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丸山和也君 基本的には前向きに
共同親権について
検討をする価値があるとおっしゃっていただいて非常に結構だと思うんですけれ
ども、私は、
民法の
改正といいますのは、平易なようで、
社会の根幹といいますか、人間
関係の根幹にかかわるやっぱり大きな一種の地殻変動を起こすぐらいのものですから、なかなかそうチャンスがないんですね。一旦決めますと、すぐ政策的にころころ変えるということはとてもできるような性質のものじゃありませんし、すべきじゃないと思いますので。今回もう一歩踏み込んで
共同親権まで入っていくべきじゃなかったかなということが非常に残念でなりません。
といいますのは、いろんな事例を相談を受けたり聞いたりしていますと、やはり一方に
親権が行くということで問題になっているケースというのは、常識的な面会交流というのがやっぱり妨げられると。要するに排除されるということから、一方の親の非常に孤独感というか、生きていく上で支えというのがなくなって、それがだんだんエスカレートしてあるいはやや実力
行使に出ると、それは法的に処罰される、あるいは
子供からも危険な人物のように思われて排除されてしまうということで、更に苦しみの中に、連鎖の中に行っているという割かしそういう男性が多いので、私、その男性の悲痛な叫びをいっぱい最近聞いているんですよ。
弁護士の中にもそういう人がおりますし、お役所の役人の中にもおられますし、元裁判官の中にもおられるんですよね。それで、政治家の秘書の方にもそういうのがおられまして、今回私がこの質問をすると言ったら、何人も来られまして、いや、実は私も会えなくて困っているんだということで、決してむちゃなことをしようとか誘拐しようとか拉致しようなんて思っていないんだけれ
ども、
親権が元女房の方に行ってしまって、あなたとは会わせたくないということで、
家庭裁判所も協力してくれないということで、これは聞いていますと、同じ男性の父親としてかわいそうだなというより、真剣な悩みなんですよね。
それぞれがちゃんと
社会的に立派な方であるし、ただ子に会いたいと。せめて月二回ぐらいは週末を一緒に過ごしたいとか、ささやかな願いなんですけれ
ども、これがかなえられないということで、やっぱりこれ根幹を
考えてみますと、
親権の
在り方、それから
離婚のときの
親権の決め方、こういう法
制度並びにそれから
家庭裁判所の運用、ここら辺に原因があったと思うんですね。ですから、やはり今回、法
改正の中で、養育監護とか面会交流についても
家庭裁判所の指導の下にそれをきちっと決めなさいということにわざわざ明文化されたということで、非常に一歩前進だと思うんですね。
ただ、そうやって悲痛な訴えをしてくる
人たちのを聞きますと、やっぱり
家庭裁判所がなかなかそういうふうに動いてくれないんじゃないかという、かなりもう絶望的な危惧を持っている方が多いんですよ。というのは、今までの
家庭裁判所の運用を見ていても、やはり実際、面会交流なり養育監護というのは議題になっているんですけれ
ども、
親権が女性が取った場合に、面会交流させたくないと、私の方で
責任持ってやりますからとかあるいは前に
子供が嫌がったとかいろんなことがありまして、
家庭裁判所も調査官なり裁判官いろいろ入って、一応努力はされて、その場はあるんですけれ
ども、結論的にはなかなか認められないということが多いようなんですね。
ですから、今回も法
改正の中で、この七百六十六条の中で、子との面会及びその他の交流、子の監護に要する
費用の分担その他の子の監護について必要な事項はとして、子の
利益を
優先して考慮しなければならないというふうに、こういうふうに、そして二項の中で、
協議が調わないときは、
家庭裁判所が同項の事項を定める、こういうふうになっているんですけれ
ども、やや
権利として、面会交流についても、面会交流する
権利があるんだということまでは必ずしもうたっていない。
協議して定めなさいと、定まらないときは
家庭裁判所が何とか決めますよというような
家庭裁判所に対する丸投げなんですよね。
すると、実際にこの法
改正の趣旨が両親
共同親権的に
離婚後もうまく機能するためには、やっぱり
家庭裁判所が物すごい一種の意識改革をするなりしてそういう
方向で稼働してもらわないとやっぱり余り変わらないと。こんなふうに条文が変わったということだけで裁判官なり
家庭裁判所自身がどれくらい違った
取組になるのか、ここが非常に私は現実的な問題として心配しているんですが、この点についてはやや楽観的に
考えておられるんでしょうか、いかがでしょうか。