○谷井
参考人 おはようございます。茅ヶ崎の
教育長をしております谷井と申します。
私はもともと
学校の
教員をしておりましたので、
学校の
現場に近い
立場からきょうは
お話をさせていただきたいというふうに思っております。
三十五人
学級ということにかかわっての
お話を前段で申し上げて、時間がありましたら、その他の部分についても
お話をさせていただきたいというふうに思っております。
まず、
教育委員会で実際に
学校の方に足を向ける部分が多いです。先生が一人で多くの
子供たちの
学習をきちんと保障していくということが、以前に比べて非常に難しくなってきたなということを実感しております。これは、ある見方をすると、教師の
指導力が落ちてきたんじゃないかという見え方もあるかなというふうに思います。
しかしながら、私は実際に
学校の
現場を経験した者として見ていきますと、大変
子供が難しくなったということの方が実感です。まず、落ちつきがなかなか保てない。それから、ちょっとしたことで怒る子が多いです。また、キレたり、キレると怒るとはほとんど同じというふうに思いますけれども、それから、特に低
学年を
中心として、思ったとおりにいかないとパニックになる
子供も非常に多い状態です。
そういう中で、
一つの
学級、例えば三十五人なり四十人の
子供たちすべての
学習をきちんと保障していくことが大変難しい
状況になってきたなということをまず実感をしております。
それで、教師が
子供の学びをきちんと保障していくためにまず一番大事なことは、三十五人いれば、三十五人の
子供たちの
状況を
一つの授業の中できちんと見えていくことが大事だろうというふうに思っております。
それでなければ、一斉授業といえども、単に三十五人の
子供たちを相手にただ授業を進めればいいかということではなくて、一人一人がきちんと見えた上で一人一人にきちんと応じた形の授業をしていかないと、授業自体が成立しないし、
子供にとって学びが成立していけない
状況があるというふうに思っております。
実際に
学校の
現場では、先ほどもちょっと
お話がありましたけれども、今までの
加配の先生を使って、低
学年、とりわけ
小学校一年生は三十五人
学級が実現している
状況は現実には多い
状況です。
本当のことを言いますと、もし四十人の
学級で授業がきちんと成立していれば、その
加配の先生は担任じゃない方が、
学校経営上も、それからあと
学校の
教員のいわゆる庶務的な忙しさも、実は、担任じゃない
教員が多い方が軽減されるという
状況が現実にはあります。さまざまな庶務的な、保険にかかわるいろいろ事務であるとかそういったものを含めて、その担任じゃない
教員がそういったものを一手に引き受ける方が、本当は担任が
子供にきちんと目が行くという
状況が保障できることも、ある意味では、逆説的ですけれども、あるんですね。
ですが、
全国の
学校の中で、そういったいわゆる
加配の先生を使って三十五人
学級のような少
人数学級に充てていることの方が、実はもうほとんど現実的には多い。それは、多少の忙しさがあったとしても、きちんと少しでも授業が成立する
状況をつくっていきたいという気持ちのあらわれではないかなというふうに思っております。少しでも
子供の数がある程度少なくなれば、
子供一人一人もより見えやすくなる。
ですから、そういった迫られている選択の中でそちらを選んでいるという部分があるのではないかなというふうに私は感じております。
そういう意味では、四十人の
学級よりも三十五人の
学級の方がより質の高い
学習または授業を進めていくことができるというふうに、
現場の
先生方も、または管理の責任のある
教頭、
校長先生も、実感として持っているのではないかというふうに思っております。
そういう意味では、
小学校の低
学年、一年生だけではなくて、これからも、三十五人
学級または三十人
学級が多くの
学年の中で、そしてまた
中学校の中で実現していくことが、私は、ベースの
取り組み、
子供たちの
課題を解決する最もベーシックな
取り組みとして大事であろうなというふうに思っています。
しかしながら、同時に幾つかのことをまた考えなければいけないというふうに思っております。
一点は、先ほど冒頭に申し上げました
教員の資質の
向上です。
これは決して低下しているということでは私はないというふうに思っていますが、しかしながら、三十五人であったとしても三十人であったとしても、その三十人の
子供たちの
学習をきちんと保障していくための能力というのは、より以前よりも非常に高い能力が要求されている
状況だというふうに思っていますので、そういう意味では、
先生方の資質をきちんと
向上させていくという
取り組みが同時に必要であろうというふうに思っています。
先生一人一人のいわゆる
指導の技術であるとか
指導力が高まることによって、多くの
子供であっても、ある程度引きつけていく授業が当然ながらできるだろうというふうに思っております。
それから、三十五人の
学級または三十人
学級が実現すれば、それだけでそれでは多くの
課題が解決するのかということですけれども、もちろん、ベース的には多くの
課題が解決することへつながるというふうに思いますが、しかし、
規模を小さくしても、実は授業が成立しないことは幾らでもあります。
先ほど
特別支援の
お話がありましたけれども、例えば
学級の中に
発達障害のお子さんは、
文部科学省の
調査では六・三%という
お話が先ほどございました。私、茅ヶ崎の中で、これも医学的なきちんとした判断ではありませんけれども、いわゆる
発達障害というお子さんがどれぐらいいるかということでちょっと簡単な
調査をしたところでは、国の六%よりは少ないのではないかというふうに
先生方は思っています。
しかしながら、個別の特別な配慮をしなきゃいけない
子供はむしろ六%よりも多い。ですから、八%ぐらいのお子さんは、本当に個別な
対応をしていかないと
学習が成立しにくいという、
発達障害というふうなことがはっきり言えるかどうかは別として、八%ぐらいのお子さんについては、かなり個別の
支援が必要であろうというような実感を持っているということでございます。
ではどうすればいいかということですけれども、一斉授業の中で、例えば、
発達障害であるとか、または特別に
支援の必要なお子様がいるときにはどんな
対応が一番いいかというと、だれか一人がその子についていてあげると随分違います。非常に落ちつきがない場合も、その落ちつきのない
状況にちゃんと
対応して、場合によっては、話をちょっと聞いてあげたりとかちょっと目先を変えてあげたりして、そして、ちょっと落ちついた段階になったらまた授業にちゃんと戻す。教室の中、同じ空間の中で、いわゆる全体を見る先生と同時にその個別の
子供へ
対応する方がいると、随分
学習の
状況が違ってきます。
茅ヶ崎では、市の単独の事業として、市単としてふれあい補助員という制度を設けておりまして、全部で茅ヶ崎は小
中学校合わせて三十一校ありますが、主に
小学校、十八校でございますが、その十八校の
小学校に百人ほどのふれあい補助員を
配置をしている
状況でございます。一校四人ぐらいのふれあい補助員さんがいる
状況です。
そうしますと、
一つの
学級の中で先生が一人一人の様子を見ながら授業を行う中で、そして、どうしても落ちつかない、またはパニックになっちゃったお子さんに対して、ふれあい補助員さんがそばについていてあげて、その子に少し落ちついた
状況を取り戻して、先生こう言っていたよねというような
お話をして、また授業にその
子供の集中力を戻してあげるというようなことをしております。
今、茅ヶ崎では、そのふれあい補助員をもうはがせない
状況です。要するに、いないと本当に授業が成立しない
状況に対して、逆に、教室の中に一人でもそういう方がいるだけでも随分違ってくる。
これは、必ずしも
教員免許を持っていなくてもいいというふうに私は思っております。茅ヶ崎の場合は、
教員免許を持つことが望ましいですが、そうではなくても、
子供の面倒をきちんと見てくださる、そしてまた、年に数回の研修を行って、
発達障害についてのきちっとした理解を持って
子供に接して、そしてそばについていてくれる、そういうような方を茅ヶ崎では独自で雇用しています。こういったことも国の制度になっていくと私はいいなというふうに思っております。
どんなに資質の高い先生がいても、やはり、特別の
支援を必要なお子さんに対しての
対応は難しいですね。一斉授業をやっている中で、どうしても立ち歩いてしまわざるを得ないお子さんがいる
状況があります。昔だったら、怒ればいいんじゃないかというふうに思われる部分があるかもわからないんですが、実は、怒ってもそれは難しいです。どんなに怒っても、その子はもう体が動いてしまう
状況なんです。その子自身も苦しんでいるんですが、動いてしまう
状況があるというようなことの中で、そういった
対応を現在しております。
もう一点は、
特別支援に関しての専門家のチームを持っています。そして、授業がなかなか成立しない、また、そういったお子さんに対して一斉の授業でどんな配慮をすればいいかということを、臨床心理士のかなり経験の豊富な方と実際の
一つの授業の場面を見まして、そしてその後で、授業に関して、先生、また、場合によっては
保護者も含めてアセスメントをしている
状況です。
例えば具体的な例でいいますと、どうしても、落ちつかない
子供がいると先生は注意をしてしまうんですね。何とか君、席に着きなさいというような注意がどうしても多くなります。そうすると、その周りの
子供たちも先生に協力しようと思って、何とか君、席に座りなよというようなことを周りの子たちが言い出すわけです。それは一生懸命先生に協力しようと思って言っているわけですけれども、実は、それは大きな
課題をつくっていくことになります。
それは、その
発達障害のお子さんに対して周りの子たちが、いわゆるだめだというような見え方にだんだんつながってきやすいんですね。そしてまた、先生の協力をしているんだから、そういったことはだめじゃないかというような言い方をすることが正当化されやすい
状況が生まれてくる。それから、その本人自身も、苦しいけれども体が動いちゃうような
状況のお子さんがだんだん自信を失ってくるというようなことで、やはり専門家のチームで、そしてまた
教員も一緒に交えてそういったことを見ていくと、では具体的にどうしたらいいかということがだんだん見えてくるわけです。
目先を少し変えてあげるとか、その子のちょっとした発言の本当にいいところをきちんと取り上げることによってその子がまた授業に戻ってくるという、戻るというのはおかしいですけれども、気持ちが戻ってくるというようなことがあります。そんなようなことを毎日繰り返しているような
状況です。
中学生でもやはりそういった
状況のお子さんがおりまして、例えば、自閉的な
傾向が強い子はなかなか自分の思う気持ちを伝えることができません。それで、だんだん周りからいろいろなことを言われて、自分が思うことが言えませんから、ついに爆発してしまうんです。かつてはそういったお子さんが、爆発しちゃったということによって自分も後で非常に恥ずかしい気持ちになって、そして、例えば別室で、そういう爆発しちゃった後、落ちついていくようなそういった部屋を設けて、いわゆる爆発したことの罰みたいな感じでどこかの部屋で落ちつくというようなことがありました。
しかしながら、そういったアセスメントを通して
子供自身ともいろいろなことを話し合う中で、爆発する前に自分が自分をコントロールする仕方として、先生、今からちょっと隣の部屋で落ちついてきますというようなことが言えるようになってきたという例もありました。
そういう意味では、
一つの授業の中でさまざまな複雑なことが起きていますが、それをきちんと見て、専門家とそしてまた
指導する
教員が、協力しながらその
状況をどうすればよくしていくことができるかということを話し合うようなそういったチームも、これも市単でやっていますけれども、できれば国の制度としてできてくるといいなというふうに思っております。
ですから、あくまでも少
人数学級は、すべての
課題解決のベースとしても、非常に全体の
教育の質が高まるという点でぜひ実現してほしいという部分でありますけれども、しかし、個々の授業を見ていくと、さらにそれだけではなくて、きめ細やかな、先ほど申しましたような
対応が望まれるという部分があるのかなというふうに思っております。
あと、先ほどの、
子供の
状況が落ちつかなくなったり切れたりということについては、茅ヶ崎では、例えば
中学校の
課題は、やはりよく見ていくと
小学校の
課題であり、
小学校の
課題をよく見ていくと、実は乳幼児期の
課題であったりする場合が非常に多いというふうに感じております。
ですから、いわゆる乳幼児期の
子供への接し方または養育のあり方について、やはりもう少しきちっと光を当てていく必要があるのではないかということで、茅ヶ崎ではそこのところを、最もベースとしての
研究として、
保護者の方がいろいろな形で学んでいく機会が持てるといいなというふうに思っております。
実は、さまざまな
研究者の方の
お話を伺う中で、私は、やはり、乳児期の共感性が育つというところがすべての
教育課題または
教育課題の解決につながるポイントだろうというふうに思っています。また、時間がありましたらその辺の
お話もさせていただけるとうれしいなというふうに思います。
時間ですのでこれで終わりにいたします。ありがとうございました。(拍手)