○自見
国務大臣 明治四年以来の、
先生御存じのように、
郵政三
事業、元祖はイギリスでございまして、ビクトリア女王のグラッドストーンとディズレーリと言われますけれども、グラッドストーンが
郵便貯金制度を、
郵便というのは、
御存じのように、以前は貴族、王侯が飛脚を使っておったわけでございますけれども、これを
国民に広く利用していただくということで、当時あった飛脚の
会社を全部国が買収しまして、そうしますと、料金が安くなりまして、結局、大変たくさんの方が
郵便を利用するようになった。そのために、イギリス全土に
郵便局をつくってくる。
今度は、グラッドストーンが、当時、十九世紀の中ごろでございますから、産業革命で、いわゆるイギリスの農村地帯からたくさんの次男、三男が都市に出てきて都市の働き手というふうになったわけですね。そうしますと、給料をもらいますと、貯蓄ということを余り知りませんから、ということで、やはりイギリス
国民に貯蓄を教えねばならないということをグラッドストーンが言っております。
それからもう一点、これは大変大事な話だと私は思っておりますが、当時、イギリスは南アフリカのボーア戦争をしておりまして、国債をいっぱい出さねばならない。そうしますと、どうしてもシティーの大変大きな
金融資本家に国債を買ってもらわねばならない。そうしますと、
政治的な発言力を同時に要求してくるようになった。そういった
意味で、
国民にたくさん
郵便貯金を、少額ですけれどもたくさんの
国民に
郵便貯金をしていただいて、それで国債を買えば、結局、民主主義国家というのは、
先生御存じのように、平等と自由でございますが、やはりお金を持った
金融資本家というのはいろいろな
政治的要求をしてきますので、そういった
意味で、一般の
国民に国債を持ってもらうということを
考えたという話を今の東大の、税調の教授から聞かせていただいたわけでございますけれども、そういったもろもろの
意味を持って、
郵政三
事業というのはグラッドストーンがしていたわけでございます。
ここから参りまして、
明治四年に、まさにペリー来航以来十五年たって
明治維新になったわけでございますから、近代国家にするためには、
日本もやはり
郵政三
事業をつくらなければならない。しかし、国庫はからからでございますから、そういった中で、
郵政の民活化といいますか、土地と建物を持った人にそれを国に貸していただく、そのかわり身分は国家公務員だという
制度で始めたわけでございます。
マッカーサーが六十六年前に来たときに、ほとんどの
日本の
制度というのは
改革されたり崩されたわけでございますけれども、
郵政事業だけは、だけはとは申しませんけれども、その中でも生き延びたわけでございます。そういった
意味で、サッチャーさんの時代、民活で大変有名になりましたけれども、そういった
意味でまいりましたことが、まさにそんなことがない時代からきちっと民活をうまくやっていたというふうに私は思っておりまして、この民活である特定
郵便局制度が
日本だけにある
制度でございますから、それが
日本人の伝統と歴史と名誉を重んじるということを、当時の江戸時代末期から
明治初年のとき、あるいは戦前にうまくいって、戦後もこれが実にうまく
機能したんだろうというふうに私は思っております。
そういったいいところはきっちり残していきつつ、やはり今の時代、時代はどんどん変わってくるわけでございますし、今さっき財政投融資の話も出ておりましたけれども、市場を通して、財投債、財投
機関債というのをつくりましたけれども、しかし、三年前のリーマン・ショックがありまして、やはり官と民との役割が非常にコペルニクス的変化を来したと私は思っております。そういった時代の変化にも、やはりきちっと
郵政の設計というのを心していかねばならないというふうに思っております。