○丸山和也君 それぞれが立場でしっかりやるということは当然
大臣おっしゃったとおりと思いますけれども、それがそういう交流によってゆがめられたり十分に発揮できなくなることがあるんじゃないかという観点から申しましたんで、
是非、将来に向けて、批判的観点から検討をしていただきたいと思います。
時間が
余りありませんので、次にいわゆる
指揮権発動という問題についてお聞きしたいと思うんですけれども、なぜこれを私が取り上げるかというと、前の
委員会でも若干言ったんですけれども、いわゆる昨年の中国漁船船長
釈放事件というのがございました。それで、あれについて、いわゆるマスコミ、それから識者、いろんな
法律家も含めて、あるいは実際に、官邸側が政治介入、いわゆる裏
指揮権発動によって那覇地検をして
釈放せしめたんだと、もうそれ以外あり得ないという世論が沸騰していたわけでありますけれども、もちろん政府なりはそういうことはないと。検察庁の独自の
判断であって、それを聞いて当時の官房長官はそれを了としたと、こういうことをおっしゃっているんですけど、まあどう見たってあれはうまく取り繕ったというか、下手に取り繕っておるんですけど、格好を付けたとしか思えないと思うんですね。
しかし、そういう当時の熱い政治的沸騰、熱は一応別にしても、やっぱり
指揮権の発動というのは大きな法治国家の根幹にかかわる問題であって、そういうことが疑われたということ自体が既に大きな問題を提起していると思うんですね、
在り方として。だから、こういう点については、前にも申しましたけど、
是非やっぱり我が
委員会というのは根本的に重大な問題だという意識を持って取り組む必要があると思って私は孤軍奮闘しているんでありますけれども。
大臣、
指揮権発動というのは、昭和何年でしたかね、一九五四年ですか、造船疑獄
事件、もちろんよく御存じだと思うんですけれども、このときに戦後初めて、現在まで初めてですけれども公式に
指揮権が発動されまして、当時の自由党佐藤栄作幹事長の逮捕をストップさせたと。犬養健法相でしたかね、
法務大臣が
検事総長を指揮して逮捕を止めたと。それで、当日、
大臣は
辞任したと。その一か月後でしたかね、吉田
内閣もこれも一つの理由になって総辞職をしたという、こういう経過があるんですけれども。
やっぱり
司法とですね、政治の介入というものは、この
事件だけじゃなくてもっと大きな、我々は
歴史で
勉強したんですけれども、大津
事件というのがございましたね。これは戦前の
事件ですけれども、一八九一年、明治二十四年ですよ。当時のロシア帝国の皇太子ニコライ二世が大津の方に来たときに、津田三蔵という、警察官でしたかね、これが刃物で切り付けたという
事件がありまして、これはもう御存じで言うことないんですけど、このときにやっぱり当時の政治は、あれはいわゆる日本の皇室に対する
犯罪として旧刑法百十六条で
死刑にすべきだという、盛んに、
裁判官の中でもそういう
意見を述べていた人がいたようですけれども、すごい圧力が掛かったんですけれども、児島大審院判事ですか、大審院長は、いわゆるこれは、この規定というのは日本の皇族に対する罪を定めたものであって、外国の皇族、皇族と言うかどうかは別にして、外国の皇太子とかそういうのは含まれないんだ、あくまで日本の皇族に対するものであって、一般刑法でしかこれは処罰できないと、幾ら政治が
死刑にしろと言っても、やっぱり一般刑法だということで無期懲役にしたんですよね。
これはやはり当時も、ロシアの皇太子に傷つけたような、そういうことをした以上はロシアが何するかも分からないと。外交上の問題なんですよ、まさに。どんな、戦争になるかも分からないと。国益を配慮した場合は津田三蔵は
死刑にすべきだというすごい圧力があった。伊藤博文なんかもそう言っていますよ。すごいそういう政治的介入があったんですよ。もう公然とあった。でも、当時の大審院長は、やっぱり
法律は
法律だと、政治の介入は排除したということで、これは
司法の独立を守ったということで、いまだに語り継がれている。我々も
司法試験を
勉強するときにもこういうことも背景として
勉強しましたけれども、そういう
事件御存じだと思うんですけれども。
それに比べ、昨年の尖閣諸島の
事件、まさに国益が絡んだ、一つの国益、中国がどんなに、例えば日本人を拘束した、あるいはレアアースメタルは、レアアースですか、ストップしたとか、あるいは暴発するかも分からないと、こういう一触即発の似たような
状況が起こりました。そのときに、事もあろうに、
法律に従って粛々とやるべき立場の
検察官がですよ、起訴独占主義を持っている、
国際情勢を
判断して
釈放するなんてことはあり得ないことですよ。
検察官も頭が狂ったとしか思われない、もしそうだとしたらですよ。
したがって、あの苦渋の会見を見ていても、これはもうマスコミ全てが、九九・九%のマスコミがこれはおかしいと。やっぱり政治的介入を疑わせる、もう断定しているような新聞もございましたけれども、まさに政治の介入によって
司法が、
司法の一環ですよね、検察というのは。
司法が自ら、どれほど強い圧力だったかは分かりませんけれども、当時に比べればはるかに弱い圧力だと思いますよ。
司法が自ら自分の尊厳をかなぐり捨てて、政治
判断というか政治に妥協して
釈放してしまったと、こういうことは
歴史的に見るとほっとけないことだと僕は思うんですよ。
それは、あの船長の
釈放が良かった悪かった、これは政治的
判断で、僕はいろいろあっていいと思うんですよ。
釈放するなら
釈放する。ただ、
手続としては、骨格をやっぱり踏み違えてはいけないと。こういうことをやり出すと国の本当の営々と築いてきた三権、法治国家、この骨格がいいかげんになるというか、やっぱりゆがんでくると思うんですよね。そこが僕一番気にしている点ですよ。
指揮権がどうだと、発動するのはこういう理由で発動すると、日中関係、アジアの安全
考えたら、こういう戦争、幾ら相手が不法であっても戦争は避けなきゃならぬという
判断で
指揮権を発動したというなら、あとは政治的評価の問題ですから、
国会なり世論でその当否を
判断すればいいと思うんですけれども、ややこそくに、非常にこそくにそういう政治的なプレッシャーの中で
司法自らが政治に歩み寄って妥協したと思わざるを得ないんです。
この点について、私は前回も取り上げたんですけれども、当時の
内閣官房参与、そのときは参与じゃなかったんだけれども、直後に参与になられた松本健一さんが今年の九月二十六日の産経新聞で克明にそのやり取りをインタビューに答えられている。これを見たら、もうほとんど当時の
内閣官房長官含めて言い逃れできないと思いますよ。
若干一か所だけ引用させてもらいますけれども、
釈放は菅氏と仙谷氏の二人で決めたのかと。それに対して、少なくとも官房副長官くらいはいるかもしれないが、
政治家が決めたと。官邸側の誰が
法務省、地検側に
釈放しろと命令したのか。少なくとも菅氏はしていないでしょう、仙谷氏の可能性が高い、こう言っているんですね。官邸側の指示で検察が動いたと言えるのかと。それはそうですねと。
こんな、爆弾というより、これは
歴史に対して彼が誠実であろうとした、自分の人生を懸けたこれインタビューですよ。これは彼の
内閣官房参与という、官邸の中にいた一員でありますけれども、やっぱり自分は
歴史に対してどう証言しておこうかというところから出た僕は証言だと思いますよ。
だから、この彼は、僕から見るとやっぱり、僕から見るとと言うと失礼なんですけれども、はるかに第一級の見識を持った人物だと私は評価しているんで、会ったことは一度もございませんけれども、その後
国会図書館から彼の図書を二十冊ぐらい借りて、今ずっと全部いろんなあれを読ませていただいておるんですけれども、何度も読んでいるんですけれども、やっぱりなかなか見識の深い方だと私は思いました。
彼は、やっぱり、
釈放したのはいけないと言っていない、必ずしもね。こういう
やり方でやったということについての大きな
問題提起をしていると私は見ているんですよ。
大臣、ちょっと私がるる述べてしまいましたけれども、どう思われますか。こういう事実が、
指揮権発動という問題の重大性と、それからそれをかなり裏付けるような証言がなされている。この時点に立って
指揮権発動という問題についてどのように
考えられるか、一言、前回よりは少し進歩したお答えをお聞きしたいと思っています。