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赤石清美君
皆様おはようございます。自由民主党の
赤石清美でございます。
今日は
厚生労働省の
細川大臣以下、大変多忙な中御
出席いただきまして、誠にありがとうございます。
私は生まれが
青森県の
出身でございまして、言わば
被災地でございますけれ
ども、それを兼ねて、先週十五日から二泊三日で
青森県の県南と
岩手県の北部をずっと視察をしてまいりました。先週、その前の十一日に
地震が起きてから、どうやって
地元に入ろうか、いろいろと模索をしていたんですが、幸いにして
三沢空港が立ち上がるということが分かりまして、
三沢空港に
チケットの依頼をしたんでありますが、なかなか取れなくて、やっと十五日に
チケットが手に入りまして、行ってまいりました。
そして、
最初に
三沢空港を降りまして、そこから車で十分ぐらいのところに
三沢の
漁港、そして僅かな港があるんでございますけれ
ども、そこに行って
最初の
津波のその大きさ、すごさを見たときに本当に涙が出ました。その
被災のすごさというのは、
津波ってこんなものなんだなということを実感しました。そして、
漁港の
施設が全て
津波で流されて、全てのものが流されていました。そして、その
復興を必死になってやっていただいたのが
米軍の
三沢基地の
皆さんでした。
最初に
禁止区域に視察させていただきたいということで入らせていただきまして、そうしたら、もうほとんど
米軍の方が大きな重機を持ち込んで、必死になって港の整備をやっていました。私はそれを見て、ああ、やっぱり
日米関係ってこういうものなんだなということをつくづく実感いたしました。これからも私
たちはやっぱり
日米同盟というものを大事にしなきゃいけないということも改めて実感いたしました。
是非、
政府もそういう立場で
日米関係をもっと親密にやっていただきたいというふうに思っております。
そして、私は、その
三沢を過ぎてから、ずっと南下をして
海岸線を見てまいりました。本当に私はそのときに、この今回の
東日本巨大地震・
津波災害によって亡くなった
皆さん、そして御家族の
皆さんに本当にもう心から
お悔やみを申し上げなければならないと思いました。また、
被災をされた
皆さんに心からのお
見舞いも申し上げなければならないと思いました。そして、まさに今
東京電力の
福島原発をコントロールしようと一生懸命に闘っているこの
現場の
自衛隊員、警察、消防、
東京電力、そしてこの
第一線の
協力会社の方、そして
地方公務員、
国家公務員の
皆様、そして海外から多くの緊急の
被災者のために
救助に来られております。その方の
皆さんにまず敬意を表したいと思います。
さて、私は、この
災害の発生を見て、ずっと
三沢に入ってから
盛岡まで
高速道路、
緊急車両の許可をいただきまして
高速道路で入りまして
盛岡へ行って、私は、私の
業界は民間の
血液検査センター業界でありますけれ
ども、
盛岡に
東北支部の
検査センターがありまして、実際に行って
検査の
現場がこんなに崩れているなということも分かりました。そして、それを三日ぐらいで土日掛けて必死になって立て直して、そして何とか
バックアップを取れるような
体制をつくっていただいておりました。しかし、残念ながら今はその
現地に
ガソリンがまだまだ
不足をしております。燃料がなければ何も行動できません。そのことをこの厚
労委とは別に強く申し上げておきたいと思います。
この周りの
環境を見て、とにかく今までの法律とか、そして今までの経験とか、そういうことでは立ち直ることができないということを私は実感いたしました。
そこで、まず
最初に
厚生労働大臣に、この未
曽有の
災害の下、
政府が国民の生命、安全を守るために、
医療、福祉、
介護、
雇用、食の安全、これらについてどのように進めていくか、決意のほどをひとつお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。