○阿部
委員 私は、御家族へのインフォームド・コンセントのとり方も問題なのではないかと思って、
先ほど、例えば手術に入るときにこういうリスクがありますよということが伝えられたかとか、そういうことを検証するための検証
会議なんだと思うのですね。余りに安易に流れて。
そして、実は、この
患者さんは、いわゆる脳幹反射を見るときに、よく私
どもは、大半いたしますが、聴性脳幹反応といって、音を聞かせて生理学的な反応をとるのも実施されていません。やれないような、頭部外傷がひどい事案とかではやらないですけれ
ども、大半、やはり確実に判定をしていくために、必須事項ではありませんが、精度を高めるためにやっておると
思います。
この方の御家族に、そもそも臓器
提供の
お話は、臨床的脳死判断の前になされております。見ていただきますと、八月の五日、これが医学的に言う臨床的脳死判断と私
どもが言うもので、臓器移植の
お話は八月の三日に先立って行われております。このあたりも、やはり、少なくとも臨床的脳死判断を待って、でないと、どんどん前倒し、先倒しになっていく懸念があると
思います。私は、検証
会議とはそういうところを検証するためのものだと
思いますので、
岡本政務官にはあの
状況をよく御理解いただいていると
思いますので、検証
会議のあり方、その質を高めていただければと
思います。
引き続いて、実は
子供の事案が、四月の十二日、十歳代の男の子だということで報道がされております。十五歳未満からは初めてということで、ただしプライバシーの問題等々あって公表されている部分はごく少なくて、私
どもが
社会として
子供からの臓器
提供をどう考えていくかに足るだけの情報が出ていないんじゃないかと私は懸念いたします。
一番問題と
思いますのは、この男の子が、ホームから飛び込んだ、自殺ではないかと。これは、報道上は出ておりませんのでわかりませんが、ちょうど四月六日のある地方紙に、若い
男性がホームから飛び込み、警察等々のその後の
調査でこの事案に結びついていくということで、伝えられております。自殺やもしれないということは、これはいまだにやぶの中ですし、また、どこまで出すかということも私は問題があると
思いますが、では、今のところ国民にはそれはわかっていないことだとしても、検証のあり方としてはその点も含めて考えていかないと、
子供にとっての自死、自殺はいろいろなところで今大変に問題になっており、追い詰められたその先の選択かもしれないということで、私は、これは
社会的な問題だと思うわけです。
これも
岡本政務官にお
伺いいたしますが、お手元の資料の三枚目を見ていただきますと、
子供の事案で脳死が生じた場合に、院内ではマニュアルをつくっていて、虐待防止
委員会というのがない病院では臓器
提供ができない仕組みだと言われていて、この十五歳以下の男児についても、一応その病院はそうした
委員会があったと言われています。しかし、この一番下、「
考え方」の最後を見ていただくと、虐待を受けた児童への
対応ということで、一応、虐待の存否の確定や、その死への関与の程度について、
医療機関が判断することは困難であるから、いろいろなところにお声をかけなさいということが書かれております。
私は、ここから、二つの問題があると思うんです。
実は、この自死や自殺、これからも残念ながら、防ぎたいけれ
ども、ゼロにはならないかもしれない。では、
子供が死ぬ、みずから死を選ぶということは、虐待という言葉の中に含まれた概念になっているのかどうかです。このマニュアルを見る限り、親が殴ったとか、親が何かしたとか、そういうことは含まれていますが、実は、いじめも虐待の
一つでありますし、いじめの結果の死を選ぶことも、私はある
意味で虐待なんだと思うんです。ところが、このマニュアル、何度読み返しても、そういうケースは想定外になっております。そして、もし
子供がいじめ等々の結果の自殺であれば、学校機関にも聞かなきゃいけないでしょうし、
相談すべきところ、検証すべきところが広がってまいります。
岡本政務官には、ここで言う虐待概念はいじめ自殺な
ども含んでいるのかどうか、含んでいないとしたら充実させていくべきではないか、この点についてお願いします。