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服部委員 社民党の
服部良一です。
日本国憲法第三章につきまして意見を表明いたします。
社民党としては、本章についても
明文改憲の必要はないと
考えております。
日本国憲法の
権利、自由に関する諸
規定は先駆的なものであると評価できます。しかし、現実には、これらの
憲法上の
権利、自由が、
法律やさまざまな場面において十分に
保護、
保障されておりません。むしろ侵害され、足元から切り崩されていることこそが問題です。格差、貧困、これはまさに
幸福追求権、生存権が侵されている象徴です。
第二十五条の生存権、すなわち健康で文化的な
最低限度の生活とは何かということは、生活
保護等との
関係で常に問われてきました。生活
保護が二百万人を超え、過去最高を更新する一方で、生保バッシングや、自助、自己
責任を強調する風潮も見られます。これは余りに安易な、強者、持てる者の目線だと言わざるを得ません。
貧困は人生におけるさまざまな機会を奪うものであり、
子供の貧困が問題となっているように、
世代間で再生産されています。
同時に、問題を経済的な側面だけで捉えることもできません。幸福度が最近注目されています。また、その裏返しとして
社会的排除ということがキーワードになっております。つまり、人としての
尊厳、自尊心、あるいは人とのつながり、
社会的な居場所、そういったものが得られているのかどうか、それが大事です。
そういった
観点から、ナショナルミニマムの再定義、それを踏まえた制度、政策の強化、再構築が喫緊の
課題です。
憲法第十三条や第二十五条を改めて見てみますと、まさにそういうものとして
幸福追求権や生存権がある。これらの
権利の
実現、すなわち
憲法理念の徹底、普遍化こそ政治の
責任ではないでしょうか。
先ほど申し上げたように、自己
責任論が横行する一方、苦境から抜け出したくても抜け出せない、最初から機会が閉ざされているといった今日の
社会の現実を直視することが求められます。構造的な差別やゆがみ、経済的、
社会的な不平等、不公正をいかに正していくかが最も重要です。自由競争至上主義の弱肉強食でいいのか、スタート時点で有利不利が決まってしまう
社会、足を滑らせたら真っ逆さまの滑り台
社会でいいのか。
日本国憲法の目指す
社会はそうではありません。
憲法第十四条に高らかにうたわれている平等が、形式としてだけでなく実質的に
実現する差別のない
社会を築く決意を新たにしたいと思います。
また、
国民の
義務規定をふやしたり、
家族、
家庭の
尊重といった徳
目的な
規定を設けたりすることには反対です。
日本国憲法は、人々が、圧制、恐怖、欠乏からの自由を獲得してきた歴史を体現しています。時計の針を逆に戻してはなりません。
国家優先、家
社会優先がいかに抑圧的であったか、過ちを招いてきたか、その反省を真摯に受けとめる必要があります。
同時に、
憲法第二十条の
政教分離原則については、戦争や
国家神道によって国
内外で
人権と平和が侵害された歴史とその
責任を真摯に受けとめ、厳格な
政教分離を求めるものとして
解釈適用されるべきです。過去の戦争を肯定、美化し、再び戦争への道を開くことも決して許してはなりません。
一方で、
環境権、知る
権利、
プライバシー権といった新しい
権利が
日本国憲法にないではないかという
議論があります。果たしてそうでしょうか。
これらの
権利は、
日本国憲法が包括的に
保障している市民的、政治的自由、経済的、
社会的、文化的
権利の構成要素として、当然に
日本国憲法の精神に内包されています。
日本国憲法は先進的で深遠なものであると私は思います。新しい
権利の確立を妨げているのは、
憲法そのものではなく、
憲法上の
権利を限定的に
解釈し、適用範囲を狭めた
法律であり判例であり、政策や実践です。
例えば、知る
権利については、いわゆる外交密約問題のように、
国民の
権利、自由にかかわる重大な情報を秘密として為政者によって隠されてきた過去を厳しく糾弾し、真実を徹底的に明らかにすべきです。新しい
権利を先駆的に
根拠づけている
憲法理念の可能性を十全に花開かせることこそ、大きな
課題であると強調したいと思います。
さらに、日本は国際
人権条約の批准や留保撤回という面で多くの
課題を抱えております。
例えば、
人権状況の改善に資するとして期待が高い
個人通報制度を日本はまだ導入しておりません。死刑廃止が世界の潮流であるにもかかわらず、日本は死刑廃止条約を批准しておりません。
国際
人権分野において歩みが遅い
背景には、
憲法解釈の狭さや
法律整備などの問題もありますが、何より、明確な政治的意思を持って進めていく姿勢が求められています。世界の範たる包括性を持った
憲法を持つ日本こそ、国際
人権法の普遍的適用の先頭に立つべきではないでしょうか。
最後に、
憲法上の
権利、自由が危機にさらされていることこそ、今私たちが直面している大きな
課題であると改めて警鐘を鳴らしたいと思います。
思想、良心、言論、
表現の自由は、特に九〇年代後半以降、盗聴法、国旗・国歌法などの
立法措置を含むさまざまな動きによって脅かされています。直近では、秘密保全法案や
暴力団対策法改正法案に対して懸念が高まっています。一方、大阪では、
教育基本条例、職員基本条例、市職員アンケートなど、
憲法違反と
解釈される動きが強まっており、私は質問主意書で
見解を問いましたが、内閣は違憲性の判断を示すことを避けました。
また、今
国会で成立した新型インフルエンザ対策法に盛り込まれた行動制限や、東日本大震災を受けて
議論がされている災害時の私権制限の問題も、一見もっともらしい理由で
個人の
権利、自由を奪おうとするものです。
沖縄では、差別的な日米地位協定や駐留軍用地特別措置法によって
人権や
財産権すらもじゅうりんされてきました。
日本国憲法の理念、
条文を再認識し、決して空洞化、空文化されてはならないということを強調して、私の意見表明といたします。