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石原参考人 皆さんこんにちは。石原でございます。
時間が限られておりますので、後に質問があるそうでありますが、言い足りないことは多々あると思いますけれども、たまたま、昨日ほど出版されました文芸春秋本誌に、私は割と長い論文を書きまして、
尖閣諸島と私の個人的なかかわりも含めて述べておりますので、足りないところがあったら御参考にぜひ御一読願いたいと思います。
事は、沖縄返還にまさにかかわっておりまして、沖縄返還交渉のときに、佐藤総理は、いかなる国
会議員の随伴も許さなかったんですが、なぜか私と竹下登さん、参議院から私、竹下登さんが衆議院から一人、どこか外国を経由してワシントンで落ち合えということで、正式なメンバーではありませんが、間近で推移というものを傍聴しておりました。
たまたまそのときに、外務省の役人が条約の正文をつくるときに、沖縄県というのは、海上の突起物、無人の大きな
岩礁もありますが、これも非常に大事でありまして、そういったものを一々条約に明記するのは非常に煩雑、大変なんだということをぼやいておりまして、私はそのときに、私が年じゅう行っております、多いときは太平洋を渡ってきましたが、そういういわゆるビッグオーシャンでのヨットレースで、
海上保安庁に私
たちは定時にロールコールをして自分の船の位置を
報告します。それで全体のレースの動向というものを保安庁は保持するわけでありますけれども、それと同じように、全ての突起物というものを記述するのは大変だろうから、それが全部入る線を引いたらいい、北緯何度何分何秒、東経何度何分何秒というポイントをたしか七つか八つ指定しまして、それを結んだ線から南に入る突起物は全て、つまり沖縄県としてアメリカは返還する、そういう条文にしたんです。明らかにその中に
尖閣諸島は入っております。
ですが、面妖なことに、この問題に対して、シナや台湾は、事前になってあそこは自分
たちの
領土であるということを言い出して、特に厄介だったのは、
日本と比較的、心理的には友好関係にあった台湾が
領土の
主張をし出した。
ということは、その原因は、あそこの
近海での
漁業操業にありまして、アメリカはあの尖閣その他を爆撃演習のターゲットに使うことには
関心がありましたが、その周辺の
漁業については全く無
関心でして、爆撃の実施の日にちを布告することで
漁船はその危険を感じて退去しますが、その他のときはあそこの操業は野方図にさせた。
先ほど講師からも指摘がありましたが、非常に豊穣な漁場で、台湾や特にシナの漁民にとっては、これは大変な収穫なんです。それに味をしめて、彼らは一種の
漁業の既得権をさらに拡大解釈して
領土権というようなばかなことを言い出しましたが、彼らがもともとあの
領土がシナのものであり、台湾であるというなら、何で要するに自分
たちの
領土を爆撃演習のターゲットに使うなという抗議をしなかったんですか。
その後も延々問題がありまして、
日本は、非常に面倒くさいので、ハーグの国際裁判所にこの問題を提訴して事を決着しようじゃないか。竹島もそうでありますけれども、これは、原告側が幾ら
出席しても、被告である相手側が出てこなかったら裁判にならないんだ。
アメリカも非常に微妙な言い方で、何に遠慮したか知りませんが、とにかく、我々が返還したのは
領土じゃなしに沖縄県の施政権であるという微妙な言い方をして、結局、いいかげんにふたをされたんですけれども、いずれにしろ尖閣は、沖縄返還の条約の中の、あのトリーティーの中の、八つか九つの線を結んだ中に入る歴然とした
日本の
領土であります。
シナが今日に至って、あれは核心的な国益であるとかなんとか言っているけれども、彼らの国境線の版図というのはだんだん政権によって変わってきまして、かつては彼らの版図というのは万里の長城より以南、以西だったんでしょう。ところが、今日では、内モンゴルも外モンゴルもそうだと言い出して、外モンゴルは一応
独立を得ていますけれども、内モンゴルは併合され、かわいそうなのはチベットですよ。
私はダライ・ラマと親友ですけれども、とにかく、彼が
日本にやってきても、政治行動するなということで外務省が茶々を入れて、ろくに彼に会うことができない。そして、チベットは結局、要するに、民族の改良までされて、本当の純粋のチベット人はインドに逃げて、あそこに臨時政権をつくっていますけれども。
私
たちは、やはりこういう事例というものを考えて、シナのわけのわからぬ覇権主義というものをマークしなくちゃいけないです。
とにかく、ことしの二月ですか三月ですか、人民日報というのはどれほど権威があるか知らないが、一応向こうの代表的な新聞で、政府の代弁者でしょう。これが、とにかく、尖閣は核心的な
中国の利益である、それから、
日本の
実効支配を我々が破壊するためにもっと果敢な行動に出る、それで、そのための機材も準備するとちゃんと宣言したじゃないですか。
これは、いよいよおまえの家に強盗に入るぞということを宣言したんです。しばしば家を侵されて、物をかっぱらわれて、今度は強盗に入ってそっくりそのまま頂戴すると言われて戸締まりをしない国というのは私は間が抜けていると思いますな。
私は、昨年ですか、たまたまかかわりもあるものですから、元自民党議員だったので、自民党の今の総裁の谷垣君に、とにかく国政
調査権というのがあるんだから、石垣の市
会議員諸君が行こうと思ってもこれはなかなか国はリラクタントでしょうけれども、国
会議員が国政
調査に行くんだから、君は、恐らく民主党にも同好の士がたくさんいると思うし、超党派でグループをつくって、あの石垣に国政
調査権ということで上陸して滞在したらどうだと言ったら、ああ、結構ですな、わかりました、考えましょうと言ったんだ。
返事が来ないので、どうしたと言ったら、
理事会にかける、
委員会の。そんなところにかけなくたって、国政
調査権でそれを宣言していけば通ることじゃないですかと。いや、一応
委員会にかけたらスムーズにいきますからと、
委員会にかけたそうですよ。それで
理事会にも通ったそうですよ。
半年たっても全然行動がないので、一体何をしているんだと言ったら、国
会議員の諸君が、自民党、民主党が、超党派の議員諸君が国政
調査権で尖閣に上陸して
調査しようと言ったら、国がストップをかけた。どうやってストップをかけたんだと言ったら、足がない。その足を提供するのは保安庁でしょう。その保安庁が船を出さないと言ったと。
これは面妖な話ですな。私、その
報告を谷垣君から聞いてびっくりしたんですが、何で君、それを問題にしないんだ、国会で。国
会議員が国政
調査権を
国家のために、国民のためにしようとしている、その行動を、その足を阻害することで、保安庁が反対することで、いや、政府が反対することで保安庁を潰したわけでしょう。だったら、
東京都はたくさん船を持っていますから、いつでも提供しますよ。皆さん、有志が行ってください、
東京の船を提供しますから。行ってくださいよ。国
会議員が行ってくださいよ、あの国に。
そして、さっきの話の続きだけれども、私がもういささか国会に愛想を尽かしてやめた後、おもしろいことが起こった。不愉快なことが起こった。
香港の活動家と称する一部の連中がおる。これは明らかに特殊部隊でありまして、アメリカのDIAなんかちゃんと把握しています。その連中があそこに上がって、あそこにシナの旗を立てた。保安庁が慌てて行って追っ払ったら、一人が逃げ損なって船のロープに引きずられて溺死した。自業自得でしょうけれども、向こうは大騒ぎになった。片っ方で、沖縄でアメリカの黒人の海兵隊員が小学校の五年生の女の子を輪姦して家をめちゃめちゃにした。それは沖縄の人は激怒するでしょう。一方では尖閣でそういう問題が起こった。
そして、あれはワシントン・ポストでしたか、ニューヨーク・タイムズでしたかな、アメリカの有力な新聞の
日本の特派員が、時のモンデールという大使に、あそこでこれ以上ホットフラッシュ、
紛争が激しくなったら、結果として日米安保は発動するんですかと言ったときに、モンデールは言下にノーと言った。その理由は、尖閣は台湾と同じように、台湾と同じようにですよ、日米安保の防衛の
対象に入っていない。
これは全く無知蒙昧な話で、そんなことを大使が明言するのは非常に危ない話ですから、私は議員をやめていましたけれども、自分の担当しているコラムでこれを書きました。こんな人間が
日本の大使を務めている限り、危なくて私
たちはアメリカの関係と一緒に行動もできない、信用するわけにいかない、こんな大使を許しておいていいのかと言ったら、あのときはクリントンの民主党政権でしたけれども、共和党の友人の議員
たちや学術スタッフ含めて、ああいう要するにシンクタンクは、石原の言うとおりじゃないか、こんなことを言わせておいて、日米関係が危なくなるぞと言って、モンデールは五日後に更迭されましたよ。
その五日前に、私は多分
日本の議員で一人だけ外人記者クラブのメンバーだから、あそこへ、ケント・カルダーという、アメリカの大使に初めて補佐官ができた、そのケント・カルダーが
日本にやってきて記者クラブで講演をしたので、私も聞きに行きました。その後、アメリカ人の記者が、あなたの任期は何年ぐらいですかと聞いたら、ケント・カルダーが、私はモンデールさんがいる限りはずっとおりますから、多分二、三年はいるでしょうと言ったんだけれども、その五日後、首になった。
それからこの
日本に、この大事な大事な
日本に、アメリカは大事かどうか知らぬが、一年半アメリカの大使は来なかった。フォーリーは来なかったんだ。そして、まあ何とか一年半おくれて大使がやってきましたが。
これも実は面妖な話で、私もワシントンに議員や軍事に非常に詳しい親しい友達もいますが、彼らから、特に向こうの新聞記者や
情報通は、私が怒りっぽいものだから、嫌な話をすると、おもしろいもので私にいろいろな話をしてくるけれども、ワシントンのコンフィデンシャルな実態というと、
日本の外務省は何と言うか。
東京ブランチと言っていますよ。
日本の外務省が
東京ブランチですよ、
東京支店ですよ。
皆さん知っているだろうけれども、私
たちは反対したんだが、毎年毎年、年次改革要望書というのがアメリカから来る。読んだことありますか、皆さん。毎年来ているんだよ。
日本からは送ったことがない。アメリカのめかけのままでずっと
日本は来たわけだ。そのアメリカさんも頼りなくなってきて、尖閣がこういうふうになったときに、一体誰がこの島を守るんですか。政府にやってもらいたいよ。
東京がやるのは筋違いだという。筋違いだよ、これは。筋違いだけれども、やらざるを得ないじゃないですか。自分
たちの大事な家に強盗に入るぞと宣言されていながら戸締まりもしない国というのは世界じゅうどこにあるんですか。
だから
東京はあえてああいうアナウンスをして、これに応える国民が、きょうの時点で寄附金がもう十一億を超えましたよ。これはありがたい。
日本人はまだ捨てたものじゃないと私は思いますね。中には、私ら貧乏で、家族三人で、とにかく貧乏だけれども一人一万円ずつ三万円を送りましたという人がある。あるいは、ある田舎のおばさんは、私のところは村で不便で、
東京に行っているみずほ銀行がないから、一時間バスに乗って町まで出かけてみずほに入れましたけれども、田舎の仲間でもたくさんそういう人がいますから、どうかその人
たちの便宜のためにゆうちょに口座を設けてくださいということで、これは設けました。
そういう国民の意思というものを、何で歴代の政府は無視してきたんですか。原因は外務省でしょう。
しかし、外務省だけに責任をなすりつけるわけにはいかない。石垣市の市長さんもいらっしゃるけれども、あの不法な衝突をあえて行った。保安庁の船は穴があいて、引っ込んだ。相手の船は船首の装甲が厚いから、突っ込んできて、かすり傷を受けただけ。この船長を捕まえて、即時釈放でしょう。誰が釈放したんですか。沖縄県の地検の検事、冗談じゃない。では、その検事を、皆さん、ここへ呼びなさいよ。誰がやらせたかよく考えれば、当然外務省でしょう。
何をやったかといったら、それは市長さんはよくわかっているけれども、石垣の空港を夜中の三時にあけさせて、あの船長を向こうのある高官が特別機を仕立てて迎えに来て、空港の使用料を一文も払わずに連れて帰って英雄扱い。こんなばかな目にさらされる国がどこにあるんですか。あなた方の責任だよ。過去の自民党の責任だよ。政府の責任は国会の責任ですよ。しっかりしてもらいたい、私は、本当に。
声を大きくして言いたいけれども、本当にどなりたくなる。だから、
東京があえてしなくてもいい筋違いのことをしているんですよ。本当は国がやるべきですよ、こんなこと。相手の財政事情もあるでしょう、そんなものしんしゃくして、売買の話をしたらいいと思う。
とにかく外務省というのは、私は、このことでも驚いたんだけれども、あそこの島に最初に灯台をつくったのは、私
たち青嵐会です。それで、学生を使って非常に粗末な灯台をつくった。ポールを立てて、その上に裸の電球つって傘をかけて、夜だけバッテリーをつないで明かりをつける。それでも随分漁民に感謝されたんだ。その後、それを聞いて
日本青年社が、お金を持っているから立派な灯台をつくってくれた。感謝しました。
私も運輸省にいましたから、運輸省の水路部に、これをちゃんと調べて、正式な灯台として海図に載せるために注文があるなら出してくれと言ったら、二点指摘されて、彼らはちゃんとそれに従って立派な灯台をつくってくれた。
あれは非常に峻険な地形のところですから、疲労こんぱいして、中で、青年社の社員の一人は、恐らくあれは石垣か何かの支部長だったけれども、死亡しましたよ、疲労で。
それで、つくった灯台を、注文に応じて直すところを直して、正式に海図に載せてくださいと言ったら、待ったがかかった。どこから待ったがかかったかといったら、外務省だ。時期尚早と。何で時期尚早なんですか。正式につくった、運輸省の水路部がちゃんと認可して、これでいいと言った灯台を、何で時期尚早で海図に記載させないんですか。
これは非常に危険なんだ。私は世界じゅうの海で荒天の中でもヨットレースをやってきた人間だから、そういうときには頼りになるのは、要するに、このごろみたいにGPSが発達していなかったから、灯台なんですよ。その灯台を目安に自分のポジションをはかる。それを無視して、灯台というものがちゃんとありながら、それを海図に記載しないということは生命の危険につながるんだということを外務省に言ったら、全然無視されて、二十年間近く、とにかく灯台は記載されていなかった。
私の息子が国交大臣になったときに、厳に言いまして、命がけでやれよと言ったら、時の小泉総理も、小泉君も、結構だ、やろうじゃないかということで、これは記載されて、初めて海図に載ったんだ。私は、それを本当にうんざりしたまま見たんだけれども。
たまたま横田の返還問題でアメリカに行ったときに、九・一一の前日でしたな、くしくも。ウォルフォビッツ国防副長官ですか、あいつに会ったときに、昔からちょっと知っているので、どうも外務省が横田の問題でなかなかリラクタントで動かないので愚痴を言ったら、
情報が全然通じていない。それで、ウォルフォビッツにその話を愚痴まじりに言ったら、彼もちっちゃな船をやるんですな。石原さん、それは危ないんじゃないですかね、光っている灯台が海図に載っていなかったら、かえって危険でしょうと。まさにそのとおりだと言ったんだけれども、依然として動かずに、やっと、息子が国交大臣になったときに、
日本国の保安庁これをつくるというプレートを張りましたね。これはどういう神経なんですか。
私が運輸大臣のときに、こういう事例があった。あるとき保安庁の救難部長が顔色を変えて私の部屋へ来た。とんでもないことが起こりましたと。何があったと言ったら、本にも書いてあるけれども、保安庁の船が、要するに遠くから帰って
日本の
領海に入ってきたら、突然、船から五百メートル離れたところへ水柱が上がった。大砲の弾が飛んできた。何だろうと思っていたら、遠くにアメリカの軍艦が見えた。あいつが撃ったんだなと思ってよく見たら、水柱が上がった近くに
日本の遊
漁船が四隻いた。
これはとんでもない危険な話で、帰ってきて、
領海内で実弾の要するに射撃演習するなんてとんでもない、協定違反ですから、抗議をしてくれと言ったら、こう言われました。そんなことは沖縄で年じゅうあることじゃないか、一々何でそれを問題にするんだというのが官邸の意向だよと言われた。救難部長は困惑して帰ってきた。
だから、私は言ったんだ。官邸の意向というのは総理大臣か官房長官の二人の意向だ、どっちか聞いてこい。言ったのが竹下総理だったら、おれは辞表を書いてやめる、記者会見してやめる。言ったのが小渕だったら、私、小渕と非常に親しかったけれども、小渕君をとっつかまえて非難して、竹下さんにあんな官房長官、やめなさいと言うけれども、どっちか聞いてこい。
答えるわけがない。その間、私は小渕に電話したら、小渕がかんかんになって怒って、とにかくすぐ外務大臣に電話した。外務大臣の宇野宗佑さんはかんかんになって怒って、当事者を呼んで、きさまら木っ端役人、何をばかなことをするんだと言って、すぐ抗議した。
外務省に抗議したって、いつまでかかるかわからぬから、私はある人を通じて、アーミテージに電話して、とにかくこの人間を処分しろと言ったら、わかった、必ずしますと言って、首にしましたよ。一日おくれて、その
報告に来たときに、アーミテージが、石原さん、首にしたけれども、これでこらえてやってください、あいつはあいつでよく事情があったんですよと。何だと言ったら、あれは実はギリシャ系のアメリカ人で、たまたまギリシャ系の大統領候補のデュカキスがレーガンに惨敗して、とにかく頭へきたんでしょうと言うから、そんなの言いわけにならぬわなということで笑って終わったんですが。
私、時間が来たからやめますが、質問があったら言いますけれども。
最後、大事なことを言われたんです。要するに、
中間線の問題。
これは、過去に社会党のばかが余計なことを言って、大変苦しい思いをしたんです。社会党はどこにいる。いないだろうけれども、今ごろ。
貝殻島近くで、要するに、
日本の
漁船が操業する。あそこは非常に
海流が激しくて、浅瀬が多くて危ないんだ。何か
日本の社会党のばか議員がモスクワに行って、北方四島の話のついでに、あそこの海峡、とても危ないので、貝殻島に灯台があったら助かるんですけれどもねと言ったら、ああ、すぐつくります、ロシアはつくっちゃったんだ。途端に、貝殻島はロシアの
領土になって、貝殻島から納沙布岬の間に
中間線が引かれたんだ。だから
日本の
漁船の操業区域というのがぐっと縮められたんです。
こういうことはやはり、過去に忌まわしい事例としてあった。変な形で
領土が侵食されますと、その先に
中間線を設けられたら
日本はとんでもない国益を失うことになる。これはひとつ、皆さん、銘記して、この問題を考えていただきたい。
よろしくお願いします。頼りにしていますよ、国会を。(拍手)