○小野塚
分科員 田中大臣から大変に力強い御答弁をいただきました。ここまで至りました結果を、本当に最終的な道路開通まで、ぜひ
防衛省の皆様方にもお力をいただいて進めたいと思いますので、どうかよろしくお願い申し上げます。
先ほど申し上げましたように、今回の東西連絡道路用地の返還につきましては、その返還によりまして、米軍の所沢通信基地が南北に分かれることになります。また、主要施設が道路の北側に移設することとなりますので、それを受けまして、今後は道路の南側部分の返還というのも課題になってまいります。
冒頭申し上げましたように、所沢市民の皆様の願いというのは全面返還でございます。今回の東西連絡道路用地の返還も、全面返還への第一歩にすぎないと私は
考えております。次なる第一歩は南側部分の返還となりますので、今回、三十年ぶりに米軍所沢通信基地の東西連絡道路用地の返還が実現いたしましたように、また、今
大臣から心強い、大変力強いお言葉もいただきましたので、強い政治の意思をもちまして、ぜひ、南側部分の返還に向けて、私も行動を続けてまいりますので、
防衛省におかれましても、
田中大臣、また
政務三役の皆様におかれましても、引き続き御指導をまたいただきまして、交渉を続けていくことを強く望みたい次第でございます。
大臣、うなずいていただきましたので、ぜひよろしくお願い申し上げます。
続きまして、
防衛医科大学校及び同附属病院に関して伺いたいと思います。
冒頭、私の問題意識を申し上げます。
防衛医大病院は、設立されたのが一九七七年、昭和五十二年でございます。当時、私は五歳でございましたが、まばゆいばかりのすばらしい病院でありました。しかし、以来三十五年たちまして、組織として、またシステムとして、人、物、金、さまざまな点で現在ほころびが出てきているように私は見えます。
合計いたしますと
年間で約二百億円とも言われているお金が
防衛医大、
防衛医大病院につぎ込まれているわけでございますが、この立派な施設を保有している
防衛医大及びこの病院を、本来の目的に近づけ、再びかつてのように輝きを持つ組織にしなければならない、その問題意識で
質問をさせていただきます。
私が議員とさせていただいてからも、
一つ一つ改善は進んできております。
平成二十二年四月には新病棟が開設され、外来診察室及び病室面積の拡大、個室の増加などによって患者の療養環境は改善してまいりました。また、
平成二十二年の補正
予算におきましては、新たに最新の医療器具二十六種類、四億二千七百四十九万円分が病院に納入もされました。
さらに、
防衛医大病院の看護体制の強化を目的といたしまして、従来三年制の高等看護学院から、
防衛医大の中に四年制の看護学科を新設しまして、人員もふやすという法案が提出されております。ちなみに、現在の高等看護学院とは違いまして、看護学科を御卒業された方は、四
年間の一・五倍の期間に当たります六
年間を医官の方と同じように自衛隊員として勤務していただく形、
防衛医大の病院などに勤務していただく形となりますので、このような形でも看護体制が変わってくる、改善されてくるものと思います。
残念ながら、この法案、衆議院では
民主党及び公明党さんの賛成によりまして一旦は可決をされましたが、参議院では
審議をさせていただけていない状態でございます。ぜひとも自民党さんにも御
協力を賜りまして、法案を成立させていただいて、
防衛医大病院の看護体制の強化を実現したいところでございます。
このように、
防衛医大病院は改善に向けて徐々には進んでおりますが、本日は、
防衛医大、
防衛医大附属病院が、本来の目的に照らし、さらによき組織となるために
議論を行いたいと存じます。
防衛医大自体は、医師である幹部自衛官の養成や自衛隊の医官の教育訓練を目的に、一九七四年、昭和四十九年に開設された、まさに我が国唯一の組織でございます。
自衛隊法上、自衛隊は、国防を主たる任務とし、必要に応じ、
公共の秩序の維持に当たるものとされています。この主たる任務に該当するのが自衛隊の
防衛出動であり、
公共の秩序に関する活動として治安出動、災害派遣などが位置づけられておりますが、今度の日曜日で東日本大震災から一年がたちます。
主要任務の
一つであります災害派遣に関連してでございますが、大震災の際、
防衛医大の対応はどのようなことが行われていたのでしょうか。確認させていただければと思います。