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江田国務大臣 なかなか奥の深い質問で、どうお答えしていいか苦慮いたしますが。
私も、
国会議員の方がもうはるかに長くはなっておるんですが、それでも、もともとが法律家でございまして、
裁判所でかなり長く飯を食ったりいたしまして、裁判官とか
検察官とかあるいは弁護士とか、もちろん、実務をそうやっていませんので、何でも知っているというわけじゃありませんが、やはり、こういう法曹三者の特色というもの、そのあり方というものはある程度知っているつもりでございます。
そんな中で見ておりまして、やはり法曹三者が素人の介入を許さないというようなところがあって、とりわけ裁判官は、裁判官は弁明せず、一遍判決を書いたらもう後は一切弁明しない、これは控訴なり上告なりでやってくださいと。それはそれでわかるんですが、それが法廷の現場にまでいって、
自分の言っていることが相手に通じようが通じまいがそんなことはどうでもよろしいというので法律用語でやりとりする、それに
検察官も弁護士も全部集まって、外から見たら何をやっているかわからない、それにさらに調書が加わって、そういう世界になってしまったところがやはりあったんだと思うんですね。
そこで裁判員制度を入れた。これを入れることによって、裁判官も普通の人にわかる言葉で話して、普通の人を説得できなかったら人を有罪にはできないということに今なってきたわけです。
そのことが
検察官にもやはり言えるんじゃないか。
検察官が
自分の頭の中で描いたストーリーに全部供述を持ってくるようなことでなくて、この人がなぜ、どういう気持ちでこういうことを言っているかということまでちゃんとその
立場に立ちながら人の言うことを聞けるような
検察官にならなきゃいけないというようなことがあって、今のこの村木
事件なんかを契機にいろいろな改革に取り組んでいるところだと思うんですね。
今、毎日新聞のアンケートをお示しになられましたが、ちょっと私、朝読んでくる暇がなかったので見ておりませんけれども、ちらっと見る限りでいえば、あの中に、やはり
検察にも素人の批判を許さないというようなところがちらっと見えるんじゃないか。それではやはりいけないということで、したがって、この
検察審査会制度というものも、これも重要な制度として存在しているんだと私は思っております。
九九・九%という有罪率は、これは
検察官一人一人が精いっぱい職務を執行する、それが積み重なってこういうことになっていると
思いますが、その数字が今度は逆に
自分にはね返って、この批判を許さないというような体質になったとするならば、これはやはり改めていかなきゃいけない。今、なっているというわけじゃありませんが、そういうような気持ちで
検察についての行政にも携わっていきたいと思っております。