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宇都隆史君
大臣は実際にそれを、命令を下した人間を守ろうというか、部下だからそこに行きたくないという話をされていますけれども、そうじゃなくて、これ実際に
大臣が知らずに勝手に部隊が運用されている事実なんですから、これ
大臣の責任問題なんですよ。文民統制をしっかり図れていないという、
大臣のこれは問題なんですよ。
大臣は、着任のときにすぐ政務三役会議を開いて、一番
最初にどのような訓示をされたか。この部隊がきっちりと文民統制を図れていくこと、それをしっかりやることがこの政務三役の一番の使命だという、こういう訓示をなされているんですよね。実際できていないじゃないですか。
これはいろんな情報のそごがあって、勇み足があったかもしれませんよ。でも、その責任を最終的に取らされるのは現場じゃないんですよ。官僚じゃないんですよ。あなたなんです、
大臣。そのことを私は申し上げたいんです。だから、何でこういう
答弁をしているときに、現場を、いや、かばいたいからそこに余り突っ込まないでくれという話じゃなくて、私に責任があるんだという言葉が出てこないんです。そこがおかしいんです、
大臣は。──ちょっとお待ちください、まだお聞きしますから。
それで、文民統制のことに関してもう
一つこれはお聞きしたいんですけれども、つい先日ありました五月十八日の決算
委員会で、我が党の
佐藤正久委員の方から
質問がありました。その中で使われた
大臣の訓示に関して、私、これ一点だけ、
大臣、歴史の
認識の誤りだと思いますよということで訂正させていただきたいんですけれども、
大臣はこう言っているんですよ。昭和の時代に国家が存亡のふちに立たされた
最初の一歩は、
政府の
方針に従わない軍人の出現と、その軍人を統制できなかった
政府、議会の弱体化でありましたと。これ違うんじゃないんですか。
実際、どういう事実があったかというと、南京が陥落したときに、
日本陸軍の統帥部、いわゆる参謀本部ですね、今でいえば
防衛省みたいなものでしょうか。この参謀本部はどういうことを言っていたかというと、トラウトマン・ドイツ大使を通じて和平
交渉を継続しろということを再三にわたってこれ進言しているんです。当時の制服組、いわゆる軍人のトップは、参謀次官をやられた多田駿中将です。多田駿中将は涙を流しながら、この戦争は突き進むべきではない、やめるべきだというのを再三再四にわたって進言したんですよ。そのときに近衛首相はこれに聞く耳を持たずに、帝国
政府は、自後、国民
政府、蒋介石の国民
政府ですね、とは対手をせずと声明を出して、
交渉断絶をしたんです。その理由、何か御存じですか。どうして多田駿中将率いる参謀本部が、もう仕方がないと、これだけ進言しても聞いてくれないんだったら仕方がないと言ったか。そのときの理由は、軍部が主張を取り下げないと内閣が潰れるという理由だったんですよ。政治の失敗なんですよ、文民の失敗なんです。それを何かステレオタイプに、軍人がそのままやっているといけないと、それは私は間違っていると思います。
そこで、これ歴史
認識でただしておきたいというだけなんですけれども、この決算
委員会の中で言われたことに関して、
大臣は、シビリアンコントロールに関して、政治家である文民、これを、正確な言葉使いますね。政治家としての
大臣のシビリアンコントロールを背広組がしっかりカバーしている、こういう使い方したんですよ。
それでお尋ねするんですが、この背広組、いわゆる官僚の皆さんというのはシビリアンに含まれるんですか。