○坂本
委員 そこは、私たちが
考える
地域の自主自立と次元的に違うと
思います。私たちは、
地域が決めること、
住民が決めること、それは大事だと
思います。しかし、最終的には、その決めることが、やはりその
地域にとって最も充実した生活や
地域の活力につながっていくんだというようなものでなくてはなりません。そして、それそのものが集合体として日本全体に満ちあふれて、そして国力そのものがやはり増強されていく、向上していく、そういうものでなくてはなりません。
ただ単に、決め事を中央が決めるのか、
地方が決めるのかということではなくて、言ってみれば、決めることはどっちが決めてもいいといいますか、どっちが決めた方がよりよい方向に進んでいくか、それは国にとってもあるいは
地方にとっても、
地域にとってもよい方向に進んでいくか、こういう非常に複合的な発想の中でこの制度というものをつくり上げなければ、権限が右から左に移った、あるいは中央から
地方に移った、そのことでやはり一部混乱も起きてくる、あるいは国力の低下ということも招きかねないようなことになると私たちは心配をしております。
ですから、ただ単なる権限だけの移譲ではなくて、もっと精緻な制度、そして将来を見越した、見通したさまざまな制度が必要であるというふうに私自身は
考えておりますので、やはりこれは非常に大きな問題として、国の形の問題として取り扱うべきことであると思っております。
そういうことで、少し歴史の勉強をしたいと
思います。国と
地方、あるいは中央と
地方、
我が国がどのような変遷をこれまでたどってきたのか。
私が解釈するなりに申し述べますと、歴史をずらずらずらっと並べますけれども、紀元三世紀ごろまでは、中国あたりから倭と呼ばれる
地域連合集団でありました。その後、六百四十五年に大化の改新があり、天皇が最高権力者ということになって国らしき形になります。七百一年に大宝律令ができて、文武天皇がそれを制定し、そして公地公民制の仕組みが導入をされます。土地はすべて天皇のものである、だから、そこで出た収益あるいは農作物については税として中央政府の方に納めなさいと。その
地方官として、徴収者として、国司が各
地方に派遣をされます。しかし、結局、
地方の豪族、
地方の有力者と一緒になる形で、だんだん公地公民制が崩れて、そして荘園ができ上がってまいります。
武家の社会になります。武士の社会になりますと、さらに、その荘園を取り仕切るために守護や地頭を配置し、そして治めようとします。しかし、その
地域、
地方では、有力者と結びつきながら、みずからの勢力を広げようというようなことになります。守護大名というのが出てまいります。そして、少しでもみずからの領分や領地をふやしたいがために、隣国との騒乱状態、動乱状態、戦争状態に入ります。長い長い戦国時代が百年間続くんです。そして、豊臣あるいは織田や徳川によって、改めて武力によって統制されるということになります。
江戸の幕藩体制というのは、こういった動乱状態、戦乱状態が百年続いたことを十分身にしみて知っておりましたので、非常に強力な幕府の権限を持ちます。そして、お互いの
地域間、各藩、三百藩の交流、あるいは三百藩同士のさまざまな争いを防ぐために、強力な藩の自治権、治外法権、こういったものをつくります。版籍を持っていれば、それですべてが擁護されるというようなことであります。ですから、不穏な動きがあれば、それは幕府の方で転封や改易あるいはお取りつぶしになるというようなことであります。そういうことで、百年の戦国時代の教訓から、この幕藩体制を築いて、国と
地方の体制を築いて、そして二百五十年間の言ってみれば平和な日本国が続くわけです。
その後、明治維新になって、強力な中央集権体制になって、そして欧米の列強に仲間入りする。中央集権体制になったことで、約三十年とちょっとでその仲間入りを果たします。その証明は、日露戦争に、あの大きな国に辛勝したということであります。それから、軍部が非常に力を持ち出して、ごらんのとおりの大戦の状況であります。
その後、アメリカから導入されました民主主義というのが、いろいろな形で、シャウプ勧告あるいはその他のもの、教育
改革も含めて、戦後の日本の時代を迎え、昭和二十二年には
地方自治法が制定をされ施行され、そして自治の概念というのが生まれて今に至っているということであります。
これが、私が
考えます、これまでの中央と
地方、あるいは日本の国の姿、そういうものであると思っております。
なぜ今、長々と何か講釈めいたこういった歴史的な話をしたかといいますと、これも提案
理由の説明の中に、「国と
地方自治体の
関係を国が
地方に優越する上下の
関係から根本的に転換し、
地域のことは
地域に住む
住民が
責任を持って決めることのできる、活気に満ちた
地域社会をつくっていかなければなりません。」というような
文言があるからであります。
この説明は間違っていません。そのとおりであります。しかし、「国が
地方に優越する上下
関係を根本的に転換し、」というのは、今の時代はそうでありますけれども、そうでない時代も来るかもしれない、絶対ではないということであります。時代によって、国がリーダーシップを発揮しなければならない時代があります。また、今回のように、大震災の中で、
地方の要望は十分尊重しながら、
地方の意見を尊重しながら、それでも、財源や復興
計画あるいは将来像は国が
責任を持って進めるというような非常時もあります。
また、もう
一つ、「
地域のことは
地域に住む
住民が
責任を持って決めることのできる、活気に満ちた
地域社会をつくっていかなければなりません。」と、提案
理由の説明の
文言が書かれております。これもそのとおりであります。
地域が
責任を持って決めること、これは大切であります。
しかし、
責任を持って決めることが活気に満ちた社会を必ずしもつくり上げると言えない場合もあります。守護大名も、あるいは国司も荘園を守る者も、
地域のことは
地域で自信を持って決めていったと
思いますが、結果としてあの戦乱状態を招いたということであります。窮屈な律令制度から逃れた者たちが
責任を持って決めたけれども、結果として長い戦乱になった。中央のくびきから解放することが必ずしもよい
地方をつくり上げるかというと、そうではないということも
考えておかなければいけないというふうに
思います。
すべて
地方に決定権をゆだねることがその
地域や国全体の活力を促すと受けとめられるような
考え方は非常に短絡的であり、やはりもう少しきめ細かな
メッセージを送ることがこの
法律あるいは私たちの
役割であるというふうに私は
思います。非常に抽象的なことになりますけれども、もっと普遍的な、自治権や、国と
地方との
関係、あり方、これを国民の方々に十分
理解していただくためのベスト
メッセージというものを、私たちは今、根気強く何回も何回も送らなければいけないというふうに
思います。
そういう点では、この
法律というのは非常に単純でわかりやすいのはわかりやすいんですけれども、私は誤った
メッセージを与えてしまうことにつながるというふうに
思いますが、いかがですか。