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佐藤(茂)
委員 そこで、本題の
外交、
安全保障の問題に入りたいと思うんですけれども、
総理は、一定のめどという話をされました。我々
国民、また国会も、恐らくもうそんなに長く
総理はされないんだろう、そのように思いますので、私は、この一年二カ月間の菅
外交のいわば締めくくり総括質疑、そういうつもりで、この一年二カ月間、また、今、当面懸案になっている
外交、
安全保障の問題について
議論をさせていただきたいと思うわけであります。
ことし一年間、どういう問題がこの菅政権が誕生してあったのか。
国民の
皆さんが、ああ、こういう問題があったなと思われるものを
代表して七つ挙げさせていただきました。
一つは、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件。
これはもう
国民だれもが覚えていることでございました。結局、那覇地検が処分保留でこの漁船の船長というものを釈放してしまった。政府としては、地検に
責任を押しつけたまま釈放に至った、そういう問題がございました。これで日中
関係がよくなったらいいんだけれども、逆に冷めたまま一年二カ月たっているということでございます。
二点目は、ロシアのメドベージェフ大統領等と入れました。
メドベージェフ大統領が国後島を訪問したのが十一月一日でございます。それに引き続いて、相次ぎ閣僚が北方領土を訪問いたしました。
三点目に、
北朝鮮の、韓国の延坪島に対する砲撃事件というのが十一月の二十三日にあったわけでございます。
私がここで問題にするのは、このときの
日本政府の危機管理意識の欠如というものを問題にしたいわけであります。砲撃があったのが二時三十四分でございました。それで、
菅総理は、三時半ごろ第一報が、秘書官を通じて砲撃の一報が入ったんですね、ところが官邸入りをしなかった。何をされていたのか。
齋藤国対
委員長代理と会談を優先していて官邸入りされなかった。官邸入りされたのは、何と午後四時四十五分に官邸入りをされたという。なおかつ、
安全保障会議も開催せずに、
日本政府としての政府見解が表明されたのは、約七時間後の九時を回ってから、そういうことでございまして、
アメリカやロシアよりも約三時間も政府見解の発表というのがおくれたという危機意識の欠如が明らかになりました。
四点目に書いていますのは、もう割と近いところでございますが、四月四日に福島原発の汚染水が放出をされました。しかし、
日本からの事前通告が一切なかったことが各国から大変問題になりました。
特にお隣の韓国では、この問題が国会で取り上げられて、四月七日には、韓国
外交の無能ぶりをさらけ出した、そういうように
指摘された金滉植首相は、むしろ
日本が無能と言いたい、そういうようなことまで言った問題があったわけであります。
五点目には、
普天間問題の停滞。
これは、六月に何とか2プラス2に外務、
防衛両
大臣、こぎつけましたけれども、しかし、大きな問題は、二〇一四年という期限が延期されてしまった。このままいったら、
普天間基地そのものが固定化される、そういう危険性まで伴ってしまった。先送り以外の何物でもない、そういう問題になっているわけであります。
六点目は、領土問題で日韓
関係が不安定。
今、本当に不安定になってきております。李明博政権とは本当は日韓
関係はよかったんです。しかし、領土問題が不安定になってきております。このきっかけは、ことしの二月下旬に、
菅総理を支えておられた忠臣の
衆議院議員、きょうは名誉のために名前は出しませんけれども、元政治倫理審査会長が韓国で、
日本側は竹島の領有権の主張を直ちに撤回すべきだとするそういう共同宣言文に署名した、そういう政権自体の主権意識の希薄さというものをさらけ出してしまったことが、韓国側につけ入るすきを与えてしまった、そう私は言いたいと思うんです。
七点目に、進展しない
北朝鮮の拉致、核、ミサイル問題。
拉致問題も全く進展をしておりません。また、核、ミサイル問題についても、菅政権になりましてから、特にウランの濃縮の問題というのが、事実が明らかになったわけであります。それに対して
日本政府として、例えば厳しい国連決議をしっかりと決めろ、そういうような働きかけを執拗にやったという動きは全く感じられません。我々が政権をとっていたときには、二回目の核実験がございました。そのときには、私は政権のこの分野の
責任者として、山崎拓先生と中谷元先生と私、三人で核実験の直後に国連に伺いまして、国連のロシア
代表あるいは中国
代表とかけ合い、また、
アメリカ当局ともかけ合って、毅然とした対応をして、厳しい決議を決めるべきだ、そういうことをあの第二回の核実験の直後に
アメリカへ行って執拗に要請したことを覚えておりますけれども、そういう姿勢も、この今回の菅政権の
外交では全く感じられない、そういう問題があるわけでございます。
今大きく七点紹介をさせていただきましたけれども、どれもこれも
日本にとっては非常に重要な案件だったと思うわけであります。
一言で言うと、菅政権の一年の
外交というのは、失点続きで、国益を大きく損なう、そういうことをやってきた、そういう一年間ではなかったのかというふうに思うんですが、今、以上挙げました七点について、
総理、自分
自身がリーダーシップを発揮して、こう対応して解決したんだ、また、こう進めたんだ、そういうものがありましたら、ぜひ御答弁いただきたいと思います。