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参考人(
増元照明君) 家族会の事務局長をやらせていただいております
増元です。
まず、この場で発言の機会をいただいた山谷先生、そして
委員会の皆様にお礼を申し上げます。さらに、先般、家族会、救う会で訪米した際、御同行いただいた平沼議連会長、そして国
会議員の皆様、さらに
政府から拉致担当の副
大臣も御同行いただき、そして在米大使館始め
政府の方たちに御尽力いただいて、一定の目的を達し、
幾らかの成果を得たことを非常に感謝申し上げたいと思います。
それはさておきながら、私たち家族会が結成されたのは
平成九年です。それ以降、私たちは、
日本の社会のやみというか、政治のやみというか、そういったものに翻弄され、そして痛め付けられてこの十三年という長い年月を過ごし、いまだに家族を取り戻すことさえできない状況なんです。
そのやみというのは、なぜか分かりませんけれども、私たちが
北朝鮮に拉致された家族を取り戻してほしいという気持ちを訴えているその横で、赤い旗を振った人たちが、強制連行の人たちはどうするんだとか、
北朝鮮に対し、朝鮮半島に対して私たちがやったことをどう考えるんだとか、私たちの方に対して非難の
言葉を投げかけられました。それが本当なんでしょうか。私たちの願いは、家族が本当に家族として
日本で、この繁栄した
日本で彼らがいまだに享受していないこの
日本の繁栄を一緒に過ごしていたいという思いだけなのに、果たしてそれがイデオロギーの
言葉で打ち消されるような状況が本当に我が国の在り方なんでしょうかという思いで闘ってまいりました。
そして、いまだにこの拉致問題に対しては、イデオロギーで反対される方、鎮静化される方がまだいらっしゃいます。でも、その中でも今回、私が訪米する前に産経新聞に掲載されました、菅
総理の資金管理団体からこの市民の党への、市民の会の献金問題、本当にこれあっていいものだろうか。これが、私たちがこれまで闘ってきて、そしてようやく
北朝鮮金正日総書記に拉致を認めさせる流れをつくったこの流れの中で、再びまた私たちが闘わなければならないやみが生じているのではないかという危惧を私は今現在考えています。
昨日、拉致被害者家族の代表それから前代表夫人とお話をすることができました。代表は、この拉致問題を政争の具ではなくて本当に解決するために
皆さんで一緒になってやっていただきたい、もうそれだけなんだということをおっしゃっておられました。早紀江さんは、何を信じていいのか分からないよねというふうにおっしゃいました。この報道を聞いて、本当に私たちの家族を取り戻してくれる
政府であるのかどうか、信じていいのかどうか、この報道を聞いて吐き気がするほどもう具合が悪くなったというふうにおっしゃっておられます。
総理は、先ほどの山谷議員の質問の中にもありました辛光洙の事件で、江田法務
大臣と共に助命それから釈放嘆願書に署名されておられました。そのときのお話として、うかつであったというおわびをされました。家族会そして私たちは、過去のことは問わない、もう被害者救出のために共に一生懸命やっていただければそれでいいということで、あのときには了承いたしました。
それが
平成十九年―二十一年の間に、
総理の資金管理団体から、このような石岡亨さんや松木薫さんを拉致した実行犯の、しかもその実行犯である森順子さんの息子、この方たちは
日本に帰ってこられております。彼らは恐らく自由な発言権を持っておられますし、自由な意思を持っておられますから、この
日本で立候補することも自由でしょう。しかし、彼らはいまだにこの拉致の問題に関して彼らが行ってきたことを明確にしていないということは、彼らはいまだにその
北朝鮮で受けた教育、そして彼らがこれまで行ってきた
日本革命というその思いをまだ一心に持っておられる方たちだと思います。それを知っていらっしゃらなかったとしても、その方たちを擁立した団体に対して
総理の資金管理団体から多額の献金がなされているということ、これは我が国のためにも明確にしていただかなければならないと思っています。
私の父は九年前に
日本を信じると言って死んでいきました。その
日本というのはどういう
日本なんでしょうか。三十数年間も
日本国民が拉致されていまだに取り戻していない、そう弱い
日本ではなかったはずです。父が信じた
日本というのは、すぐ私たちの家族、国民の命を救出できるような国を、それを信じて死んでいったんだと思います。そういう国づくりを
皆さんにしていただきたいし、そういう国であるということを国民の前に知らしめていただきたい。
私の姉は拉致されて三十三年になります。彼女の人生三十三年間、本当にあの
北朝鮮というむごい土地で暮らさなければなりませんでした。その彼らのむごい人生を送らなければならなかった代償、それは何だったんでしょうか。彼女たちに私は自分の人生は無駄だったというふうには感じてほしくありません。彼女たちの犠牲によってこの国が強い国でまともな国であるという、そういう国にしていけるような状況になったということを、拉致被害者
皆さんのおかげでこの国が本当に
日本であるための流れをつくったんだというその思いを彼らに感じていただきたいんです。彼らの犠牲を無駄にしていただきたくない、その思いが非常に強い現在であります。
先ほどから
総理は、一応、分からなかったとか知らなかったとかおっしゃいました。これは辛光洙のときと一緒でしょう。が、過去は問いません。しかし、二度目のこういうような状況に対して、やはり
総理として明確に、国民の前にその意思とその意図を明確にしていただくことが、この国が今後どのような国になるのかということを国民の
皆さんにも考えていただく良い機会になると私は考えております。
最後に
お願いですが、このブルーリボンバッジは
北朝鮮いじめのシンボルではありません。
北朝鮮に対する圧力を掛けよというシンボルではありません。拉致被害者を、
北朝鮮にいて、そして今なおふるさとに帰りたいという思いを胸にしている拉致被害者を救出したい、助けてあげたいというシンボルです。是非、国
会議員の皆様にも、多くの
皆さんがこのブルーリボンバッジを付けていただいて、そして毎朝このブルーリボンバッジを付けることによって、今現在も
北朝鮮に多くの、百人以上と言われる多くの拉致被害者が存在し、
日本へ救出されることを、
日本の救出を待っているという現実をいつも考えていただきたいんです。
確かに、
日本では大きな問題やそしていろいろな問題が散在しています。その中で、
皆様方もお忙しいでしょうけれども、この拉致という問題は解決されていない問題であるということ、そして国民の命が懸かっているという問題であるということ、国民が今助けを求めているという問題であるということを国
会議員の先生方は、是非、毎日ブルーリボンバッジを付けることによって考えて、そしていろいろなことを
皆さんで御
議論いただきたいと思っております。
今日は、僣越ながらこの場でこのような話をさせていただき、ありがとうございました。