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除本参考人 本日は、
意見陳述の
機会をこのような形で与えていただきまして、どうもありがとうございます。
お手元に資料をお配りしているかと思いますけれ
ども、これからその要旨ということでお話をさせていただきたいと思っております。
私の専門分野ですが、環境経済学及び環境
政策論ということになっておりまして、その
立場から、きょうは二つお話をさせていただきたいと思っております。
一つは、
福島原発事故による今回の
事故の
被害ですけれ
ども、これにつきまして全面的な
補償を行うことが大変重要ではないだろうかということでございます。それから
二つ目は、
補償の財源を
考える際に、戦後日本の公害問題で積み重ねられてきた
経験に学んでいくことが大変重要ではなかろうかということでございます。
早速
一つ目の問題に入りたいと思っておりますが、
福島原発の
事故の
被害ですけれ
ども、この問題は、極めて大
規模な環境汚染事件であるということであろうかと思います。この特徴をまず踏まえることが大事かなというふうに思っております。この
被害ですけれ
ども、もう御承知のとおり、広い範囲に極めて深刻な
被害が生じているということであります。
私も、先週、飯舘村の酪農家の
方々に聞き取りを行ってきたのでありますけれ
ども、家族同様に世話をされてきた牛たちを屠畜場に送るということで、非常に無念な思いをされていた。ある方は、自分はこの牛たちに対して何て罪深いことをしたのかという思いを語っておられたわけです。こういう
被害が、この間も南相馬の肉牛の話が出ておりますが、
事故が
収束しない中で、依然として拡大を続けているということでございます。
こういう、
事故が
収束しないという
状況の中で先の
見通しがきかないわけでありますから、
被害を受けた
方々は、将来に向けてどういう行動を起こしていいのかということが大変難しい
事態に置かれております。例えば、避難区域にある自分の土地とか財産が今後また使えるようになるのか、あるいはもうあきらめなければならないのかということ自体がわからないということでありますから、例えば会社の
経営者なんかは、将来に向けてどういう計画を立てたらいいのか、その前提になる条件自体が定まらない、そういう大変難しい
事態に直面をしているわけです。
こうした
被害を受けた
方々が、
事故がなければ送れていたであろう生活ですとか、あったであろう仕事を取り戻していくことが、
補償をするということの目的であるべきだというふうに
考えているわけです。そのためには、
被害補償の
対象を狭く限定して線引きをしていくのではなくて、全面的に
補償していくことが大変重要になるということであります。
したがいまして、全面的な
補償とは何かといえば、
事故がなければあったはずの生活あるいは仕事と、
事故によって、その結果としてこうなってしまっているという現状との間の差の
部分をきちんと
補償していくということなのではなかろうかと思います。
こういう
被害の全面
補償というのは、もう
一つ重要な意味を持っていまして、
被害が潜在化して、隠れてしまうことを防ぐ。
被害を顕在化させて明らかにしていけば何がわかるかといいますと、
原子力発電の真のコストをきちんと計算できるということにもなるわけです。そういう意味からも、
被害の全面
補償をきちんとしていくことが大事ではないかというふうに思っております。
それから、
二つ目の問題に移りたいと思いますが、これは財源の問題にかかわることであります。
もうこの
法案の
議論でなされていますように、今、総額としてどれだけの
被害かということがまだわかっていないわけですが、そこの
被害に対して、どこからその財源を持ってくるかということが大変重要な焦点になってきているわけです。
この
事故は、先ほ
ども申し上げましたように、大
規模な環境汚染事件でありますから、戦後日本の公害問題の
経験に学んで、その教訓からどういう制度設計が大事かという
ポイントを
考える必要があるかなというふうに思っているわけです。
私なりに申せば、それはどういうことかといいますと、
被害を引き起こした関係主体の
責任をきちんと明らかにしていく、そして、その
責任に基づいて費用
負担の
仕組みをつくることが大変重要だというふうに
考えています。これがなければ、
国民の納得を結局のところ得られないのではないだろうか、
責任に基づく費用
負担という
考え方がなければ、
国民の納得が得られずに、結局のところ、むしろ混乱を拡大してしまうことにもなりかねないというふうに
考えているわけです。
今回の
責任ということを
考える上で、まず、この
事故を引き起こした直接的な
責任は、もちろん
東京電力にあるというふうに
考えられます。したがいまして、まず
東京電力がみずからの
責任を全うすることが大変重要ではないかということです。これは原賠法が定めている内容とも一致するわけであります。
東京電力の財務諸表を見ますと、今、
被害は数兆円というふうに言われているわけですが、これに対して、自己資本が不足していることは明らかであります。そうなりますと、
東電の
経営者あるいは
株主の
方々というのは当然ですけれ
ども、場合によっては、
金融機関も含めた債権者も一定の
負担を甘受するということが筋論としては必要になってくるのではないだろうかというふうに思われます。
債権者ということでいいますと、
被害者の
方々も
東電に対して請求権を持っている債権者だということが指摘をされているわけですが、これに関しては、かなり多くの
方々が一致していると思いますけれ
ども、別途保護する必要がある債権だろうということであります。
今ここでも
議論になっているのは、通常の
企業の
経営破綻をどうするかというような性質の問題ではありませんで、原賠法の「目的」に掲げられた「
被害者の保護」という精神にのっとって、
補償財源をどうやって組んでいくか、そういう
政策判断の
議論を今しているわけでありますから、この前提を逃してしまっては本末転倒な話になってしまいますので、
被害者の債権を保護するということは前提に置いた上で、どういう形で財源調達をしていくか、その中で
東電の直接的な
責任というのをきちんと全うさせていく
政策判断が重要になっているということであります。
この点で申しますと、今提出をされています原発
賠償支援法案の中身でありますけれ
ども、これを見ますと、
法案の前提は、国会でも
議論が出ていますように、
東電が
補償の第一義的な
責任を有することが大前提になっているということかと思います。
法案の中身も、確かに、
被害者に
補償を支払うのは
東京電力であるということなんですが、しかしながら、実態を見ますと、その原資の多くが、
東電以外の
原子力事業者あるいは国、こういうところから出てくることになっているわけです。しかも、それらがさらに
電気料金、あるいは場合によっては税金を通じて
国民に転嫁されていく
可能性が残っている。
他方、
閣議決定の文書にありますように、
東電の
債務超過は回避すべきであるというふうにされているわけです。ですので、
東電の
株主あるいは
金融機関の債権も、無傷ではないにせよ、守られているということになります。したがいまして、
東京電力に第一義的な
責任があるというように見えるんですが、肝心な
部分が非常に危うい、場合によっては抜け落ちてしまっているというふうにも見える中身であります。
では、
政府は何をすべきなのかということなのでありますが、まず
東電の
責任を全うさせて、
被害補償を進めるための手だてをきちんととっていくことが大事であります。
政府の重要な役割はここにあるというふうに
考えています。これは
政府の
責任でもあるわけですが、この間の
賠償支援の
議論を聞いていますと、
政府の
責任なのか
東電の
責任なのかという二項対立の
議論がかなりされているようでありますが、そうではなくて、
東京電力の
責任を全うさせるために
政府は何をするかということを
考えることが大変重要ではないかというふうに思っているわけです。
具体的には、
政府あるいは何らかの公的な主体が一たん仮に
被害補償を引き受けていって、その
支払い分を
東電の資産をもとに回収していくということが
考えられるわけです。この場合、
東電の資産からの回収額が、場合によっては、
政府が立てかえるという形での支出に見合わない、十分でないという
可能性が残されていますから、
政府もある程度の
負担をするという必要が出てくるかもしれません。
この場合、
責任に基づいた費用
負担ということを
考えるのであれば、今の
法案のように、あくまで
東電の
支援として国が財政支出を行うというような形ではなくて、
政府のこれまでの
エネルギー政策を今見直すなどという
議論が出ているわけでありますから、これまでの
政策責任等にかかわる、
責任に基づいた費用
負担であるということを、きちんと明確に説明すべきではないかというふうに
考えています。
さらに、
責任の問題を広くとらえていきますと、場合によっては原発メーカーあるいは
電力業界全体、さらには、原発
立地地域に
被害を押しつけて
電力を消費してきた都市住民あるいは
企業といったところ、場合によっては有権者の選択というところまで、広い意味では
責任が問われていくことになるかもしれません。こういう
議論を今後していけば、
電力使用者あるいは
国民の
負担というのも、単なる
負担の転嫁、しわ寄せではないというふうに
考えられるわけです。
最後になりますが、
補償財源の問題を契機といたしまして、これまでの
エネルギー政策あるいは
電気利用の
あり方を問い直していって
政策転換につなげていく、こういう時期に今差しかかっているのではないかというふうに
考えております。
以上でございます。(
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