○
山内徳信君 社民党・護憲連合の
山内徳信でございます。
最初に、
外務大臣に資料を提供したいと思います。後で目を通していただきたいと思いまして、お手元にこういう資料を差し上げてございます。これはニューズウイーク日本版に書かれておるものでございますが、
普天間と日本、
海兵隊をめぐる勘違いと、こういうふうに書かれておりまして、
内容は後で目を通してください。
私がずっと伺っておりますと、
外務大臣の頭の中にはもう抑止論というものがこびりついていて、そこから一歩も縦にも横にも後ろにも動こうとしない、それは外交に携わる側としては非常に危険性があると思います。そういうことを私は申し上げておきたいと思います。
そして、これでございますが、
沖縄の
海兵隊は本当に必要かという、そういう論文になっております。
是非、目を通していただきたいと思います。
前にも申し上げましたように、
沖縄の政治
状況もアメリカの政治
状況も大きく変わってきたということなんです。そういう中において、今の玄葉
大臣の、
普天間、辺野古等々のこれが唯一であるという発想に立って押し付けていこうとすると、これはえらいことになると、こういうことをずっと私は申し上げておるわけであります。したがいまして、そういう押し付けの政治はやらぬと、こうおっしゃっていても、早く
方向転換をすると、そういうことが必要ということを申し上げておきたいと思います。
それから、
沖縄担当
川端大臣にも資料の提供を申し上げます。お手元に、この新聞資料でございます。これは、昨日、
沖縄県知事の知事意見が
沖縄防衛局に
提出されております。それによりますと、どういうことかといいますと、四百四件も問題ありという
指摘がされておるわけですね。これは大変な状態ですよ。大変なことなんです。そして、これは防衛省と外務省の問題じゃないかとお
考えになっては困るから、
沖縄担当大臣にも申し上げておるわけであります。
二月に出ました
飛行場部分の知事意見書でも、二月の知事意見書でも百七十五件の問題点が
指摘されております。昨日出た公有水面埋立
事業部分に関しては三十六項目、四百四件の不備が
指摘されておるわけです。これを合わせますと五百七十九件に上るわけです。これが
川端大臣が担当されております
沖縄における最も政権としても重要な辺野古問題、
普天間問題がこれでは、こういうふうな欠陥だらけのアセス、いいかげんなアセス、不法、不当なアセスと
沖縄県民は言っておるわけであります。
したがいまして、この資料の二枚目見ますと、こういうふうに書かれておるんです。埋立て承認は困難であると。そして三番目はどういうふうになっているかといいますと、自然絶対に守ると、こういうふうになっておるんですね。
是非、後でゆっくり目を通していただきたいと思います。後ろに座っておる職員もしっかり目を通していただきたいと思います。
私は、そういうことを申し上げて、次は本当に
感謝を込めて
沖縄新法と軍転法の中身について申し上げたいと思っております。
それはどういうことかといいますと、私は終始一貫、七四年から読谷の村長をさせていただきました。そして、どういう発想かといいますと、人間の諸活動はこの大地の上でしかできぬのです。この土地が
米軍に接収されていては、例えば読谷は七三%が
米軍基地でした。嘉手納は現在も八三%が
米軍基地なんですよ。そういうその基地に接収されている自治体がどうやって本来の健全な自治体の運営ができるかというと、できぬのです。したがいまして、私は最初から、ボーローポイントという
米軍の造った
飛行場を返してくれと。陸軍の造った読谷補助飛行も返してくれと。そこは、基地の時代よりはいいね、基地よりはましだねというふうに
地域の人が思うような跡地利用をしますと。そのことが雇用の場につながると同時に、村民
所得、
県民所得の底上げになるという発想で、今から三十八年前からそういう姿勢を一貫して進めてきたんです。
今や
沖縄県も、二十一世紀、
県民所得を向上させ、
失業率を
本土の二倍あるのを、それをどんどん下げていくようにするには、やはり基地を返してもらって、その跡地利用を成功させた方が
県民、
国民のためになると。そういう二十一世紀プランに立って
内閣府
沖縄担当大臣は今回の新法を制定された、軍転法を制定された。そして、細かい質問は、与野党の今日質問された方、あるいは昨日された
方々が全部質問してありますから、私は重複した質問は今日は申し上げません。
したがいまして、基地を推し進めようとする玄葉
大臣。
川端大臣は、いやそれは違うと、
沖縄の個性豊かな、そういう県土づくりが未来に明るい展望が開けるという、そういう立場の違いがあるわけです。しかし、最終的には、玄葉
大臣は、この
沖縄新法、軍転法の精神を理解されて、そこにやはり動いてこられるということを私は信じておるんです。個人の意思でいつまでも抑止論、抑止論と言ってはおれぬのです。そういうふうな期待を込めて、私は今日は沖振法のことに入りますが、最初は
鉄道の話。
もう何度も申し上げていまして、
担当大臣は、またも
山内は
鉄道の話かとおっしゃるのかもしれませんが、ここに各党の
委員の先生方がいらっしゃる、その中で唯一
山内徳信だけが戦前の
沖縄の軽便
鉄道に乗った男なんです。したがいまして、私は、戦後初めてここに来ましたのは一九五六年、琉球大学の学生のときに鹿児島まで二十四時間船で来て、あれから木炭、煙を吸いながら、
鉄道で東京まで、これまた二十四時間、十八時間でしたかな、それでもなおこういう
鉄道が欲しいなと。こういう
鉄道が欲しいと。アメリカは、占領軍は
沖縄に
鉄道が必要じゃなかったんです。占領軍はやはりトラック、軍用トラックの走るそういう
道路が必要だったわけです。ですから、今日は
今野先生の質問の中にも、
お話の中にも、その四九年か四七年ごろのあの
鉄軌道を
米軍は中止をしたと、そういう構想あったがと、
お話ありましたね。そういうことなんです。
ところが、あれから四十年の歳月がたって、与野党立場を超えて、この沖北の中で
沖縄の抱えている問題を解決していこうという本当に熱心な、そしてこれからの展望も語りながらの質問がありました。私は涙を流しながら聞いていたんです。昨日の
田城先生も
鉄道の話を力説されていました。そして今日の
今野先生もそういうことでした。
島尻安伊子先生も、これは
是非成功したいということで、野党側の
修正案とか野党案を作ろうといって必死に頑張ってこられたんですね。そういう立場からの質問がありましたし、それを作るために川口先生も
沖縄に何度も来られたんです。そういうふうにして、それから今日は公明党の先生が読谷のチビチリガマの話をされたんです。
私が入っておるチビチリガマは、爆弾、ガマの上に二発撃ち込まれて天井岩が落ちてきたんですが、幸いその時間は、私はそのガマから別のところに移っていたんです。それで生き残ることができたんですね。そして復帰後、三十七名の骨拾いを復帰後やったんです。ああ、これが与久田重雄の頭蓋骨かなと、ああ、これが古堅宗一の頭かなと、こういうふうに抱きかかえて、長い間骨拾いもできぬで済まなかったと。それは十二トンの重機を借りてきて、地元で借りてきて、そしてみんなが力を合わせて四トンの重さのある大きな天井岩を地上に出して、その下から骨を拾ったんです。そういうふうにしてやりましたが、本当に遺骨収集の話、不発弾処理の話もございましたね。江口先生からの哲学的な
沖縄への思いと基地問題についての
お話がありました。
私は、紙先生の昨日の話、ああいう、サトウキビを植えたり担いだり製糖工場に送り込んだり、少年時代からやっていましたが、それを言葉にして紙先生は昨日おっしゃった。サトウキビは捨てるのが全くありませんと。そういうやはり言葉の説得力、活字の力といいますか、そういうのを感じました。
ウリミバエの話からイモゾウムシも、ああ、ここにいらっしゃいますか、農林省はいらっしゃいませんね。じゃ、これもうやめますが、復帰後、いち早く
沖縄からイモゾウムシとかそういうものを駆除していこうと、そうすれば、亜熱帯のその特色ある農産物が全部そのまま
本土の市場にも送り込めるというふうに
考えたからであります。
さて、
皆さん、附帯決議の二番、ちょっと
担当大臣、御覧になってくださいませ、附帯決議。(
発言する者あり)ああ、そうですか。ごめんなさい。