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衛藤晟一君 今、山東
先生のお話をお聞きさせていただいていまして、実は私、数年前に、名古屋のある有名な
福祉をやられている方とずっとお話をしていましたら、その中で、
障害があろうがなかろうが、みんなお互いにすばらしい
尊厳性を持った人間としての存在、それを認め合うことが
福祉の原点じゃないでしょうかねなんというちょっと偉そうな話をしましたら、その方から、実は日本
社会は、元々は、もっともっと日
本人というのは優しくて積極的だったんですよというお話をいただきました。
それはいろんな書物に、各県ごとに全部言い伝えとして残っているけれ
ども、
障害を持った人は、ただ同じすばらしい存在だというだけじゃなくて、もっとすばらしい存在なんだよ、言わば日本のほとんどの
地域に、全ての県の中に実は
障害を持った子というのは徳を持って生まれた子なんだという言い伝えがあって、
地域と完全に一緒になって暮らしているんですよ、それが日本の昔の
考え方だったんですよというお話をいただきまして、ああと思って目からうろこが落ちた次第でございます。
どんな意味で徳を持って生まれたのか分かりませんが、それは日
本人の
考え方の中に、やっぱり自分
たちのいろんな大変なものを背負ってくれた、あるいはこの子を中心にして一生懸命暮らしていってみんなが仲よくやれる、だから福を持った子なんじゃないのかなということを言われていましたけれ
ども、そんな気持ちがちゃんとなければ、あなた、
福祉を余り
議論しちゃいけませんよという意味のことを言われまして、本当にある意味では目からうろこが落ちたという感じでございました。
障害問題を扱っていましても、やはり身体の方々もおられますが、知的の方々もおられます、あるいは重心の方もおられます。私も重心の
施設やそういう家庭にもう何度も行ってみましたけれ
ども、やっぱり本当に、そういう中で、
障害を持った
子供たちが同じすばらしい人間としての存在なんだと、そしてある意味では、また彼らこそがむしろ徳を持った、福を持った子なんだという具合に思うというのは、実は正直言って言葉で言うのは、大変ですけれ
ども、そのことを本当にああそうだなという具合に思うまでというのは相当なやっぱり時間が掛かります。私も
障害問題を三十七、八年ぐらいずっとやらせていただいておりますので、そういうところをたくさん見させていただいておりますけれ
ども、四年前にその方から、名古屋のある方からそういうことをお話をいただいて、改めて
障害者問題に本当に頑張らなきゃいけないなと思って今やっているところでございます。
そういう中で、今回、やっと昨年の十二月に
障害者自立支援法の
改正案が成立をいたしました。当初のスタートは非常にばたばたスタートであっただけに問題点も幾つかありましたけれ
ども、その問題はすぐ何とかみんなで解決しようということで取り組み、やっとこの
見直しにこぎ着けたということについては私はよかったんじゃないのかなという具合に思っています。
私
どもも自民党の中で、元々、
平成七年にノーマライゼーション七か年戦略、
障害者プランというのを作ったときに、実はこの
基本をどう変えるかということについて、これまで言わば、一九八一年の国際
障害者年においては完全参加と平等という形で、むしろかわいそうだから一生懸命頑張らなきゃいけないというような
措置タイプの
福祉から、完全参加と平等という形で、一緒に暮らしていくのが、元々
障害者も健常者も一緒に暮らしていく
社会が当たり前の
社会じゃないのという問いかけが国際
障害者年の中で起こってまいりました。その言葉が完全参加と平等という形で起きたわけでありますけれ
ども、それを受けて、私
ども自民党の部会の中で大変な
議論をしまして、プラスそれに
共生と自立という言葉をちゃんと入れて
障害者問題をやるべきではないのかという
結論に達して今に至っているわけであります。そういう
状況の中でやっと
障害者自立支援法の
改正ができましたが、
障害者基本法、これは五年ごと
議員立法で
改正しようという形で取り組んでまいりましたけれ
ども、いろいろな
状況があって、政権交代等の話もあってなかなか、二年、三年という具合に遅れてきたところでございます。
そういう中で、各党各会派で十分に
議論を重ねて、今まで
議員立法として
改正を重ねてきたという経過がありますけれ
ども、今回は閣法として
改正案を提出がされるということになりました。どうしたんでしょうかということをお聞きしたいと
思います。
まず、障がい
者制度改革推進会議が昨年まとめた第二次
意見につきまして、私の一番最初にぱっと見た印象をちょっと申し上げたいと
思います。
いきなり
権利条約という話が出てきまして、私
どもは五年ごとの
見直しという中でずっとやっておりましたから、新しい要素が加わったということは分かりますけれ
ども、やっぱり
権利の問題なのかなということを
一つ思いました。それからもう
一つは、身体に非常にウエートが置かれているなということを
思いました。
今、
障害全体として抱えている問題としては、先ほどお話もございましたけれ
ども、
障害と分かったときの療育の問題、この
学校前に、入るときの問題というのはまだ、厚生省に文句言ってもしようがないかもしれませんけれ
ども、
体制は非常に遅れています。今、ですから、
障害者自立支援法の中でも、我々はもっと相談業務やこの
体制を一気に進めたいということでそういうことを持ってきたわけでありますけれ
ども、少なくともこの療育
体制というのは極めて遅れていますし、あるいは重度心身
障害者、我々は
地域で一緒に暮らせると言いましたけれ
ども、重度心身
障害者の方の多数にとっては、
地域で一緒に暮らせる方もおられます、何とかできる人もおられますけれ
ども、やっぱり
施設が圧倒的に足りなくて、また入れない方がたくさんいらっしゃるというような
状況で、重度心身
障害者に対する対策というのはまだまだ遅れているという具合に
思います。
あるいは、今もずっと
議論になっておりましたけれ
ども、
精神障害の方々の対策は私は入口に立ったところだとしか思えないというように思っています。一刻も早く、本当に
地域の中で一緒に暮らせる
社会をつくらないといけないと。病院は、精神病院はそういう過程の中でやっと
長期入院が大分、ずっと短くなってきて、しかしながら
社会の受入れ
体制がまだ整っていません。この
体制を一刻も早くつくっていかなきゃいけないし、あるいは今度、発達
障害の方々にとってみますと、まだ対応をどうしていいか分からないという、研究
段階というのが正直な今の実態ではなかろうかという具合に
思います。
発達
障害の方々に聞いても、政治ですから具体的にどうやっていいかあなた方も言ってくださいよということを何度もお聞きしますが、百人百様ですという言葉が返ってきます。百人百様のことをお聞きしますけれ
ども、実は百人百様では政策にならない。これ幾つかのパターンに分けて、そしてどうやっていけばいいのかということを詰めていかないと政策にならない、具体的な政治にならないというところでございまして、今この定義付けをめぐってもまだまだちゃんとしていないという
状況の中で、専門家の方々を一刻も早く育てて、育ってもらって、そして私
ども、これをやっぱり引っ張ってもらわなきゃいけないというようなところで、大きな課題はそういうところにたくさんあるわけでありますけれ
ども、そのときに、この最初の
意見は、今申し上げましたように、身体に非常にウエートが掛かっているな、精神やあるいは発達については余り
意見が出なかったのかなというような感じを持ったわけであります。
そういう
状況の中で、私
どもは各党集まって
議論をしてきました。そういう
状況でございましたので、私はやっぱりこの
推進会議の中においては、この知的
障害あるいは発達
障害、
精神障害の場合は
教育の問題とかなんとかならないかもしれませんけれ
ども、そういう問題が必ずしも十分反映されていなかったんではないのかという感じを持っています。
それから、最初申し上げましたように、
権利論が中心となって、
社会全体でお互いを尊重し合って
共生していく
社会を目指すという
理念が、途中から
共生という
理念が強く盛り込まれましたけれ
ども、出てきましたけれ
ども、やっぱりちょっと希薄だったんではないのかなという感じを持っていました。
さらに、やっぱり
理念法の性格を持つわけでありますから、具体的なサービス、これ
基本法ですから、具体的なサービスの給付につながるような個々の問題についてはこれは個別法でちゃんと対応すべきだし、あるいは財政問題ですね、自治体の
体制に大きく影響するような問題でありますので、必ずしも
基本法の中に余り具体的なものを盛り込むということについてはどうかということもありましたので、そういう
状況の中で今回は
議員立法にならなかったという経過がありますので、これについて、どうして
議員立法にならなくて政府として提案したのかということについてお示しをいただきたいと
思います。