○菅原
委員 自民党の菅原一秀でございます。
まず冒頭、このたびの東日本大
地震並びに大
津波災害におきまして、きょう現在、既に死者が一万人を超えております。不明者がそれに倍以上の数、そうした
被害に遭われた
方々に心から御冥福をお祈り申し上げますとともに、その遺族に
哀悼の意を表する次第でございます。また、現在、全国で千九百カ所、
避難所がございます。避難をしている
方々、また
自宅で避難を余儀なくされている
方々、すべての
被災者に対しまして、心からお
見舞いを申し上げる次第でございます。
私は、去る三月の二十日、自民党の緊急
災害対策本部の一員として、とりわけ
物資を担当する責任者として現地に行ってまいりました。二トントラックをみずから運転し、
仙台市内に入り、そこで見た光景は、都市部でもこれほどの甚大な
被害であるのか、そういう驚きとともに、四十五号線を、海岸線をみずから運転しながら、そこで見た光景はまさに地獄絵でありました。
仙台から塩竈、そして松島、さらには石巻とハンドルをとるわけでございますが、発災からちょうど九日目であったわけでございますが、町中の時計はすべて二時四十六分、七分でとまっておりました。そのことがまさに現場の甚大な
被害というものを痛切に物語っているなと。そして、信号はすべてとまっております。また、瓦れきの中を何とか車を走らせるわけでございますが、道はほとんど決壊、陥没、こういう
状況でありましたが、ましてや、その両サイドには、廃車センターが火事になったとも思わせるような、もう何百台、何千台という車が県道の両サイドにひっくり返って、車の上にまた車がある、こういう
状況を目の
当たりにしてまいりました。
そして、
物資を二トン車に積んで運んでいったわけでございますが、松島のボランティアをしている
方々のところに物を届け、その後、石巻に入りました。本当に駅、中心市街地がすべて焼けただれ、そしてまた瓦れきとヘドロの
状況の中で、やや高台にある市役所機能だけは何とか守られていた
状況であり、市長さん、現地の国
会議員ともじかに会って話を聞いて、そしてまた、ささやかながら、自民党
対策本部から党で集めた
物資をそれぞれ搬送してきたところでございます。
改めて、その現場で市の
職員から言われたことは、こういう
状況なのに、
災害救助法、
都道府県、いわゆる県
レベルではいまだに書類申請主義という現実があるんです、この
状況だからスピーディーに、例えば
仮設住宅にしても、
避難所の設置にしても、水、
食料の供給にしても、一々書類なんか必要ないはずじゃないか、しかも、電話、ファクス、携帯電話は全部不能という
状況の中で、それでも書類を申請するかのごとくの
救助法の現実がある。これはやはり改めるべきだということをつくづく私も感じてきました。
あわせて、被災をされた
方々の、例えば私はその後、南三陸町に行ってきました。そこは、
災害対策本部と町の役場機能と
病院機能と
介護機能と避難
生活をする
方々、全部同じ場所、六百坪、七百坪ある、そうした
施設に一遍に入っている
状況。町長も、九日目でありましたから、顔は真っ黒で、もう疲労こんぱい。そしてまた、さまざまな衛生上の問題もあるんでしょう、本当に大変な
状況を目の
当たりにして、この最先端の現状というものを、国の災対本部は本当に情報が適宜細かに入ってきているんだろうか、
都道府県レベルでとまっているのではないか、そういう思いを私は目の
当たりにしたわけであります。
大臣初め三役は、現場に赴いたんでしょうか。そしてまた、今現在の、ようやくここに来てやや落ちつきを取り戻しているかもしれませんが、一番最先端の現場の情報というものは本当に国の
災害対策本部に上がってきているのかどうか、そのスキームについてお示しをいただきたいと思います。