○山内
徳信君 社民党・護憲連合の山内
徳信でございます。
今、
福島出身の小熊
先生から、歴史に名を残す、そういう政治家になってほしいという意味の激励の言葉がありました。私が実はそれを
準備しておるんです。これから申し上げますが、提案をしておきたいと思います。それは、予算年度ももうあと一週間ぐらいで終わります。したがいまして、今お二人の両
大臣には、もう辺野古とか普天間という言葉は聞きたくないと、それが寝ていても頭に浮かぶとはっと飛び起きると、そういう心境だろうと思っております。そして、十六年たっても
政府としてその収拾も付けようという政治的な感覚もないままここまで来ておるわけです。
少しアメリカの方から
お話し申し上げますと、私は実は去年の十一月にかつての下院議員で今ハワイの州知事をなさっていますアバクロンビーさんにお目にかかりました。沖縄についての、辺野古についての御意見といいますか、それはできぬでしょうと。向こうに座っておるお年寄りを、海を埋めて飛行場を造るためにごぼう抜きでもしたら、それは世界中の物笑いになると。電波に乗って一日で世界を駆けずり回るような時代ですよという見解でございます。
さらに、一月二十一日から二十八日までワシントンDCを行きまして、多くの国
会議員、シンクタンク、補佐官に会い、国務省、国防総省の日本担当部長にもそれぞれ会いまして御意見を承ってきました。どこへ行っても、辺野古大丈夫、辺野古大丈夫という声はありませんでした。これは困難だと、不可能だと。そして、名前は申し上げませんが、アメリカの民主党のナンバースリーの重鎮が、沖縄は差別されてきたと、差別されておると、こういうふうな
お話もございまして、そういうアメリカの
状況でございます。
そして、私は、先週の二十二日の
予算委員会で、公述人として、橋本総理の補佐官でありました岡本行夫さんも公述人として参加をして
出席をしておられました。そして、岡本さんの見解を、現時点の岡本行夫さんの辺野古に対する認識を伺っておきたいということで
質問をいたしました。
岡本さんの見解は、辺野古移設は県民の大きな反対があってそれは大きな抵抗になっていくと、こういう趣旨のことを
お話しされております。それを国家権力が強引に押していくと流血の惨事を見ることになると、こういうふうな見解でございました。
私は、その前にワシントンを訪問いたしましたときに藤崎大使にもお目にかかってまいりました。私が大使に提言いたしましたことをこれから両
大臣にも提言をしたいと思います。
外交のぎりぎりの線でどうにもならない
状況の中で辺野古と普天間問題をどうやって解決すればいいかと歴代の
大臣の方々も総理もみんな努力してきたが、できなかった。ここら辺で私は提言をしていく必要があると思っておるわけです。こういうことであります。
日本
政府はアメリカのメンツを潰してはいけないといつも考えていらっしゃる。そのために基地を沖縄に押し付けようという、そういう気持ちがありありと見えるわけです。しかし、沖縄の人々の気持ちの深層心理の中には、かつて私
たちの先祖は琉球王国を築いてきたと、中国や朝鮮半島、東南
アジアと大交易をしながら国を栄えさせてきたと、そういう誇りは今もあるんです。ところが、明治十二年に明治
政府は琉球を処分をして王様を東京に引っ張ってきたわけです。引っ張って、あの港で別れるときに王様が琉球の人々に言い残した言葉があるんです。シンカヌチャー、皆さんという意味です。シンカヌチャー、命どぅ宝と。どんなことがあっても命を粗末にするなよと、こういうことなんです。もう少しその間に言葉はありますが、結論としては命どぅ宝と。その命どぅ宝と思っていた人々が六十七年前の沖縄戦で地獄を見たわけですね。その地獄の中から私は生き残ってきたわけです。
六十七年間、基地をずっと見ながら、基地を減らすために私は二十四年間も頑張ってきたわけです。そして、私が基地問題に携わるときに、どんなけんかをしながらも、海兵隊の
訓練隊長とけんかしながらも、次の週行ってお互いのけんかしたときの心理状態を語り合う。私は、お互いにメンツは最終的には潰さないと。最終的にメンツを潰さないから問題が解決をされていく。そして、読谷補助飛行場という危険極まりない基地を、スタックポールという第七艦隊のハワイの司令官も力貸してきた、座間におるフリーマンという少将も力を貸してくれた、横須賀のラッセルという提督も力を貸したり助言をしてくれた。
そういう
立場から考えてみたときに、日米に大きな傷といいますか、あるいは溝をつくっておるこの普天間問題をここら辺でやはり解決をしていく方法として、私は思い切って玄葉
大臣、
防衛大臣に、アメリカとの交渉に入れと、このことをずっと最初から言い続けて、パッケージ論は失敗しますよということもずっと言い続けてきたんです。そのとおりなっておるんです。そして、ペンタゴンがアメリカの国会に辺野古は無理だと大きな報道が流れたときに、玄葉
大臣は顔色を失って記者会見をされたことを御
自身は知っていらっしゃると思いますよ。
いろんな問題を見たときに、私はここで提案をしたい。
日米友好はこれからも続けなければいかぬだろうと。アメリカとしても、日本は本当の意味での良き隣人と思うならば、日本の言うことも聞けと。東北の大震災もある、辺野古の問題もある、辺野古で全部日米友好を崩していくのかと。沖縄百四十八万といえ
ども、これが総立ち上がりをして、小さいネズミみたいなものが巨象に、大きな象に四本の足から登っていったときに、目にも入る、耳にも入る、鼻にも入る。もっと小さいアリでもいいでしょう。それが巨象の足から登っていって、耳にもいっぱいアリが入る、目にも入る、鼻にも入っていったときに、その巨象は機能しなくなるんです、倒れるんです。そういうふうに倒していいのかと私は訴えておるんです、皆さんに。
そういうふうにしてアメリカに、誠意を持ってこれからの未来に向けての日米
関係を考えろ。アメリカは
理解できますよ。日本の近くに、皆さんが心配しておるように、中国の今の国防予算云々があるじゃないですか。良きパートナーならば、良き隣人ならば、やはり正しい意見は聞いてくれると思います。
アメリカが辺野古、辺野古と言っているのは野蛮な行為ですよ、そうでしょう。大自然を破壊するのは文明国家とは
田中正造は言わなかった。文化を破壊する、自然を破壊する、農民生活を破壊するのは文化ではないと言った、
田中正造は。私は全くそういう考え方なんですよ。
したがいまして、ここで提案というのは、生まれ付き声が大きいからもうお聞きになる皆さんも大変でしょうが、私はそういうふうに訴えて、辺野古基地は造らないという結論を出してください。そして普天間は、日本とアメリカと沖縄、日米沖縄の三者のメンツが立つような、みんなの誠意と努力によって普天間飛行場は返還が実現したと、それを記念した大きなモニュメントを建てる。そのことを藤崎駐米大使にも、私の夢を語りますと言って申し上げました。
今日は提言をいたします、提言。そういうふうにして、やはり既成概念を乗り越えたそういう必死の努力によって、日米
関係を大事にするというのか、それとも沖縄県民を国家権力が押し潰して基地を造るというのか。それはアバクロンビーさんもできないと言っている。私が今申し上げておる、小さいアリは巨象に挑むと。沖縄の人々を小さいものとして、国家権力は巨象としてなお権力を振るうと言うならば、その巨象は小さいネズミや小さいアリに倒されていくという、そういう構造がなぜ両
大臣には、
野田総理大臣にはそういうイメージとか創造力が湧かぬのですか。そして、そのための具体的な動きを両
大臣に山内
徳信は求めます。
それを検討する、そして日米交渉をきちっと進めていくと。そのときに、一番虐げられてきた沖縄県民は日本
政府にも感謝しますでしょう、アメリカ
政府にも感謝しますでしょう。そういうことをやって初めて良き隣人であって、爆音で生活環境を破壊していて良き隣人とか言ったらいかぬのです。良き隣人ならば、ちゃんとお互いに譲り合って、協力し合って、抱えておる問題を解決するということでなければいかぬのです。
そういうことで、ひとつこの提言をお聞きになるか、あるいは無視するのか、率直に申し上げれば、こういう動きが日米
関係、友好
関係を救う道になると思うんです。私はそう思うんです。そういうことができなければ、もはや日本
政府としてのやはり政治
能力も機能もないということです。
あんな小さかった琉球王国が中国とか朝鮮半島と、遠くジャワ、スマトラまでも貿易に行って富を築いたじゃないですか。あの当時、既に琉球からは北京まで留学生をどんどん送って、世界の
情報を全部琉球は集めたんです。
もう大分時間たっていますかね。それで、一言ずつ、この提言を真正面から受け止めていかれるかいかれないか、結論を伺っておきたいと思います。