○長沢広明君 こういうことを踏まえまして、衆院段階での
修正協議に御苦労されました与野党の
関係者の皆様方には改めて敬意を表したいと思います。
これはもうどこまでも、それぞれ立場に、
考え方に多少の違いはあったとしても、この原子力災害による
被害者の迅速な救済を図ろうと、こういう一点で合意形成に
努力をされたということは、まさに今の国会の在り方、特に被災者、被災地に向かってこうべを垂れるべき国会の姿として私はあるべき姿を示していただいたのではないかというふうに思っております。その
意味でも敬意を表したいと思います。
この
機構法案について質問する前に、今日はちょっと
前提として、原子力
損害賠償法の方にちょっと触れたいと思います。
資料を配らせていただいております。
今回の
支援機構法、仮
払い法に関する
議論の中で私たちが直面してきた問題があると。それは、昭和三十六年、まさに五十年前に成立をしたこの原子力
損害賠償法、原賠法が、成立当初から五十年間、やはり積み残されてきた課題というものがあったと。その課題というものに私たちは直面をして、それを乗り越えるためにこの二つの
法案の
修正というものがされてきた、こういう背景があるのではないかというふうに思います。
この原賠法が内包してきた
一つの大きな問題というのは、国の
責任ということ、本来あるべき国の
責任ということが立法時から否定されて作られたということが課題の
一つでございます。
資料の原子力災害
補償専門部会の答申というのがございます。昭和三十四年十二月十二日、当時の原子力災害
補償専門部会長の我妻栄会長の名前で出た答申の文書でございまして、多くの議員の皆様のお目に既に触れている
資料だと思います。
この中で、大事なことは、一ページ目に、下の方に、下線
部分は私の方で引いた線ですけれ
ども、国家
補償という
言葉が出てまいります。
政府が
補償を行う、
被害者の保護に欠けるところがないようにしなければならないと。二ページ目には、上の方で、以下、
損害賠償責任、あるいは
損害賠償措置、国家
補償、
賠償処理
委員会の順序で大綱を述べると。四項目の柱がこの二ページ以降書かれているわけですけれ
ども、特に真ん中から上のところ、なおこの答申についてはというところが注目すべきところで、大蔵省主計局長あるいは大蔵省の銀行局長は、この国家
補償について、主計局は国家
補償について、銀行局はいわゆる
責任保険契約について、それぞれ態度を保留したということで、すなわち
政府の担当者としては賛成できないということが表明をされたということがここにちょっと書かれているわけでございます。
この答申の最も大事なところは、すなわち、昭和三十六年に成立した原賠法ですけれ
ども、この原賠法の
議論、昭和三十三年から具体的に始まっているわけですが、三十三年から三十六年までの三年間の間の
議論で、答申、つまり専門部会の答えとしては、国家の
責任というものは免れないということがきちっと柱となって入っていた、それがなぜ最終的に原賠法から抜け落ちたのか、これが背景にあるわけでございます。
もう
一つ、横長の
資料の方をちょっと見ていただきたいと思います。
これは昭和三十六年、いわゆる原賠法成立直後のジュリストでございまして、ちょっと古い
資料で恐縮でございますが、ここには原賠法が成立した後、この原賠法の持っている問題点について、我妻会長が自ら書かれている論文と座談会が載っております。ちょっと時間を使いますが、大事なところ、これは今後の
議論の中で大変大事な
意味を持つと思いますので、国会
審議の中にきちんと残しておくという
意味で少し引用させていただきたいと思います。
一枚目のページ右側、囲み線は私の方で囲んだ線でございます。これについて我妻会長は、「いわゆる原子力二法は、原子力事業者に無過失
責任を負わせ、その
賠償義務が現実に履行されるように
賠償措置を講じさせる、という構想でできている。
被害者に対する
賠償責任は名実ともに事業者の
負担するところであって、それ以外においては、国は何等の
賠償を約束していない。」と。これがまず問題点だということをまず
指摘をされているわけであります。
一枚めくっていただきまして、右側の三段になっている真ん中の段の右側、ここから問題点が
指摘されるわけでございますけれ
ども、「第一の問題は、原子力二法の構想そのものに関する。原子力災害
補償専門部会の答申は、別な構想に立っている。原子力事業から生ずる
損害について、
被害者に対する
関係では、すべて国が
責任を負う。」。つまり、国が
責任を負うということが専門部会の答申の柱だったということをおっしゃっているわけです。
その下の段。「答申の以上の構想はつぎのような思想に基づく。原子力の平和利用という事業は、歴史上前例のないものである。その利益は大きいであろうが、同時に、万一の場合の
損害は巨大なものとなる危険を含む。従って、
政府がその利益を速進する必要を認めてこれをやろうと決意する場合には、
被害者の一人をも泣きね入りさせない、という
前提をとるべきである。これに対し、原子力二法の思想はこうである。原子力事業といえ
ども私
企業である。私
企業が第三者に
損害を及ぼした場合に、
被害者に対して国が
賠償する
責任を負う、ということは、現在の
法律制度では、他に例もなく、理論としても許されることではない。」と、ここが明らかに対立点というか、違うところだということを
指摘をされているわけです。
ちょっと飛びますが、「しかし、答申は、そうは
考えない。」と。左側に行きますが、「原子力事業を私
企業にするか国の直営にするかは、むろん、慎重に考慮すべき大問題である。しかし、それは、いずれの方式が効率的か、資金の出所、
経営組織その他の点から決せられるべきものであって、
被害者保護の要否という問題と混同すべきではない。その立場から私
企業にすることが適当だとされても、」、つまり国営化しないということが適当だとされても、「だから
被害者に対して国が
責任をもってはならない、ということにはならない。」と。
つまり、この専門部会の基本的な思想は、
被害者に向かっては国が徹底的に救済の手を伸ばすべきであるということが当初の専門部会の思想であったということが
指摘をされているわけです。
次のページめくっていただきまして、「第三 展望」というところでございますけれ
ども、そういう違いのある原賠法になったけれ
ども救いがあったと。そこが二段目の四角の囲んだところで、「第一に、この
法律の目的として、「
被害者の保護を図り」という句が、「原子力事業の健全な発達に資する」という句と並べて挿入されていることは、最も注意すべき点である。この挿入を拒否する主張が
政府部内に相当強かったといわれる。立案当局の労を多としなければならない。客観的にみれば、第一段に述べたこの
法律の根本思想は、その一句の挿入によって崩れてしまったといえるであろう。」と。
つまり、私
企業の問題に閉じ込めようとしていたこの
法律に対して、ここに「
被害者の保護を図り」という一句が入ったことによって生き延びたという、こういうことをわざわざ
指摘をしているわけでございます。
下の段には別の問題が、いわゆる処理の仕方について
指摘をされています。
「おわりに、不幸にして災害を生じたときに、多数の
被害者の個々別々の
損害の算定、保険金ないしは
補償金の分配計画とその実施、紛争の処理などは、どんな方法でなされるであろうか。一人一人が弁護士を頼んで訴えるのであろうか。答申は、「原子力
損害賠償処理
委員会」という行政
委員会を設置して、その決定にある
程度の強制力を認めようとした。もちろん、決定に対する不服の訴は高等裁判所に提起しうることにするが、事実の認定は一応この
委員会の決定にまかせようとしたのである。しかし、
法律では、「
原子力損害賠償紛争審査会」という
審議機関に格を下げ、紛争についての和解の仲介を行なう権限しか与えていない。行政
委員会に対する
政府部内の
一般的な不信の現われであろう。」と。
今課題になっていることは、昭和三十六年の段階で既にこうやって
指摘されていたんです。ここはやっぱり五十年前の立法の段階に抜け落ちていたことを今もう一度確認をしなければならない、それを
議論にこれから生かさなきゃいけないということを申し上げたかったわけでございます。
次のページをちょっとめくっていただきますと、これ座談会になっているんですが、ここで出てくる井上さんという方は、この立法のときの科学技術庁の原子力局政策課長であったわけであります。
四角で囲んだところがありますが、右のページの真ん中の段、「今日ひるがえってこの答申書を拝見いたしまして、」と、この二年半、
法律の立法の
責任者だった当時の担当課長だった人です。
「今日ひるがえってこの答申書を拝見いたしまして、おそらく原子力
損害賠償に関する
法律体系として、最も望ましい内容ではないかと今更ながら
考えているわけです。」と、当時の担当者がですよ。「当時この答申を受けまして、
法律の原案はこの答申書に忠実にということで作ったのですが、内容につきましては、特に
損害賠償の
責任の問題、それから
損害に対する国の措置などにつきましてはこの答申にあるようなすっきりした
考え方を
日本政府としていまだとりえない事情にあったわけであります。これは当時の担当者である私としてはきわめて遺憾でありますが、
政府部内における激しい討論の結果妥協として現在のような
法律案の内容になったわけであります。しかし立法の精神としては今後とも専門部会の答申が重大な意義をもっているものと
考えています。」ということです。
左上の四角、ここが背景にあったと。「当初
関係官庁の担当官は、原子力事業の健全な発達に資するために国が助成措置を講ずることはできるけれ
ども被害者の保護を国が直接
責任を負う形ではかるということはできないと主張された。」。つまり、結局、
被害者の保護を国が前面に立つということについては、
政府部内、当時の役所の判断としてこれはかき消されたということがこの中から出てくるわけでございます。
長々ちょっと引用をさせていただきましたけれ
ども、こうした問題意識というものを背景に置いて今回のこの
法案、そしてこの
法案の中に盛り込まれた今後の
議論ということを私はきちんと進めていかなければならない。それはすなわち、国の
責任の在り方をどうするか、そして
損害賠償処理の仕組みが結局抜け落ちた、この二つの欠陥が原賠法にあったということを、これは今私たち五十年後に直面している問題ですので、ここをきちんと
議論を今後しなければならないということでございます。
特に、今回の
事故の場合については国が、ある
意味では、ここから逃げなさいとか逃げる準備をしなさいとか、ここから入っちゃいけないと。もちろん、安全を確保するためということは
理解できます。安全確保するためではあっても、そこでは時に行動を制約し、あるいは居住権を侵害し、あるいは財産権の行使を阻害し、こうした
被害に結果的に
国民、住民は遭ったわけでありまして、これはまさに
政府の行為、判断によってもたらされた
被害であることは、これは論をまたないというふうに思います。そこに国の
責任がないというわけにはいかないというふうに思うわけでありまして、そこで、国と
東電の間で
負担の押し付け合いなんかをやっている場合じゃないということで私たちは仮
払い法案を出したというのが
一つの流れにあるということを御
理解をいただきたいということでございます。
ここから
修正の案について少し確認をさせていただきたいと思いますが、
修正において公明党はまず、国策として原子力政策を進めてきた国の
責任を
法律上ここできちんとはっきりさせるべきだということを主張したと思いますが、そのことがどのように反映され、国の
責任ということを明記されたことが今後どういった成果、効果を生むかというふうに
考えるか、発議者の認識を伺いたいと思います。