○
参考人(
平野茂夫君) ただいま御指名をいただきました
マイスター60の
平野でございます。
共生づくりに関しまして、
共生社会とはどんなものであろうかというふうなことを、
高齢者会社の経営を通じて感じたことを御報告をさせていただきたいと
思います。(
資料映写)
まず初めに、当社の基本的な
会社情報を御覧をいただきたいと
思いますが、
会社の設立は平成二年二月の一日でございまして、私が四十七歳の折に大阪で創業いたしました。私は、当時は社長が最年少であったわけですけれ
ども、現在は
高齢化社会の中の真っただ中の六十九歳でございます。
それで、株主は、東証二部上場の親
会社の
マイスターエンジニアリングが六割を持っておりまして、それから、
中小企業投資育成株式
会社法に基づく公的実施機関の大阪
中小企業投資育成
会社が四割を持っていただきまして、当社に出資をしていただくに当たりまして、
高齢化社会に向かって社会的に意義のある
事業であるということでベンチャー投資の第一号を適用されまして、
中小企業庁の長官から、当時の見学さんから記者発表をいただいております。
創業時が社員二十名から出たわけですけれ
ども、現在は三百六十五名の社員が在籍をしております。平均年齢は六十三・九歳、一番年配の方は七十六歳でございます。
この社員構成の中で特に御注目をいただきたいことは、七十歳以上の方が一〇・四%在籍をし、六十五歳以上の方が三六・一%ということになりますと、四六・五%の方が六十五歳を超えてもなお働こうというんですね。今、六十五歳までの雇用の義務化というふうなことが
議論が始まっておるわけですけれ
ども、六十五を過ぎてもなお働こうという、この第一期から現在までずっと通期を見ても、やはり五割前後の方が六十五を超えて働いているということが当社の中の実績でございます。
事業内容は、建築設備のメンテナンス等の技術系の
仕事が主たることでございまして、そのほかに
人材派遣
事業、有料職業
紹介事業ということをやっておりまして、直近の売上高は十三億円を売り上げております。
事業拠点は、東京と大阪で
仕事をしております。
じゃ、この
高齢者会社というふうなものをどうしてやっぱりつくったかというようなことでございますけれ
ども、私がその発想の元締なんですけれ
ども、平成元年の九月の十五日の日、敬老の日にNHKラジオを聞いておりましたら、サラリーマン
会社辞めればただの人と、そういう川柳が流れてまいりまして、男女のアナウンサーが、いずれ私
たちもそういうときが来るのかなとくすくす笑うその笑い声を聞いた途端に、気力も知力も体力もあって、まして、働こうという意欲がある方がただの人になってしまっているという現実に、私は義憤のような、そういうふうなやっぱり
思いもいたしましたものですから。
じゃ、その定年制はどうであるかというふうなことを考えたときに、当時は総理府でもシンクタンクでも四人に一人の
高齢化社会が到来するということをさんざん言っていた中で、ああそうかと、もう既に
企業の定年制というのは、ずっと続けてきた定年制というのはもう既に陳腐化を迎えたのかなというふうな
思いをいたしたわけですね。ついては、この定年制に風穴を空けるビジネスモデル、はやり
言葉で言えばですね、そういうのができないかと思った次第でございます。
じゃ、本当にそういうふうな働きたい方がおるのかというふうなことを
企業化
調査するために、この翌、正月明けの、平成二年の、初めて、一月七日、新聞社が求人広告を扱うときに、関西四大紙に
高齢者会社創業につき社員募集と打ったわけですね。
そうしましたら、皆さん、何と、専用電話が朝八時過ぎからずっと鳴りっ放しなんですね。私もそんなの初めての体験です。その話を、電話を切っても百通を超える、そういうふうなお問合せをいただいたわけです。私はそういうふうなやっぱり皆さんの
思いを聞きながら、私自身が非常に感動といいますか、私の単なるアイデアが、やっぱりこれは
企業を起こすべきであろうという、そういうふうな背中を押していただいたわけです。
皆さん集まった方は、応募された方は、一部上場
企業をも含めて、町工場の方やあるいは公務員の方なんかも来られまして、俺は生きがいだと、かみさんの世話になるのもいいけれ
ども、俺はやっぱり働きたいということを皆さんおっしゃるんですね。いや、これは私は力強い
企業化
調査のそういう結果を受けました。
ですから、一月の七日に出しましたから、もう私の話をべらべらしゃべっている間はこれは証拠が残りませんけれ
ども、新聞を使ってそういうふうな自分の主張を訴えたということの中の反応を受けて、早速
会社をつくろうということで、二月の一日にこの
マイスター60を、投資育成
会社の支援を受けて発足をしたわけでございます。
年を重ねただけで人は老いない、理想を失ったときに初めて老いが来るというサミュエル・ウルマンの歌がございますけれ
ども、限られた人生になおもロマンをはせ、奮い立つ、そういうふうな高齢者であってほしいというふうなことを私は願って、当社のコーポレートステートメントとして、年齢は背番号、人生に定年なしと、そういう主張をしてスタートをしたわけでございます。
続いて、この
会社はどういうふうな憲法、理念を掲げていったらいいかということを考えまして、雇用機会を創出し、
人々の生きがいを広め、生涯現役文化を開きますと、そういうふうに定めたわけでございます。
ここで
説明を加えさせていただくことは、文化を開くというここに私はこの全体の中の私の
思いを訴えたわけですけれ
ども、生涯現役というのはよく言われていますから、それに向かってのいろんな諸制度、多分、年金とか介護とかそういうふうな諸制度の充実はもとよりのことでもあるわけですけれ
ども、私は、高齢者が伸び伸びと社会と共に
共生できる民族の
精神風土、そういうものをつくろうではないかという
考え方から、この生涯現役文化というものを入れさせていただいた次第です。
年齢は背番号、人生に定年なし。六十歳新入社、七十歳選択定年。五十八では入れないということですよね。
最近では、入れてくださいというふうな方が来られますから、時に応じて入ってはいただいておりますけれ
ども、
最初は五十八歳で断りましたら、やっぱり年ですかという話がありましたから、いや、あなたは若いから入ってもらわないんですと。六十までの人生と六十から描く人生の展望、それぞれ違うでしょうから、私は六十歳から入っていただくということをしたんですけれ
ども、最近は五十代の方も時々お見えになっております。
そして、七十歳選択定年ということでございますけれ
ども、これはどういうようなことかといいますと、
会社は、定年は
会社が決めるんですね。この選択というのは、自分が決めるということに私は心情的なウエートを置いておるわけです。自分が働くことができるのかなと。ああ、もうこの
説明書を見ても余り目が見えないなと、音を聞いても聞こえないなというふうなことで、あるいは家庭の状況の中で、僕が働いたらいいのか、私が働き続けることが家族とそのためにいいのかなというような、そういう様々なことを判断をして、まずは自分が定年を決めようと、そういうふうな意気込みを掛けておるわけでございまして、ですから、七十六歳の方がおられますけれ
ども、この方が八十になって、九十になっても、心身共に健康であれば当社の社員として在籍をすることができると
思います。
そして、定めた経営コンセプトは、高齢者の雇用創出の
会社ゆえに、利益の極大化の経営ではなくて、高齢者の職場づくり、雇用の
開発に努めて、
企業の社会的責任を推進というようなことを担おうと思っておるわけですけれ
ども、
企業経営は、普通は利潤の極大化によってステークホルダーに利益を分配し、そして法令遵守をして、雇用をつくり、そして地球
環境の改善をするというような、こういうふうなやはり
企業の社会的責任があるわけですけれ
ども、その中で、当社はわがままを言わせていただいて雇用に特化をすると。高齢者の生きざまといいますか、行く末を、働くことが僕の人生だという方々に対して、働ける限り、やる気のある限り、当社は雇用をつくろうということで、もちろん利益は、
会社の資金の回転が必要ですから、資金繰りをするための資金は当然利潤として上げて、納税もしなきゃいけませんから、しかしながら私の強調するところは、雇用の創出をもってこの
会社の
日本の中の
存在価値を高めていったらいいのかなというふうなわがままも言おうとしております。
そして、高齢者が再就労することの社会における正当な
位置付けと認識づくり及び高齢者ニーズに適応した経営モデルをどうつくっていくかということについて考えていきたいと
思います。
それから、人的資源の再構築、そして
人材のダムづくりですね。これもしかし、最近の話題に合わせて言うならば、高齢者は年金を、若者からすれば年金を受給するだけのイメージに若者は場合によっては見がちですけれ
ども、これを意欲的な消費者、あるいは働いていただいてなおも活力ある納税者というふうな、そういうものも経済社会につくっていけたらというふうに
思います。
次に、雇用創出の実績をグラフに表しましたけれ
ども、最大では、一番多い期は平成二十年のときでございまして、社員数が五百七十七名、このときの売上高は十九億六千五百万まで参りました。ただ、税引き前利益は平成二年からずっと十二、三年は政府の助成金等をいただきながら収支とんとんで参りまして、ようやく最近になってきて、ある
一つの資金回転上の利潤を取れるのかなという状況になってきておりまして、株主二社にもまだ配当はしておりません。そういうことで、親の株主さんは、クレームが付いていないものですから、そういうことでお願いをしておるわけですけれ
ども。そして、創業から今日まで四千五百名を超える高齢者の方に再び自分が納得する職場というものを提供できたということが私のささやかな
誇りでございます。
それから、当社への登録者数、経験職種数とかそこに出ておりますけれ
ども、特にこの点で、ホワイトカラーの方が随分と職を求めておられるわけですけれ
ども、なかなかホワイトカラーの方は手に職がないということからいたしまして就業が難しくなっております。そういう状況でございますので、御覧をいただきたいと
思います。
それから、高齢者が抱く
共生社会構築への
思いということを、私が代表して皆さんの心情をしゃべるわけでございますけれ
ども、自我を知ったがゆえの社会参加への期待というふうなこと、こういうことですけれ
ども、実は、五十にして天命を知り、そして六十にもなるころには、案外人間わがままなんですね、世間を知り尽くして、世間になれて純粋性を場合によっては失うというふうなことの自分というのが分かっているわけですから、それを社会が受け入れてくれるのかなという、これも実はまた心配なんですね。これを、おじいさん、おばあさんといいますか、是非いらっしゃいという、こういうことを世間を挙げてつくっていただきたいというのが高齢者の切なる願いであります。
そして、僕はやっぱり意義ある人生の完結をしたいと。高齢者は、どうでしょうか、皆さん、八十五とか九十とか、そういうふうにだんだん、年々歳々、寿命は延びていくんでしょうけれ
ども、人間はやっぱり
精神の葛藤ですね、心身共に健康である、
精神的動物であるというふうなその期間というのは、どうでしょうか、皆さん、十年から十五年。あとは病院に入って、チューブを場合によっては注入されるという状況でしょうから、やっぱり健全な人間としての社会とのかかわり合いは十年とか十五年からすれば、この
共生社会に懸ける
思いというのは本当に自分の人生の完結なんですよ。
それで、結果肯定による幸福感の享受
環境。ブータン国王陛下が、御夫妻来られまして、幸福とは何かというふうな話をされて、
日本中がその話題に浸りましたけれ
ども、大学出たとか出ていないとか、社長になったとかならなかったとか、俺は貧乏だったとか金持ちになったとかいうことも踏まえながら、しかし、その結果を肯定しながら、その中で、私は幸せだったな、僕は幸せだったなというふうな、そういうふうな
精神的な幸せの昇華を皆さん実は願っておるわけですね。
そういうことの中で、高齢者と若者のこの図柄を見てください。頭のはげた先輩と若い人がこうして
仕事をしておる。昔は、少し前は一家の中にじいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、そして自分と孫がおって、三世代、四世代が同居をする中で、
一つの人間のあるべき姿といいますか、家庭のありようができていたわけですけれ
ども、ここへ来て、東京には若い夫婦、田舎に行くと高齢者ということになりますと、別々の人生といいますか、培ったものがそこに伝承できないと。
しかし、当社の場合は、七十のじいさんもおる、五十のおっさんもおる、三十もおれば二十もおるということになれば、かつての失われた
日本の大家族がここで出現をしておるんですよね。これによって何ができるかというと、非常に情操教育ができるわけですよ。礼儀正しい
日本人といいますか、かつての家族が交わした人間のきずなというのが、
共生組織がここに出現するというふうなことでございますから、是非とも高齢者を大いに雇用しながら、そういうものもまた
会社経営を通じてやっていけたらなというふうなことが皆さんにやっていただきたいことと
思います。
都市と田舎のそういう状況も御覧のとおりです。
それから、高齢者と社会ということの中では、民族的活力は、これ、肩車に乗るという高齢者が出てくるわけですから、騎馬戦型から肩車、その人
たちの活性化こそが
日本民族の活力ではないかというふうな、そういうふうに
思います。先人を敬愛する
精神文化の醸成なんて、こういうことは余りまともには取り扱いにくい事柄でしょうけれ
ども、実はそういうふうな民族の風土というのが私は大切ではないかと
思います。
それから次に、
政策提言なんというふうなおこがましいことも少しずつ書き上げておりますけれ
ども、御覧をいただきたいと
思います。
私は、この
高齢者会社を通じて、今、先ほど申し上げましたように、ホワイトカラーの方の職能転換がなかなかできないということからすると、四十五も過ぎて五十もなんなんとする方は、改めて
企業ないし国策で職能転換というものを早めに付けてあげて、そして生涯現役でやれる社会というものをつくることが大切であろうかと
思います。
あと、震災について何かというような御依頼がございましたが、そこに書いてある
程度でございまして、まだまだ当社の場合は技術者を派遣している
程度でございます。
最後に申し上げたいことは、我々、ここにいる方はみんなリーダーですよね。リーダーであるというふうなことからすると、政治には真が必要だし、経済には志が必要なわけでございますから、そして、高齢者自身がなすべきことは、まずは政府や社会に身を委ねる前に我が身の自立であって自助ではないかと私は思うんです。その上で
共助を求めたり公助に期待すべきものと考えるわけでございます。ですから、余り社会や何かに頼らずに、まず我々が自分で自分自身を生きると、そういうことを高齢者の方に申し上げたいと
思います。
ありがとうございました。