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参考人(
下條正男君)
拓殖大学の
下條でございます。よろしくお願いをいたします。
先ほど六反田先生より御丁寧な
説明をしていただきまして、非常によく分かりました。
実は、これは
朝鮮王室儀軌の種本というか、
写本の
写本ですね、それをまた印刷したものです。(
資料提示)
内容的に、こういうような絵もかかれて、こんなものです、こういうものです。
それから、
朝鮮王朝というのは、
先ほどの
六反田先生の
お話にもございましたけれども、
王朝文化です。ですから、
日本でいうと
平安時代と非常によく似ていまして、
日本にも
延喜式であるとか
儀式とか、そういった本が残されています。
江戸時代にはそういうことを
研究する学問が有職故実というような形で行われていました。それは
中国にも似たようなものが多分あると思います。
そして、
朝鮮王朝の場合、これは
英祖の
時代のものですけれども、
英祖というのは非常に長い間、十七
世紀後半、十八
世紀の
王朝にいまして、そのとき
老臣たちを招いて宴会を開いたときの
名簿ですね、これ。これが内
賜本と言われているものですけれども、これは
乾隆三十八年に、これたしか、私も
韓国に引渡要求されるかもしれませんね。ですが、これは
韓国で購入したものです。(
発言する者あり)ええ、私個人のものですね、どうなるか分かりませんが。
というのは、なぜこんな
お話をするかというと、この
朝鮮王室儀軌の問題というのは、
王室儀軌だけの問題ではなくてもっと根が深いんですね。
韓国側では、昨年の
時点で
日本側に、
韓国の
国立文化財研究所では
朝鮮文化財が
日本には六万一千四百九点あると、これをターゲットに今していますね、極端な言い方をしますと。そういった中の
一つが
朝鮮王室儀軌です。
と同時に、今回、
朝鮮王室儀軌は百六十七冊ですが、その他で千三十八冊が付録として付いているんですね。元々は
朝鮮王室儀軌だけが問題だったのに、なぜほかの
宮内庁に所蔵されている
朝鮮関係の本が引き渡されなければならないのか。そういった背景もちょっと考えていかなければいけないのではないかなと思っております。
そして、私自身、四月二十七日の
衆議院の
外交委員会の方にも呼ばれまして、そのとき
幾つか
お話をいたしました。この
朝鮮王室儀軌にかかわって、ほかにも次があるという
お話をしました。実際に、利川というところにあった五層の塔の
返還要求運動が今始まっています。そして、その前回の
衆議院の
外務委員会でも
お話をさせていただきましたけれども、
朝鮮王室儀軌に関連して、何か
韓国側から御招待される方がいらっしゃるということを
お話ししました。それで、実際に五月十三日の
時点で
ホテルオークラで、こういう写真もちゃんと載っているんですが、
日本の
国会議員の
先生が
韓国側から
感謝状というかこういうものを、皆さんのお
手元には名誉のためにお渡ししておりません。これは後で個人的に御入用の方は私に御連絡いただければ、ちゃんとこれを翻訳してお渡しします。そういうことですね。そして問題は、
ホテルオークラでこの式典が行われました。そして、
先ほどの、ここにも書いてありますが、利川の五層
石塔は現在
ホテルオークラにあるんですね。なかなか巧妙な手法を取るものだなと思います。
そして、問題は、この
朝鮮王室儀軌だけを問題にしてはいけないわけですね。なぜならば、既に、レジュメで見ていきますと、一番の一、
朝鮮王朝実録が四十七冊、これ二〇〇六年七月十四日、
東京大学にあったものが
ソウル大学に寄贈されています。これは学術的な面ですね。
お互いが
お互いに学問的な交流ということでやったわけですね。そして、二番目のところ、
北関大捷碑というのが二〇〇五年十月にこれ引き渡されています。二〇〇五年六月、
日韓の
首脳会談でこういった
議題が出て、十月に引渡しということが行われています。これは現在、
北朝鮮に移っています。ですから、
韓国側が
北朝鮮との
一つの
融和政策の
一つとしてこれをうまく使ったということですね。そして、今また利川の五層
石塔の問題が新たに起こりつつあります。
それは、これは例えば東亜日報が五月十四日の
時点で報じているものですけれども、
北朝鮮と
韓国と
中国の民間団体が、
日本の教科書問題、竹島問題も含めて、略奪
文化財を還収する、引き戻す、そういう
委員会を設置しようということですね。つまり五月ですね、
衆議院で一応可決して、その後を受けてこういう動きが続々と起こってくる。そういう
意味では、この
朝鮮王室儀軌をめぐっての
日韓の関係というのは、本当にこの趣意書の最初の部分にある
文化交流とか
日韓の友好関係がうまくいくのかどうかという、そんなレベルの問題ではないということをまず御認識いただきたいと思います。
というのは、こういった
文化財の問題に関連しては、既に一九六五年の
時点で
日韓基本条約が
締結された際に
文化財及び
文化協力に関する
日本国と大韓民国との間の
協定というものが結ばれていて、一応こういった
文化財に対する問題というのは終わっているんですね。これを新たに返還を求めてくる背景として何があるのかということをやはり考えておかなければならないんですね。
韓国側が常に使うのは過去の清算ということです。それから、未来志向の
日韓関係、それから
歴史の和解ですね。
ということは、これ今、新たに
韓国では
韓国史という本ができました。これ、高等学校の今年から使われている教科書です。これは、今までは国史という教科書を使っていたんですけれども、これ
韓国史ですね。檀君神話から始まりますから約四千五百年ぐらい前から今日までですけれども、そのうち、分量として見て、近世までの部分が三分の一です。それから、言ってみたら
朝鮮後期から
日本時代を含めて現代までが三分の二です。これ、考えてみてください。
歴史の中で
江戸時代までを三分の一にして、残り三分の二を
日本時代に対する、言ってみたらどういう抵抗をしたとか何をやったということが書かれているんですね。これが
韓国の
歴史認識、
歴史教科書です。こういう流れの中でこの問題をやはり考えていかなければならない。
そういう点で見ていきますと、
日韓関係というのは戦前と戦後で大きく変わっています。確かに
日本は戦前、
朝鮮半島を統治いたしました。戦後、
日本はあの太平洋戦争に敗れて以降、国際的にも非常に孤立した状況でもあり、それからサンフランシスコ講和条約が発効する以前は国際的にも全く無力でした。
韓国側は、そのサンフランシスコ条約が発効するのは一九五二年の四月二十八日ですが、その三か月ほど前の一月十八日に李承晩ラインを引いて、そこから実は竹島問題というものが起こってきます。そこから
日韓の
立場が逆転するんですね。つまり、
日本は侵略された
立場になるわけです。
そういった問題が再度表面化してくるのが二〇〇五年の三月ですね。
先ほどの
朝鮮王朝実録にしても
北関大捷碑にしても、これは二〇〇五年、二〇〇六年ですね。これは、
韓国側が竹島問題を封印していくための
一つの手段として、
歴史認識問題、過去の
歴史清算、
歴史の和解です、そういう手段として取り上げているんだという基本的な認識をお持ちいただきたいと思います。
日韓関係を考えていくとき、もう一度
日韓の国交正常化交渉を考えていかなければならない。なぜならば、一九五二年の二月ごろから
日韓の国交正常化交渉の本会談が始まっていきますが、そのときは
日本国内には数万の
韓国側、
朝鮮半島からの密航者たちというのがいました。それが、
朝鮮動乱直後あるいはさなかの
韓国にとって、本国に戻られては困るんですね。何とか彼らの法的地位を与えて
日本にいさせたい、その外交カードが
一つ必要でした。
それからもう
一つ、
日本は
朝鮮半島に多くの資産を残してきました。しかし、それを持ち出されると
朝鮮半島の経済が成り立たない。そういうことから、
日本側の財産請求権を放棄する、そういった外交カードが必要でした。
そのときに使われたのが、李承晩ラインと李承晩ラインの中に入れた竹島問題ということです。そういった形で見ていくと、
日本側は、人質ではなくて島を取られた形の中で戦後の
日韓関係、外交が始まっていくんだということですね。
そして、二〇〇五年三月十六日、島根県が竹島の日の条例を制定をいたしました。そして、竹島問題が浮上しますと、
韓国側は、
日本は当時自民党政権でしたけれども、自民党政権は余り協力的ではありませんでした、島根県に対してですね。そのときに、
韓国側は、竹島の日条例が制定する二週間ぐらい前に、もう既に竹島問題に関連して東北アジアの平和のための正しい
歴史定立企画団というものを発足させています。そして、それが二〇〇六年九月の
時点で東北アジア
歴史財団というふうに名前を変えていきます。そして、李明博さんの
時代になると、その中に独島
研究所というものが設置されます。これはいずれも、過去の
歴史問題を含め、竹島問題がメーンでした。そして、それの中心になったのが最初は盧武鉉大統領であり、潘基文、今国連の事務総長をやっておられる方が外相をやっておられました。そして、李明博大統領もそれを継承しております。
そういった中で、東北アジア
歴史財団が戦略的な
研究テーマとして今取り上げているのが竹島問題、それから
日本海の呼称問題ですね、
日本海ではなく東海だと。なぜならば、竹島が
日本海の中にあると
日本の領海の中にあるようでいけないから自分たちの名前に変えなさいというのが東海問題です。東海というのは、
韓国の、
朝鮮半島の
歴史でいうと、東シナ海、渤海も東海ですし、ですから東海が二つあるわけなんですね。
それから
あとは、東北工程、これは高句麗史問題です。
今韓流ブームですけれども、あれは、あの中に朱蒙とか、それから太王四神記ですか、これは高句麗の関係です。これは
日本を洗脳するための
一つのドラマですね。そういう
意味では、NHK辺りは国民から視聴料を取って
韓国に協力しているということになりますね。大変なことです。
というのは、これは一九〇九年に
日本と清との間で間島問題、つまり今の
中国東北部に
朝鮮族の方がたくさん住んでいますが、十九
世紀中ごろからあそこにみんな密航していくんですね。そこをめぐって
朝鮮と清が領土問題を争っていました。そのとき
日本が、ちょうど一九〇五年ですね、
朝鮮半島を保護国にするに及んで外交権を持ちまして、その地域を
中国に返しているんですね、
歴史的にはそれが正しいわけですから。それを今引き戻そうとしているのが
韓国なんですよ。
それのドラマが朱蒙や太王四神記なんですね。それを
日本の方々はお金を払って喜んで見ている、そして、そこに出演している人たちは、俳優たちは独島基金に寄附をしている、出演料をもらってですね。大変立派なことを
日本はやっているわけですね、敵に塩を送っていると。しかし、
韓国は傷口に塩を塗り込んでいるわけですね。そういう
意味で、非常に厳しい状況ですね。
それから
あと、慰安婦問題ですね。このとき背後にあるのは東北アジア
歴史財団で、アメリカとかカナダ、オランダの議会で
日本に対する非難決議案を出しています。この背景にあるのは、言いましたように
韓国政府です。
それから、
歴史教科書です。そして、自分たちは全く新しい
歴史をつくっていると。
それから
あと、靖国参拝問題、白頭山問題です。
そして、実は今回のこういった流れの中で一番大きな仕事をしているのは、
歴史NGO世界大会というものを開いています。
そういった中で、皆さんのお
手元にある二枚目のところですね。これは、
先ほどの東北アジア
歴史財団の鄭在貞という理事長さんですね。その方が、今回の
朝鮮王室儀軌の問題にも関連し、それから昨年八月十日の菅談話に関連して
発言をしています。二ページ目の下のところ、ゴシック、アンダーラインを引いてあるところを読んでいきます。
彼は、財団はどんな仕事をしたかということに対しての質問に答えて、菅直人
日本政府が八月十日、声明を発表したことに一定の寄与をしたと自負していると。強制併合に関する談話の
内容が十分ではないが、向こうが評価しているわけですね。談話が出たということ自体
意味があると。当時、
日本政府は
衆議院選挙を前にして、支持率が下落していたし、政治的に相当難しいときであった。このような渦中に
日本政府を説得し、結局、菅総理の談話を作り出したという、東北アジア
歴史財団がですね。そして、菅直人談話の核心
内容は、
韓国人の意思に反して植民支配をした、これに対して痛切な反省と謝罪をするということを入れさせたということですね。それ以前になかったアクションプランも提示したが、その中の
一つが、
朝鮮総督府を経由して搬出された
韓国の
文化財を返還する、サハリン強制徴用同胞問題を支援する、
日本の中に散在する
朝鮮人遺骨を戻すであったと。
こういった談話ができる背景として何を挙げているかというと、去る七月二十七日、両国の
国会議員らが参席するシンポジウムを
ソウルで開いたと。我が方からは韓日議員連盟の李相得会長が、
日本側から渡部恒三会長が参席したと。両国の議員連盟会長団が初めて会う席であった。ほかには話をしていないけれども、私たちがあっせんをしたんですね。そして、
日本の教育
機関である松下政経塾を通じてきっかけをつくったと。松下政経塾は右派だと。
日本を動かす右派を攻略すべきだと見たと。政経塾の責任者である塾頭と接触したと。彼を
韓国に招請して、財団で講演をするようにさせたわけですね。
韓国に初めて来たとして、驚いたと打ち明けた。私たち、つまり松下政経塾も含めてですね、百周年に合わせて協力しようと提案したと。結局、松下政経塾出身の
国会議員が数十人いるが、その
人々を皆呼んで韓日議員の集いを持つことになった。韓日百年の
歴史に対する省察と未来ビジョンを一緒に議論した。会長らの席で、菅直人総理談話の話も出てきたということだということですね。次も同じような
内容ですね。
要するに、
日本の市民団体というものを利用したりしているということです。この談話もそうですけれども、
朝鮮王室儀軌を担当したときの
外務大臣は政経塾の出身の方ではないかなと拝察いたしますけれども、そういう形ですね。
問題は、そこだけが問題ではなくて、こういった世界NGO大会が今年も行われる、毎年行われている。そして、全て
韓国側が持ち出してやっていますね。
そして、こういった動きの基になるのは、ちょっともう時間がなくなってきましたが、その次、カラー写真で載っているのがあります。これは鳩山さんと韓明淑という
韓国側の総理ですが、この方たちが二〇〇六年の五月三日の日に会いまして、それで鳩山さん何言っているか。独島問題、竹島問題では、
日本の外交的な失敗だということを言っているんですね。そして、彼自身によると、竹島問題が起こって、二〇〇六年ですね、
韓国の人たちが
日本からまた侵略を受けたように認識したというのは、これは
日本の外交的な失敗だ、そして、過去の
歴史に対する誤った認識は結果的に
日本全体の国益を損なうことだ、そして、全ての領土問題は根本的に
歴史から始まる、そして、
日本側が
歴史事実をより正確に理解するように努力する必要があるということを言っているんですが、彼に入れ知恵したのは、彼の政治顧問と言われる
韓国人ですね。それが、二〇〇九年の月刊
朝鮮の中で、鳩山政権になって、これは
日本を牛耳りやすい状況になったと喜んで書いています。その中で、
韓国側の
意見を鳩山さんに伝えて、鳩山さんはそれによって竹島は
韓国領だというふうに認識されて、そういう
一つの流れがずっと続いてきています。
そして、そういう
意味では、竹島問題の封印というのが、根本的にはこの
朝鮮王室儀軌を含めて
文化財の引渡要求の中に入っているということです。これを
一つ一つを
韓国側から見たら、政治的な成果、外交的な成果としてとらえていきます。ですから、
あと六万点ありますから、六万プラス二点かもしれませんけれども、どんどんそういう流れが出てくる可能性があるということですね。
最後に、竹島は
韓国領であったことは絶対ありません。それから、私は尖閣諸島の問題についても北方領土についてもやっておりますけれども、尖閣諸島も
中国のものであったという
歴史的根拠は全くございません。そういう
意味では、やはり
日本の外交というのがもう一度原点に立ち戻っていく必要があるのではないかなと思います。
以上でございます。