○石破
委員 私は、
森本大臣の人選に問題があると申し上げているわけではありません。憲法第六十八条の趣旨は何ですかということをお尋ねしたのであって、
森本さんがだめだとかそんなことを言っているつもりはありません。
六十八条に過半数と言ってあるのはどういう
意味かといえば、教科書的には、議院
内閣制の趣旨を徹底させるためだということです。むしろ本来は全員が国
会議員であるべきである、しかしながら、国
会議員にその人材が見つからない場合に、例外的に民間人を登用することを許容した規定である、これが教科書的解説であり、通説的見解です。つまり、先ほど、同じ議院
内閣制をとるイギリスが、
防衛大臣に限りません、何でみんな国
会議員なんだろうかということを考えたときに、それは議院
内閣制の本旨ということのはずです。
そして、木村篤太郎さんを除いて、あるいは防衛庁長官、あるいは
防衛大臣の政務三役が何で国
会議員だったんだろうかということを私はずっと考えてきました。なぜそれでなければならなかったのだろう。憲法には何の規定もない。
総理おっしゃるように、形式的には何の問題もありません。
ですけれども、何で不文律的にそうだったのだろうかということを考えたときに、文民統制というからには、統制する主体と統制される客体が存在しますね。客体というのは事務次官、統幕長以下の自衛隊です。主体は誰というと、突き詰めれば国民なんですね。突き詰めれば国民。国
会議員は、憲法によって国民全体の代表者であります。それはどういうことなのかというと、常にその正統性において国民から選挙されているということがある。
総理おっしゃいますように、最高指揮官は
内閣総理大臣です。しかし、そこは、
内閣総理大臣個人というよりも、あの条文には
内閣を代表してということになっています。ですから、ここは日本の防衛法制の
一つの問題で、例えば、ある閣僚が私はそんなことには
反対ですということになると、
内閣としての意思決定はできないんですね、
内閣を代表していますから。そうすると、迅速な意思決定ができるのかという根源的な問題はございますが、
内閣を代表してということです。
では、誰が指揮権を持っているか。つまり、こういう状況が起こった、北朝鮮からミサイルが飛ぶかもしれない、どこにどのイージスを出すか、どこにどのAWACSを飛ばすか、そういうことまで事細かに
内閣全体が指揮権を行使するわけではありません。
自衛官というのは何なのかといえば、事に臨んでは危険を顧みずと誓う、
総理が一番御存じでしょう、この国でたった
一つの集団です。みんな命をかけるんです。なぜ不文律的にそうであったかといえば、そこに正統性があるからであり、間違えれば選挙で議席を失うからです。
今まで何人も防衛庁長官をやめました。でも、それは、
飛行機がぶつかった、潜水艦がぶつかった、
事故です。オペレーションに対して責任を負うということは今までありませんでした。誰がオペレーションに対して責任を負うかということはきちんと詰めなければいけないことだという問題意識を持っています。
その上で、先ほど申し上げたように、余人をもってかえがたい、国
会議員の中にいないということで
森本大臣を任命されたということは、私は是といたします。しかし、そういう問題が根底にはあるのだ、知っている民間人の方が知らない国
会議員よりもいい、そういう簡単な問題ではないのだという問題意識を私が持っていることだけ申し上げておきます。
それでは、お尋ねをいたしましょう。
森本大臣に承りたいと存じます。
まず、
沖縄の問題から参ります。
私は、今までの議論の中で、自分に対する反省も込めて申し上げれば、軍事合理性というものがほとんど語られることがなかったというのが日本の防衛議論のすごく不幸なことであったと思っています。
森本大臣のキーワードの
一つは、私は、軍事的合理性と政治的要求の調和をいかに保つかということが
森本大臣の
一つのキーワードだと思っています。
フルセットそろったとするならば、すなわち、ヘリ基地だけではなくて、そのほかの訓練場あるいは司令部、補給地、そういうものがフルセットそろったとするならば、絶対に
沖縄でなければならないという軍事的合理性はないと以前論じておられました。
私は、
沖縄問題の本質は、日本が本来やるべきこと、日本ができることを
アメリカにやらせていないか、本土でできることを
沖縄に押しつけていないかということの議論を突き詰めることなしにただただ
沖縄を説得しますとだけ言っても、それは絶対前に進まないと思っています。
軍事的合理性ということを考えたときに、フルセットそろえば
沖縄でなくてはならないという軍事的合理性はないというかつての見解について、
森本大臣、どのようにお考えですか。