○
竹本分科員 要するに、評議員という立場でガバナンスを徹底することによって不祥事を防ぐといういい側面と、やはり自分の部屋だという自主独立の気概を持って、リスクをかけながら相撲取りを
育成する、その方がやはり効果があると思うんです、競争になるから。公務員みたいに全部上から給与がもらえるんだということでやってしまうと、なかなかうまくいかないんです。両方の役割があることは間違いないというふうに
思います。
私は、大相撲というのは、結局、やり方を見ておっても、土俵の上で相撲をとる、そして神主さんの格好をした行司が判定する。それはもう最終的な判定です。確かに、物言いはあります。これは最近になって、まあ最近でもないけれ
ども、その後にできたものであって、本当はもう彼が神様ですから。そういう儀式の中でやる。
そして、高い土俵でやるということは、低くやると、下手して頭でも打つと死んだりするんですね。非常な危険を伴うんですね。だけれ
ども、そういうことは、我々普通の人間では危なくてできないことです。でも、彼らはそれができる、そしてけがをしないために体を鍛えている、こういうことですね。非日常性を
期待しているんです。
私は、大相撲というのが日本の文化だと思うのは、やはりそういう儀式性、そして、これは八百長ではなくて、お互い、相手を傷つけること、けがをさせることのないような
配慮というのは常にされているわけです。それは八百長でも何でもないと思うんですよね。
変な話、相撲のわざで、最近うっちゃりが少ないと言われるんですよ。だから、それは八百長をやっているんじゃないかというんだけれ
ども、これだけ体が大きくなりまして、あれだけの高さで下へ転びますと、本当に危ないんですよ。だからそこは、けがをしないような
配慮はやはり相撲道としてあるんだと思うんです。それは八百長でも何でもないんですよね。ですから、ここは格闘技のK—1とか、ああいうのとちょっと違うところだと私は思うんです。そこがまた日本文化の象徴と言っていいような
一つの形なんですよね。
ですから、形と技術、それをともに備えた、そして国民に最も親しまれている
スポーツがこの相撲だというふうに
思います。サッカーとか野球とか、いろいろ人気はありますけれ
ども、やはり、ほぼだれが見てもルールがわかるというか、そういう
スポーツなんですね。そして、なおかつ儀式性がすごくある。これがまた日本らしさを残しているものだと思っております。
ですから、そのルールというか儀式を守る限り、今は幕内力士の半分ぐらいは外人だと思うんですけれ
ども、それは残念だと私は
思いますよ。だから、日本人が横綱にならなきゃだめだ、そういう狭い根性ではなくて、そのルールにのっとった人の中で一番強い人が横綱になるんだ、そういう解釈で私はいいと思うんですよ。
だから、日本人はもっと外国人に対して勝てるような、そういうトレーニングをやはりしなきゃいけない。そのためには、やはり出身母体の数が少ないんですね。相撲を将来やる、大相撲へ行こうという人、今、親方連中は探すのに躍起になっているんですが、なかなかいないんですよ。一たん相撲道に入ってしまうと、体が大きくなってほかに転業がきかない。野球選手だとプロゴルファーの尾崎将司みたいになれるけれ
ども、なかなかなれないんですよ。だから、それだけに、親も
子供を一生相撲で終わらせるという決断はなかなかできない。
それだけに、
社会全体で支えてあげなきゃいけない。支える責任はどこにあるかというと、やはり日本の文化ですから、公益性があるわけですから、そこは国としても温かい目で見てあげていただかなきゃいけないわけですね。
ですから、結局、今回の八百長は、私は遺憾ですよ。遺憾ですけれ
ども、その調査に何年もかけてやることによって、それと場所を中止するということを交換条件にしたことが大きい間違いだと私は思っておるんです。私は大相撲がもっともっと栄えてほしいと思う人間で、皆さんもそうでしょう、
大臣もそうでしょう。
ですけれ
ども、やはりそこの判断、できるだけ早く、夏場所から大相撲を再開させないといけないと
思いますが、夏場所、大相撲を再開するように指導しますか。
大臣、この最後の質問だけちょっと答えていただきたいと
思います。