされて一番弱っておられる方、こういう方々に、あんたらがボランティアの中心だと言うのは、これはもう失礼極まりない話でございます。  しかし、他方で、行くべきところに行くべき物資が届かないというのは、要するに情報ということですよね、一つは。情報を一番持っておられるのは、まさに困っている方々、被災者そのものです。そうした方々が何らかの形でまさにボランティアに一定の形で加わるという形で、相互扶助、そして大きな意味での個人の自助努力という形でボランティアを位置付けることができるのではないかというふうに思います。  大げさに言いますと、これはある種の社会契約ということになると思うんですね。社会契約、つまり、社会でみんなでこういうふうにしましょうと、その延長で国家がというふうなことを先ほど申しました。しかし、この場合は、困っておる人がおるというときに、それはもし次、自分の番になったときには、もうとてもじゃないけどほっておかれたらたまらぬぞということで相身互いなんだという、まさに自然発生的な、あっちやこっちやで社会契約みたいなものができて、それがボランティアという形を取っていくというのが私はボランティアなんじゃないかなというふうに先ほど来のお話で感じた次第でございます。  どうもありがとうございました。
  28. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) 権利方式でいくか国家の責務として書くかということなんですけど、申し上げたかったことは、権利として書くということは一定の規範を国家側に課すということなので、そういう意味では理屈としては同じ話だということを両面から言っているということを申し上げたかったということなんですね。  それで、被災者の方に対して、例えば医療体制とかあるいは生活援助等について具体的に何かを要求する権利を与えるというのは、書きぶりによると思うんですけれども、抽象的に書くなら書けないことはないだろうというふうに思うんですが、いずれにしても、国家の側であるいは自治体の側でそれに応じた体制を取らないといけないわけですよね。  かつ、もう一つ考えなきゃいけないのは、被災者の方は多分究極の弱者といいますか、で、社会福祉などの場面でよく問題になりますけれども、本人がちゃんと的確に判断できてこういうものが必要でこれをくれというふうに言えるのであれば余り権利で問題ないと思うんですけれども、場合によっては余計なおせっかいで、本人がちょっとにわかに同意していなくても、例えば、これは食べた方がいいよとか、こういう注射を打っておいた方がいいよとかいうようなことをやるかみたいな話になってくると、むしろ権利として抵触してくるという可能性もあって、そんなことを含めますと、結局のところ、具体的な制度設計のところでそういう調整を図っていかなきゃいけないんだろうというふうに思うので、権利がいきなり具体的な制度になるわけじゃないということの中で対応するべき問題かなというふうに考えております。
  29. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ありがとうございました。  次に、福島委員
  30. 福島みずほ

    福島みずほ君 福島みずほです。どうもありがとうございます。  岩手や宮城に行ったときに、被災地にこそ憲法価値の実現をと、生存権幸福追求権が必要で、被災地にこそ日本国憲法が必要だという声も聞いたんですね。つくづくそれはそのとおりで、短くお三方から、なぜ生存権幸福追求権といった人権保障規定がまだ実現が弱いのか、その弱いのが端的に出てくるのがこの緊急事態というか災害のときだと思うんですが、そこについての感想でも提言でも結構ですので、一言お願いします。  それから二点目は、緊急事態のときに、一つ人権の保障が必要なわけですが、人権が制限されるという問題もあるのではないか。  これは他の委員会で申し訳ないですが、新インフルエンザ法案が今、国会で審議中ですが、緊急事態宣言をして集会の禁止まで要請と指示が知事ができると。これは三年間にも及ぶわけで、集会というものの、私は、せめて自粛の微妙な要請ぐらいだったらいいけれど、禁止すると、もう公共機関、会場を貸しませんから、とてつもない人権制限が起きると。だから、緊急事態ということで、あっという間にこういう人権制限、とりわけ表現の自由、集会、結社は表現の自由とも連なるものですから、緊急事態ということで人権が制限される、制限され過ぎるというか、とりわけ自由権規定が制限されるということを櫻井参考人にお聞きをします。  櫻井参考人には、ですから、三点目で、司法のことを今日おっしゃっていただいて、原発を推進してきたのは政官業、メディア、司法だと思っていて、司法で原発について差止めなどを認めたりしたのは志賀原発の一審の地裁判決と高速増殖炉「もんじゅ」の高裁判決で、最高裁で「もんじゅ」の高裁判決を覆していると。つまり、国策に最高裁、司法はあらがえないというこの現状、勇気ある裁判官が数少なく判決を出してきたと、こういうことについても、こういうことを変えたらどうかというアドバイスがあればお願いいたします。
  31. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、お三方それぞれにと櫻井さんにお願いしたいと思いますので、西條さんからお願いします。
  32. 西條剛央

    参考人西條剛央君) ありがとうございます。  第一点についてになりますが、なぜ生存権幸福追求権が弱いのかという。  一つは、やはり誰もが経験したことがなかった未曽有災害ということで、仕組みが全く追い付いていなかったということは大きいのかなと思います。  それからもう一つは、方法の自己目的化と僕は呼んでいますが、公平性というものも、そもそも幸福追求のための一つの方法概念だったと思うんですね。つまり、ツールだったと思うんですが、それが上位に来てしまって、それこそ生存権幸福追求権という憲法的にもより上位に担保しなければいけないものが、そのための方法であったはずの公平性とか、そういったローカルな方法概念、それを守ることの方が自己目的化してしまったということは、やはり現地で何でこんなことが起こるんだろうなという、事柄を見ているとあるのかなと思います。  ありがとうございました。
  33. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 櫻井参考人お願いします。
  34. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) 生存権の話だけでよろしいでしょうか、まず。
  35. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、棟居参考人の方から先にお願いして。
  36. 棟居快行

    参考人棟居快行君) 一万何千人というような統計的な言い方を申します。しかしながら、被災者の方々にとっては全てお一人お一人の個人の不幸なわけです。これを、数を幾らここの避難所には何人おられるというふうに申しても、それは、例えば自治体があるいはボランティア団体がどういう物資を運ぶべきかという統計的なデータの役には立っても、個人の、どうして自分が、どうして自分の家族がという、この個人に与えられた、個人が出会った不幸、これに対する答えにならないわけですよね。  先ほどの福島先生の御質問は、まさにその点にかかわると思います。つまり、個人を個人として扱うという、そういう憲法原理がまさにこの被災という現場で一番求められるということなわけで、その救済の対象とすればするほどある種の物扱いを一方ではされざるを得ないという、そこに受け止められる被災者の方々との若干のそごが生じる余地があろうかというふうに思います。  以上です。
  37. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) まず、生存権と被災地の話ですけれども、恐らく状況的には、憲法を直接援用して何か請求するなんということができそうな状況じゃないかなというふうに思っています。憲法状況というふうに理解しております。  二点目がインフルエンザ特措法案なんですけれども、そういう御懸念があるのは当然で、法律案自体には人権保障と両立するんだみたいなことが法律レベルでは書いてあるんですけれども、それだけではちょっと足りないのではないかというふうに思います。  私、社会保障審議会の委員もしているんですけれども、余り法律家の議論がされていないんじゃないかという感じがちょっとございまして、昔から感染症法とか厚生労働省さんの法律は割とお医者さんの御議論が大変先行しているところがあって、法律学者から見ると、すごい高いハードルを割と簡単に越えているなというふうに思うところは少なからずあるところでして、その辺、どのぐらい詰めておられるのかなというのは懸念しておるところなんですが、しかし、あるべき議論をすべきだという点からいうと、逆に進んでいるところもありまして、参考にできるところもあるのかなというふうに、有事法制みたいなところでいうと、そういうものとして見ているということがございます。  それから、司法の話は、これも何か余り簡単に言えないんですけれども、基本的には憲法法律議論で裁判官は何を判断しているかというと、第一義的には法律適合性を判断するんですよね。本当は憲法を踏まえた上での法律論というのが展開できればよろしいんだと思うんですけれども、ある種の裁判所カルチャーというのか、なかなか法令と良心に従ってというところに憲法が入り込んでいかないというところが問題で、じゃ、そういうことができるように憲法裁判所をつくればいいのかというと、憲法論だけが先行してしまいますと、それはそれで理念的な話になってしまうので、まずは法律論の中にもう少し憲法価値が含められるような形での柔軟な解釈ができるようになるといいのではないかと思いますが、行訴法改正とかそういうことが差し当たっては重要かと思っております。
  38. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 次に、古川委員お願いします。
  39. 古川俊治

    ○古川俊治君 三人の参考人の方、ありがとうございました。  ただ、私は、この中にも江田先生や福島先生を始めとしまして法律家が多いものですから、ちょっと法律的な観点から櫻井先生と棟居先生に伺いたいと思っております。  最初に、棟居先生から大変分かりやすい憲法の、インフラの義務という、国家の義務という点と、それからリベラルな契機のジレンマというところをお示しいただいたというふうに考えておりますが、我々も、これ立法過程において、櫻井先生のおっしゃるように、個別法に憲法の価値を生かしたいというのは願いなんですね。ところが、はたから見ていると、確かにそれが実現できていないというのは御指摘のとおりだと思っております。  我々がやっていることといいますと、先生方御存じのように、政府は審議会をつくりまして有識者を呼んできて議論をしていただくと。そして、政党の方も、実は各種の報道を集めたり、あるいは利害関係者からたくさんのヒアリングを行って、そこから政策を考えていくというところになっているんですね。  そういうやり方を取っているんですが、御指摘のように、棟居先生、そういう意図があったか分かりませんが、確かに人権調整的、リベラルな契機というのは、その利害関係人を集めてきて議論を闘わせると簡単にできるんですね、その調整というのは比較的。ところが、今回の被災のように、大きなところから国家がじゃどう整備していくか、こういった義務論になりますと、財政的な制約もあるし、そういうことで非常に難しい。  また、我々が五十年間、この日本国憲法下で議論をしているうちに、櫻井先生はドイツとおっしゃいましたが、私はアメリカじゃないかと思っているんですが、憲法はですね。ちょっとそれは我々の理解が不十分であれば御指摘いただきたいと思うんですが、そういう中で、やはり個人の権利、リベラルな憲法観というのがどちらかというと支配的になってきて、国家の義務の考え方というのが薄れてきているんじゃないか、そういう意味のリベラル観優位というものがそこにも働いている。どちらかというと、やっぱり国会の立法も人権調整の中に終わっている、そういった気がするんですが、その点についてお二人の意見をいただきたい。  また、本当に個別法に憲法的価値を生かしていくため、そういった何か仕掛け、仕組みがあると非常にいいと、これは櫻井先生の御意見だと思うんですが、そういうこととして、今の政治の審議過程に対してどういった御意見をお持ちか、何でも結構なので御指摘いただきたい。これが第一点です。  第二点目が、裁判所についてなんですね。私も櫻井先生のおっしゃるとおりだと思っておりまして、できれば、我が国は個別的な争訟から入るという司法権の限界がございますけれども、その中でも、例えば議員定数の不均衡ですとか、裁判所がある程度の法政策的な部分を担っていただいたという場合はあるわけですね。  我々も、その憲法の価値というものに、個別的な争訟で、是非、裁判所から見たお考え、立法へのアドバイスというのを違憲立法審査権以外にもどんどんどんどん言っていただきたいという気はしているんですが、司法改革について、何かそういった点、もちろん法律改正でこういうことができるんじゃないかという御提言も含めて、あるいは現在の司法制度改革で裁判所にもっと有意義に憲法の個別的価値というものを立法に生かされる、あるいは政策に生かされると、こういう考え方から何か変えられることが我々にあるのかどうか、そういうこともちょっと、もし御意見がございましたら教えていただきたいと思います。  以上です。
  40. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 櫻井参考人棟居参考人でよろしいですね。
  41. 古川俊治

    ○古川俊治君 はい、そのお二人にお願いします。
  42. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) では、櫻井参考人お願いします。
  43. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) 一点目は、アメリカとドイツというのは、日本、今の憲法はアメリカなんですけれども、なかなかアングロサクソン的な価値観というのは分かりにくいところがあって、今でも法律作るときに、なかなかアメリカの法律をまねしようと思っても、分かるところだけ持ってくるというのが、それは可能なんですけど、背景にある考え方は非常に違うということで、法文化はかなり違っているんだろうというふうに思います。そこのそごというのはあって、少しずつ分かるようになってきて、例えばデュープロセスなんという観念も余りちゃんと理解されていなくて、平成五年になってやっと行政手続法なんというのができたりとか、ようやく少し分かってきたかなというような感じではないかなというふうに思っています。  それから、立法過程で何かしら憲法的な価値を入れる仕掛けが何か考えられないかということなんですけど、これも余り素朴にやっても意味がないと思うんですが、しかし、案件によっては、さっきの人権保障と対立するような場面が出てくるような法律の場合ですと、例えば国会に、憲法的な観点からウオッチしていて、その立法手続の中で何か勧告するとか、この点についてどうかとかということを入れてもいいのかなと思ったり、本当はそういう個別の審議の中で個々の先生方がいろいろ質問等される中でされればできることかもしれないですけど、ただ、それだと流れちゃうので、手続として一個何か設けておくと若干得ることができることがあるかなというふうに思っています。  それから、司法制度改革につきましては、いろいろございますけれども、私は行政訴訟が一番問題だというふうに思っていて、これ何かうまく機能してないです、というふうに思います。  行訴法自体が、そもそも三つの単語を知っていれば行政訴訟というのは務まると元裁判官の方が実際に文章に書いておられるのがあるんですけれども、それは処分性と原告適格と訴えの利益というこの三つなんですね。この三つの言葉を知っていれば、これでどこかで引っかかって却下できるので何とかなるみたいなことが割合普通に言われたりしているということで、やっぱり争いを起こす方は、ちゃんと自分の言い分を言って、それなりに考えていただいて、結論として駄目だということであればまだ納得感が一定あるんだと思いますけど、門前払いが非常に多いというところが非常に問題で、そこをちゃんとクリアしないと、紛争解決機関としては前提が成り立っていないんじゃないかというふうなことで、その辺り、非常にシリアスに受け止めているということでございます。
  44. 棟居快行

    参考人棟居快行君) 第一の御指摘、御質問ということですけれども、この立法過程が調整の場になっているという御指摘、これは我々もよく耳にするところでございます。もちろん、調整の場に全員が参加できておれば、それは国民代表機関が立法されるわけですから、そもそも当然のことというふうに思います。  しかしながら、先ほど鈴木寛先生の御発言の際に、最も不遇な人というロールズのフレーズ、引用されましたけれども、この最も恵まれない不遇な方というのは声なき声の持ち主で、そういう方は、この立法過程なりに代表を送り込む、そこで一定の利害を代弁してもらうという、こういうことがそもそもできないでいる。  あるいは、今回の大震災のような例を考えると、まさに例えば私が被災地のど真ん中に住んでおるとしますと、いつ津波が来るか分からぬからここに住むなとか、もっとしっかりした家にしろとか、しっかりした家では意味がなかったかもしれませんけれども、そうしたいろんな規制がかぶってくるとすると、平時の自分としては、いや、それは嫌だなと、自分は好きなところに、例えば釣りが好きだから、毎日海を見て今日はいいぞというときには釣りに出たいんだ、海の前に住んで何が悪いんだと、こういうふうに思ってしまう。言わば弱い自分がそこにおります。そして、結局困ってしまう。本当に被災してしまう。その後の最も不遇な状態になったときに、ああ、しまった、あのときああしていればと後悔してももう声の出しようもないと、こういうふうになってしまう。  ですから、その立法過程でどういうふうにしてその一番声なき部分を酌み取っていくかというのが単なる調整の場に終わらない立法過程にとって必要だということだと思います。  これは先生方に大変失礼な物言いかもしれませんが、まさに参議院は理性の府として、本来数に表れてこない部分、これを酌み取る、声なき声に耳を澄ますということを是非先生方の想像力でやっていただきたいというふうに思うのが一点でございます。  そうでないと、でないとと言うとこれまた何かもっと悪くなるというふうな変な言い方かもしれませんけれども、例えば首相公選というような議論がございます。この首相公選というものの一定のメリットは、そこにはダイレクトにある種の公益がまさに行政を通じて実現され得るということかと思います。  翻って、現行の議院内閣制の下ですと、憲法があり、法律を作る先生方の立法機関があって、あくまで行政機関というのは内閣も含めましてその下に置かれると。憲法、立法、行政と、こういう縦の序列がきっちり守られるということになります。その結果としまして、内閣が高度のガバナンス機能、高次の執政機能というものを必ずしも担ってこなかったということがあるわけでございます。  どうも長くなりまして失礼いたしました。司法改革については、想像力を持つ法曹を育てるいろんな工夫が更に必要だと言うにとどめます。  失礼しました。
  45. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ありがとうございます。  次に、井上委員
  46. 井上哲士

    ○井上哲士君 三人の参考人、ありがとうございます。  最初に、棟居参考人西條参考人にお聞きしますが、棟居参考人の御意見の中で、優等生たる現行憲法は修羅場で必ずしもうまく機能しないところもあるという趣旨だったかと思うんですが、その中で個人補償のことも挙げられました。ただ、この問題は阪神大震災のときに大きな問題になって、個人住宅への補償を求める声に対して日本憲法ではできないんだというような議論があったのに対し、これ非常に超党派また市民運動もあって、被災者生活再建支援法を作って、事実上の住宅への個人補償ができるように発展をさせてきました。それから、今回の東日本大震災でいいますと、いわゆる事業の施設ですね、そういうところに対しては、これまでは融資だけだったのが中小企業などがグループを組めばこれも直接の補助ができるという、これも発展をさせてきたんですね。  そういう点でいいますと、今の憲法生存権とか幸福追求権などで非常に懐も深くて幅広いものを持っていて、むしろ個別の制度や立法が追い付いていなかったことにこそ私は問題があると考えているんですけど、その辺どうお考えか、それぞれからお聞きしたいのが一点です。  それから、櫻井参考人に原発の訴訟の問題で私もお聞きしたいんですが、差止め請求で原告勝訴の判決書かれた井戸裁判官が最近書かれていますが、普通の人格権侵害を理由とする民事訴訟では原告側に立証責任があると。しかし、公害裁判の場合はこれが逆になっていて、それは、現状を改変するのも、それから安全性についての資料を持っているのもこれは被告側にあるということで逆転しているんだが、原発の民事差止め訴訟ではまたこれが逆になっていて、専らやはり原告側に立証責任を負わせるということが、当初はそうでもなかったのが今はそうなっているという、こういう御指摘をされているんですが、こういう現状についてどういう御認識かということと、それから、どう変えるべきかという辺りをお聞かせいただけたらと思います。
  47. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、まず棟居参考人からお願いします。
  48. 棟居快行

    参考人棟居快行君) 個人補償についての御質問といいますか、徐々に個人補償の範囲が充実してきておる、今回も、中小企業などグループをまとめることによって直接の補助が可能になっている、これは憲法原理と相反するということなのか、そうではないだろう、生存権あるいは幸福追求権といった憲法原理からすれば、むしろ本来こうあってしかるべきだったということではないのかと、こういう御質問というか、御指摘だろうと思います。  私は、もちろんこのような施策は大変結構なことで、憲法上それができないなどということは一切言えないというふうに考えます。  しかし、あえて言えば、国家の一施策でございまして、個人の側から財産権あるいは生存権、さらには幸福追求権という形で本来国家からの給付を個人が権利として有するかというと、そういうふうに憲法はできていない。これは先ほど、最初に申しましたように、あくまで個人主義で、幸福も不幸も全て個人止まりというのが建前で、そこまでは国家としても面倒が見れないという現実論もありますけれども、逆に言うと、余り国家がウイングを広げる、個人の幸福、不幸の問題に介入してくるというのはよくないんではないかというリベラルな国家観、憲法観が壁としてあるんだろうというふうに思います。ですから、施策としては大いに結構だけれども、権利論にはつながらないというのが私なりの立場でございます。  失礼しました。
  49. 西條剛央

    参考人西條剛央君) 個別の法律が追い付いていなかったというのは、本当にそのとおりだと思います。  先ほども申し上げたように、やはり今回の想定外のことが起き過ぎたということはあると思うんですが、そのときにやはり法律、立法家の役目というんですか、それは、ボランティアには絶対できないことは何かというと、申し上げるまでもないと思うんですが、例えば、特区とか災害基本法もそうなんですが、先ほど申し上げた高速道路無料化ですね。全国の動向と一緒に東北の方も同じように無料化が解除になったりとか、そういうことがあるたびに現地ボランティアは激減するんですね。これはもう事実で、今は本当に困っている方、何とかしてほしいという方はたくさんいるので、やはりそういった点で、結果として復興支援が進むような法律を作れる、その条件を整えられるのは本当にここにいる先生方だと思うので、是非、同じ悲劇を繰り返さないため、あるいはまだまだ本当にこれからも関連死の、残念ながらそういう死者もこれからどんどん出てきてしまうと思うので、やはり少しでもそういった悲劇を、これは人の努力で減らせるところだと思うので、減らすためにも、そういった条件を整える法整備といった点、是非御尽力いただければ有り難いと思います。よろしくお願いします。
  50. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) 訴訟の立証責任の分配の点なんですけれども、これは両当事者の実質的な公平という観点から、情報がある方がなるべく出すようにしてというのが普通の考え方なんだろうと思うんですね。  それで、行政訴訟の場合は私はちょっと違う考えを持っていまして、民事訴訟の場合だと、AさんとBさん、基本的に対等な当事者間で、しかし、事実上、医療訴訟のように病院側の方が情報をたくさん持っているなんというように力関係に違いがあるような場合には、そこに配慮して立証について対応させるということかと思うんですけれども、行政訴訟の場合も似たようなところもあるんですけれども、原理的に言うと、国民が、今だと国若しくは地方公共団体に対して抗告訴訟等も起こすというふうになっているので、これ、国民と公権力の行使の主体が対峙するわけですよね。ですから、そうだとしますと、情報が国側等にあるということもさることながら、裁量権行使している場合には当然説明責任というのがむしろあるはずで、そういう観点からすると、立証責任の分配の話が民事と同じようなレベルで考えられてよいものかというのをむしろ逆に私などは問題意識として持っております。  それで、さっき申し上げた福島第二原発訴訟も、当事者の主張がちょっと私余りにもすごいなと思ったんですけれども、判決はいいんですが、国側の主張というのがすごい古典的な行政法の理論を援用されていて、全部なるべく門前払いにしようとするし、裁量権も古色蒼然とした裁量論をおっしゃって全然問題ないんだということで、逃げの論理なんですね。これが国の代理人で、やっぱり裁判は一種のゲームみたいなところがあるので、裁判を勝つためには何でもいいということなのかなと思って読みましたけれども、ちょっとそれどうなのというところは率直に言って思ったところで、少し構造的には考える余地があるのかなというふうに思っております。
  51. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 次に、那谷屋委員
  52. 那谷屋正義

    那谷屋正義君 御指名ありがとうございます。  今日は三人の参考人方々、ありがとうございました。  これまでの今日の議論をいろいろ聞いている中で、少しずつ自分の中で頭の整理がなってきたのでありますけれども、まずこの機に、憲法審査会テーマとして大震災人権保障という、こういうテーマを設定していただいた幹事の方々にはまず感謝申し上げたいというふうにも思いますし、非常に難しい、しかし大事なテーマだなということを議論を聞く中で更に痛切に感じてきているところであります。  特に、今お話がありましたこの震災、そこからの復旧復興に対して憲法が不備があったのか、あるいは法の不備があったのかと、様々こういう議論があるというふうに思いますけれども、その中で、特に人権というものを見たときに、例えば西條参考人の本を読ませていただきましたけれども、非常に読みやすくてすうっと一気に読んでいっちゃう感じなんですけれども、例えば支援物資を調達する、そしてそれを受けることによって、逆に言うと被災にならなかった商店の方が売上げが上がらなかったとか、あるいはボランティアのサービスを受けられるがために、逆に言うと有償サービスを受ける人が減ってしまうという、この相反するもの。それから、例えば子供の学習権、これを保障しようというふうなことに対して、一方では被曝する危険性があるというふうな問題、あるいは認定支援の線引きいかんによって、同じ被災者間でも平等権というそういう問題があるということで、この憲法のいわゆる十三条を中心とする今日の議論というものが、平常時では大体もうスムーズにすっと入ってくるようなものであっても、この非常時においてはなかなかそれがうまく機能していかなかったというのが今日の中で私は理解をしたところであります。  そこで、棟居参考人お話しになった想像力の貧困、つまり条文に書かれていることだけを忠実に守っていればそれで全てオーケーなんだということではなくて、やはりそこに人間の想像力を働かせていくことによって憲法の精神を生かしていくことができるんだというようなことが言えるんではないかなというふうに思うわけであります。それの一つの方法として、これも棟居参考人の方からヒントをいただきました。いわゆる、生命それから自由、そして幸福追求というこの三つの順番を付けていただきましたけれども、そうしたある種の順位付けといいますか優先順位、こうしたものをやはり一つ考え方の中に、想像力の中に入れていくということは非常に重要なことなんだなというふうにも思うんですが。  これを全て条文化すればいいということではなくて、やはりそれを受ける、それを生かすための人間の方にそこが知恵が必要だというふうに私は今思ったところなんですけれども、これについて各参考人、三人の方々の見解をいただければというふうに思います。  以上です。
  53. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、棟居参考人からお願いいたします。
  54. 棟居快行

    参考人棟居快行君) どうもありがとうございました。  阪神・淡路大震災のときに私が関係しておった警察の方から伺った話でございますが、あのときなかなか現地情報がつかめなかったと。そして、結局、伊丹の自衛隊基地から、記憶が必ずしも正確じゃないかもしれませんが、伊丹の自衛隊基地から、ある指揮官が、これは演習だと称してちょっと見てこいということでヘリを差し向けて、それで大変なことになっているというのをまず第一報として情報を手に入れられた。それを紹介された警察関係の方は、たまたまセンスのいい自衛官がそこにいたからそういうことができたんだ、センスという言葉をお使いになりました。想像力というのをセンスと置き換えてもいいと思います。  ただ、そこで那谷屋先生が恐らく御指摘されようとしたのは、生命、自由、幸福追求という、そういう順位付けなりの何かの手掛かりがないと、単なる想像力でやみくもに勝手にやられてもこれは公権力行使ですからおかしなことになるんじゃないかと。どういうふうに想像力を言わばコントロールしていくのかという、これまたある種、二律背反状況があるわけです。  ですから、これはやはりマニュアル化は無理なんですけれども、想定外を想定する訓練を年がら年中していただくしか私はないと思っております。これはもちろん我々自身もそうですけれども、よりそうした分野にふさわしい自衛隊や警察の方、あるいは自治体の方、あるいはボランティア団体の方、日ごろのシミュレーションというものが日本ではなかなかなじみがありませんけど、常に必要かなというふうに思っております。  ありがとうございました。
  55. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) 憲法論というふうにいろいろ言っているんですけど、多分内容は、正義とか幸福という、そういうすごい抽象的な概念で表されると思うんですが、結局、何かマニュアルにせよ法律にせよ規定があっても、規定を置いた瞬間に規定にない事柄って必ず出てくるので、要するに、それをどういうふうにその趣旨を読み込んで魂入れた仕事をするかということだと思うんですね。  その場合の、魂を入れるというか、そこの部分が憲法ということで、そういう意味では内容は限りなく白地に近いというか、その時点において白地のところに入れ込んでいくその入れ物が憲法なんじゃないかというふうに私は考えております。
  56. 西條剛央

    参考人西條剛央君) 僕らが支援物資とか送るときに、御指摘いただいたこと、一部やはり問題になったところあるんですね。というのも、支援物資を送ります、そうすると、地元の業者さんが困りますと、自分たちの物が売れないからということがあったんですけれども。僕らは、地元の企業からできる限り購入したものを送ったりしていたわけですけれども、それでもそういう議論というのはあるんですね。  このときに、やはり僕は順番が違うと思ったんですね。それこそ棟居参考人議論をそのまま使えると思うんですが、生存、生命ですね、生命、自由、幸福の追求という順番からいくと、例えば冬物家電とか、一切支援を受けられない、持っていませんとこれは生存にかかわるわけですよね。そのときに、全て流されている人がいる中で、生存が脅かされている人がいる中で、店は残って、いつものように売れませんという方を、どちらを優先するのかという議論になるわけですね。家電というのは一度送られたらその後何度も送られる、ずっと送られ続けるものではないので、僕はやはり、順番が違うから、まずはこの一年は、とにかく何も、全て失ったわけだから、そこを補填しているわけですから、それは生存とかそちらの方が重要ですよねということでやってきましたが。  こういった議論も、実はツイッター上とかでもいろんなところで飛び交って、要するにボランティア団体への批判にも使われるんですね。それが怖くてやめてしまう人もいるんですが、実はこういう議論をするときにも、ちゃんとこういう考え方の基準みたいなものが整備されていると、いや、それは順番が違いますよねということで建設的に議論しやすいということもあるので、生命、自由それから幸福の追求というこの序列というものをちゃんと何か組み込んで形にしておくというのは、実は極めて重要なことなんじゃないかと思います。  ありがとうございました。
  57. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 次に、谷合委員
  58. 谷合正明

    ○谷合正明君 公明党の谷合です。今日は本当にありがとうございます。  大震災人権保障というサブテーマでありますが、私は東日本大震災からの復旧復興を国際的な観点からも考えていくということは重要ではないかなと思っております。  それで、国内避難民という言葉がありますけれども、国内避難民としての被災者の権利が、一九九八年に国内の強制移動に関する指導原則ということで国際的にこれは認知されております。これは質問ではありませんけれども、この指導原則の中には、強制移動からの保護に関する原則でありますとか、あるいは強制移動が継続する間の保護に関する原則でありますとか、帰還、再定住及び再統合に関する原則というものが取りまとめられております。  こうした原則の中にも、日本との関連において、特に日本災害管理における日本の知見というものが海外の法令や政策に取り入れる際に有益な示唆になるというふうに位置付けられておりまして、今回、改めてこの憲法審査会でこうした議論を深めていくことは重要であるというふうに認識しておりますので、まずその点を、私自身も国内避難民保護の仕事に携わってきた経験からも指摘させていただきたいと思います。  それで、質問をさせていただきますが、まず櫻井参考人ですが、この強制移動が継続する状況、あるいは帰還、再定住及び再統合というそれぞれの段階において、参考人が最後にまとめで述べられておりましたが、人権保障のシステム、機能する事後救済の仕組みの立て直しと言われましたが、今の日本災害の、特に原発災害のこの状況の中で、強制移動が継続する状況、帰還、再定住及び再統合のそれぞれの段階において具体的に機能する事後救済の仕組みの立て直しというのはどういうものなのかということが、もし御所見があればお願いしたいと思います。  棟居参考人には、憲法の保障する基本的人権というのは個人の権利であります。しかし、今、集団移転等、個々人の人権の総和を超えるようなコミュニティー権利ともいうべきものが、状況が現れております。国家と個人ではないコミュニティー、このコミュニティー権利というものを憲法上どのように位置付け、対応していくべきものなのかということについての御所見を伺いたいと思います。  以上です。
  59. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、櫻井参考人からお願いします。
  60. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) お尋ねは、強制的に移動させられていて、一定の場所に住まわせられているということの憲法上の問題ということでよろしいでしょうか。  居住、移転の自由というのがあるので、本来はどこにでも住めるはずということになりますけれども、しかし、そこに住むと、むしろ生命、身体等に有害なところがあるというので立入り制限区域とか居住制限区域というのが設けられているということかと思いますので、そのところはまさに権利侵害ではないかという問題を立てることは可能なんですけれども、ぎりぎり言えば、公共の福祉の観点から、公権的な観点から、その人のためにむしろ居住を制限するという仕組みになっているということで、結論的には、そういうことができないというふうにはむしろならないんだろうと思います。ただ、個別の状況に応じていろいろな、もう少し近くには住めるんじゃないかとか、あるいは設備をちゃんとすれば住めるんじゃないかとか、そういう形での紛争は当然あり得るというところで。  権利救済の仕組みとしましては、裁判所でも大変なんで、お金も掛かりますし、手間暇掛かりますので、やっぱり行政的な救済であるとかあるいは行政相談であるとかADRであるとか、そういうところでうまく動くようにしていくというのが特にこういう被災の場合には非常に重要でして、裁判なんか起こす暇なんかないんで、余裕は全くないと思いますので、むしろそういうふうなところで行政サービスとして、何か相談事がないか、あるいはできることがないか、あるいは措置をできないかとかあっせんができないかとか、そんなことをやっていくべきではないかなというふうに考えております。
  61. 棟居快行

    参考人棟居快行君) ありがとうございました。  私は、この集団移転のような場合に確かにコミュニティーとしての権利が揺るがされるという、そういう認識は先生と共有しております。しかしながら、それも先ほどの魚住先生に対しての私なりの回答とも共通いたしますけれども、あくまで基本としては個人のコミュニケーションの権利がそこで脅かされるということではないかなというふうに思います。  言い方を換えますと、例えばインターネットに接続できるよとかテレビがあるでしょうという、それでコミュニケーションが満足されているのかというと、決してそんなことはない。むしろ、別に地球の裏側の人と話をしたいわけではなくて、目の前にいる人たちと、今までずっと付き合ってきた人たちと、あるいは言葉が要らない関係で、ああとかうんとかで済む、そういう究極のコミュニティーだと思うんです。コミュニケーションが一番簡略化された、しかしコミュニケーションしている、そういう個人とその周りの人たちのネットワークをどうやって維持していくのかという問題でありまして、これは、ですから、個人のコミュニケーションの自由といいますか、表現の自由とか、そういうふうに憲法上は分類されるわけですけれども、これをばらばらの個人としてではなくて、一定の今までの生きざまに対する権利として現状をなるたけよその場所でも維持していくという、こういう形で、あくまで人権論としてとらえていけるのではないかというふうに私としては思っております。  以上です。
  62. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 次に、福山委員
  63. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 会長、ありがとうございます。  参考人の先生方におかれましては、大変重要な問題提起をいただきまして心から感謝を申し上げます。西條参考人におかれましては、現場に入っていただいていろんな御支援をいただいたことにも心から敬意と感謝を申し上げたいと思います。  私は、法律家ではないので余り難しい言葉では申し上げられないですし、多少繰り返しになるかもしれないので、そこはお許しをいただきたいんですが、震災の当時現場にいた者として、国家の人権侵害なり過剰な侵害と公益性、相対的に公益性をどう判断するかということの瞬時瞬時の判断が実は当時の判断でございました。  例えばで申し上げれば、福島第一原発で作業を続けてくれとお願いをすることは、作業をされている方の命や家族のことを考えたときには、これは過剰な状況によっては国家の介入でございました。しかしながら、それは相対的な公益性を考えて判断をするしかなかったというのが当時の状況でして、しかし、この相対的な公益性の判断は、一つ間違えればそれは過剰な介入になります。  ここは、どこでどう線引きをするのかというのは、これはなかなか一概には言えない話でして、その観点で、例えば、櫻井参考人にお伺いしたいんですが、私は緊急事態等を宣言する規定というのが必要だと本当に認識をしました。しかし、それは一体どういう状況なのか。例えば、時間の概念なのか、そのときの状況の概念なのか、更に言えば、それはどういう範囲で担保できるのか、それは法律のスキームとしてですね。  例えば、先ほどトップダウン型に変えるとおっしゃいましたけれども、廃掃法などは、一日のうちで百年分の瓦れきが出るようなことを自治体は想定していないわけです。その自治体が想定していないものに対して自治体に権限が与えられているものに対して、一体どういう形でその権限移譲なりを変化をさせるような具体的なスキームがあり得るのかということが私なかなかイメージができなくて、時間とか状況の概念で言われているのかも含めて、若干櫻井先生に御示唆をいただければと思います。  それから、西條参考人の言われた話でいうと、重要なのは、例えば三百枚の毛布で五百人だから配らなかったとか四台の扇風機というのは非常に象徴的なんですが、それは国と個人との関係で語るべきものなのか、それは申し訳ないけれどもその自治体の首長や職員の判断力の問題なのか、そこは非常に僕は、実は私もそういう場面しょっちゅう出くわしました。そのときに私が言ったのは、そんなものは現場でやれと、そんなことまでこっちに求めてくるなということを申し上げました。それを基準とかガイドラインという表現ですると、実はまた同じ画一的な状況に陥るのではないかなという懸念を持っておりまして、そこを西條参考人はどうお考えかと。  棟居先生には、もう本当に重要な御指摘をいただいたんですが、生命、自由、幸福追求。例えばでございます、これはひょっとしたらピント外れなのかもしれませんが、実は自衛官、海上保安庁の職員、警察官、消防庁、放射性物質が降り注ぐ中に避難のオペレーションをしてくれといってお願いをしました。これは民間にはお願いができないからです。もちろん自治体の職員もそうですが、これは公務員だといいながら、どこまでそのことを実際として我々は指示できるのかということ。これも日々、我々の中では葛藤でした。そのことについて、もし棟居参考人から何か御示唆がいただければ有り難いと思います。  ありがとうございました。
  64. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、櫻井参考人から順次お願いします。
  65. 櫻井敬子

    参考人櫻井敬子君) 危機管理法については、戦後の何か法律学の一種のタブー領域にあって余りまともな議論がされたことがなかったと思うんですね。ただ、個別法分野では少しずつそういう法律ができてきておりまして、それで公益性と人権が対立する場面ばかりだったというのはそのとおりだと思います。  それで、一つ考えなければいけないことは、その場で限られた情報の中で、とにかく何もやらないというのが最悪の選択肢なので、何かやらなきゃいかぬという、そういう状況で何を決断するかということが問われていると思うんですけれども、そうすると、それはやらなきゃいけないと、しかし間違いがあり得るということを前提にしたスキームにするというのが基本なんだろうと思うんですね。  そうすると、事後的に、作業員の方のお話されましたけれども、何かしら問題があったというようなときには、生命、財産に対する不利益があったというような場合には、事後的な一種の、何でしょうか、補償になるのか、そういうことをセットにした上で、しかし権限行使ができる、しやすい、そういう仕組みにしておくという二重立てぐらいにしておかないと多分動かないんじゃないかなというふうには一般論としては思っているところであります。  それで、廃掃法の話されたんですけれども、私ちょっと港湾法の話しましたが、実は廃棄物処理というのは、これも、何といいますか、最も歴史的に自治体の事務になっていまして、しかも江戸時代に遡るという、そういうものなので、これはなかなか国がやったりとかというのが非常に難しいと、理屈だけではなくて。港湾法も、これも同じで、分権化と民主化ということで、地方公共団体だけが港湾管理できるというような仕組みになっていて、国に関与させないんですね。それは軍港を阻止するという、そういう占領政策と関係しているんですけれども。  そんなことで、港湾管理もべたべたな自治体の事務ということになっているんですが、例の有事立法ができましたときに、国民保護法とかですね、そのときに、特定公共施設利用法といって、港湾についても似たような、国土交通大臣が関与をするというような仕組みつくっていますけれども、これも港湾管理者がする権限を大臣が代行するみたいな仕組みになっているんですが、最終的には。今ある公共事業の代行法だと、自治体が要請をして国の方がするという扱いなんですが、そうではなくて国の方から代行できるという、そういう仕組みなんですね。  こういうのを、当時の文脈からいうと、本当にこんな法律作って動くのかという大問題はありますが、しかし震災を経て、一定の、何といいますか、事実状況というのを踏まえて、どういうふうに動く仕組みをつくるのかということですると、少し局面を変えて、具体的な法律的な仕組みというのを考える時期に入っているのではないかなというふうに思っておるところです。
  66. 西條剛央

    参考人西條剛央君) ありがとうございます。  国と個人のどちらが判断することなのか、個人じゃないかと、僕もそう思います。ただ、そのときに、臨機応変にやりなさいといってもできない人が多い、あるいは臨機応変にその人のセンスと言われるものでやってしまうと悪くなってしまうこともあると思うんですね。そのときに、やはり現地議論するときも、先ほどから挙がっている生命、自由、幸福追求といったような序列だったり、あるいは五%以内のことはこの際はもう気にしないようにしようという共通了解だったり、そういう基準、緩やかなガイドラインみたいなのはやはり役に立つのかなと。  それからもう一つ、より原理的には、状況と目的を見定めて判断しましょうという方法の原理ですね。これは、共通了解している、あるコミュニティーとないコミュニティーでは大きく個々人の判断力というものが違ってくるかなと思います。  あともう一つ、ちょっと直接のお答えではないんですが、国と個人との関係という意味で、僕は人権の問題でこれはどうなのかなと思っていることがやはりありまして、余りこういう場で触れるべきじゃないのかもしれないですけど、原発の再稼働の問題ですね。こちらは、やはり生存権とか幸福追求権を脅かすから再稼働をしないでほしいと現地の人が言っている、けれども住民の意見関係なくそれを決めますというのは、これは明らかな人権侵害なんではないかと素朴に思ってしまうんですね。その点、御意見をというか、櫻井参考人等の御専門家の御意見も聞いてみたいなとちょっと思った次第です。  以上です。
  67. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) それでは、手短に引き続きよろしくお願いいたします。
  68. 棟居快行

    参考人棟居快行君) 先ほど挙げられました自衛隊、海上保安庁、消防の方々、いずれもプロでございます。ですから、プロの方々に頼むしかないという現実がございます。  しかし、かつまた憲法は十五条で全体の奉仕者として公務員を位置付けております。しかしながら、全体の奉仕者といいましても生命の犠牲まではそこには含んでいないというふうにこれは考えざるを得ないわけでございまして、あくまでこうした究極の選択はまさに個人の自己決定に委ねられている、つまり職務命令で、命を懸けろというところまではこれは言えないと、そういう有効な職務命令は出せないということだと思います。  中途半端に引き受けて、私やりますといって途中でほうり出されたり、混乱する、これは一番多分困るわけです。ですから、よくどういうリスクがあるかというそのマキシマムのリスクを説明して、かつ、言わば、志願兵という言葉がいいかどうか分かりませんが、志願者に行っていただくという、その都度の個人の自己決定という重い決断をしていただくしかこれはない局面だというふうに思います。
  69. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) ありがとうございました。  中村委員
  70. 中村哲治

    ○中村哲治君 民主党の中村哲治です。幹事ということで、最後の質疑者にしていただいております。  西條参考人に質問をいたします。  憲法価値人権保障に役立てる段階としては二段階あります。一つは、先ほど櫻井参考人がおっしゃったように、個別法として規定する段階、いわゆる立法論の段階です。もう一つは、個別法を個人の人間の生活状況に当てはめて、そこでどのように救済していくのかという、そういう第二段階の話です。  今日、西條参考人のおっしゃった具体例は全て第二段階の話をしていただいていたと思うんですけれども、参考人の本を読ませていただいて、「人を助けるすんごい仕組み」の百六十ページです。百六十一ページに、糸井重里さんとの対談の中で、プロジェクトがなぜこのように成功したのかという理論的背景として構造構成主義というのを挙げられております。構造構成主義とは、無形の型みたいな、何にでも通用する原理なんです。価値の原理でもあるし、方法の原理でもあってというふうなことで書かれております。  そういうことを考えますと、この憲法価値をいかに立法化していくのかという立法過程において、先生が御研究されている構造構成主義という考え方を取り入れていくことが必要なのではないかというふうに私は思うに至りました。  今日、櫻井参考人棟居参考人の御答弁をお聞きになっても、第一段階のところで、果たしてどこまで法学という領域で研究が進んでいるのかというと、実は余り進んでいません。法学部でやることというのは、解釈論はされますけれども、相互の法学分野においてどのような連関性を持たせるべきなのか、立法過程としてどのような形を取っていくべきなのか、そのようなことというのはほとんど研究されておりません。  ということで、立法府にいる私たち議員の仕事に関しても、どのような議員が適切な仕事をしているのかという物差し、そういうふうな学問がないから私たちの業績もなかなか考えられないということなのではないかと思います。  そこで、改めて西條参考人の目から見て、構造構成主義の考え方を適用した場合に立法論としてどういうふうな課題があるのか、そのことについてお気付きの点がございましたら、今回の経験談も踏まえてお話ししていただけませんでしょうか。
  71. 西條剛央

    参考人西條剛央君) 貴重な御指摘ありがとうございます。  立法に関しては専門ではないので分かりかねることも多いんですが、構造構成主義の考え方、特に方法の原理の部分ですね、こういった考え方は立法にも当然使えるところはあると思います。つまり、今の日本があるいは国民が置かれている状況と目的、これを見定めてその法律の有効性を判断するということですね。  もう一つは、やはり近代社会の原理である自由と自由の相互承認、自由に生きる権利、それから他者の自由を阻害しない限りは生きていいんだというような、当たり前なんですけれども、やはりこの当たり前のことが実際この度の震災では特に満たされてないということが結構あるということも明らかになったわけです。やはりこの当たり前のことを当たり前のようにしっかり実現していくというのは実はすごくとても大事なことだと思っていまして、人間が大きく不幸になるときというのはこの当然守られるべきものが守られなかったときだと思うんですね。  そういう意味では、やはり状況と目的、それから、そういった、これだけはという原理の部分ですね、近代社会が共有してきた考え方の部分、これらはしっかり踏まえた上で、その法律、立てればいいというものでは当然ないと思うので、その法律、立法というものの、立法された法律にも当てはまると思うんですが、その検討というんですか、検討を吟味するための方法論というものもこれから組み入れていくこと、共有していくことで、より水準の高い議論が、あるいは建設的な提案といったものが進むのではないかと考えております。  貴重な御指摘ありがとうございます。
  72. 小坂憲次

    会長小坂憲次君) 中村委員、よろしいですか。  予定の時刻も参りましたので、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。  この際、一言申し上げます。  本日は、西條参考人櫻井参考人及び棟居参考人におかれましては、貴重な御意見をいただきまして、誠にありがとうございました。審査会代表いたしまして心より御礼を申し上げます。(拍手)  本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後二時四十二分散会