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2011-04-27 第177回国会 衆議院 外務委員会 第9号
公式Web版
会議録情報
0
平成二十三年四月二十七日(水曜日) 午前九時一分
開議
出席委員
委員長
小平
忠正君
理事
吉良
州司
君
理事
首藤 信彦君
理事
長島 昭久君
理事
西村智奈美
君
理事
秋葉 賢也君
理事
小野寺五典君
理事
赤松 正雄君 浅野 貴博君
大泉ひろこ
君
勝又恒一郎
君
菊田真紀子
君 阪口
直人
君
高橋
英行
君
道休誠一郎
君
中津川博郷
君 中野 譲君 萩原 仁君 浜本 宏君
早川久美子
君
伴野
豊君
山尾志桜里
君
山岡
達丸
君
山花
郁夫
君 河井 克行君
北村
茂男
君
河野
太郎
君 高村 正彦君
平沢
勝栄
君
松本
純君 笠井 亮君 服部 良一君 …………………………………
外務大臣
松本
剛明君
内閣官房
副長官
仙谷
由人君
外務
副
大臣
伴野
豊君
外務大臣政務官
菊田真紀子
君
外務大臣政務官
山花
郁夫
君
政府参考人
(
宮内庁書陵部長
) 岡 弘文君
政府参考人
(
文化庁文化財部長
) 関 裕行君
参考人
(
慶應義塾大学名誉教授
)
田代
和生
君
参考人
(
拓殖大学教授
)
下條
正男
君
参考人
(
茨城大学名誉教授
)
荒井
信一
君
外務委員会専門員
細矢 隆義君
—————————————
委員
の異動 四月二十七日
辞任
補欠選任
勝又恒一郎
君
高橋
英行
君
早川久美子
君
山岡
達丸
君
金田
勝年
君
北村
茂男
君
河野
太郎
君
松本
純君
松野
博一
君
平沢
勝栄
君 同日
辞任
補欠選任
高橋
英行
君
勝又恒一郎
君
山岡
達丸
君
早川久美子
君
北村
茂男
君
金田
勝年
君
平沢
勝栄
君
松野
博一
君
松本
純君
河野
太郎
君
—————————————
四月二十六日
社会保障
に関する
日本国
と
ブラジル連邦共和国
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件(
条約
第五号)
社会保障
に関する
日本国
と
スイス連邦
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件(
条約
第六号)
日本国
と
インド共和国
との間の
包括的経済連携協定
の
締結
について
承認
を求めるの件(
条約
第一八号) は本
委員会
に付託された。
—————————————
本日の
会議
に付した案件
政府参考人出頭要求
に関する件
図書
に関する
日本国政府
と
大韓民国政府
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件(第百七十六回
国会条約
第五号)
社会保障
に関する
日本国
と
ブラジル連邦共和国
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件(
条約
第五号)
社会保障
に関する
日本国
と
スイス連邦
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件(
条約
第六号)
日本国
と
インド共和国
との間の
包括的経済連携協定
の
締結
について
承認
を求めるの件(
条約
第一八号) ————◇—————
小平忠正
1
○
小平委員長
これより
会議
を開きます。 第百七十六回
国会提出
、
図書
に関する
日本国政府
と
大韓民国政府
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件を議題といたします。 本日は、
本件審査
のため、
参考人
として、
慶應義塾大学名誉教授田代和生
君、
拓殖大学教授下條正男
君、
茨城大学名誉教授荒井信一
君、以上三名の方々に御
出席
をいただき、御
意見
を承ることにしております。 この際、
参考人各位
に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本
委員会
に御
出席
いただきまして、まことにありがとうございます。
参考人各位
におかれましては、それぞれのお
立場
から忌憚のない御
意見
をお述べいただきたいと存じます。 次に、議事の
順序
について申し上げます。 まず、
田代参考人
、
下條参考人
、
荒井参考人
の
順序
で、お一人十分程度御
意見
をお述べいただき、その後、
委員
の
質疑
に対しお答えをいただきたいと存じます。 なお、念のため申し上げますが、御発言の際は
委員長
の許可を得ることになっております。また、
参考人
は
委員
に対し
質疑
をすることができないこととなっておりますので、あらかじめ御了承願います。 それでは、
最初
に
田代参考人
にお願いいたします。
田代和生
2
○
田代参考人
おはようございます。
田代
です。 本日、
宗家文書
について説明してくれという御依頼が急にございまして、十分間で説明するのはとても無理なんですけれども、表などを交えながら、簡単に御説明いたします。 まず、
宗家文書
というのはどういうものかといいますと、
江戸時代
、対
朝鮮外交
、貿易を幕府から委託されました
対馬藩宗家
に伝わる
記録文書類
です。
日本
の古文書はもちろんのこと、
朝鮮側
の公文書もございまして、これは約一万点ほどございます。
江戸時代
の
日朝関係
といえば、十二回の
朝鮮通信使来日
で知られておりますけれども、通常の
日朝外交
というのは、
朝鮮釜山
の
倭館
という
日本人居留地
で行われておりました。そのあり方というのは、鎖国と言われる
江戸時代
の常識を覆すものでありまして、
実態
を知る手がかりはすべて
宗家文書
によるしかありません。
宗家
は
実務外交
をこなすために
記録
の
保管
、整備に力を入れたことから、その数量は膨大な量になります。 お
手元
にお配りしました
参考資料
をごらんください。これから現在の
宗家文庫
、
宗家文書
の
状況
と
韓国
に伝わる
保管本
の
状況
について御説明いたします。 表の左側の方にありますA、B、Cというのは、
江戸時代
に
保管
、
記録
がつくられた場所ということになります。上から
対馬
の国元、Bが
倭館
、そして
江戸藩邸
です。各地で
記録
、
保管
、活用が進められましたが、
江戸時代
が終わりまして、さまざまな
事情
によって、現在、七カ所に分散されております。 右の方、上から
三つ目
のところに
韓国国史編纂委員会
というのがございます。ここに約二万八千点現存いたします。
宗家文書
が今現在どのぐらい存在するのかということにつきましては、
対馬
の
保管本
が不明なために、約十三万点という概数しかわかりませんけれども、
韓国
の
保管本
は二二%に相当いたします。この
韓国本
は、一九二六年、一九三八年の二回に分けて
宗家
から
朝鮮総督
府が購入したものです。
総督
府が買い上げて、
文化事業
の一環としてこれが伝わっております。一九八七年、果川というところに新庁舎ができまして、
マイクロフィルム化
でこれが
公開
されております。 今回、
図書協定
がありましたことから、
宗家文書
の
原本
を取り戻せるかどうか、あるいは
引き渡し
が可能かということについていろいろと議論があると思いますけれども、私は
研究者
の
立場
から申し上げたいと思います。
宗家文庫
、特に
韓国
にあります
宗家文庫
は、
日本
にあるほかの本、
朝鮮本
とありようが異なってあります。これは、
宗家文書
の
韓国
へ渡った由来というのが、
日本人
の手によって
朝鮮史
を書きかえようという意図のもとで
総督
府が購入して
置き去り
になったものです。そういったことで、非常に
事情
が違っているということで、
韓国側
のこの
資料
に対する思い入れは非常に複雑なものがあると思います。 そのころ、
日本
の
資料
で
韓国
の
歴史
を見ることなど、タブーで
非公開
になっておりました。私
たち日本人研究者
は、一九七〇年代ごろからこの
資料
の
貴重性
を説きまして、長い間かけて、
目録化
、そして
公開化
を進めていただきました。 まず、この
資料
のことについて
韓国側
に何かを持ちかけるときは、
日本人
としてやるべきこと、大切にこれを
保管
管理していただいた
韓国側
に深い感謝と尊敬の念を抱くべきだと思っております。まずそこからスタートしていただかないと、再び
非公開
になる、これが
研究者
が最も恐れるところであります。
研究者
にとりまして、何をやっていただきたいか。恐らくは、
原本
の取り返し、
引き渡し
というのは非常に難しいんじゃないかと思います。しかしながら、せっかくこういう
機会
があるのですから、何か
学術資料
の
情報交換
という形で、この
宗家記録
を
日本
と
韓国
との
共有資料
にできないかということを考えていました。幸いにも、
宗家文書
は
マイクロフィルム化
が七〇%進んでおります。これを一括して
日本
に提供していただける、これが
研究者
にとりまして望外の喜びであります。現在、この
宗家文書
への
アクセス
は大変困難な
状況
にあります。しかるべき機関でこの
マイクロフィルム
を
保管
管理していただきますと、最も
研究者
がこれを望むところでございます。
日朝関係史
の
研究者
は、かつての
植民地時代
の
政策
の負の遺産ともいうべきいろいろなものを抱えております。特にこの
宗家文書
は、
韓国
でいまだに十分に利用できない
状態
に置いてあります。この
宗家文書
、
置き去り
になっている
日本
の
資料
としては
最大級
のものです。しかし、その
交渉
の仕方を間違えますと、
研究者
は再びこの
資料
から遠ざけられてしまいます。 どうぞ、この
協定
を契機に
文化交流
を一層促進し、そして
アクセス
がもっとできるように、特にお願いしたいことは、
マイクロフィルム
などの
複製資料
によって、これに
研究者
が
アクセス
できるような環境を整えていただきたいということにあります。 以上です。(
拍手
)
小平忠正
3
○
小平委員長
ありがとうございました。 次に、
下條参考人
にお願いいたします。
下條正男
4
○
下條参考人
遅くなりまして申しわけございません。
拓殖大学
の
下條
と申します。 今、
田代先生
の方から
対馬家文書
について
お話
がありましたが、私は、
朝鮮王室儀軌引
き
渡し
の
歴史
的な
背景
について、つまり、
対馬家文書
をどうするかとか
朝鮮王室儀軌
をどうするかという問題ではなくて、その
背後
にある問題というものを
お話
をしておきたいと思います。 お
手元
の
資料
を、十分で非常に限られていますので早口で
お話
ししますが、一番から四番に分かれております。
朝鮮王室儀軌等
の
引き渡し
の
課題
、どういう
課題
があるのか。二番目は、
文化財
の
引き渡し
の根底にあるのが実は
竹島
問題だという
実態
、このことをここにお集まりの
議員
の
皆様
がどれだけ認識されておるのかどうか、これが非常に大きな問題です。それから三番目が、
歴史認識
と
歴史
事実の違い、これがどのようなものかということをやはり理解していただきたい。それから四番目、
日韓
の
和解
。これは、こういった問題の原点は
竹島
問題にあるわけですから、
竹島
が
返還
されてからこういった話し合いをしても構わないのではないかというふうに私は考えております。 その理由。まず一番、
朝鮮王室儀軌
、こういった
引き渡し
の前提として、既に二〇〇六年七月十四日、東京大学から
朝鮮王朝実録
というものが
ソウル大学
に寄贈されております。それから、
北関大捷碑
、これは二〇〇五年十月に
韓国
を通じて、
北朝鮮側
に返されております。 こういった問題は、本来、起こるべくして起こったものではなく、起こされたものだ。なぜなら、一九六五年の六月二十二日、
日韓
は
基本条約
を
締結
しておりまして、そのとき
文化財
及び
文化協力
に関する
日本国
及び
大韓民国
との間の
協定
が結ばれておりまして、一応こういった問題は解決していたということ、一応区切りがついていたということです。そして今、
韓国側
は新たに、過去の清算であるとか
未来志向
の
日韓関係
、
歴史
の
和解
というような
言葉
を使いながら、
文化財
の
返還
、
引き渡し
ではなくて
返還
を求めております。 なぜこのような
状況
になったのか。それは、二番目のところなんですね。一番目に、
竹島
の日
条例
というのが、二〇〇五年三月十六日に
島根県議会
によって制定されました。ここから
竹島
問題が浮上してまいります。顕在化してくるわけですね。 これは、今までの
日本
の
外交
が、こういった
国家主権
にかかわる問題にほとんど目をつぶってきた。
皆さん
ここにブルーのリボンなんかつけておられますが、実際に今動いていませんね。北方
領土
もそうですね。尖閣に関しても何も言えないですね。
竹島
についても、極端に言うと、奪われたにもかかわらず、何も言ってきませんでした。つまり、効果的なことは何もできなかった。それが、
竹島
の日
条例
というものがあることによって大きな変化が出てきます。こういった対応は、
日本
よりも
韓国
の方がはるかに早いです。 というのは、
竹島
の日
条例
を制定するほぼ一週間前に、
韓国側
は、二番目のところ、二の二、
対抗措置
として、
東北アジア
の平和のための正しい
歴史定立企画団
というものがつくられます。これは後に、二〇〇六年九月に
東北アジア歴史財団
となり、
李明博政権
になってから独島
研究所設置
です。これは二〇〇八年の八月ですが、七月、
日本
の中学校の
学習指導要領解説書
に
竹島
問題が記載されたということに対する
対抗措置
ですね。 そういった
意味
では、
盧武鉉大統領
、
潘基文
という
外務大臣
、彼と、
李明博
さん、すべて国策によってこういったことが行われているんです。そして、この
文化財
の
引き渡し
、
返還
もその
運動
の中の
一つ
だということをまず御認識いただきたいと思います。 そういった中で、二〇〇六年九月から、
東北アジア
の平和のための正しい
歴史定立企画団
というものが
東北アジア歴史財団
となりまして、
戦略的テーマ
が変わります。
竹島
問題、それから
日本
海の呼称問題、これについては私はすべて論破してございます。それから
東北工程
、高句麗史問題ですね。 この高句麗史問題というのは、実は
韓流ドラマ
と極めて深いかかわりがあります。
皆さん
もファンがいらっしゃるかと思うんですけれども、「朱蒙」とか「
太王
四
神記
」というのは、これは
日本人
あるいは
韓国人
を洗脳するための
ドラマ
だということですね。つまり、高句麗というのは、
歴史
的には、
韓国
の
領土
でもありませんし、
中国
の
領土
でもありません。それを、自国の
領土
だということを主張するために使った、つくったものが、「朱蒙」であり「
太王
四
神記
」だということですね。そういう
意味
では、
日本
は一生懸命今協力しているわけですね。 この高句麗史問題というのは
中国
と
韓国
の間で盛んに、もう今はちょっと沈着していますけれども、
中国側
から見た
日本側
の
動き
は極めて不愉快な
動き
だと思います。 そういうこと、これも
中国側
、
韓国側
の主張には全く
根拠
がないということは既に明らかにしております。それは、そこに「拙稿」と書いてありますけれども、拓大の「
海外事情
」という雑誌の中で既に述べております。そのとき、もう既にこういう問題が起こるということで、大体、二〇〇三年、二〇〇四年、五年ぐらいの間で明らかにしております。 それから、慰安婦問題。これは、二〇〇七年、アメリカの下院とかカナダとかオランダで
批判決議案
が出されますね。この
背後
で動いていたのがやはり
韓国側
です。そして、
東北アジア歴史財団
もこういったところに深くかかわっています。
歴史教科書問題
、靖国参拝問題、白頭山問題、これはすべて
韓国側
、
政府
が行っているものです。 そういった中で、
韓国
は
歴史NGO世界大会
というものを開くのです。これは、
世界各国
の
歴史NGO団体
に対して、旅費と
滞在費
全部
韓国持ち
ですね。ですから、大々的に人を集めてどういうことをやるか。その
成果
を、
皆さん
のお
手元
の
資料
、次のページのところに、この
財団
の
理事長
、鄭在貞、鄭さんという方なんですが、この方は非常に正直な方で、
財団
はどんな仕事をしたか、一番下のところですね。 その次には、
政策
をつくるのに
一定部分
の役割を果たしたと考えている、
菅直人日本政府
が八月十日、声明を出した、いわゆる
談話
ですね、
一定
の寄与をしたと。
強制併合
に関する
談話
の
内容
が十分ではないけれども、
談話
が出たということ自体は
意味
がある、当時
日本政府
は
衆議院選挙
を前にして
支持率
が下落していたし、政治的に相当難しいときであった、このようなときに
日本政府
を説得し、説得したんですよ、結局、
菅総理
の
談話
をつくり出したんだというふうに自負しています。 その中で、
菅談話
の
核心内容
というのは、
韓国人
の意思に反して
植民地支配
をした、これに対して痛切な反省と
謝罪
をするということ、それ以前になかった
アクションプラン
も提示したが、その中の一部が、
朝鮮総督
府を経由して搬出された
韓国
の
文化財
を
返還
するということ、それから、
サハリン強制徴用同胞
を支援する、
日本
の中に散在する
朝鮮人遺骨
を戻すと。このことを仕込んだわけですね。 それがどうしてできたか。それが、去年の七月二十七日、両国の
国会議員
らが参席するシンポジウムを
ソウル
で開いた、我が方からは
日韓
の
議員代表
、
日本側
からは
渡部恒三
さんが出て、そして両方が会ったんだ、でも、ほかには話していないんだと。私
たち
があっせんしたものは、
松下政経塾
を通じてそのきっかけをつくった、
政経塾
というのは
右派
だ、
日本
を動かすには
右派
を攻略すべきだ、
責任者
を呼んできて講演をさせて、そしてついに百年、
一緒
に協力しようということにしたと。結局、
松下政経塾出身
の
国会議員
数十人いるが、その人々を皆呼んで、
韓日
の
議員
が集いを持つことになった、
韓日
百年の
歴史
に対する省察と
未来ビジョン
を
一緒
に議論した、こういったところから
菅談話
ができたと言っているんですね。 そして、ほかにしたことは何があるかというと、
事業
の実行の側面では、
日本
の
歴史教科書
の是正、それから
日韓
の
市民団体
を集めて、
国内
六十、
日本
四十ぐらいの
NGO
を
一つ
にまとめて、そして、昨年八月に出されましたけれども、
韓国
の
強制併合市民共同委員会
というものをつくって、そして
共同宣言文
をつくったということを言っています。 つまり、こういった
背景
にあるんですね。ですから、この流れの中に
朝鮮王室儀軌
の問題が潜んでいるということになります。 そして、こういったことに対して、今お
坊さんたち
もいらっしゃいますが、実は前回ここに参加された、
朝鮮王室儀軌
早ければ来月末に戻ってくる、
聯合ニュース
、四月二十五日の配信です。これをごらんになりますと、一番下だと思うんですが、これは、
自民党
を除いた方、
自民党
以外は全部賛成するだろうということを予測して、下の方、還
収委員会
は、参議院で
協定
が最終批准されれば、五月中旬、
日本
で
朝鮮王室儀軌還収
のために努力した
日本関係者
など二百人余りを招請し、
歓迎レセプション
を開くんだということですね。ですから、この中にもこれに参加される方が多分いらっしゃるかもしれませんね。 そして、最後に、
文化財
還
収運動
の価値と
成果
を共有しながら、これからも
日本国内
のほかの
文化財返還運動
の
開始点
となるだろうというふうに述べております。つまり、ここが出発ですね。 しかし、問題は、
竹島
がなぜ
韓国側
によって奪われているのか。これは、
日韓
の
国交正常化交渉
のときに
韓国側
の
外交カード
として使われたものです。
歴史的根拠
として見たときには、
韓国側
には
竹島
を領有する
根拠
というのは全くありません。にもかかわらず、
日本側
が何もしない間に
韓国側
がいろいろな手を打ってきているということ、そして、さまざまな
歴史
問題は、
日本
を封じ込めるための手段にすぎないということです。 そういったことから見ていくと、
李承晩ライン
で、実は、
拿捕
、抑留された人、この
人たち
が人質となって、
在日韓国人
の
法的地位
を与えるということ、
文化財返還
ということ、それから
朝鮮
半島に残してきた
日本人
の資産、それを全部ゼロにするということ、
外交カード
ですね。しかし、
拿捕
、抑留された三千名はいまだに救済されていません、
謝罪
もされていません。 そういうことを考えていきますと、非常に大きな問題があるということを認識していただかなければならない。逆に言うと、下手なことをやると、つまり、
竹島
問題を解決しない
状態
でこれを続けていくということが、これから同じような問題が続々と出てくるということですね。そのことを御認識いただきたいと思います。 済みません、十分では話が十分にできませんが、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(
拍手
)
小平忠正
5
○
小平委員長
どうもありがとうございました。 次に、
荒井参考人
にお願いいたします。
荒井信一
6
○
荒井参考人
皆様
おはようございます。 私は、
歴史研究者
として
意見
を申したいと思います。お
手元
に
資料
が回っていると思いますが、それに沿って申し上げたいというふうに思います。 まず
最初
に、
朝鮮王室儀軌
とは何かということなんですが、これは、
王朝
の
正統性
を維持し、伝えていくために、先例となるような儀礼を
記録
したものであるということであります。 その後の経過をその後にまとめております。 御承知のように、一九一〇年に
韓国併合
をいたしました。そのときに明治天皇が前
韓国皇帝優遇
に関する詔書というのを出しまして、そこで、朕はまさにその軌儀を定めということで、
皇室典範等
の法令にのっとる、それから、
朝鮮
の
旧習
をしんしゃくして、新たに
日本
の
天皇制
に編入された
朝鮮
の
王公室
の処遇というものを法制化するということを言うわけであります。 一九一六年に
王公家軌範
ということで審議が始まるわけですけれども、結局まとまらない。
皇室典範
に、
皇族女子
は王族または
公族
にお嫁に行っていいんだということだけを書き入れただけであります。 そしてその後、一九一九年に、廃位されました
光武帝高宗
という方が亡くなるわけですが、それを
機会
に
朝鮮全土
にわたって広範な
独立運動
が起こっております。 そして、この
独立運動
を経まして、その後、第二期では、むしろもっと積極的に
天皇制
の中に
朝鮮
の
王公室
を取り入れようということで、その問題が非常に大きくなってきます。これは直接的には、二〇年に
李王世子李垠
と
日本
の
梨本宮方子
の結婚ということが行われるわけです。そのときに、
朝鮮
の王家と
日本
の
皇室
の
関係
の調整が急務になってきます。 例えば、結婚すれば
妊娠
あるいは出産ということが予定されるわけですけれども、その
妊娠
のときに、例えば岩田帯を締めるのか締めないのか、こういう問題もあります。あるいは、お子さんが生まれた場合に、これを殿下と呼ぶのか呼ばないのか。こういうことは、小さい問題のようでありますけれども、当時としては大問題であったということは、その次に、
宮内次官
の話したこと、つまり、これはもう
総理大臣
も
責任
を持って解決しなきゃいけない問題だと言った
資料
を引用してございます。 そして、その中で
朝鮮
の
旧習
を
参考
にするために、一九二二年に
朝鮮総督
府が
王室儀軌
を
宮内庁
に、
日本政府
に寄進をする。そして、それを
参考
にして、一九二六年十二月一日に
皇室令
として
王公家軌範
というものが発布されるわけです。その後に
宇垣一成
という
朝鮮総督
の
言葉
をあれしてありますけれども、それをお読みになっていただければ、むしろ、
朝鮮
の
王公室
を
天皇制
の中に取り入れて、
朝鮮
の民衆との間に隔絶させなきゃいけない、そういう
政策目標
がよく書かれていると思います。 そこで、戦後でありますけれども、戦後は、
皆さん
もう御存じのことでありますが、一九六五年に
日韓基本条約
ができたときに
文化財
及び
文化協力協定
というものができて、ある
一定
の限度はありましたが、
文化財
を
韓国
へ
引き渡し
ます。それからもう
一つ
は、
日本国民
が自発的な
文化財寄贈
をすることを勧奨するということもここでできるわけです。 そこで、現在ですが、二〇〇一年に
情報公開法
が施行されます。そして、
宮内庁訓令
第三号というもので、非
現用資料
、つまりこれは
歴史資料
のことなんですが、
書陵部
に移管されるわけです。
歴史資料
の
公開
はここで非常に困難になりますが、しかし、いろいろな
動き
の中で、次第に、
制限つき公開
の方向へ動いていって、この段階で初めて、
王室儀軌
が
日本
の
宮内庁
の中にあるということが確認されるわけです。それを受けて、
韓国
の
儀軌返還運動
が本格化しますし、あるいは、今言ったようなことの延長上で
菅談話
が行われ、
貴重図書
のお
渡し
、現在の
図書協定
に来たということであります。 私の
意見
でございますけれども、
一つ
は、この
王室儀軌
の寄贈というものは、三・一
独立運動
で動揺した植民地統治、
植民地支配
の立て直しを図った内鮮融和
政策
、内地と
朝鮮
、植民地
朝鮮
を融和する一環として行われたものでありますから、その
返還
は、
植民地支配
の清算に通じるものとして、
韓国
との
和解
と友好
関係
を一層増進させることになります。 それから第二番目には、
歴史資料
の
返還
一般として考えてみますと、
王室儀軌
は五百年以上続いた
朝鮮
王朝
研究の基本的
資料
であります。その史跡や
歴史
遺物は
朝鮮
半島の全域に存在して、大事にされています。そして、
朝鮮
の人々の国や地域への誇りや帰属意識、そういうもののよりどころになっておるわけであります。つまり、
歴史資料
などの
文化財
は、その成立した環境、
背景
に置くことによってその真価が理解できるので、原産国に置くことが望ましいということであります。 三は、現在、
文化財
について、国際的な
動き
、非常にいろいろな
動き
があります。簡単に言えば、
文化財
というのは民族または地域に固有のものでありますが、同時に、それが国際的に認知されることによって普遍的な価値を持つことができます。つまり、グローバル化の中で普遍的な価値を有する
文化財
、これは、観光資源としての国際性、それから経済的にも非常に重要なものに現在なりつつあります、世界的に。そのためには、基本的に
公開
して、観客とそれから
研究者
、これが自由に
アクセス
できる、自由な研究ができるというふうにしないといけない。所有権の移動にもかかわらず、
返還
された遺物等を、例えば、共同で巡回展示をやるとか、博物館を共同で管理する。 あるいは、最近のアメリカの例でいいますと、インカ帝国の秘宝をイエール大学が一九一二年に取得しております。これが、ことし
協定
ができて、イエール大学がペルーの大学に
返還
したわけですけれども、これは、イエール大学とクスコの大学との
協定
で、例えば、イエールの学生がクスコへ行ってフィールドワークをやるとか、あるいはクスコの、ペルーの
研究者
がイエール大学に来て研究をするとか、あるいは大事なものは複製をつくってイエール大学に置くとか、いろいろな工夫をやっているわけであります。 そういう
意味
で、
王室儀軌
の
返還
というものが、
歴史資料
の
公開
、それから
アクセス
、研究の自由の保障、こういうことに積極的に役立っていく、これは絶好の
機会
だというふうに私は考えております。 以上でございます。(
拍手
)
小平忠正
7
○
小平委員長
どうもありがとうございました。 これにて
参考人
の
意見
の開陳は終わりました。
—————————————
小平忠正
8
○
小平委員長
これより
参考人
に対する
質疑
に入ります。
質疑
の申し出がありますので、順次これを許します。
山尾志桜里
君。
山尾志桜里
9
○山尾
委員
おはようございます。民主党の
山尾志桜里
と申します。 本日は、
参考人
の
皆様
、お時間を割いていただいて、貴重な御提言をありがとうございました。 今回の
日韓
図書協定
の議論に当たって、私としては、タイミングを失しない速やかな
引き渡し
が必要だと思っています。ただ一方で、これがあくまでもまさに
引き渡し
だということ、自主的で特別な個別の措置だということ、これをやはり
国内
でも対外的にもしっかりと確認していくことも重要なことだろうというふうに考えています。 この速やかな
引き渡し
ということに関連をして
田代先生
にお伺いをしたいんですが、今回、
引き渡し
の議論になっているこの
朝鮮王室儀軌
、これは
日本
の
研究者
の方も当然研究の対象にされていると思います。こういった
研究者
の方々の今後の研究
資料
として利用していくためのフォローあるいはサポート、これを
日本政府
としてもしていかなければいけないと思うわけですが、具体的にどういったことがサポートとして考えられるんでしょうか。
田代和生
10
○
田代参考人
お答えいたします。 私は
日本
史の方で、専門ではございませんけれども、
朝鮮史
の友人がたびたび言っております。この
引き渡し
に際しまして、必ず書誌学的なさまざまなデータを残していただきたいということ、そしていろいろな、画像的なものも含めまして、そういった複製も含めまして、そういったものを全部残していただければ、ほかにも写しというか
王朝
儀軌の複本というのはあるので、これが渡ってしまったので研究がもうとまってしまうということはないというふうに聞いております。これは私の研究ではなくて、ほかの
研究者
からの
意見
です。
山尾志桜里
11
○山尾
委員
ありがとうございます。 では、次に、まさに
田代先生
の御専門であります
日本
由来の
対馬
宗家文書
、これが一部、二万八千冊程度が
韓国
の国史編纂
委員会
に
保管
をされているということを先ほど御説明もいただきました。それに関して、先生の方からは、これまでこういった
資料
に
日本
の
研究者
として
アクセス
を求めていく中で、非常に困難な過程を経ながらも、恐らく、少しずつ解除を進めていただいたというような過程があったと思うんです。その相手方との
交渉
の過程ですとか、あるいはそれを踏まえて、現在はどういった
アクセス
が可能になっているのかということを少しお伺いできればと思います。
田代和生
12
○
田代参考人
私が
最初
に
韓国
に行きましたときに、この閲覧の権限は全部国史編纂
委員会
の
委員長
が持っておりました。その
委員長
がこれをお見せできない理由ということで申されたことは、
朝鮮
戦争が終わった後、私
たち
が
ソウル
に戻ってきて見た光景というのを話していただきました。
宗家文書
が中庭に山のように積まれておりまして、今すぐにガソリンをかけて燃やす寸前になっていたということ、雨ざらしになっていた文書を一点一点手に抱えて、我々は倉庫に戻したという話。そしてこれが、
日本人
の手によって
朝鮮史
を書きかえようという意図のもとに、その材料として
朝鮮総督
府が購入した
資料
である、
日本
の
資料
である、向こうにとりましては、そういった敵のものの
資料
を大事に
保管
しなきゃならない、そういう矛盾、それがやはりあったということを
お話
しになりました。しかしながら、やはり
歴史資料
というのは大事なので、そのことに価値を見出した我々は、それを
非公開
の形にして、そしてかぎをかけて、とりあえずこれが学者の目にまだ映らないようにしていますということを申されました。 それで私
たち
は、長年、
機会
をかけまして、そうではない、この
資料
は、
日本人
にとっても重要だけれども、
韓国側
にとってもとても重要であると。つまり、交流史の
資料
というのは、
日本
のことだけを
記録
しているわけではなくて、
韓国側
のことも
記録
してある、したがって、両方にとって宝の山だということを申し上げました。 そのために、それでは、
原本
が大事なのでということで、かなりの部分を
マイクロフィルム化
いたしまして、それを
公開
する。しかしながら、この
マイクロフィルム
が限られて一日に二百枚しかプリントできないという厳しい条件にありますので、若手
研究者
が大変お金がかかって困っているということを何度も聞いております。私
たち
は、そういったことを改善していただければ非常に前を向いて
日韓関係
の
文化交流
が図られるのではないかというふうに考えております。 以上です。
山尾志桜里
13
○山尾
委員
ありがとうございました。 さらに、今のことに関連をしてもう
一つ
、一歩進んでお伺いをしたいのは、先ほど
田代先生
は、こういった件は
交渉
の仕方を間違えるとよくない、
研究者
としても、今回のこういった
協定
の議論と相互という形で
引き渡し
を求めることが必ずしもいいこととは思われない、こういう趣旨の御発言をされたかと思います。 こういったことをもしした場合にどういった反応を想定されているのかを含めて、もう少し
お話
をいただければと思います。
田代和生
14
○
田代参考人
これは
韓国側
の感情の問題だと思うんです。対等に、こちらが本を渡すので向こうから
渡し
ていただきたい、そういう議論にはこれはならないと思うんです。つまり、置かれた
状況
、
置き去り
になった
状況
というのが
状況
なので、
韓国側
の
宗家文書
に対する思いがとても複雑だということが考えられます。 したがって、こちらからそういう形で
外交
交渉
というところに臨みますと、必ず、それならばこれは
非公開
にしましょうということで、とりあえず別の場を設けてやりましょうという段階に多分行きますので、そうなりますと、私
たち
研究者
は、本当に、何十年の苦労がすべて消えてしまうということになりますので、一番いい形で進める。ここに関心を持っていただいたことはとてもありがたいと思うんですけれども、やり方を間違えないように、ぜひ、
韓国側
の
状況
というもの、それからこの
資料
の由来をきちっとお調べになった上で先に進めていただきたいというふうに考えております。
山尾志桜里
15
○山尾
委員
ありがとうございます。 そしてまた、
田代先生
は、
日韓
歴史
共同研究
委員会
の
委員
としても御活動された御経験もおありと伺っています。
歴史認識
を異にする
研究者
の方と共同で研究をしていくということを通じて、特に、用いる文言を選択していく際の非常に敏感な議論も重ねてこられたことだと思います。 そういった御経験も踏まえてお伺いをしたいのが、私、冒頭に言い間違えまして大変失礼をいたしましたが、この
協定
文には
引き渡し
という文言があくまでも記載されている。ただ一方で、
韓国側
の発信を見ますと、
返還
という
言葉
を用いての発信がなされているという事実がある。これに対して、
日本政府
としては是正の申し入れをしていくべきではないか、こういうような議論もあると聞いています。この点に関して、先生のお考えをいただければと思います。
田代和生
16
○
田代参考人
これはちょっと難しい問題で、私の専門から外れますので、申しわけないんですけれども、ちょっとコメントから外させていただきます。
山尾志桜里
17
○山尾
委員
ありがとうございました。 それでは、
荒井参考人
に一点お伺いをさせていただきたいと思います。
参考人
からちょうだいしたこのペーパーの二枚目、理由の三というところに「諸国民相互の尊敬と理解のための国際交流」、これが今回の
協定
に賛成する理由の
一つ
として挙げられていると思います。 これは、先ほどの
お話
を聞かせていただき、さらに読ませていただくと、こういった
文化財
の所有権の移動を契機に、それがまさに共同管理につながったり、共同利用につながったり、こういう例もあらわれている、こんな御見解をいただきました。 少し具体的に、どんな例があるかということを教えていただければありがたいと思います。
荒井信一
18
○
荒井参考人
一番最新の例では、さっきちょっと申し上げましたけれども、アンデス山脈の山の上にマチュピチュという、これは大変有名な遺跡でありますけれども、ここを、一九一五年に、イエール大学の考古学者が、その後何回にも分けて発掘して、それ以来イエール大学に移っているわけです。 それで、それの
返還
というものが、
返還
運動
はずっとあったんですけれども、二〇〇三年から本格的にペルーが
動き
出して、最後には、ペルーのガルシア大統領、それからアメリカのオバマ大統領も口をききまして、ことしの二月に
返還
協定
ができたわけです。 それで、イエール大学は、もうかなり前から
返還
自体には賛成なんだけれども、実際にペルーに行って、それが自由に
公開
されないとか、あるいは
アクセス
が非常にできないとか、そういう問題があると困るということで、むしろここ二年くらいはその後どうするかということの相談で費やしてきたというのが実情であります。 そして、先ほど申し上げましたように、向こうの大学がちゃんとした博物館をつくって、そこへ収蔵する、その博物館の設計とかあるいは運営についてはイエール大学が援助するということ、それからもう
一つ
は、相互に学生、
研究者
を受け入れて、そして共同研究あるいは学生のフィールドワーク等、これを
一緒
にやりましょうというふうなこと、そういうことを詳細に
協定
で決めたわけです。 それからもう
一つ
は、先ほどもちょっと申し上げましたように、重要な遺物については、レプリカ、あるいはこれは破片その他というものもあるわけですけれども、そういうものについては詳細な
資料
を提供するということで、結局、
一つ
の国際化のきっかけにむしろ
返還
というものがなっていった。 つまり、どっちの国が持つか、これは囲い込んで離さないという問題じゃないということがこの例で非常によく出てきているというふうに思います。
一つ
の例でございます。 以上です。
山尾志桜里
19
○山尾
委員
ありがとうございます。 それでは、最後になりますけれども、短い時間で済みません、一点、
下條参考人
にお伺いをしたいと思います。 先ほど
お話
を伺いまして、
参考人
の御
意見
として、
竹島
が
返還
されてからの議論であるべきではないか、こういう御趣旨で伺いました。さはさりながら、今回、この
協定
が、
国内
手続が進んでいく過程に今ある中で、こういった、もし今後この
引き渡し
が行われる場合に、このことが
日韓基本条約
の空洞化につながることを防がなきゃいけないという思いは私も持っているんですが、そのことについて、そういった、それを食いとめるための知恵をいただければありがたいなと思います。
下條正男
20
○
下條参考人
いい質問です。ちょっと、短い時間で本当に厳しいんですが。 きょうはこういう会をつくっていただきまして、非常にありがたいと思っております。多分、ここにいらっしゃる
皆さん
は、
竹島
問題とこんなに密接につながっているということは余り認識されなかったのではないか。ということは、戦後の
日本
の
外交
自体が、こういった
国家主権
にかかわる問題に対して余りにも無関心であった、事ここに及んでああだこうだという問題になってしまっている。これはやはり
日本側
が大きく反省をしなければいけないところです。 本はただ本にすぎないんです。ただし、問題は、
朝鮮王室儀軌
以外に、もっと多くの本が、どういう理由か、付録としてついていくわけです。そして、
韓国側
としては
返還
というふうに考えています。そして、これは、
竹島
問題から
日本
の領有権主張を排除する
一つ
の手段というふうにとっていくと思います。 それから、
田代先生
も危惧されておりましたし、
荒井
先生もおっしゃっておられましたけれども、
日韓
は、一九六五年六月二十二日、
基本条約
を
締結
して
文化財
協定
を結んでいるわけですから、お互いに
文化財
を使えるようにしていいわけです。もしこれを返さなかったら
対馬家文書
がどうだとか、あるいは中央
図書
館にもいっぱいあります、
日本
の本、
中国
の本、
日本人
が持ち込んだものです、そういったものも使えなくなるということは、
文化財
協定
違反ですよね。そういったことをまず前面に出すということ。 それから、やはり
竹島
問題は、本当に
日韓
にとって、言ってみたら今の福島原発と同じです。これからずっと放射能を出し続けます。そういう
意味
では、この問題に対してはっきりけじめをつけること、そのことを約束して、引き渡すとか、
お話
をしていくこともこれから必要ではないかなと思います。これは、
日本
が独立国家として生きていく上の基本的なことです。もしこれができないと、多分、尖閣も北方
領土
も同じような
状況
になるということを御理解いただきたいと思います。
山尾志桜里
21
○山尾
委員
どうもありがとうございました。 以上で終わります。
小平忠正
22
○
小平委員長
次に、
平沢
勝栄
君。
平沢勝栄
23
○
平沢
委員
自民党
の
平沢
勝栄
でございます。 三人の
参考人
の
皆さん
には、お忙しい中、有意義な
お話
をいただきまして、本当にありがとうございました。 先ほど、
下條参考人
の
お話
を聞いていまして、重要なことが二つありまして、
一つ
は、鄭
東北アジア歴史財団
理事長
、この方が、今回の
菅談話
について、いろいろと働きかけて説得したというようなことを言っているわけで、そもそも今回の
日韓
図書協定
の発端となったのは、昨年八月十日の
菅談話
なんです。 このままあれしますと、
菅談話
というのは、
日本政府
が独自につくったものじゃなくて、後で
仙谷
さんが来られますけれども、
仙谷
さん
たち
が独自につくったものじゃなくて、
韓国側
からいろいろ働きかけをした、こういうふうに私は理解したんですけれども、それについて、まず
下條参考人
の御
意見
をお聞かせいただけますか。
下條正男
24
○
下條参考人
私自身、鄭さんにお会いしたわけではありませんが、これは
韓国
の「週刊
朝鮮
」という雑誌にも載っておりますし、インターネットでも
公開
されておるものですから、もしあれでしたら、鄭先生をお呼びして、実際にどういうことを
お話
ししたかぐらいをあれしてもいいのではないかなと思います。 私としては、やはりこういった
日本
の国家的な
事業
に関して、外国が容喙、くちばしを入れて、それに
日本
が従ったということになると、これはゆゆしき問題である、
国家主権
を侵されていることと変わりはないのではないかというふうに認識します。
平沢勝栄
25
○
平沢
委員
では、
参考人
として鄭さんをこの
委員会
に呼ぶように、これは後で私がお願いします。 もう
一つ
、先ほどの
下條参考人
の御説の中で非常に興味があったのは、きょう
韓国
からお坊さんが来られていますけれども、その中で、李相根事務総長が、これが
日本国内
の他の
文化財返還運動
の
開始点
となるだろう、こういうふうに言ったという記事が出ているわけです。これは
聯合ニュース
。 今回のは始まりだということを言っているわけです、あちらにおられますけれども。要するに、いろいろな
文化財
があるでしょう、
日本
にもあります、
韓国
にもあります、今回はこれで終わりじゃなくて始まりだということを言っているわけで、もともとこの
運動
というのは、あの
皆さん
方、お
坊さんたち
も、私が
外務
委員長
のとき、私のところにも来られました。それが発端で
韓国
は国会決議もしました。そして、
韓国
政府
からの要請がありました。そもそも民間
運動
から始まっているんですよ。 それで、この前の
委員会
で私が言いましたように、
日本
で大事なことは世論に訴えることだ、そうすれば
政府
は動くというようなことも中央日報は書いているんです。ということになると、これからまたどんどん行ったら、そもそも
日韓基本条約
のときにすべて最終的に解決したというのはどうなるかということになってくると思うんですけれども、これについて、
下條参考人
の御
意見
をお聞かせください。
下條正男
26
○
下條参考人
それは、究極的には、
竹島
問題を封印する
一つ
の手段として使っているということです。要するに、これを推進している
東北アジア歴史財団
の基本的な、設立趣旨、目的がそこにあるからです。 ですから、
日韓基本条約
等は一度全部チャラにして新たに
締結
していこう、そういう
動き
もないわけではありません。ただし、
竹島
問題が一番大きな問題だということだけは御認識いただきたいと思います。
平沢勝栄
27
○
平沢
委員
今回この
日韓
図書協定
を結ぶことによって、
日本側
のとらえ方は、これによって
未来志向
とか友好親善が深まるとか、そういうようなとらえ方をしているんですけれども、これは
協定
、
条約
ですから、
韓国側
も同じとらえ方をしなければ
意味
がないわけです。 ですから、例えば、
条約
の中には、この
協定
の中に
引き渡し
と書いていますけれども、
韓国側
は、
協定
上は
引き渡し
と書いてあっても、これは
返還
だ、
返還
だと
韓国
の報道官は言っていますから、そもそも要するに理解が違うんですけれども、この問題について、
日本側
は友好親善につながると言っていますけれども、
韓国側
も同じ考えなのかどうかについて、
荒井参考人
。
荒井信一
28
○
荒井参考人
私は
韓国側
ではございませんのでちょっと説明はできませんけれども、ただ、申し上げたいのは、
歴史
的にいいますと、
日韓基本条約
の段階で、最終的に
日本
の
植民地支配
の清算の問題というのは解決しなかったわけです。特に
基本条約
の中に、一九一〇年、それからそれ以前に
締結
された
条約
はもはや無効であるという、「もはや無効」という
言葉
を使っているわけです。これを字義どおりに解釈すれば、併合
条約
が無効だったということになるわけですが、これについては
日韓
が全く別々の解釈を留保した。これは世界の
条約
史上、全くまれなんですね。それで、こういうぐあいで現在まで来ておりますので、その矛盾、対立というものがいろいろな問題にはね返って出てきているわけです。 それで、私がその点で、ちょっと先走るかもしれませんけれども、申し上げたいのは、その解釈を何とか統一できないか、あるいは近づけることはできないかということであります。これは、
条約
法に関する国際
条約
がございますが、これの規定でやりますとできるんですね。特に、具体的にはその後、村山
談話
とか、
自民党
も、橋本さん、小渕さんがいろいろ
日韓
の共同声明を出しました。つまり、政治的には、両者が
植民地支配
の解釈についてもかなり接近しているわけですね。 ですから、これを
条約
の解釈に反映させる。特に、「もはや無効」というこの大変まれな、別々な解釈を持つという事態がこれで修正されれば、無用な対立は回避できるんだというふうに考えております。 ちょっとそれましたけれども、以上です。
平沢勝栄
29
○
平沢
委員
先ほど
下條参考人
は、
竹島
問題がやはり最大の、
日韓
の間のいわばネックというか障害物だというようなことを言われました。やはり
竹島
問題が解決しない限り、
日韓
の友好親善といっても必ずこの問題が出てくるわけでございまして、そういう中で、今回、この
日韓
図書協定
が結ばれようとしている。
韓国側
は、不法占拠の既成事実を強化しようとして、もう既に海洋科学基地の発注をしている。ですから、どんどん事実
関係
を強めている、不法占拠の事実を強めている。そして、近く国会の
委員会
も開かれるという予定になっていると。 今回この
図書協定
を結ぶことが、
竹島
問題に、
韓国側
が例えば自粛するとか自制するとか話し合いに応ずるとか、そういった方向に行く可能性というのはありますでしょうか、
下條参考人
。
下條正男
30
○
下條参考人
それは全くないと思います。要するに、これに勢いを買って、もっとやろう、そして
日本
を封印しようと。 実は、この問題だけではなくて、
日本
海表記問題というのもあります。これは国連で
潘基文
さんが中心となってやっているもので、国連の地名標準化
委員会
の専門部会のトップは
韓国人
です。そして、
日本
海ではなく東海にしようと。なぜなら、
竹島
が
日本
海の中にあると
日本
の領海のようでいけない、だから、
韓国側
が使っている東海にしなければいけないということで、国連を舞台にして行っています。二本立てですね。そして、今回のこういう問題が、
朝鮮王室儀軌
が引き渡されたということになると、またでは次にということで、結局、本質的な問題は
竹島
問題であるにもかかわらず、その周辺の問題で行ったり来たりしていくことになります。 そういうことを考えていくと、今ここにちょっと、去年の併合百年のあれに関して、
竹島
問題に関して、いわゆる国際法上、
領土
紛争問題ではなくて、過去
日本
の植民地侵奪過程による
歴史
だと。これは全くうそです。つまり、
韓国側
の
歴史
理解というのが誤っています。しかし、
日本側
は何も反論しませんので、その誤った
歴史認識
が世界じゅうに今広がっているんですね。 そういうことを認識した上でこの
朝鮮王室儀軌
の問題ということを考えていかないと、賛成してしまえば、そういった
韓国側
に加担したことになってしまう。今、これが
歴史
的な現実だというふうに御認識いただきたいと思います。
平沢勝栄
31
○
平沢
委員
下條参考人
にもう
一つ
お聞きしたいんですけれども、今回は、先ほどから
朝鮮
王朝
儀軌という御説明がありましたけれども、
朝鮮
王朝
儀軌を
韓国側
は要求しているんですけれども、それにプラスアルファしているんです。
朝鮮
王朝
儀軌だけじゃないんです。
朝鮮
王朝
儀軌というのは百六十七冊なんです。それになぜか、この後、
仙谷
さんが来ますから聞きますけれども、千三十八がプラスされているんです。何で
韓国側
が全然要求していないにもかかわらず、
韓国
の
皆さん
方が私のところに来たときも、それから
韓国
の国会決議も
朝鮮
儀軌を返してくれということだった。ところが、それに今回千三十八冊がプラスになっちゃった。しかし、これは、
韓国側
からすれば、要求もしていないのが来るわけですから、大きなプラスなんです。 これでも
韓国側
には何ら
日本側
に対する感謝の気持ちというのは起こらないですか。
下條正男
32
○
下條参考人
それは全く起こりません。自分
たち
の
成果
だというふうに認識すると思います。つまり、もっと欲しいですね。次から次に、これは北
朝鮮
と同じ体質ですから、そのことを御認識いただきたい。つまり、
韓国
というのは同じ発想を持っています。 これは
歴史
的に見ていくと何かというと、反正というものです。初めにちょっと出しましたけれども、
北関大捷碑
というのがあります。これは一七〇七年にできています。つまり、文禄の役のときに義兵をやった、百年後に、おれ
たち
はこんなことをやったんだ、つまり
歴史
の事実ではない事実をつくって自分
たち
を正当化する、こういった
歴史
が
朝鮮
半島の中にはあります。 そういう観点から、つまり、
日本
とは全く違う文化を持っている国々と
外交
を行っているんだという認識が絶対必要だということです。
平沢勝栄
33
○
平沢
委員
田代参考人
にお聞きしますけれども、先ほど
対馬
宗家文書
の
お話
がございました。先ほど
荒井参考人
からも、要するに、原産国というんですか、出所国にそれを引き渡すのがいいんだと。これはたしかユネスコとか国連総会の決議でも出ているんです。 だとすれば、
対馬
宗家文書
に限らず、
日本
から
韓国
に渡ったものがいっぱいあるということが今明らかになってきたんです。ですから、
日本
から
韓国
由来のものを、
日本
に持ってきたものを返すのであれば、
韓国
にある
日本
由来のものは
日本
に返す、そういう双務的な形でやるのが筋じゃないかという声が強いんですけれども、この考え方について
田代参考人
はどうお考えですか。
田代和生
34
○
田代参考人
私は、
宗家文書
しかよくわからないのですけれども、個別にそれはなさった方がいいんじゃないかと思うんですね。相互的にやりますと、すべて、いろいろなものが渡った
事情
というのは違っておりますので、個別に。 ただ、関心を持っていただいたということはとてもうれしいので、これはぜひ関心を持ち続けていただきたいと思います。
平沢勝栄
35
○
平沢
委員
今後、
日本
は北
朝鮮
と国交正常化というのは、いずれは必ずこの問題が起こってくると思うんですけれども、今回、
韓国
とだけこういう形の話し合いを進め、
協定
を結ぶということは、将来、北
朝鮮
との国交正常化というような場面があったときに、どういう影響が出るんでしょうか、
下條参考人
。
下條正男
36
○
下條参考人
日本
に対しては、人質
外交
でも何でもいいから、強硬に出ればいいという
一つ
の前例になっていくと思います。そういう
意味
では、大変危険な判断につながっていくのではないかなと私は考えております。
平沢勝栄
37
○
平沢
委員
下條参考人
、では、もう一度確認しますけれども、今回の件は、今回は
図書
と言っていますけれども、
朝鮮
とかが由来のものというのは
図書
だけじゃなくてほかにもいっぱいあるわけですけれども、今後、そういうものに拡大する可能性というのはありますか。それで、民間団体の方がおられますけれども、民間団体の方がいろいろな形で
運動
を進めて、それが国会を動かし、
政府
を動かして、また働きかけが来るという可能性というのはありますか。 そうしますと、これは一言で言えばエンドレスになる形になりますけれども、その可能性というのを
下條参考人
はどう考えられますか。
下條正男
38
○
下條参考人
それが伝統的な事大
外交
というものですね。つまり、エンドレスです。この問題は、
一つ
片づくと、次、次、次というふうに出てきます。 それから、先ほどもちょっと
お話
ししましたが、
東北アジア歴史財団
は世界
NGO
フォーラムというのをやっています。これをやっているのは、
韓国
政府
がやっているんですね。そして、
韓国
の
市民団体
と
日本
の
市民団体
あるいは世界の
市民団体
を集め、それも
韓国
政府
がお金を出しているわけですね。そういう中で生まれてきている議論ですから。
竹島
もそうです。ところが、
日本政府
は全く対応していない、そういう現状ですね。 そういう中で、今度、北
朝鮮
が同じような手をとってくる。それから、
竹島
問題もそうですし、
日本
海の表記もそうですし、
北関大捷碑
は
韓国
経由で北
朝鮮
に返されていますね。そういう
意味
では、日朝の
国交正常化交渉
の中でも極めてまずい前例をつくっていくことになる。 そういう
意味
では、日朝の
国交正常化交渉
をする前に
竹島
問題に目鼻をつけておくということは、これは
日本
外交
がとるべき基本的な姿勢だというふうに私は考えております。
平沢勝栄
39
○
平沢
委員
時間が来たので、終わります。ありがとうございました。
小平忠正
40
○
小平委員長
次に、赤松正雄君。
赤松正雄
41
○赤松(正)
委員
公明党の赤松正雄でございます。おはようございます。 きょうは、
田代先生
、
下條
先生、
荒井
先生、お忙しいところを来ていただきまして、ありがとうございます。 この
図書
に関する
日本
と
韓国
との
協定
締結
に当たって、ぜひ専門家の先生方に
意見
を聞くべきであると主張しました一人として、きょうは大変に知的刺激に満ちあふれたいい
機会
だったと思って喜んでおります。 少し補足的に聞かせていただきますが、まず
田代先生
、先ほど、冒頭のごあいさつの中でおっしゃった点で、
宗家文書
、
韓国
の中にあるこの
宗家文書
が、概数十二万から十三万ですか、これが
文化事業
の一環として使われた、こういうふうにおっしゃったと私は聞きましたけれども、
文化事業
の一環としてどのような角度で
宗家文書
が使われたと、どのように私
たち
が理解すればよろしいでしょうか。
田代和生
42
○
田代参考人
この
参考資料
でお配りしましたチャートに、
最初
に
総督
府が買い上げましたとき、これを
保管
した場所に御注目ください。これは
朝鮮史
編修会という、新しく
日本人
の手によって
朝鮮史
をつくり上げよう、そういう
朝鮮史
編修会というものを立ち上げました。そこに使われる
資料
の
一つ
として、これがその当時のいうところの
文化事業
という説明になっています。 しかし、それは
文化事業
といいながら、植民地思想のもとでの
歴史
を支配しよう、そういう
一つ
のあり方だと思っています。それのもとで
宗家文書
が国外にわたった、その当時は
日本
だったわけですけれども、買い上げられたということになります。
赤松正雄
43
○赤松(正)
委員
つまり、
韓国
が
日本
に
植民地支配
をされていた、そのされていた
状況
、
日本
によって支配された、そのときの
状況
というものを、
韓国
は十全とこの
宗家文書
を使って理解しようとした、そういう流れといいますか経緯というものは、十分認識できるわけですね。
田代和生
44
○
田代参考人
韓国
が買ったわけではなくて、
朝鮮総督
府、
日本人
が
宗家
から購入したということです。これに当たって、何人かの
歴史
学者がこの
宗家文書
の重要性を説きまして、それで
総督
府がそれを買い上げた、そういうことになっております。
赤松正雄
45
○赤松(正)
委員
下條参考人
にお聞きいたします。
下條参考人
からいただいたペーパーの「「
朝鮮王室儀軌
」等の
引き渡し
とその
課題
」というところの三番目「「
日韓基本条約
」の
関係
諸
協定
。」でキーワードがありますが、その中の「
未来志向
の
日韓関係
」、現
政府
がしきりに使う
未来志向
の
日韓関係
。「過去の清算」「
未来志向
の
日韓関係
」「
歴史
の
和解
」この三つを並べたときに、
未来志向
の
日韓関係
が
韓国
の側にとってどういう
意味
を持つのか、そのあたりを聞かせていただきたいと思います。
下條正男
46
○
下條参考人
韓国
にとって
未来志向
の
日韓関係
というのは、
日本
がすべて悪かったということですね。
謝罪
をするということですね。それが前提となって、それが
未来志向
の
日韓関係
ということになります。つまり、自分
たち
は正しい。 ですから、その後の、
東北アジア
の平和のための正しい
歴史定立企画団
、つまり、自分
たち
は正しいという前提に立って、
日本側
が
謝罪
をすれば
日韓関係
は
未来志向
的な
関係
が始まる、そして、そのことが
歴史
の
和解
である。つまり、
日本
が悪かったと謝ればいいということですね。そして、そういったことで今求めているのが、常に過去の清算ということです。 先ほどちょっと
お話
ししましたが、
竹島
というのは一九五二年の一月十八日からとられているんですね。つまり、新しい
歴史
が始まっているわけですね。そういう
意味
では、
未来志向
の
日韓関係
であれば、その前の時代ではなくて、今始まった時代、つまり、戦後の時代も当然踏まえておかなければならないというふうに私は考えます。 そういう
意味
では、
日本側
と
韓国側
の
未来志向
の
日韓関係
というのはニュアンスが全く違うという御認識をいただきたいと思います。
赤松正雄
47
○赤松(正)
委員
いみじくも最後に、
日韓
で全然ニュアンスが違うと言われた。
日本
の
未来志向
の
日韓関係
、
日本政府
はどのような位置づけをして使っていると思っておられますか。
下條正男
48
○
下條参考人
それは多分、政権によってさまざま違うと思いますので、私自身よりも赤松先生の方がお詳しいんじゃないでしょうか。 私自身としては、やはり
日本
は本当に純粋な
意味
で何とかしたい、そういう思いでずっとしてきたと思います。それは、国連
外交
であったりODAに対する支援であったり、そういったことと結びついていると思います。 ただ、問題は、先ほどちょっと
お話
ししましたけれども、
田代先生
も
お話
がありましたけれども、
歴史
に対する理解が全く違うということですね。そのことを認識しておかないと、
日韓関係
というのは理解ができません。 先ほど
田代先生
は、
対馬
文書を
日本
が
韓国
に運び込んで、要するに
朝鮮史
研究をすると。これは、
中国
やベトナム、
朝鮮
半島において当然行われていた行政の一部分です。つまり、前の
王朝
が崩壊したとき、次の
王朝
が、国家が、前の
歴史
を編さんするというのは当然のことなんです。それを植民統治とかそういったことに結びつけるのは、やはり
歴史
的な観点からは、ずれている。つまり、
朝鮮
半島というのは、そういう
歴史認識
を持っているということです。
日本
には、そういった
歴史
観というのはありません。それは、六国史の時代、十世紀の新国史というのがありますが、
日本
書紀から始まって、それで終わっています。そういう
意味
では、
歴史
に対する理解が全く違うということを認識した上で見ていく必要がある。 そういう
意味
で、今、赤松先生からおっしゃられました、過去の清算とか
未来志向
の
日韓関係
、
歴史
の
和解
、これはやはり
日韓
で政治家の先生方がすり合わせていくような作業がぜひ必要ではないのかなと思います。そのことがない限り、本当の
意味
の
和解
ということは難しいのではないかと私は思います。
赤松正雄
49
○赤松(正)
委員
引き続き、
下條
先生にお聞きいたします。 先生のお書きになられた「
海外事情
」のことしの四月号、ざっと拝見をさせていただいたんですが、その二十五ページに、今おっしゃったことと深く
関係
することですが、「戦後の
日本
は、
領土
問題に限らず、北
朝鮮
による拉致問題など、
国家主権
が侵され続けても
外交
摩擦を忌避し、その場しのぎの彌縫策で問題の先送りをしてきた。
国家主権
が侵され続ける現状で、
外交
摩擦を嫌忌する感覚がどこに由来するのか、理解に苦しむ」こう書かれております。 この点、要するに、先ほどちらっと私の質問に対して、政権がかわったので、政権の側にあった、私もかつて一時期あったのですけれども、よく知っているんじゃないかという
お話
がありましたが、私のとらえ方では、変わらざるは
外務
省で、政権はかわったということで、今言われた、いわゆる
外交
摩擦を避けたい、
外交
摩擦を避けたがる
外交
感覚というか、これって、戦後に特有のものと見られますか。戦前からあるものだと見られますか。
下條正男
50
○
下條参考人
これは
日本
の社会の
一つ
の病巣と言ったらいいかもしれませんね。つまり、政権ができて元気な時代というのは、そういった問題に対して積極的です。ところが、だんだん社会が硬直して閉塞感が出てくると内向きに変わっていく、そういう傾向があります。 ですから、明治の初期のころはやはり対外的にも強く出ていますけれども、だんだん内向きになっていますね。今の
日本
も、戦後、そういう傾向が出てきているのではないでしょうか。同じ問題でありながら
韓国側
と全く違う認識を持っているということ自体、このことをやはり
日本
は
外交
面でも考えていかなければいけませんし、それは政治家の
皆さん
だけの問題ではなくて、国民一人一人の問題だと思います。 そういう
意味
では、やはりそれぞれの国にはそれぞれの国の問題、
課題
があるんだということを認識した上で
外交
等にかかわっていく、政治等にかかわる、そういった認識がこれから必要になってくるのではないか。そういったことを考える契機として
朝鮮王室儀軌
の問題、
竹島
問題というのも考えておいた方がよろしいのではないかというふうに思います。
赤松正雄
51
○赤松(正)
委員
もう一点お聞きしたいんですが、先ほどの引用したところの次のページに、いわゆる
竹島
の問題で、「
日韓
双方の主張を併記していた
外務
省の
竹島
関連のホームページが、「
竹島
は
日本
の固有
領土
」で「
韓国
が不法占拠」していると書き換えられ、今日の
日本政府
の見解を補強することになった。」と。この原因になったのが、
島根県議会
のいわゆる
竹島
の日
条例
の制定。この
島根県議会
の
動き
によって、初めてというべきか、ある種、この
竹島
に関する
外務
省並びに
政府
の姿勢が変わった、こういう理解でよろしいでしょうか。
下條正男
52
○
下條参考人
竹島
というのは今から六十年以上前に
韓国側
に奪われているものですけれども、それ以後、多分、
外務
省さんも
外務大臣
さんも一生懸命やってこられたと思うんですけれども、ただ、その方法と手段がわからなかったのかもしれません。 ただ、島根県の場合は、
竹島
の日
条例
をつくっただけではなくて、
竹島
に関連する研究を行っています。そして、
韓国側
には
竹島
を占拠する
歴史的根拠
がないということが明らかになりました。ですから、今、
韓国側
はいろいろな手段を講じて、世界を舞台にした隠ぺい工作を行っているというふうに御認識いただきたいと思います。 そして、実際に、二〇〇八年の七月十四日ですか、中学校の
学習指導要領解説書
に
竹島
問題が載るということ、それから、その前の二〇〇八年の二月には、島根県の
竹島
問題研究会がまとめた最終報告書をもとにして、
竹島
問題を理解する十のポイントというふうなものをつくりました。そういった流れから見ていきますと、
外務
省さんもやればできる、文科省さんもやればできる、ただ、そういったことを動かすものがなかった。 しかし一方、
韓国側
では、まず初めに国策の
東北アジア歴史財団
、独島研究所というようなものを使っています。私、今、実は島根県で
竹島
問題研究会の座長ということをやっていますけれども、私立大学の教員が手弁当でやらざるを得ない。しかし、
韓国
は百億ウォンを年間に使う。先ほど言いました
歴史
NGO
なんて
世界各国
から旅費と
滞在費
を、私、島根県に行っても、一日一万五百円しかもらえません。お金の問題じゃないんですが、しかし、それでも対抗できるんですね。 そういうことを考えていくと、やり方と方法さえうまくやっていけば、
竹島
問題も乗り越えるんじゃないか。これが解決できない限り、
日韓関係
は同じこと、まさにおっしゃったようにエンドレスなんです。こんなことはもう本当にやめていただきたい。その
意味
でも、
皆さん
にはぜひ頑張っていただきたいと思っております。
赤松正雄
53
○赤松(正)
委員
私もかつて、対
中国
、対
韓国
、
歴史認識
の共同研究ということをやるべきだというふうに言った経緯があります。ただ、
歴史認識
を共有できるのかということは、大変に深い、大きい問題で、なかなかそれは難しい。私の友人の小此木政夫氏なんかが中心になってやったこの
歴史
共同研究も、ある
意味
で徒労に終わったのかな、ほとんど
成果
がなかったように思うんです。 そういう
状況
の中で、
下條
先生はたしか、いろいろ見たのでどこにどう書いてあったのか忘れちゃいましたけれども、先ほども少しちらっとおっしゃいましたけれども、こういう
日韓
におけるさまざまな問題を解決していく大きなきっかけになるのは、国家として、
日本国
として総合的な研究機関、そういうものを設けるべきだというふうにどこかで言われたような気がするんですが、それについて、さらに述べていただきたいと思います。
下條正男
54
○
下條参考人
それができると本当にありがたいですね。つまり、政治をなさっている方々というのは、やはり外に向かって発言をしていく必要があります。でも、ただ声を上げてもいいわけではなくて、やはり客観的な事実ということを踏まえていかなければならない。 そういう
意味
で、今まで北方
領土
の場合でも、内閣府に、北方
領土
問題対策協会ですか、北対協というのがありますけれども、ほとんど機能しなくなっているんですね。そして、
国家主権
にかかわる問題というのは、別に北方
領土
だけではなくて、
竹島
もそうですし、今、
対馬
もおかしな感じですね、尖閣もそうですね。それに対して、ではどこがそれをまとめて研究しているのかどうか。 私自身、そこにも書いておきましたけれども、尖閣というのは、
中国
の
領土
、台湾の一部でも全くありません。あれは一九〇五年、要するに台湾自身も尖閣とは全く
関係
がないということを私は既に実証してあります。ただし、そういうものを実証したからといって、私個人が話してもしようがないんですね。 そういう
意味
では、国家がそういった
国家主権
を守るという
意味
で、それをやっていく
意味
では、やはりすべての問題をまとめてやっていく、そういう場所が必要ですね。拉致問題も同じです。そういうことがない限り、小出しでやっていたら、勝てるものも勝てなくなってしまう。結局、今の
韓国
との
関係
のように、逆に今、
韓国
は
竹島
に植民しているわけですね。軍事を出そうと軍事的侵略をしているわけですよ。その国が
日本
に対して軍国主義が台頭しているとか、ちょっとおかしい論理ですよね。 そういうことを考えていくと、
日本
はもう戦後ここまで来ましたから、もう一度過去を
日本側
から洗い直して、どういう問題があるのかということを明確にし、新しい
日本
をつくっていく出発点に、赤松さん、立ってください。
赤松正雄
55
○赤松(正)
委員
荒井
先生、失礼いたしました。時間がなくなってしまいましたので、以上で終わります。
小平忠正
56
○
小平委員長
次に、笠井亮君。
笠井亮
57
○笠井
委員
日本
共産党の笠井亮です。 きょうは、
田代参考人
、
下條参考人
、
荒井参考人
、本当にお忙しい中ありがとうございました。 今それぞれから
質疑
もあったので、それも踏まえながらですが、まず
一つ
は、今回の
日韓
図書協定
で
引き渡し
される対象になっている
朝鮮
王朝
儀軌のことですけれども、これは
お話
もありましたけれども、
朝鮮
時代に行われた国家の重要な行事を文字と絵で
記録
するということで、
王室
の結婚式、葬式、宴会などの運び、ほぼすべての国家行事に関する
記録
が時期、テーマ別に
記録
をされているというものであります。 それぞれ、お三方に伺っておきたいんです。それぞれの研究の分野、お
立場
やお考えも先ほど来おっしゃっているんですが、この儀軌そのものについてなんですけれども、こうした儀軌を初めとする
韓国
の
文化財
に直接接したり触れられたことがおありかどうか、そしてどんな印象をお持ちか。そして、そうした
韓国
の
文化財
そのものの研究価値についてはどのように考えていらっしゃるか。それ以外の問題はまた改めてということですが、そのこと自身についてまず伺っておきたいんです。 それぞれお
立場
やあるいは分野もおありだと思うんですが、まずテーマになっているこれについてのお考えを伺いたいんです。
田代和生
58
○
田代参考人
私は、物
資料
よりも文献
資料
で研究している人間ですので、文献
資料
の
立場
から申し上げますと、
韓国
でつけられている文献
資料
というのは、基本的に国家が編さんしたもの、これが正史として認められております。したがいまして、国家的な総力を挙げてつくられたもの、それなりの権威と、そしてすばらしい、その国の持つ最高水準のものがそこに記されているということになります。 逆に、私が研究しております
日本
の
江戸時代
のものというのは、これは、庶民が識字率を高めましたために、大変多くの古文書、それがいまだに民間のお蔵の中に眠っているという
状態
にあります。これは
文化財
ではないというとそうではなくて、やはりこれも立派な
日本
の
歴史
を物語る
文化財
だと思います。 かほどに、
日本
と
韓国
、
朝鮮
王朝
とでは、文書の残り方からして、あるいは物の、
歴史
に対する考え方からして違っているという、つまり、国家が
歴史
をつくるということと、逆に民間が
歴史
を語っている、そういう違いがまさに文献
資料
の中から見られてくるということがわかります。
下條正男
59
○
下條参考人
朝鮮王室儀軌
の場合ですけれども、これは
日本
でいえば、平安時代の公家
たち
のいわば日常生活をかいたようなものですね。ただし、閔妃さんのこと、明成皇后のものに関しては、多分、北
朝鮮
の今の政権の様子を書いたのと余り変わらないような
内容
だと思いますね。そういう
意味
では、
韓国
にとっては価値があるかもしれませんけれども、
日本
にとってみたら余り価値がないかもしれません。 ただし、
韓国
を研究していく場合には、文献は絶対必要です。私自身、実は長く
韓国
におりまして、
竹島
の文献もすべて中央
図書
館の本を使いました。これは、
日本
時代に
日本
の
総督
府が残したものです。その中には、
日本
の
資料
ばかりではなくて
中国
の
資料
、それから一番多いのは、今、
韓国
の
図書
館というのは世界で類のない部分が一部屋あるんです。それは族譜をつくる部屋です。それに関連する
資料
がたくさん残っています。そういう
意味
では
文化財
が使われている。これは当然、
韓国
でもあれですし、非常に貴重なことですね。ただし、そういった中で見ていくと、
文化財
をこれから、先ほどもちょっと
対馬
の文書もありますけれども、やはり
韓国側
が使い切れないものがいっぱい向こうにあるんだということもちょっと認識しておいていただきたい。 ですから、
朝鮮王室儀軌
のものは向こうに行くことも考えられますけれども、逆に
対馬
文書の場合、
韓国人
が見ても、多分わからない人が圧倒的に多いです。つまり、
日本
語で書かれていますし、崩し字で書かれていますので、できれば
対馬家文書
と、それからあとは、中央
図書
館の中には、
日本
の
江戸時代
の版本も含め、写本も初め、
日本
にないものもございます。そういう
意味
では、そういったものを、やはり
文化財
の
協定
を結んで
日本
に持ち帰るということをこれからしていく必要があるのではないかなと思います。 まず、
歴史認識
が違うということ、それから
歴史
が違うということ。向こうは中央集権ですから、国家が中心となって
歴史
をつくります。
日本
の場合には地方分権ですから、それぞれの藩ごとの
歴史
ですね。国全体をまとめたものがありません。そういう
意味
では異なる文化を持っているので、できればこれを
機会
に、お互いに上から目線での
日韓
の
歴史
共同研究ではなくて、やはり
研究者
を通じた研究を、ぜひ笠井先生、推進していただけると非常にありがたいと私は思います。
荒井信一
60
○
荒井参考人
個人的なことになりますけれども、私は、
最初
に
韓国
に行ったのは一九八七年です。当時、私の主宰しております大学の学科の中は、考古学と国際
関係
学と両方の学生がいました。
韓国
に行った目的は、
一つ
は、
日本
の学生は何か平和ぼけしているといいますか、そこでぜひ三十八度線に連れていきたいと。そして、あそこでのやはり緊張
関係
というものを体験してもらいたい、その上で国際
関係
の勉強をしてもらいたいなと。 それからもう
一つ
は、当時、韓半島、
朝鮮
半島の一番南に前方後円墳が出たというニュースがあります。それが出ますと、
日本
の学者は
日本
の前方後円墳がそっちへ行ったんだ、
韓国
の学者は、いや、
日本
の前方後円墳こそこっちから行ったんだということになるわけです。ですから、実際にそこへ行って古墳をはかってみよう、古墳を見て、測量道具を持って、そしてそこの古墳へ行ってはかったわけです。それが
最初
でありまして、したがって、それ以降、
韓国
の学生を呼んだり、こっちから学生が行ったり、人と人との交流ということを、学生同士の交流というものを私は非常に大事にしておりました。 そのときに、それぞれに
文化財
を見て、それぞれに率直に感じたことを記してもらう、これは学生の教育にとって非常に有意義だったというふうに私は思っております。直接の答えにはなりませんが、それだけ申し上げておきます。
笠井亮
61
○笠井
委員
田代参考人
に伺いたいのですが、先ほど
対馬
宗家文書
についての
お話
がありました。その中で、
朝鮮総督
府が
歴史
を書きかえようとして買って、
置き去り
にしてきたものだという
お話
、御説明があったと思うんですけれども、その
歴史
を書きかえようとしたというあたりで、もう少し、どういう動機でとかというようなことについて、どんなことだったのか。それから、
韓国側
が、だからこそ非常に複雑な気持ちを持っているという、その複雑さの中身というのはどんなことなのか。少し詳しくというか、限られた時間ですが、もう少し
お話
しいただければと思うのですが。
田代和生
62
○
田代参考人
これは私が、先学といいますか、先にいろいろ研究なさっている方の研究を読んだ限りで、はっきりとはわからないんですけれども、そこにはこうありました。
韓国
の
歴史
というのは、
王朝
実録を中心にして、そこで認められたことが
歴史
として積み上がっていく。そうしますと、
王朝
国家が認めたもの以外は正史ではなくなるということになります。 そこで、
日本
が植民地化したときに、そのいわゆる
王朝
国家の見方ではなくて、もっと下からの、先ほど申し上げましたように、
日本
の
資料
というのは、すべてをすくい出して
記録
の中に入っております。それで、そういった実証的な面から、つまり、
王朝
の許したその記事だけではなくて、すべての起こった日朝交流史を書きとめた
宗家記録
から、そこでいわゆる真の姿を何か明らかにしたいというふうに考えたんだと思うんですけれども、それは言ってしまえば、
韓国側
から見れば、これは書きかえという、自分
たち
の望んだ
歴史
ではないということになるのかもしれないです。 そういった違いがありますけれども、
宗家文書
には、確かに
王朝
文書には入っていない下級官僚の文書、それから、
朝鮮
ではほとんど認められていなかった商人の活動、これらが貿易の活動の
記録
の中に大変多く出てきます。そして、これは
朝鮮側
に控えしか残っていない、正確には現物が残っていない、
対馬
側に渡された
朝鮮側
の
外交
文書、それの本物が約一万点残っております。 ですから、
日本
の古文書だけではなくて、
朝鮮
資料
もそこに約三分の一入っているということになります。したがいまして、
韓国側
から見ましても、この
宗家文書
は、よくよく見てみると、大変宝物になってまいります。
笠井亮
63
○笠井
委員
荒井参考人
に伺いたいと思うんですけれども、
韓国併合
百年の
機会
に、今回の
協定
によって
朝鮮
王朝
儀軌などの
文化財
が
韓国
に引き渡されるということの
意味
について、先ほども
お話
あったと思うんですが、
日韓関係
の
歴史
の中でどのように位置づけられておられるか。 そして、
日韓関係
の中で、
韓国併合
百年を経た
関係
の中で、残された
課題
といいますか、今後、どんなものがまだ残されていて、どのように解決していくということが
日韓
の友好あるいは今後の未来につながっていくというふうにお考えなのか、伺っておきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
荒井信一
64
○
荒井参考人
大変大きな問題なので、時間の
関係
で余り説明できませんけれども、私が今考えているのは、
日本
の考古学というのは
朝鮮
をいわば実験場にして発展してきた、しかし、今の
日本
の考古学の
歴史
の中からは
朝鮮
におけるそれはほとんど欠けてしまっている、これはおかしいじゃないかということが
一つ
です。 特に
朝鮮
半島の北ですね。北
朝鮮
の
お話
がちょっと出ましたけれども、あそこには非常に重要な、東アジア全体としても重要な遺跡等があって、ほとんどそういうものが
植民地時代
に破壊されているわけですね。つまり、そういう破壊された、あるいは盗まれたものがかなり
日本
にも来ているわけで、今後そういうものを一体どうしたらいいのかということですね。 それは、先ほど申しましたように、やはり原産国主義、あるいは国際的な価値あるものに高めていく、そういう努力の中で解決していく以外にないかなというふうに感じております。直接のお答えになりませんけれども、そういうことであります。
笠井亮
65
○笠井
委員
では、ちょっと今の
お話
とのかかわりなんですが、昨年の四月にもエジプトのカイロで
文化財
の流出の被害国が一堂に集まった会合が開かれたり、あるいは、今、原産国にという
お話
がありましたが、盗まれたものがという点ではユネスコの
条約
があったり国連の決議があるというようなことがありますけれども、そういう点では
文化財
問題にかかわる国際社会の新たな
動き
もあるんですが、その流れに対して、どんな基準や物差しで対応するのがいいのかというのはなかなか難しい問題があると思うんですね。 今、先生がおっしゃったこととのかかわりで伺っておきたいんですけれども、どんなふうな考え方でそういう問題を扱っていったらいいのか。もっと広い
意味
になってしまうかもしれませんけれども、そして、
日本政府
とすればどう対応すべきだというふうに今お考えなのか、先ほどのお答えの続きでお答えください。
荒井信一
66
○
荒井参考人
条約
上は、ユネスコ
条約
、それから九五年にユニドロワ
条約
という、これは各国の司法を統一しようということで、司法のレベルで
文化財
交流を考えたものであります。それから、それと別に国際博物館の倫理綱領というのができておりまして、これはほとんど主要な博物館が入っております。現在では、その三つが大体基準になって、
文化財
の移動とか交流とか、そういうことが考えられているわけです。
日本
では、やはりそういう
動き
がちょっと鈍いので、そういう法的枠組みが何か。それから、博物館綱領は道義的な枠組みです。それからもう
一つ
は、最近の
一つ
の大きな
動き
は、エジプトの話もございましたが、
植民地時代
に行われたいろいろなことを現在どういうふうに解決していくか。 大体この三つが世界の大きな流れになって、その中で
文化財
の移動とか
返還
とか交流、こういう問題が議論されておりまして、その枠組みをきちっととらえて考えていくということが重要だろうというふうに思っています。
笠井亮
67
○笠井
委員
時間になりましたので、まだまだ伺いたいことがあったんですが、またいずれかの
機会
にお願いします。ありがとうございました。
小平忠正
68
○
小平委員長
次に、服部良一君。
服部良一
69
○服部
委員
社民党の服部良一です。
参考人
の
皆様
、本当に御苦労さまです。
荒井参考人
にちょっとお聞きしたいんですが、私、前回のこの
委員会
でも、
朝鮮
王朝
儀軌の
図書
については、
菅談話
では「お
渡し
」、本
協定
では「引き渡す」となっているわけですが、きょう先生の
お話
を改めてお聞きしまして、これはやはり、
日本
の
植民地支配
の脈絡の中で、きちんと
日本
による植民地
政策
の
歴史
的経過と事実を踏まえるならば、これはもう当然
返還
だ、
返還
すべきものだというふうに私自身は思うわけですけれども、先生の御所見をお聞きします。
荒井信一
70
○
荒井参考人
私も実質的には
返還
だと思っております。 ただ、今度の
図書協定
というのを考えてみますと、一九六五年の
文化財
並びに
文化協力協定
というもののいわば延長でできているというふうに私は解釈しております。そこの、特に
文化交流
、これについて、
政府
レベルで初めてこういうものができたということでありましたが、大きく言えば、やはり六五年
条約
の枠組みの中でできていて、そして六五年
条約
では、先ほど申しましたように、
韓国側
は
返還
、
日本側
は
引き渡し
ということで、これは決着がつかなかったわけですね、両方が。ですから、その問題はひとつどうするかということを考えていく必要があるというふうに思っています。 それからもう
一つ
は、六五年
条約
はサンフランシスコ
条約
の枠組みの中でできたものであります。そして、サンフランシスコ講和
条約
の中では、
文化財
を含めて財産に関する相互請求権の放棄ということを決めているわけでありまして、今回
返還
のある、
引き渡し
になる
王朝
儀軌、それ以外の
図書
は、一九四五年の十二月にアメリカの軍政局が接収したものなんですね。それが四八年に米韓
協定
で
大韓民国
に移譲された。そういうものが、大体、
朝鮮総督
府
関係
のものであります。しかし、今回
返還
されるのは、それ以前の、つまり
朝鮮総督
府、
日本
の
植民地支配
時代に
日本
に渡されたものでありますので、直接にはカバーされていないわけですね。
文化財
及び
文化協力
関係
で、直接にはカバーされていないけれども、その延長上で今回の
図書協定
ができたということは、別の言い方をすると、戦後処理の延長上で
文化財
及び
文化協力協定
というものができているということで、そして、戦後処理の中に、そういう
朝鮮総督
府が保有していた
文化財
が含まれている。ちょっとややこしい言い方になりますが、私はそう考えております。
服部良一
71
○服部
委員
民間レベルでの
文化財
も、相当まだ、六万点以上残っているというふうなこともちょっと聞いているわけです。
下條参考人
にお聞きしますが、先ほど
北関大捷碑
の件をちょっと触れられました。これは、二〇〇五年の十月に靖国神社で、我が国の
外務大臣政務官
、それから
韓国側
の駐日大使が
出席
のもと、
返還
調印式が行われて
韓国側
に返されたわけですけれども、こういったこともおかしいというふうにお考えなんでしょうか。
下條正男
72
○
下條参考人
いや、私はおかしいとは言っていません。ただ、こういった流れが生まれたのが、
竹島
問題が起こってからだという御説明をしたはずです。 つまり、
竹島
問題を封印するための
一つ
の手段として、こういう
文化財返還運動
というのが行われていて、その中で、ごらんになったらわかりますね、二〇〇五年三月十六日です、
竹島
の日
条例
。そして、そういった話が出てくるのは二〇〇五年の六月です。思い出していただきたいのは、これはちょうど小泉内閣の時代で、靖国参拝問題が起こっていました。そして、その前に、
竹島
問題が契機となって、
中国
で四月、大暴動が起こりますね。御記憶でしょうか。 そういった流れの中で、
韓国側
がこういった
文化財返還
という問題を、
竹島
問題とあわせて、要するに対抗手段として取り上げてきたものだというふうに私は理解しています。
服部良一
73
○服部
委員
ですから、
返還
そのものは特におかしいとおっしゃっているわけじゃない、そういうことですね。(
下條参考人
「おかしいわけではなく、ただ、手段としてですね」と呼ぶ)はい、わかりました。
田代参考人
にお聞きしますけれども、
対馬
文書の話を聞いていて私思うのは、
対馬
というのは、いわば近代国家が
日本
、
韓国
と成立する前は、やはり
日本
と
韓国
との文化の交流の場があったというふうに思うんですね。ですから、今は
文化財
の所有権ばかりが前に出された議論になっているんですけれども、先ほどの、いわゆる
研究者
の
立場
として、非常に私も感銘を受けたわけですけれども、やはりこれが
日本
と
韓国
のいわゆる共同の研究の対象として、共同、共通の財産として、非常に重要視されて尊重されていかなければならないというふうに思うわけですけれども、
日本
にもまだ数多く
韓国
から渡ってきたものがあるというふうに言われているわけですが、そういった今後の保存のあり方、あるいは
返還
問題、これについてちょっと御
意見
をお聞きしたいというふうに思います。
田代和生
74
○
田代参考人
古文書を読んでいくのはなかなか大変なことなので、私のやった努力というのは、
韓国人
に
日本
の古文書を読む作業というのを一生懸命やりました。それで、彼らが帰りました後、
日本
の古文書を、特に
宗家文書
についての重要性を説いてもらう、そのことをかなり大学でやってきました。そういう形で、
韓国人
もこの
対馬
文書、
宗家文書
というものに
アクセス
できるような体制というのが現在できつつあります。そのために、
対馬
の
宗家文書
というのが、本当に世界的な
意味
で、そして
日本
の
国内
ではどんどんと重要
文化財
に指定されつつあります。こういうことから、客観的にこれが取り上げられつつあるということになってきます。 これは一点物というものが多うございますので、やはりすべてを複製にして、そしてお互いにそれが共有の財産として
アクセス
可能な
状態
にしていかないと、例えばシリーズ物が一巻から四巻まであるものが、二と四が
対馬
にありまして、一と三が
韓国
にある、そういう生き別れになっている文書がたくさんあります。そういったような、こういった戦前の文書を移動したということによりまして、我々
研究者
が非常な困難を強いられているという
状況
を御理解いただきたい。 そして、ぜひこれが、みんなで、
皆さん
で共有のものとして広く
公開
されて、利用できるような体制を一日も早くつくっていただきたいというふうに考えております。
服部良一
75
○服部
委員
荒井参考人
にお聞きしたいんですけれども、今回の
図書協定
の、
図書協定
といいますか、
王朝
儀軌の
返還
については、
植民地支配
の清算の一環であるということをお聞きいたしました。 先生にいただいた
資料
の中で、「世界」の昨年の七月号に、「
植民地支配
責任
と向き合うために」という論文を読ませていただいたわけですけれども、この最後に、一番最後の四行のところに、「現在
日本
の国会に上程されている戦時性的強制被害者補償のための法案、国会
図書
館法改正案(平和調査会法案)の制定を実現することが、北東アジアの
和解
への大きな一歩となろう。」という
言葉
で締めくくっておられるわけです。私も、
日本
の
植民地支配
の清算という
意味
において、まだまだ戦後補償の問題というのは解決していないなというふうな思いを持っているわけです。 そういう
意味
で、先生として、この戦後補償の問題で国会に望むものといいますか、それをちょっと改めてお聞きしたいと思います。
荒井信一
76
○
荒井参考人
戦後補償の問題で、今言ったような法案がずっと準備されていたわけですが、なかなかそれが前へ進まないということは、私はちょっと残念かなというふうに思っております。 特に、例えば慰安婦問題にしても、これは
日韓
の問題だけじゃなくて、最近ではグアム島、当時アメリカ領ですが、ここでやはり
日本
軍が慰安婦をあれしたということで、これは現在でもアメリカの議会で、ここ三年ぐらいずっと問題になっております。 これは一例でありますけれども、私が二〇〇七年にアメリカへ行って、そして当時のアメリカの下院の
外交
委員長
に会ったときに、その
外交
委員長
がこういうふうに言っていたんですね。
日本
という国は周囲のすべての国と
領土
問題、
歴史
問題を抱えていると。つまり、こういうところに、こういうバスケットにアメリカは球を全部投げ込んでいいのかという言い方をしていました。やはり日米同盟を、もっと人道とか、正義という
言葉
を当時彼は使っていましたが、そういう方向へ進めていくためには、この問題を前向きにといいますか、理性的、合理的に解決していかなきゃならないということを、そのとき盛んにおっしゃっていたんだというふうに思います。 私も、やはり
歴史
問題、
領土
問題をどう解決していくかということが、これからの
日本
の世界の中での対外
関係
あるいは日米
関係
自体にも非常に影響してきていると。つまり、ここは
外務
委員会
ですから、できるだけ広い、世界史的な視野で、つまり二国間
関係
としてだけとらえるのではなくて、もっと現在の複雑な国際
関係
の中で考えていただきたいということをお願いいたします。
服部良一
77
○服部
委員
ありがとうございます。 具体的な
課題
として、先生は、例えば空襲被害者の空襲被害の問題とかも本を書かれたりしておりますけれども、より具体的に、やはり戦後補償で、例えば今回の菅さんの
談話
の中にも、遺骨の
返還
の問題とかサハリンとかいろいろあるわけですが、そういう、もっとテーマとして具体的に、今、国会で審議を前を向いてやるべきじゃないかというような、そういう御
意見
があれば、ちょっともう一言お願いしたいんですけれども。
荒井信一
78
○
荒井参考人
私は、多分、兵隊に行った中で補償問題なんかを考えている非常に数少ない人間だというふうに思います。 それで、やはり現在の戦争は、その戦争が正しい戦争か悪い戦争かということを別にして、どんな戦争であっても大きな被害を出すわけであります。これは確かに、震災と戦争、人災と天災の違いはありますけれども、普通の人の感覚から言うと、どこかで似ていると。
韓国
では、特に震災以来、非常に、
日本
に救援をする、
日本
の被災者
たち
に同情する、これが一種のブームになっていたわけですね。ところが、四月初めに
日本
の教科書問題、特に
竹島
を記載したということが出ますと、それが一気にしぼんでしまった。なくなったわけじゃありません、その後また盛り返していますが。 ですから、そういう
意味
で、もっとグローバルに物事を処理できないか。補償問題もそう、グローバルな枠組みの中でとらえていけないかということを私は考えております。
服部良一
79
○服部
委員
貴重な
意見
ありがとうございました。 これで終わります。
小平忠正
80
○
小平委員長
これにて
参考人
に対する
質疑
は終了いたしました。 この際、
参考人各位
に一言御礼を申し上げます。
参考人各位
におかれましては、貴重な御
意見
をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。
委員会
を代表して厚く御礼を申し上げます。(
拍手
)
参考人
の方々は御退席いただいて結構です。 速記をとめてください。 〔速記中止〕
小平忠正
81
○
小平委員長
速記を起こしてください。
—————————————
小平忠正
82
○
小平委員長
質疑
を続行いたします。 この際、お諮りいたします。
本件審査
のため、本日、
政府参考人
として
宮内庁書陵部長
岡弘文君、
文化庁文化財部長
関裕行君の
出席
を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
小平忠正
83
○
小平委員長
御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
—————————————
小平忠正
84
○
小平委員長
質疑
の申し出がありますので、順次これを許します。秋葉賢也君。
秋葉賢也
85
○秋葉
委員
自由民主党の秋葉賢也です。 先ほどは、三人の
参考人
の
皆さん
から大変貴重な御
意見
をいただきまして、この
委員会
の議論も大変深まったのではないかなというふうに思っております。 さて、これまでの議論の中で、
政府
側、
大臣
の答弁で、どうも、すとんと、釈然としない点が幾つかございます。その
一つ
が、もともと
韓国
から我が国に対して
引き渡し
の要求があったのは
朝鮮
王朝
儀軌の百六十七点、これに限られていたわけでございます。今回、それに加えて千三十八点の附属書が追加された理由について、あくまでも
日本
が植民地として統治していた期間のものであるということは述べられておりますけれども、本当にこれだけしかないのかということも含めて、なぜ
朝鮮
王朝
儀軌以外に
引き渡し
の
図書
の範囲が拡大されたのかということについて、冒頭、
大臣
に改めて御認識を伺っておきたいと思います。
松本剛明
86
○
松本
(剛)国務
大臣
御質問に御答弁を申し上げたいと思います。 御案内のとおり、昨年は、
日韓
併合
条約
締結
からちょうど百年という
日韓関係
にとって大きな節目の年でありまして、
政府
といたしましても、当然そのことを二〇一〇年以前から認識をしていたところであります。
日韓関係
において二〇一〇年という年が有する
意味
を踏まえつつ、
日本政府
としての対応についての検討、そして、今
お話
がありましたけれども、
韓国
の
政府
や有識者などの考え方についての情報収集を行ってきました。 そういったことを重ねてきたところで、総理
談話
の検討過程においては、
菅総理
、官邸の主導、判断のもとに、
外務
省においても、当時の岡田
大臣
を含め、
未来志向
の
日韓関係
を構築していく上で何が適当かといった点を議論した上で、
図書
の
引き渡し
については、両国の
文化協力
関係
を増進することを目的として、いわゆる
談話
に記しましたように、
日本
が統治していた期間に
朝鮮総督
府を経由してもたらされ、
日本政府
が
保管
している
朝鮮
王朝
儀軌などの
朝鮮
半島由来の貴重な
図書
について、所要の手続を経た上で
引き渡し
を行いたいとの考えに至ったものだと理解をいたしております。 本件
図書
の
引き渡し
は、
日本政府
として、
日韓
間の
歴史
を踏まえ、
未来志向
の
日韓関係
を構築していく観点から、
日韓関係
のさらなる強化に資するもの、それに適当なものとして考えるに至ったところで、
日本側
の自主的措置として行う、こういうことで定めたものであります。
秋葉賢也
87
○秋葉
委員
改めて伺いますけれども、今回、
引き渡し
をする
図書
は、もうこれですべてだという理解でよろしいのか。そしてまた、
図書
はこれだけかもしれませんけれども、この間の、例えば美術品初め、ほかのいわゆる
文化財
というものが含まれていないのか、そういう調査をしたのか、改めて伺っておきたいと思います。
松本剛明
88
○
松本
(剛)国務
大臣
ただいま御答弁を申し上げましたように、百年という節目において、私どもとして、これまでのことを踏まえ、まさに
未来志向
の
日韓関係
を構築していく上で何が適当かといった議論をして、今回、この定義の
図書
を渡すことが適当だということを考えるに至ったわけでありますので、これに当たるものはこれですべてだということでありますし、今、私自身としては、これをまず遂行することを、この
条約
を御
承認
いただいた上では、これをしっかりいわば実施に移すことを考えておりまして、それ以上のことを考えているわけではありません。 なお、対象をそのように定めましたので、それ以外、
文化財
とかそういうことだと思いますけれども、それ以外について特に調査を行ったということはありません。
秋葉賢也
89
○秋葉
委員
政府
の取り組みとして非常に中途半端だと思うんです。
文化交流
の促進といった場合に、何もこういった
図書
だけではない。しかも、明確に
韓国
政府
から
引き渡し
要求があったのは
朝鮮
王朝
儀軌だけだったわけでありますから、本来であれば、この分野に特化して応じるべきだったんだろうと思います。そういうことをしっかりと議事録に残しておきたいと思います。
参考
までに、一九六五年に
日韓
の間で
文化財
・
文化協力協定
が結ばれました。このとき、実は、
韓国
政府
からいわゆる
返還
要求ということで出されていたリストは四千四百七十九点ございました。結果的に、
日本政府
は当時、三百五十九件、総数で千三百二十一点の
文化財
の
引き渡し
をさせていただいたんですが、実は、この中には
韓国
政府
から要求をされていなかった八百五十二点の
文化財
も含まれていたわけであります。 相互の交流、
協定
ということで申し上げれば、やはりお互いに必要とするものをお互いに譲り合いながら、あるいは、お互いの文化を尊重しながら対応するということが本来の姿でありまして、今回、
韓国
でも二度にわたって国会でも決議をされているこの
朝鮮
王朝
儀軌について
返還
をするということについては、私自身はやぶさかではないという認識を持っておりますが、ただ、要求もされていない、
引き渡し
要求も受けていないものが追加されたということについては到底納得できないし、そのことによって今後に悪影響が出ないようにしていかなければならないということを大変危惧するわけでございます。 しかも、今回この
協定
が発効いたしますと、六カ月以内に
韓国
政府
に引き渡すという規定が盛り込まれているわけでありますが、
外務
省にお尋ねをしましたら、今回、この
王朝
儀軌も含めて、
マイクロフィルム化
なり、文書の我が国の中での複写という問題について全く手つかずだったということが我が党の
外交
部会での審議で明らかになりました。 早速、今、
マイクロフィルム化
等々の作業に着手をしていただいておりますけれども、大体いつごろこの複写化を終えるのかということをはっきりとお示ししておいていただきたいと思います。
松本剛明
90
○
松本
(剛)国務
大臣
複写化については基本的には終わっているという情報に今接しているところでございます。
秋葉賢也
91
○秋葉
委員
我々
自民党
の
外交
部会での議論のときには、そもそも複写化に着手していなかったという
外務
省の認識の披瀝がありました。我が党は、早速複写化に取り組むべきだということを進言して、その時点ではまだ全部終わっていないということだったものですから今確認をしたわけですが、
大臣
の御答弁のとおり、現段階ではすべて終わっているという認識でよろしいんですね。この百六十七冊プラス千三十八冊について、すべて
マイクロフィルム化
等が終わっているという理解でよろしいですか。
松本剛明
92
○
松本
(剛)国務
大臣
お
渡し
する分については、
マイクロフィルム化
は終わっているけれども、デジタルデータ化がまだ作業中だというのが正確な回答だというふうに今確認をいたしました。
秋葉賢也
93
○秋葉
委員
今回の
協定
のプロセスの中で、本当に熟慮した対応が不十分だったということは、やはり否めない事実ではないかと思うんです。相手にお返しするとなれば、やはり
日本
でもそれを今後の研究材料としてしっかり後世代に利用していかなければいけないわけですから、そういった点もしっかりと対応した上で今回の
協定
が表に出てくるということでなければいけないんですけれども、何かしら順番が逆のような気がいたしますので、厳しく指摘をしておきたいと思います。 それから最後に、もう
一つ
大きな論点があろうかと思います。 今回の
協定
は、
日韓
相互の
文化交流
、
文化協力
促進が目的の
協定
でございますから、やはりこの
協定
の
内容
が片務的であってはならないわけであります。今回、我が党の指摘で、初めて
外務
省は、今
韓国
に有する我が国の貴重な文書の
実態
というものが明らかになりまして、先ほどの
参考人
招致の中でも、
韓国
の国史編纂
委員会
が持っている二万八千冊に及ぶ
対馬
宗家文書
、これは非常に貴重なものだ、研究的な
資料
の価値も高いし、国宝級のものだとも言われているわけであります。これに対して、この
委員会
の審議では、
大臣
は終始一貫して、
日本側
から
韓国
政府
に対して、こうした
図書
あるいは
文化財
の要求をすることは全く考えていない、この答弁を繰り返されております。 きょう午前中、先ほどの
参考人
の
皆さん
の
意見
の中には、やはり研究に差し支えがあっては困るという指摘はあったものの、少なくても共有化を図る、現物そのものを
返還
してもらえなくても、例えばそれを複写してもらって、向こうに行かなくても
日本
でその現物が見られるような、そういう一級の
歴史
的な価値ある
資料
として少なくても共有化を図っていただきたいという御指摘があって、これは本当にもっともなことだと思います。 私は、第一義的に、
韓国
政府
に対して、
韓国
に残っている我が国のこうした、我々
自民党
の主張によって今回お調べをいただいて明らかになった貴重な
日本
の
図書
、本来的にはこれの
返還
、
返還
といいますか
引き渡し
をやはり我々も求めていくべきだと思いますが、これについては、とにかく終始一貫して、
外務大臣
はどうもその御意思がないようでございます。私は、改めて、
返還
、
返還
といいますか
引き渡し
の申し入れを行うべきだということが
一つ
。 そして、そうした要求をしない、あるいは
大臣
としてする考えがないということであっても、少なくても、こうしたお互いのそれぞれの国にある貴重な、
歴史
的な文献というものは相互に利用しやすいように共有化を図ることについては、
大臣
からぜひ提言をしていくべき重要な
課題
だと思っておりますので、ちょっと二段構えの質問になりましたけれども、改めて
大臣
の、あるいは
外務
省としての、
日本政府
の考えをお示しいただきたいと思います。
松本剛明
94
○
松本
(剛)国務
大臣
御指摘もいただきまして、改めて、貴重な
図書
についての
内容
が、私どもも調査をすることで確認をできたことはよかったというふうに思っております。 その上で、今
お話
がありましたが、今回の
図書協定
、この
協定
に基づいて
引き渡し
をさせていただくものの定義についてはもう繰り返しませんが、その
意味
では、今回御指摘をいただいた文書、
韓国
内に存在をする
図書
の問題というのは同列に論じられるべきものではなくて、別途検討される性質のものだというふうに考えております。 貴重な
図書
、学術的観点、
文化交流
の観点から、こういった
図書
に対して、
研究者
の方々なども含めて、
アクセス
の改善をせよという御趣旨のお問いをいただいたというふうにも理解をいたしますが、御指摘もいただきまして、これについては既に協議を始めているところでありまして、協議が実るように私どもとしても努めてまいりたい、このように考えています。
秋葉賢也
95
○秋葉
委員
時間の
関係
で質問を終えたいと思いますけれども、仮に
引き渡し
要求をしなくても、
韓国側
に置かれている我が国の貴重なこうした
図書
については、しっかりと共有化を図る努力を
外務
省としてすべきだと思います。
大臣
は再三再四、今回の
協定
では踏み込まないということの御答弁しかしないわけですけれども、では、別建てでやっていけばいいわけですから、しっかりと踏み込んでいただきたいと思います。 先ほどの
参考人
の方の
お話
ですと、
対馬
宗家文書
については、
原本
の閲覧は今認められていないんだということが明らかになりました。それだけではなくて、
マイクロフィルム
のみの
公開
であって、まだ
マイクロフィルム化
されたのは七割だという御指摘がありました。したがって、三割は、
日本
の
研究者
が
韓国
に出向いていってそれを見たいと思っても見られない
状況
があるんですね。ここのところはやはり一〇〇%になるようにしっかりと
外務
省として申し入れをしていくということは私は当然のことだと思っておりますので、こういった事実
関係
を指摘して、私の質問を終えさせていただきたいと思います。 今後ぜひしっかり取り組んでいただきたいと思います。
小平忠正
96
○
小平委員長
次に、
平沢
勝栄
君。
平沢勝栄
97
○
平沢
委員
自民党
の
平沢
勝栄
でございます。 きょうは、
仙谷
官房副長官にもお忙しい中おいでいただきました。ありがとうございました。 この
日韓
図書協定
、
仙谷
官房副長官が官房長官のときに努力されて、こういった署名が昨年の十一月十四日行われたわけですけれども、問題は、内閣
総理大臣
談話
が八月十日に出たんですけれども、総理
談話
を聞く前に、まずは、一九六五年、
日韓
が国交正常化しまして、そのとき、
日韓
の
基本条約
が結ばれ、それから諸
協定
が
締結
されました。 まず、
仙谷
官房副長官にお聞きしたいんですけれども、一九六五年の
日韓基本条約
で
韓国
政府
は
日本
の統治時代の個人補償の請求権を放棄したわけでございますけれども、こういったことについて、あの
基本条約
、それに並ぶ諸
協定
について
仙谷
官房副長官はどういう御認識なのか、ちょっとお答えください。
仙谷由人
98
○
仙谷
内閣官房
副長官 私自身は、
日韓基本条約
は当然のことながら有効に
締結
され、そのことによって
韓国
政府
としては個人にかかわる請求権をも放棄した、こういうふうに理解をしております。
平沢勝栄
99
○
平沢
委員
昨年の七月七日の報道によりますと、官房長官は、昨年の七月七日の記者会見で、法律的に正当性があるといって、それだけで物事が済むのか、
日韓関係
の改善方向に向けて政治的な方針をつくり、判断をしなければいけないという案件もあるのではないかという話もあると述べ、
政府
として新たに個人補償を検討していく考えを示したと。それから、
仙谷
氏はまた、
日韓基本条約
を
締結
した当時の
韓国
が朴大統領の軍政下にあったことを指摘し、
韓国
国内
の事柄として、我々は一切知らぬということが言えるのかどうかと強調、具体的に取り組む
課題
に関してはメニューは相当数ある等々のことが書かれています。 こうした記者会見での発言と今のはちょっと違うんじゃないですか。
仙谷由人
100
○
仙谷
内閣官房
副長官 全く違わないというふうに私自身は考えて発言しておるものであります。 そして、今お読みになられたところで、これは新聞社なのか、新聞記者の推測、想像部分というのがございますよね、個人的補償云々かんぬんと。法的に個人的な補償を請求する権利があるのかないのか、これはまた全然別途の話でありますし、私自身は、法的に
日本政府
がそういう賠償の義務があるということを考えてもおりませんし、そういうことを述べたわけではありません。 よく、政治的な判断としてということが
日本国内
のいろいろな問題でも言われます。そのために、現在の法律上は何の請求権がなくても、政治的に新たな立法をしてやるべきだということが、この間の国会を見ておりましたら多々出てまいっておるように思います。
日韓関係
をより豊かに、豊富にするために、
日本
が
朝鮮
半島をいわば植民地として、
韓国
からいえばこれは侵略ということでありますけれども、植民地として経営したということは紛れもない
歴史
的な事実でございますから、そのことについて、我々がその過去を直視して、これから
未来志向
で
日韓関係
をより豊かにしようとするときに何かできることがあるのかないのか、政治的な観点から、あるいは人道的な観点から考えるということは、私は、政治家としてあっていいのではないか、そういう趣旨のことを述べたものでございます。
平沢勝栄
101
○
平沢
委員
歴史認識
はまた、時間がなくなってしまいますので、別の
機会
にします。 まず、八月十日の内閣
総理大臣
談話
、これは、いつごろからつくって、つくったのはだれなんでしょうか。
松本剛明
102
○
松本
(剛)国務
大臣
先ほどの御議論でも申し上げましたけれども、昨年が
日韓
併合
条約
締結
からちょうど百年という節目の年であったわけでありまして、こうしたことを考えて、また、二〇一〇年は八月というのが
一つ
の節目となりますので、そのために、
未来志向
の
日韓関係
構築のために何ができるかについて、いろいろ検討を行ったということであります。 その上で、六月の菅政権発足の後、総理官邸の主導、判断のもとに、
外務
省においても、当時の岡田
大臣
を含めて、
未来志向
の
日韓関係
を構築していく上で何が適当かといった点を議論しながら、最終的に、総理
談話
にある表現で、八月十日に
日本政府
として閣議決定を行ったものであります。
談話
の作成の作業を開始したのは、閣議決定からさかのぼること一、二カ月ぐらいではないかというふうに私自身は理解をしております。
平沢勝栄
103
○
平沢
委員
この内閣
総理大臣
談話
をつくる過程において、その
内容
等も含めて、
韓国側
と相談したことはありますか。
松本剛明
104
○
松本
(剛)国務
大臣
総合的に
未来志向
の
日韓関係
を構築するに資するという
意味
では、
韓国側
がどのように考えるのか、どのように受けとめるのかということを情報収集したというふうには理解をしておりますが、本件措置そのものは
日本
の自発的措置であり、
日本
の判断においてこの
談話
は作成されたものと理解をしております。
平沢勝栄
105
○
平沢
委員
先ほどの
参考人
質疑
で、「週刊
朝鮮
」の昨年の十二月二十日号が紹介されました。その中には、こういう記事が書いてあります。これは、鄭
東北アジア歴史財団
理事長
のインタビューです。 この中に何と書いてあるかというと、「
政策
を作るのに
一定部分
の役割を果たしたと考える。
菅直人日本政府
が八月十日、声明を発表したことに
一定
の寄与をしたと自負している。
強制併合
に関する
談話
の
内容
が十分ではないが、
談話
が出たということ自体、
意味
がある。」云々書いてありまして、最後にこういうことを言っています。政治的に相当難しい時期であったけれども、「このような渦中に
日本政府
を」いいですか、聞いてください、「
日本政府
を説得し、結局、菅
直人
総理の
談話
を作り出した」こう言っているんです。これは、鄭
東北アジア歴史財団
理事長
が言っているんです。 もう一回言いますよ。「
日本政府
を説得し、結局、菅
直人
総理の
談話
を作り出した」と言っているんです。これはうそなんですか。
松本剛明
106
○
松本
(剛)国務
大臣
私どもとしては、先ほど申し上げたように、検討の過程においては、外国
政府
、
韓国
を含めて、また、有識者の考え方やあり得べき反応などについては、もちろん情報を収集しているわけでありますけれども、あくまで
参考
材料の
一つ
というふうに考えておりますし、ぜひそこは、
日本国
の
政府
の意思決定は
日本国政府
の判断で行われるというふうに御信頼をいただきたいと思います。
平沢勝栄
107
○
平沢
委員
少なくとも、公の冊子で、マスコミで、鄭
理事長
が、
日本政府
を説得し、
菅談話
をつくり出した、こう言っているわけですから、
委員長
、この鄭
理事長
を
参考人
として当
委員会
に呼んでください。
小平忠正
108
○
小平委員長
これは後刻
理事
会で協議いたします。
平沢勝栄
109
○
平沢
委員
それでは、内閣
総理大臣
談話
の中にあります「
朝鮮
半島由来の貴重な
図書
」、この
図書
に限った理由は何ですか、お答えください。 というのは、先ほどありましたように、
朝鮮
半島由来のものというのはいろいろなものがあります。それを
図書
に限った理由というのは何ですか。
松本剛明
110
○
松本
(剛)国務
大臣
これは、先ほど秋葉
理事
の問いにも御答弁申し上げたところでありますけれども、
談話
の趣旨をごらんいただけたらと思いますが、これまでの二国
関係
を踏まえ、そして、
未来志向
に資するものに何が適当かという視点から、
朝鮮
王朝
儀軌などの
図書
ということが適当であると判断するに至ったというふうに御理解をいただきたい思います。
平沢勝栄
111
○
平沢
委員
ということは、
大臣
、いいですか、
朝鮮
半島を
日本
が統治している間に
朝鮮総督
府を経由してもたらされ、
日本政府
が
保管
している貴重な
図書
ですね。当然、その時代にも、
図書
以外のものもいろいろあるはずなんです。そういったものについては、今後も一切渡すことはないということでいいですね、向こうから要求があっても。 だって、今
大臣
は、この時代の
図書
だということを言っておられるわけだから。
図書
以外だって、書だとか絵だとか、いろいろなものがあるでしょう。あるかもしれない、あっても、そんなものは一切、たとえ何を言ってこようと返さないということでいいですね。
松本剛明
112
○
松本
(剛)国務
大臣
まず、今回、
図書協定
でお諮りをさせていただいているのは、百年という節目に当たって、
未来志向
の
日韓関係
を構築するに資する、そういったものとして引き渡すものは何が適当なのかと。
談話
はもちろん、
図書
の
引き渡し
だけではなくて、いろいろなことが書いてあるわけでありますけれども、その中の
一つ
として、
未来志向
の
日韓関係
に資するものとして、この
図書
が適当であると判断をいたしました。 この
協定
に基づく引き渡すべきものとしては、先ほど
お話
をいただきましたような幾つかの定めというんでしょうか、記載されたものに基づいて
図書
を選定いたしましたので、この
協定
に基づいて選定をされるべきものはすべて今回お
渡し
をするというふうに理解をしております。
平沢勝栄
113
○
平沢
委員
私の質問に答えてくださいよ。この時代にいろいろなものがもたらされたわけでしょう。 では、きょうは文化庁が来ているでしょう。この時代に
日本
に来た、例えば書物以外の絵画とか、そういうものはないんですか。絵画でも仏像でも彫刻でも、何でもいいですよ。そんなものはありますか、ないですか。
関裕行
114
○関
政府参考人
一般論として申し上げれば、
朝鮮
半島から来ております
文化財
というのはいろいろあるわけでございます。(
平沢
委員
「その時代、
朝鮮総督
府の時代」と呼ぶ)
朝鮮総督
府の時代に由来したものということについては、承知をしていないところでございます。
平沢勝栄
115
○
平沢
委員
承知していないので、これはいろいろあるんでしょうけれども。
大臣
、こういったものについて、今後、万々が一、
韓国側
からすれば
返還
とかいうんですけれども、
日本
からすれば贈与ですけれども、上げることは絶対ないということは断言できますか。
松本剛明
116
○
松本
(剛)国務
大臣
談話
の趣旨、そして
協定
を御理解賜っているところだと思っておりますが、今回は、百年という節目の、
未来志向
の
日韓関係
に資するものということで、この
協定
並びに
談話
にある
図書
を引き渡すことが資すると判断をしたから、これに該当するものを選定して、お
渡し
をするというわけでありまして、そもそも、請求をされた分をお
渡し
するとか、そういった
関係
にあるというふうには理解をしておりません。私どもの自発的な措置としてこれをお
渡し
するというふうに理解をしております。
平沢勝栄
117
○
平沢
委員
先ほどの
参考人
質疑
で、こういうニュースも紹介されたんです。ことしの四月二十五日の
聯合ニュース
。きょうは
韓国
のお坊さんが来ておられますけれども、このお坊さんの方々は、
朝鮮王室儀軌還収
委員会
のメンバーの方なんです。その事務総長が何と言っておられるかというと、
日本国内
の他の
文化財返還運動
の
開始点
となるだろうと言っているんですよ。
大臣
、
開始点
となるだろうと。あちらにおられますけれども、要するに、今回の件がスタートだということを言っているんですよ。
開始点
と言っているんですよ。これが終わりじゃなくて、スタートだと言っているんですよ。そうしたら、これからどんどん行く可能性があるじゃないですか。そういうふうに考えているんです、少なくとも
韓国側
は。
大臣
は、百年の
日韓
の
未来志向
とか言っていますけれども、では、百十年になったらどうなんですか、百二十年になったらどうなんですか。またこんなことをやるんですか。はっきり言ってくださいよ、もうこれで終わりと。
松本剛明
118
○
松本
(剛)国務
大臣
改めて、
韓国
も
日本
も言論を含めて大変自由な国であるということはすばらしいことだというふうに思うわけでありますけれども、私どもとしては、本当に、今も繰り返しになりますが、百年という節目に最も適当なことを行いたい、こういうことで、考えを整理した上で、今回、このように行わせていただくわけであります。 繰り返しになりますが、請求をされたものをお
渡し
するといった位置づけではないということから含めましても、私どもとしては、今、この
図書協定
にあるもの、
談話
で示されたもの、そして
図書協定
に記載をされたものをしっかりとお
渡し
をさせていただくということを考えておるし、私自身は今そのことを考えているというふうに申し上げたいと思います。
平沢勝栄
119
○
平沢
委員
この
協定
が署名されたとき、
仙谷
官房副長官はわざわざ横浜まで行かれました。それはどういうお
立場
で、どういう思いで行かれたのでしょうか、ちょっとお願いします。
仙谷由人
120
○
仙谷
内閣官房
副長官 APECが開かれて、そして、私自身もこの調印式に列席をさせていただくことが
日韓関係
をこれから進める上でも
意味
のあることだと思いましたし、さらに、その日は実はベトナムの国家主席の表敬も私が
菅総理
にかわってお受けしたというふうなこともございます。 つまり、APECのような会合、
会議
のときは、総理だけが表敬をお受けするのに時間が足りないとか、要するに、手間がない、こういうことなので、そういうある種の補充的な役割の部分と、この
日韓
の調印のときには、これからの
日韓関係
を考えると、先方も、
外務大臣
も、それから
外交
通商何とか本部長もいらっしゃっておって、その時点で
日本政府
の
課題
は、これは鳩山内閣のときからでございますけれども、EPAをどうこれから進めていくのかという問題で、私はそのときは、その時点では国家戦略
大臣
でございまして、そのちょっと前、EPAの担当でもあったということ。それから、天安号事件が起こって、これからやはり
日韓関係
をより緊密で分厚いものにしていかなければならないという
課題
もございまして、先方の方で
大臣
クラスが、大統領以下二人来ておるということもあって、では今後のこともあるので私も
出席
しよう、こういうことになったと記憶しております。
平沢勝栄
121
○
平沢
委員
仙谷
官房副長官はその署名に立ち会われたわけですけれども、そのときに、
韓国
にも
日本
の貴重な
図書
がいっぱいあるということ、それから、一九九四年に長崎の壱岐で
日本
の貴重な
文化財
が安国寺というお寺から盗まれて、それが
韓国
に行って、もうそれが国宝に指定されている、それに対して
日本政府
が調査させろ、させろと言っても、
韓国側
は一切、何とかかんとかへ理屈を言って応じていない、こういった事実は御存じだったでしょうか。
仙谷由人
122
○
仙谷
内閣官房
副長官 その盗まれた云々かんぬんは、私は存じ上げません。
平沢勝栄
123
○
平沢
委員
では、
日本
の文書というのはあることは知っておられたんですね。これについてはどういうお考えだったのでしょうか。 それから、その盗まれたものが
韓国
で国宝に指定されている、これについては副長官は、せっかく会われるなら、そしてこういう
図書協定
を署名されたのであれば、その時点で、やはりこういうものに対する
韓国
政府
の協力というのも要求されて当然じゃないでしょうか。 副長官に聞いています。(
松本
(剛)国務
大臣
「私の仕事ですので」と呼ぶ)いや、それは副長官が当時担当だったんです、だから副長官をきょう呼んだんですけれども。
小平忠正
124
○
小平委員長
それでは、
仙谷
官房副長官。
仙谷由人
125
○
仙谷
内閣官房
副長官 事実問題として、私はそのことは確認をしていませんでした。
松本剛明
126
○
松本
(剛)国務
大臣
先日も先生との御議論で
お話
をさせていただきましたが、かかる捜査、調査の協力が必要なものということは、このような
協定
の
交渉
もしくは
協定
の
締結
にかかわらずしっかり行わなければいけない、このように考えております。 先生からも先般の
委員会
で御指摘をいただきました。安国寺の高麗版大般若経事案については、我が国の重要
文化財
に係る重要なことである、御指摘のとおりであります。
韓国
政府
の協力を求めております。また、鶴林寺の絹本著色弥陀三尊像の事案についても、明らかな重要
文化財
盗難という犯罪行為であり、
韓国
で売却されたということもはっきりしているということでありますので、改めて所在確認捜査及び現状の説明を
韓国
政府
に対して求めさせていただきました。 こういったことについては、
外務
省としてもしっかり取り組んでいきたいと思っております。
平沢勝栄
127
○
平沢
委員
今回の
図書協定
は
韓国側
の要求のないものも含めて千二百五冊にわたるんですけれども、
宮内庁
、この千二百五冊の学術的というか文化的な価値はどのくらいあるんですか。
岡弘文
128
○岡
政府参考人
朝鮮
王朝
儀軌につきましては、
朝鮮
王朝
において行われましたさまざまな儀式や行事をその都度
記録
した
図書
でございまして、
朝鮮
王朝
また
朝鮮
半島の
歴史
や文化を理解する上で貴重な
資料
であるというふうに認識いたしております。 また、儀軌以外の
図書
千三十八冊につきましても、文学、
歴史
、思想、法制度など広い範囲にわたる漢籍群でありまして、
朝鮮
半島の文化の土台や
背景
を研究する上で有益な
資料
であろうというふうに認識しております。
平沢勝栄
129
○
平沢
委員
この有益な
資料
が重要
文化財
に指定されていないのはなぜなんですか。
宮内庁
、なぜ重要
文化財
に指定されていないんですか。
岡弘文
130
○岡
政府参考人
宮内庁
におきましては、
皇室
のお世話を申し上げる役所でございますから、その一環として、正倉院の宝物など
皇室
にゆかりの深い文物、また古くから
皇室
に集積されてまいりました古典籍などを管理しております。これらの文物につきましては、
皇室
の長い伝統を反映して、我が国の文化や
歴史
において非常に価値のあるものが多く含まれております。 したがいまして、
宮内庁
におきまして、こうした
皇室
ゆかりの文物につきましては、その完全なる保存に万全を期すとともに、展示会に貸し出すなど国民に広く鑑賞いただけるような
機会
も設けるなど、適切に管理しているところでありまして、こうした管理が行われておりますことから、
文化財
保護法に基づく指定等を受ける必要はないのではないかというふうに考えてきておるところでございます。
平沢勝栄
131
○
平沢
委員
文化庁。
関裕行
132
○関
政府参考人
お答え申し上げます。 ただいま
宮内庁
の方からも御答弁がございましたけれども、一般論として申し上げますと、重要
文化財
の指定につきましては、所有者の同意をいただいた上で、私どもが策定しております指定基準に照らして候補物件に関する調査を行いまして、文化審議会の諮問、答申を経て指定を行っているところでございます。 今お尋ねの点でございますけれども、重要
文化財
の指定ということは、
文化財
の中でも重要なもの、価値の高いものを文部科学
大臣
が指定するということでございますけれども、その指定されたものについては、所有者の方においてきちんと保存管理等をしていただくということになるわけでございます。
宮内庁
が所有されております美術工芸品等につきましては、
宮内庁
において
文化財
としての適切な保存管理等をしていただいているということから、これまで重要
文化財
等の指定を行ってこなかったということでございます。
平沢勝栄
133
○
平沢
委員
要するに、重要
文化財
に指定してあれば、文化審議会とか何かの審議会できちんとチェックして、そして万々が一海外に持っていく場合には、その指定を外すとかといういろいろなプロセス、手続が必要なわけですよ。
宮内庁
、
皇室
財産はしっかり管理しているから重要
文化財
に指定しなくてもいいんだというような答弁だったんですけれども、そんなことを言っているから、今回みたいに千二百五冊、これは
宮内庁
のだれが選んだんですか。職員でしょう。職員が選んだ千二百五冊をだれもチェックしないで、そのまま渡っていくわけでしょう。これはおかしくないですか。普通、重文に指定してあればこんなことにならない。
宮内庁
が指定しないものだから、結局、千二百五冊がそのまま行ってしまう。
宮内庁
、おかしくないですか。
岡弘文
134
○岡
政府参考人
宮内庁
でお答えする
立場
ではなかろうと思いますけれども、八月の総理
談話
を受けまして、そういう判断がなされたことを受けて
宮内庁
においては選定いたしたところでございまして、また、きょうここでこういう議論がなされているのも、そういう大事な話だからかというふうに理解しております。
平沢勝栄
135
○
平沢
委員
では、
大臣
にお聞きしますけれども、今話があったように、千二百五冊の貴重な
日本
の国の財産が贈与されるわけですよ。これは、
宮内庁
の係官か何か知らないけれども、こういう通達が来たからと、ぱあっと選んで、千二百五冊をそのまま報告したわけでしょう。それがそのまま行くわけですよ。普通だったらば、千二百五冊、どういう文化的な価値があるのか、学術的な価値があるのか調べた上で、審議会か何かに諮って専門家の目で調べた上で、その上で引き渡すのが筋じゃないですか。 そういったプロセスを一切経ないで、
宮内庁
にそういうものがあるかと言って、
宮内庁
から千二百五冊報告してきたら、それがそのまま、だれもチェックしないで、専門家のチェックを経ないで
韓国
に渡る、贈与される。これは手続的におかしくありませんか。やはりそれはきちんと審議会か何かに諮るべきじゃないですか。
松本剛明
136
○
松本
(剛)国務
大臣
そもそも、我が国が統治をしていた時代に
朝鮮総督
府を経由してもたらされ、
日本国政府
が保有をしている
図書
というものをお
渡し
することが
未来志向
の
日韓関係
に資するということで判断をさせていただきました。 その上で、これに該当するものについて、先般先生にも御答弁申し上げましたように、
政府
内で調査を求めましたところ、
宮内庁
から、該当するもの、
朝鮮
王朝
儀軌、また先ほどの三点に該当するものということで御回答をいただきました。 その後、
宮内庁
におかれても、先ほど
宮内庁
からも
お話
があったことからもうかがえるように、こういった保存をされているものについては、その保存、また学術、文化的な
内容
についても、
書陵部
を初め、御案内だろうと思いますが、その中でよく吟味をさせていただき、間違いないことも確認をさせていただいた上で、最終的な確定は閣議決定ということになるわけでありますけれども、そのように議論をさせていただいたというふうに理解をいたしております。
平沢勝栄
137
○
平沢
委員
私の聞いていることにちゃんと答えてくださいよ。専門家の目を経ないで大丈夫なんですかということを言っているんですよ。専門家の目を全然経ていないんですよ、これは。 例えば、文化庁には文化審議会というのがあるんでしょう。そこで専門家がいろいろと学術的な、文化的な価値をチェックするんでしょう。そのチェックは、今回はだれがやったんですか。私の聞いていることにだけ答えてくれればいいんです。
松本剛明
138
○
松本
(剛)国務
大臣
談話
の趣旨に該当するものということは、
政府
の中において調査を行ったものであります。
平沢勝栄
139
○
平沢
委員
話にならない。全然答えになっていませんから。まあ、いいですよ。 それで、
未来志向
、
未来志向
と言いますけれども、双方の友好交流
関係
を深めるということが今度の
協定
に書かれているわけです。 そこでお聞きしたいんですけれども、
日本
で言う
未来志向
と
韓国側
の受けとめ方というのは同じなんですか、それとも違うんですか。先ほど
参考人
質疑
の中で、
日本
は
未来志向
の友好ということを言っているけれども、
韓国側
はそうじゃない、
謝罪
だ、過去の反省だと。そして、今回のこれを契機にして、また次のものを要求してくるだろうというような
参考人
の話がありました。 ですから、こちらは
未来志向
と言っていますけれども、これは双方が同じ認識じゃなきゃおかしいんですけれども、
大臣
でも官房副長官でもいいんですけれども、これは同じ認識だと思われますか、双方の国が。
協定
はわかりましたよ、
協定
はいいんです。その認識は同じなのかどうか、
未来志向
について。
松本剛明
140
○
松本
(剛)国務
大臣
今回の
談話
に当たっては、二〇一〇年の八月十日に
日韓
首脳電話会談も行われておりまして、これについて、
李明博
大統領から、
韓国
政府
として同
談話
を高く評価している、今回の
談話
は
韓日
関係
を、
韓国側
ですから
韓日
関係
という
言葉
になりますが、
韓日
関係
を未来に向けて発展させる非常によい大きな契機となる、両国が北東アジアの平和と繁栄のため真心と知恵をもって未来に向けて協力を強化していきたい旨の発言があったと承知をしておりまして、もちろん受けとめは、それぞれの方もしくは
韓国側
の受けとめでありますけれども、受けとめをこのように表現していただいているということから考えれば、
未来志向
という点でも双方の認識を共有することができて、今回の
談話
の
未来志向
に資するという目的がかなえられているのではないかと理解しております。
平沢勝栄
141
○
平沢
委員
先ほどの
参考人
質疑
で、
未来志向
と言うけれども、
日本
と
韓国
で横たわっている最大の問題は
竹島
の問題である、今度のこの
協定
によって
竹島
問題が若干でもいい方向に動く可能性は全くない、こういう話もありました。 そして、今、
韓国
は、
竹島
問題について、不法占拠の既成事実をどんどん進めているでしょう。そして、近く国会の
委員会
が開かれるということも言われています。海洋科学基地を建設することについて発注しました。二〇一三年にはこれは完成すると言われている。 こういった
竹島
の問題と今度の問題は切り離せないということが先ほどの
参考人
質疑
の話でありました。
大臣
は、今回の
図書協定
と
竹島
との
関係
についてはどう思われますか。
松本剛明
142
○
松本
(剛)国務
大臣
竹島
については、我が国の固有の
領土
であり、また、
竹島
が法的
根拠
のない形で占拠をされているというのが私どもの
日本政府
の
立場
であり、一貫して申し上げておりますし、
一つ
一つ
今申し上げませんが、先生が申し上げたものも含めて、
竹島
に係る
韓国側
の一連の措置は受け入れられないということを、私どもも累次の
機会
を通じて申し入れをしてきておりまして、
竹島
のこの問題についてはしっかりと粘り強く
外交
を進めてまいりたいと思っております。
日韓関係
全体という中では、すべて、
図書協定
も
竹島
のことも含まれてくるわけでありますが、重層的な
日韓関係
を構築する必要がある、また、今後も
関係
を深めていくべき大変重要な二国間
関係
であると同時に、地域そして世界にとっても協力をしていくべきパートナーであるということを考えれば、先ほど申し上げたように、重層的な
関係
を深めるその一助とこの
図書協定
はなるものだというふうに理解をしております。
平沢勝栄
143
○
平沢
委員
副長官にもお聞きしますけれども、この
協定
を結ぶことが
日韓
の友好
関係
の増進、
未来志向
につながるというようなことを言っていますけれども、先ほどの
参考人
質疑
では、それは
日本側
が考えることであって、
韓国側
はむしろこれで、言えば結局これだけ戻ってくる、だから、まだまださらにエスカレートしていろいろなことを言ってくるだろう
竹島
についても一切
韓国側
として
日本側
に歩み寄りを見せることはないだろうというような話がありましたけれども、副長官は、この
図書協定
が
日韓関係
にどういう
意味
を持つと思われますか。
仙谷由人
144
○
仙谷
内閣官房
副長官
平沢
先生がおっしゃるようなことをおっしゃっている識者の方々もいらっしゃることは私も承知をいたしておりますが、私自身、ずっと、在日の方々を初め、この四十数年間、
日本
と
韓国
の
関係
というのを見てまいりましたけれども、大枠、大筋、やはり金大中大統領の文化開放、多分一九九九年だったと思いますけれども、ここから始まり、
日韓
ワールドカップ、サッカーの共同開催、そして現時点では韓流ブームということであります。 いわゆる従軍慰安婦の方々は現時点でも抗議と請求の
運動
をまだまだ連日のごとくなさっておるわけでありますが、しかし、その方々も今回の東
日本
大震災に際して義援金を寄附されたという
お話
も聞いていまして、この間の
日韓
双方の交流、これは大筋では、私が若いときあるいは二十年前に国会に議席を得たときと比べますと、隔世の感がある、つまり、豊かないい方向に向かっている。その中に、去年の
韓国併合
百年の節目であの種の
談話
を出せたということは、これからの
日韓関係
を本当の
意味
で
未来志向
で豊かなものにしていく
一つ
の材料にはなるだろう、そういうふうに私自身は見ております。
平沢勝栄
145
○
平沢
委員
時間が来たから終わりますけれども、この
協定
を契機としましてさらに
日本
の
文化財
が
韓国
に引き渡される、これがないように強く求めたいと思います。 そこで、この
協定
の趣旨が真に生かされるために、私
たち
は、国会の意思として、
韓国
にある
日本
の
図書
を
日本側
に求めるという決議、それから、今、
日本
で盗まれたものが
韓国
で国宝に指定されている、これについてきちんと調査をさせろ、その決議をこの
外務
委員会
でぜひやっていただけるよう
委員長
にお願いしたいと思います。
小平忠正
146
○
小平委員長
今の
平沢
君の御提案については、後刻
理事
会で協議をいたします。
平沢勝栄
147
○
平沢
委員
時間が来たから、終わります。ありがとうございました。
小平忠正
148
○
小平委員長
次に、赤松正雄君。
赤松正雄
149
○赤松(正)
委員
公明党の赤松正雄です。 この
日韓
図書協定
にまつわる議論もきょうで二日目、場面は二幕三場という感じになってまいりました。
日韓関係
にとって、先ほど来というか、ずっと
松本
外務大臣
は、今も議論ありました、
未来志向
、百年の節目、そして自発的、この三つをキーワードにして繰り返し繰り返しおっしゃっています。私ども公明党も、
皆さん
がおっしゃるところの多層的ですか、多重的ですか、複合的な
日韓関係
を前進させるためにこの
協定
が役に立つということであるならば、ぜひそうあってほしいという思いを込めてこの
協定
に賛同したい、そんなふうに思っているわけですが、前回も、そしてきょうも同僚
委員
の
皆さん
との議論を聞いていて、恐らく多くの
日本人
が共有しているものだろうと思うんですが、これから先の
日韓関係
における、おっしゃるところの
未来志向
、これが、私が今突然思い出した
言葉
ですが、同床異夢であって、要するに、さっきの
参考人
との
質疑
の中で、私の質問に答える格好で
下條
先生がおっしゃったわけですけれども、
未来志向
といっても全然思いが違うという指摘がありました。 私が思うのは、要するに、
日本
に果たして、
未来志向
といったときのその
実態
というものが、明確なる構成要件を持って、こういう格好で
日韓関係
をよくしたいんだという視点というものがないんじゃないのかというふうに多くの人は思っているから、幾ら百年の節目に
未来志向
と言われても、本当かね、いいように
韓国
にやられちゃうんじゃないのという思いが多くの
日本人
にあるからだと思うんですね。 そういう点で、
外務大臣
が言うところの百年の節目、
未来志向
、自発的、これは前回のやりとりを通じて
外務大臣
はこれを繰り返されて、きょうも繰り返されました。改めて、この
図書協定
の意義について、
未来志向
のくだりを、もう少し砕く格好でお述べいただきたいと思います。
松本剛明
150
○
松本
(剛)国務
大臣
日韓
の
歴史
というのは、もう申し上げるまでもなく、交流という
意味
からすれば千年を超える
歴史
になってくるわけでありますが、特にこの百年というのは、大変、いわば起伏の激しい百年であったということで、昨年が
一つ
の節目であったことは、双方の認識も共有されているところだというふうに思っております。 そういった百年を
一つ
の区切りにすることに意義があるからこそ、ともに前を向けるのではないか、このように考えて、百年の節目で、ある
意味
では
談話
、そして
図書
の
引き渡し
という行動を、当時、私は
政府
内にいたわけではありませんけれども、民主党の同僚、同志、先輩が御議論いただいて、お決めをいただいたと思いますし、私もその趣旨に賛同すればこそ、今、この議論をさせていただいているところであります。 私自身も、かねてから考えてきたところではありますけれども、確かにこの千年、百年、さまざまな
歴史
がありますが、前を向いて考えてきたときに、
日本
と
韓国
は、地理的距離、そして今、ともに民主主義、自由といった価値を共有しているということから考えても、手を結んでいくべきであるし、また、結んでいくことが両国にとって大きく資する、このように考えてまいりました。その
内容
というのは、やはり二国間の
関係
ということであれば、政治、安全保障、そして経済、さらには人、文化の交流、大きく申し上げればその三つということになってこようかというふうに思います。 政治、安全保障といった面では、もちろん我が国においても、そして
韓国
においても多様な
意見
があるわけでありますが、私どもも
未来志向
の
談話
を発表させていただき、これに
李明博
大統領がおこたえをいただいたということから考えましても、政治レベルでも大きく認識を共有する素地が整いつつあるきっかけになったのではないかというふうに思っております。 また、安全保障といった面でも、既に世界の各地で
日韓
の協力というのがさまざまな形で行われていること、もうこれは
一つ
一つ
申し上げませんが、先生よく御案内のとおりでありまして、こういった、ともに働く、協力して働くというんでしょうか、やはり協働作業を世界各地で行うということは、相互の理解にも、信頼
関係
構築にも大きく資するというふうに思っております。 また、経済については、目前の
課題
としてはEPAがあることも御案内のとおりでありますけれども、実際に、既に世界の各地を見
渡し
たときには、
日本
の企業と
韓国
の企業が、それぞれの得意の分野を持ち寄って、世界のマーケットの中で闘っているという場面も多々あります。実際に、今回でも、実は中東諸国でさまざまな事案が発生をしたときに、そこにいる、私どもからすれば邦人の保護というのをどうするかということを考えなければいけなかったわけでありますが、まさに
韓国
の企業において技術協力をしている
日本人
がおられたりということで、非常に経済的
関係
も実質的には深まってきている、このように考えておりますので、それをまた双方の資する形で変えていくという
意味
で、EPAも含めて前向きに取り組んでいきたいと思います。 人、文化については、
一つ
一つ
申し上げると長くなりますけれども、この重要性については言うまでもないことだと思います。今回も、この
図書協定
もそうでありますが、
自民党
さんから御指摘もいただきました、
韓国
にある我が国由来の価値のある
図書
について
アクセス
の改善などを努めることによって、文化、学術の交流も深まる契機になるのではないかと。その
意味
では、御指摘もいただいたことに感謝をしながら、我々として務めを果たしていきたい、こう考えております。 〔
委員長
退席、
吉良
委員長
代理着席〕
赤松正雄
151
○赤松(正)
委員
今おっしゃった政治、安全保障、経済、それから
文化交流
、この三つの側面、これはだれしも異論はない。
未来志向
というこの
言葉
の、言ってみれば構成要件として、こうした三つの角度というのは、ある種、当然のことだろうと思うんですよ。つまり、どの国とさまざまな
交渉
をするに当たっても、この三つは言えることであって、
日韓
の間において特別なことではないですね。 やはり、
日韓
といった場合に、おのずと
歴史
、そういった過去の問題、これが大きくのしかかってくる。だから、この政治、安全保障、経済、文化を考える上に、これを未来に向けてどう進めていくかといったときに、
日韓
の基本的な、言ってみれば国家と国家の信頼
関係
というか、あるいはそれを構成している人間
たち
の信頼
関係
というものに深くかかわってくるのがこの
歴史認識
ということであり、過去のさまざまな問題である。このことを全部横に置いておいて、これだけやりましょうねということは、それはなかなかうまくいかない、いっているようでうまくいかないということだと思うんですね。 多くの
日本人
と断定的に言ってどうかとは思いますけれども、現代
日本
と現代
韓国
というものを見たときに、やはり大きく違うと私が思うのは、これは
外務大臣
の見解をお聞きしたいんですけれども、どうも
日本
は、
外交
摩擦、
外務
省当局が
外交
の摩擦を恐れている。
日韓
における
外交
摩擦をともかく起こさない、ここに大きな起点というか出発点があって、ともかく
外交
的に
日韓
に摩擦を起こさないことが大事であって、つまり
未来志向
というのは、摩擦を起こさないという観点から将来に向かってどうしましょうかという話を話題にするのであって、過去のことをいろいろ言い出すと摩擦が起きてくる、こういうふうに見えるんですけれども、いかがでしょうか。
松本剛明
152
○
松本
(剛)国務
大臣
過去を振り返ったときに、それぞれの
立場
もしくは見方、考え方が
日韓
間で違う点があるということは、率直に申し上げて御指摘のとおりではないかというふうに思っております。 そして今、政治、
外交
のレベルを見ておりますと、その違いを率直にぶつけ合うことが可能な素地は、これまでの諸先輩方の積み重ねで、できてきつつあるのではないかと思います。話し合うことによって解決できるものもあれば、双方の違いを認める、多様性をお互いに認めるということで
一つ
の克服の形となるものもあると思います。 今先生がおっしゃったように、あえてありていな
言葉
を申し上げれば、そのことにふたをするとか、そのことを見ないふりをするとかいう形というのは、本当の信頼
関係
、本当の
未来志向
に対して望ましくないという御指摘はそのとおりだろうというふうに思いますし、おっしゃったように、目前の仕事として、つい一番難しい問題というのを避けて通るということは、人間のやることとしてありがちというか、ないわけではないと思いますけれども、そういうことのないように、それは私自身も現場もしっかり取り組みたい、このように思います。
赤松正雄
153
○赤松(正)
委員
私、先ほどの午前中の議論に参画をして思ったことは、これを引き渡すと次々要求されちゃうぞ、そういう論点がありました。私は、ある種、百歩譲ってそれでもいいじゃないか、そのときにしっかりと
日本国
が対峙する、それに対して立ち向かうという姿勢が大事なのであって、
最初
からそうだから、それを恐れる、しないというのはちょっと違っているんじゃないか、そんなふうに思うんですね。 しかしながら、そういう要求が来たときに
日本
が屈するんじゃないのか、またこういう懸念というものが、残念ながら今日までの
日本
外交
の経緯を見たときに、先ほど、
外交
摩擦を避ける、そういう性癖があるというふうな、方向性があるようなことを指摘しましたけれども、そういう点を指摘せざるを得ない。
言葉
をかえれば、
日本
外交
に戦略がない。 例えば、日中間においても戦略的互恵という
言葉
を使います。これも、
言葉
には戦略というのが入っているけれども、どうも中身が、よく言われるウイン・ウインというか、単なるお互いに利益を得るという格好にしましょうねということを、何となく格好いい言い方で言っているにすぎない戦略的互恵という
言葉
。あるいは、それよりもっと余り
意味
合いのない
言葉
が
未来志向
だ。こういう
言葉
を使っている限りでは、ここから先の
日本
の
外交
の戦略性というものに非常に疑念を持たざるを得ないというのが率直な感じなんですね。 特に
領土
という問題に関しては、今までも幾たびか、ここで言ってきましたけれども、対ロシアの問題にしても、あるいは対
中国
との問題にしても、対
韓国
の問題にしても、余りこういうことをしばしば繰り返すのは適切ではないかもしれませんが、やはりこの三つの国はそれぞれ、物すごくありていに言っちゃえば復讐という
言葉
、これは日ロにおいてもそういう
言葉
を指導者は使っていますし、また、日中においてもそういう露骨な
言葉
を私は聞いたことはないんですが、多くの
日本人
にそういう思いがある。過去の
歴史
の流れの中で、報復をされるんじゃないか、そういう恐怖感というものを持っている向きがある。
韓国
においてもしかりです。 そういう国々が明確な戦略性を持って、
領土
の問題においても、あるいはまたこういう
図書協定
の問題においても、さまざまな問題において戦略を持って対外的国家
関係
に挑むというのは当たり前のことだと思うんです。それに対して、
日本
はいかにもない。
未来志向
だとか、あるいは戦略的互恵なんていう
言葉
だけが躍る、実際中身は伴わない、こういう事態ではしようがないと思うんですね。 そういう経緯の中で、
日韓関係
ということに絞って言えば、過去に私
たち
は、
韓国
と
日本
の間において
歴史認識
を共有していく作業、国家と国家が同じ
歴史認識
を持つなんていうのは考えられないわけですけれども、しかしながら、お互いがどういう考えを持ってお互いを見ているかということについて、学識的経験豊かな
人たち
が、そういう場を設けてお互いに研究しようじゃないかということで、
日韓
における
歴史
共同研究の場が設けられました。その所産というか
成果
というものに対して、
大臣
はどのような認識で見ておられるでしょうか。
松本剛明
154
○
松本
(剛)国務
大臣
今先生が
お話
しされましたように、戦略というものをどのように持っていくかということは大変重要な視点だろうというふうに思っております。 私自身も、省内でも
皆さん
と議論をする中で、やはり
世界各国
で、世界じゅうでいろいろなことが起こることに日々対応することをしておりますと、つい目の前の、そのことだけを対応するような受け身に陥らないように、これは最前線でベストを尽くしている人よりも、むしろ私どもの仕事であろうというふうには思うわけであります。 これについて、前
大臣
は、私どもの政務のチームの中で、
一つ
経済という柱を立てて、前向きに取り組むにはどういうことが考えられるのかというボールを、いわば
外務
省に投げたというふうに思っておりますし、私自身も、この発災を受けて、復興という視点を加えて、我々がどういう取り組みができるのかということを改めて考えるべきだということを今、中でまさに議論をして、またこれも形にしていきたいというふうには思っているわけであります。 おっしゃったように、
日韓
の
関係
においては、やはりこれまでの
歴史
というものに全く目を向けずに前へ進むことはあり得ないということは先生御指摘のとおりだろうというふうに思います。その
意味
で、過去大きく二回であったというふうに思っておりますけれども、議論をいただいた。 この中において、やはりさまざまな御
意見
も出ておりますし、また
立場
の違いというのが明確になった部分もあると思いますし、議論にとどまって何らかの形にできなかった部分もひょっとしたらあるのかもしれませんけれども、まずそういう議論の場があったということ自身が、大きく資するところがあるのではないかというふうに思いますし、また、それがそれぞれ形になって出てきたものというのは、いろいろな
意味
で、それがあちらこちらに
歴史
についてのいわばボールを投げるという
意味
では大変価値があるのではないかなというふうに私自身は感じて、受けとめているところであります。 〔
吉良
委員長
代理退席、
委員長
着席〕
赤松正雄
155
○赤松(正)
委員
学者相互の、もちろんそれぞれの
立場
で言い合いをしたといっただけで、余り大きな
成果
は生まなかったんじゃないかというふうなとらえ方が一般であります。 先ほどの午前の
参考人
の中で、例えば
竹島
の問題のような
領土
問題というのは、国家が研究機関というものを設置して、みずから明快な
歴史
理解をして、
外交
摩擦を恐れないでその正当性を主張すれば決して解決不能に陥らない、そういう、
日本
みずから
竹島
の問題について自分
たち
の研究機関というものをしっかり設けるべきだ、こういう主張がありましたけれども、
外務大臣
、これに対してどういうお考えを持たれるでしょうか。
松本剛明
156
○
松本
(剛)国務
大臣
竹島
についての
背景
、
歴史
的経緯、そして我が国の固有の
領土
ということで編入をした経緯などについては、もう既に明らかにさせていただいているところだというふうには考えておりますけれども、どういった機関を、新しい機関を設けるとか、新しい体制をつくるとかいうことが必要なのかどうかということは、今御指摘がありましたので、改めて考えてみたいと思いますが、
政府
として必要な主張を整理する、また、必要な主張をさらに補強することが必要だという観点から
お話
があったとすれば、現段階で
竹島
問題は解決をしていない問題であるというふうに私自身も考えておりますので、そのために必要なことの
一つ
として考えてみたいと思います。
赤松正雄
157
○赤松(正)
委員
固有の
領土
だから云々ということだけを言い続けるだけ、それももちろん大事なことでありますけれども、こういった研究機関を設けるということも大事な視点ではないかなという感じがいたします。 最後に、これからの
意味
のある
日韓関係
、私言うところの戦略的
未来志向
という、これも何となく取ってつけた言い方ですけれども、そういう観点からすれば、大事なことは、今、原子力発電所事故、原発というものをめぐって、ある
意味
で、
中国
や
韓国
よりも
日本
は、この分野、いい悪いは別にして、原発主義ともいう
言葉
があるんですけれども、そういう行き方、先輩国家として、今直面している原発の事故、これに対して
日本
がどのように処理をするのかということは、韓中両国は非常に強い関心を持って見ている。その
意味
で、しっかりと、そうしたおくれて来る国々に見本となるような、そういう対応を
日本
はしていくということが非常に大事だ、こういう面でもきちっと方向を決めていくということが
未来志向
の
関係
にとって大事だと思いますけれども、その点について、最後に見解をお聞かせ願いたいと思います。
松本剛明
158
○
松本
(剛)国務
大臣
これは全く先生おっしゃるとおりだと私自身も思います。 特に
韓国
は、エネルギーの需給とかそういった
状況
、エネルギー資源の
状況
とかも、我が国とは置かれた環境は極めて近いものがある、このように考えます。また、原子力の技術、そして
歴史
などは私どもの方が古いわけであることも御指摘のとおりでありますので、まさに
日韓
そして日中間の原子力安全分野、エネルギーの分野でも、いわば主導的な役割を果たせるということは戦略的にも重要だという御指摘はしっかり受けとめたい、このように思っております。
赤松正雄
159
○赤松(正)
委員
終わります。
小平忠正
160
○
小平委員長
次に、笠井亮君。
笠井亮
161
○笠井
委員
日本
共産党の笠井亮です。 本日は、
日韓
図書協定
について、先週四月二十二日の第一回目に続いて二回目の審議となりますが、幾つか確認的に質問をしておきたいと思います。 まず、この
日韓
図書協定
に基づいて、今回
日本政府
から
韓国
政府
に引き渡されるとする、対象となる
朝鮮
半島に由来する
図書
は、本
協定
の附属書に掲げる合計百五十部、千二百五冊であります。これらの
図書
は、昨年八月の
菅総理
談話
で示された、
日本
が統治していた期間に
朝鮮総督
府を経由してもたらされたものだということでいいのか。そして、その期間とは具体的にいつからいつまでなんでしょうか。これを伺いたいと思います。
伴野豊
162
○
伴野
副
大臣
笠井
委員
にお答えさせていただきます。 まず、
日本
が
朝鮮総督
府を通じて
韓国
を統治していた期間ということでございますが、それは一九一〇年から一九四五年ということでございます。 また、今回の対象になっておりますものでございますが、それは総理
談話
で明らかでございますけれども、本
協定
に基づく
引き渡し
の対象というものは、先ほど申し上げた、
日本
が統治した期間に
朝鮮総督
府を経由してもたらされ、
日本政府
が
保管
している
朝鮮
王朝
儀軌等の
朝鮮
半島由来の貴重な
図書
ということでございます。
笠井亮
163
○笠井
委員
総理
談話
で言う
朝鮮総督
府を経由してもたらされたものということは、
朝鮮総督
府を経由せず、個人、団体による購入、寄贈などを通じて
日本
にもたらされたものは原則として含まれていないということでよろしいですね。
伴野豊
164
○
伴野
副
大臣
笠井
委員
にお答えいたします。 御案内のように、今回の
引き渡し
の対象は
日本政府
が
保管
している
図書
でございまして、その他の個人、団体が保有しているものは
引き渡し
の対象ではございません。
笠井亮
165
○笠井
委員
今、
日本政府
が
保管
しているものということでありますが、これは、
日本
の行
政府
、内閣とその統括下にある行政機関が
保管
しているものを
意味
して、それ以外に、
日本政府
、行
政府
でない者が
保管
している
文化財
は本
協定
の対象とはならないということでよろしいでしょうか。
伴野豊
166
○
伴野
副
大臣
そのように御理解いただいて結構でございます。
笠井亮
167
○笠井
委員
今回の
日韓
図書協定
を含めれば、
韓国
との間で
文化財
の
引き渡し
に関する
政府
間の取り決め、
協定
を
締結
するのは、
自民党
政権時代の一九六五年の
文化財
・
文化協力協定
、それから一九九一年の故李方子女史の服飾等の譲渡
協定
に次ぐ三番目の
協定
になります。 そこで伺いますが、一九六五年の
韓国
との
文化財
・
文化協力協定
の際には合意議事録というものが存在すると思うんですが、どのような
内容
のものでしょうか。
伴野豊
168
○
伴野
副
大臣
笠井
委員
にお答えいたします。 今、
委員
御指摘のございました、一九六五年、
文化財
・
文化協力協定
署名時の合意された議事録におきましては、
一つ
目として、
韓国側
代表は、
日本国民
の私有
文化財
で
韓国
に由来するものが
韓国側
に寄贈されることを希望する旨述べた旨書いてございます。さらには、二つ目として、
日本側
代表は、
日本国民
が所有するそうした
文化財
を自発的に
韓国側
に寄贈することは
日韓
両国間の
文化協力
の増進に寄与することにもなるので、
政府
としてはこれを勧奨するものである旨述べたことが記載されております。
笠井亮
169
○笠井
委員
今お答えありまして、私も、当時の
外務
委員会
の
日韓
条約
の審議をまとめた要綱というのがここにありますけれども、まさにこの合意議事録では、
日本政府
所有ではない
韓国
の
文化財
について、
日本政府
としては
日本国民
がその所有する
韓国
文化財
を自発的に
韓国側
に寄贈することを勧奨するという旨が盛り込まれております。 ということは、伺いたいんですが、例えば、
日本政府
でないという点では、独立行政法人国立
文化財
機構が運営する東京国立博物館なども含めて、要するに、先ほどあったように、
日本政府
という点では、内閣とその統括下にある行政機関の所有あるいは
保管
でないものを自発的に寄贈するということについては、これは問題にはならないということでよろしいんでしょうか。
松本剛明
170
○
松本
(剛)国務
大臣
先ほどから申し上げておりますように、一般論として、
日韓関係
を重層的に深めていくということが大変重要であると思います。また、民間レベルでの両国間の文化面での交流が活発に行われるということも歓迎をすべきことだ、このように考えております。 そういった視点から
日本
の
立場
を申し上げてきたわけでありますし、また、今御指摘の議事録にも、そのような
立場
をあらわしたものだというふうに私自身も考えておりますけれども、個別の民間が保有をしている
文化財
の扱いについて、
政府
としてお答えをする
立場
にはありませんので、そのようにコメントさせていただくことを御容赦いただきたいと思います。
笠井亮
171
○笠井
委員
いや、個別のことを聞いているんじゃなくて、今確認しているんですけれども、
日本政府
として、この合意議事録があるわけですから、要するに、
政府
の所有でないものについてはそれぞれ自発的に寄贈するということは問題がないと。つまり、では今、その答えは差し控えるとなると、合意議事録の
立場
は変わったのかということになるわけですけれども、その
立場
は変わっていないということはよろしいですよね。
松本剛明
172
○
松本
(剛)国務
大臣
私どもとして、
日韓
の文化の交流を深めること、これを歓迎するという
立場
からは基本的に私どもは変わっておりません。 その上で、今、例えば、
委員
から独立行政法人とか
お話
があったわけでありますけれども、それぞれ
政府
でない者が所有をする
文化財
の扱いについて、これを私どもが云々する、もしくはコメントをするということの
立場
にはないという趣旨で
お話
をさせていただきました。
笠井亮
173
○笠井
委員
個別にどれと言っているわけじゃないんですが、今私は厳密に申し上げたつもりですが、合意議事録で言っているのは、
日本政府
が持っているものでない、
日本国民
が所有するものについて自発的に寄贈するのは
文化協力
の増進に寄与するということで、「
政府
としてはこれを勧奨する」、つまり、勧め励ますということを合意議事録で言っているんですが、それは変わっていないですねと言っているんです。 もし、それと違うとなると、二国間の
関係
で合意議事録を変えるというふうになるから、そうじゃない、その解釈について変わっていないですねと聞いているんです。
松本剛明
174
○
松本
(剛)国務
大臣
今まさに先生がお読みをいただいたように、両国間の文化の交流を深めるという考え方は変わっておりませんし、合意議事録というものを変えたという事実はありません。
笠井亮
175
○笠井
委員
このように、
自民党
政権時代に交わされた
日韓
間の合意議事録では、
韓国
文化財
について、
日韓
両国間の
文化協力
の増進に寄与することから、
日本政府
として、
日本国民
の所有であるものについて
韓国側
への寄贈を勧奨するということをされているというのは大事な点だと思うんです。 そこで伺いますが、豊臣秀吉の
朝鮮
出兵の折に、地元義勇軍が加藤清正軍を撃退したことを記念して建てられた
北関大捷碑
という石碑がございます。これは一九〇五年に、日露戦争において旧
日本
軍将校が発見して
日本
に持ち出して、靖国神社に
保管
されていたものでありますが、二〇〇五年の十月にこの石碑の
返還
調印式が行われて、
韓国側
に移送されましたが、これに
日本政府
はどのような姿勢でかかわりましたでしょうか。
松本剛明
176
○
松本
(剛)国務
大臣
今御指摘のは
北関大捷碑
ということで御理解をさせていただきますが、
北関大捷碑
の
引き渡し
の式典は、今
お話
がありましたように、二〇〇五年の十月十二日、主催は靖国神社ということで、同神社で行われたと承知をしております。 この式典には、
政府
からは、当時の福島啓史郎
外務大臣政務官
、そして
政府
の北東アジア課長などが
出席
をいたしておりまして、同
大臣
政務官、そして靖国神社の南部宮司、そして秋圭昊在京
韓国
大使館公使の三者が
引き渡し
の書類に署名をしたというふうに承知をいたしております。
笠井亮
177
○笠井
委員
私が伺ったのは、この
引き渡し
に関して
日本政府
はどうかかわったかということについて伺ったんです。調印式に参加したというのは今わかりました。どういう姿勢でかかわったかということです。
松本剛明
178
○
松本
(剛)国務
大臣
正確に申し上げた方がいいかもしれませんが、仲介者としてという
立場
で書面にたしか記されていたと思いますが、ちょっとお待ちください。 この
引き渡し
の書面に記載をされているとおり読みますと、仲介者として
日本国
外務
省
大臣
政務官、それで御署名をいただいている、こういう位置づけになっております。
笠井亮
179
○笠井
委員
仲介者としてというのはわかるんですが、もう少しそこのところは、どんなふうにかかわったかというのがあると思うんですけれども、もう一言、具体的に答えていただけますか。
松本剛明
180
○
松本
(剛)国務
大臣
私どもが承知をしている範囲で申し上げれば、同年、二〇〇五年の五月六日に行われた
日韓
外相会談において、当時の
潘基文
外交
通商部長官から、
北関大捷碑
の
返還
、これは先方が
返還
というふうに申し上げているのをそのまま申し上げますが、
日韓関係
、ひいては南北
関係
の改善にも資する、
日本側
の積極的対応を期待する旨述べ、当時の町村
外務大臣
から、引き続き靖国神社とも相談しつつ誠意を持って仲介したいという旨述べたというふうに承知をいたしております。
笠井亮
181
○笠井
委員
誠意を持って仲介したいということで、両者間で移送協議に関して話がついているのであれば、
政府
として手続をとるように靖国神社に促すということまでやったのではないかと思うんですが、そういうことでよろしいですか。
松本剛明
182
○
松本
(剛)国務
大臣
私どもの
記録
から申し上げられることは先ほど申し上げたとおりであります。仲介をしたい旨、五月に述べたということと、式典の際には仲介者として署名をしたということでありまして、その間を仲介者としてしかるべく対応されたことが推察されるということは御指摘のとおりではないかというふうに思います。
笠井亮
183
○笠井
委員
大臣
に伺っておきたいと思います。まあ総括的になりますけれども。
韓国
国会は、今回の
朝鮮
王朝
儀軌の
引き渡し
をめぐって、二〇〇六年の十二月と二〇一〇年二月の二度にわたって決議を上げている。この間も紹介もされてきたとおりです。これらの国会決議では、
北関大捷碑
、さらに東京大学に所蔵されていた
朝鮮王朝実録
が
韓国側
に引き渡されたことを高く評価しております。 この
北関大捷碑
にはありましたが、
朝鮮王朝実録
、東京大学に所蔵されていたものについていいますと、これは
朝鮮
王朝
の公式
記録
で、全巻残存する
朝鮮
王朝
時代の二十五代、千七百六巻に及ぶ膨大な基本
資料
でありますが、そのうち五台山史庫にあった実録を一九一三年に
朝鮮総督
の寺内正毅が東京大学に寄贈していたという形になっていたわけですが、それを二〇〇六年五月に東京大学から
ソウル大学
に寄贈する形式をとることで両大学が合意をして、七月に引き渡されたものであります。同月行われた
日韓
外相会談では、やはり
北関大捷碑
と同様に両国の外相間でのやりとりがあって、当時の
潘基文
韓国
外交
通商部の長官が麻生
外務大臣
に対して、
文化協力
の象徴であるということで謝意を表明しているという経過があるということだと思います。 そこで、最後に
大臣
に伺っておきますが、
日本政府
が今回の
協定
で示されたように、
文化財
をめぐって可能な限り
韓国
との間でも誠意ある対応をしていくということ、あるいはするということについては
日韓
両国の友好
関係
の発展に資するというふうに思うんですけれども、そのことについて
大臣
の所見を伺っておきたいと思います。
松本剛明
184
○
松本
(剛)国務
大臣
今回の御審議を願っております
協定
については、百年という節目において、まさに
日韓関係
をこれまで、そしてこれからのためにプラスになるものとして、その
一つ
として
図書
の
協定
の
引き渡し
をお願いしておりまして、この
内容
は、今まさにお諮りをしている
内容
が最も適当であると考えておりますので、これがすべてだというふうに申し上げてよろしいかというふうに、今回の百年で行うものとしてはすべてではないかと思っております。 他方で、今
お話
がありましたように、一九六五年の合意議事録の御指摘もあったわけでありますけれども、大変重層的で、さらに深めていかなければいけない
日韓
の
関係
という
意味
では、御指摘のありました文化にとどまらず、あらゆる面で誠意ある対応を私どももしていきたいというふうに思いますし、それによって信頼
関係
も深まってくるものと期待をしております。
笠井亮
185
○笠井
委員
この
日韓
図書協定
が採択をされて、そして
朝鮮
王朝
儀軌等の
文化財
が
韓国側
に渡されて、そしてそのことを通じて
日韓関係
の発展に寄与するということを心から願いながら、質問を終わりたいと思います。
小平忠正
186
○
小平委員長
次に、服部良一君。
服部良一
187
○服部
委員
社民党の服部良一です。 まず、この
図書協定
に賛成をするということを申し上げた上で、幾つか質問をしたいと思います。 前回の
委員会
で、文科省の文化庁次長ですか、重要
文化財
を海外へ
返還
あるいは
引き渡し
するに当たって、文化審議会での判断について、当該美術品の
文化財
としての価値のいかんというところで判断をするという趣旨の答弁をされております。この理屈からいったら、例えば
北関大捷碑
であるとか
返還
された
文化財
は、では価値がなかったのかとも読めるわけで、いわば、例えば
植民地支配
という
歴史
的な経過であるとか
背景
であるとか、あるいは所有者が返したいという意向であるとか、そういったことは考慮されないのか、ちょっと質問をいたします。
関裕行
188
○関
政府参考人
お答え申し上げます。 前回お答えをいたしましたとおり、重要美術品ということが前提でございまして、重要美術品と申しますのは、重要美術品等ノ保存ニ関スル法律に基づくものでございます。 この重要美術品等ノ保存ニ関スル法律でございますけれども、昭和二十五年、
文化財
保護法ができました際に廃止をされたわけでございますけれども、既に認定をされました重要美術品については、当分の間、その効力を有するというふうにされておるわけでございます。 その趣旨でございますけれども、重要美術品につきまして再度きちんと評価をいたしまして、
文化財
保護法に基づく重要
文化財
として指定すべきものは指定をする、そうでないものについては重要美術品としての認定を取り消すということで、このような制度設計になっておるわけでございます。 したがいまして、前回、
文化財
としての価値ということでお答えをさせていただいたわけでございますけれども、これを具体的に申し上げますと、当該重要美術品を重要
文化財
として指定をすべきかどうか、すなわち、我が国にとっての
歴史
上または芸術上の価値という観点から判断を行うことになるというものでございます。
服部良一
189
○服部
委員
ということは、今私が言った、例えば所有者が返したいとか、それが何で
日本
にあるか、そういう
背景
については考慮されないということなんですか。ちょっともうイエス、ノーで。
関裕行
190
○関
政府参考人
済みません。繰り返しになりまして恐縮でございますけれども、私どもとしては、
文化財
保護法それから重要美術品等ノ保存ニ関スル法律を担当しておるという
立場
から、
文化財
としての価値に基づいて判断をさせていただいているということでございます。
服部良一
191
○服部
委員
先ほどの議論を聞いていて、もう一点お聞きしますけれども、
宮内庁
の
文化財
については、文化庁としては全くノータッチということなんでしょうか。
関裕行
192
○関
政府参考人
お答え申し上げます。 先ほども御答弁をさせていただきましたように、
文化財
保護法の趣旨でございますけれども、
文化財
のうちで価値の高いもの、それから重要なもの、これを文部科学
大臣
が指定をするということでございますけれども、その指定をされたものにつきましては、所有者の方においてきちんと保存管理をしていただくということになるわけでございます。
小平忠正
193
○
小平委員長
関部長、質問に答えなさいよ。
宮内庁
はどうかと聞いているんだから。
関裕行
194
○関
政府参考人
失礼いたしました。
宮内庁
が所有されているものにつきましては、そういった
文化財
の保存という観点から見ましても、きちんと保存管理をされているというふうに思っておりますので、今まで重要
文化財
等の指定ということはしてこなかったということでございます。
服部良一
195
○服部
委員
何かちょっとよく理解ができないな。保存管理がきちんとされておったら
関係
ないというふうにも聞けるわけですけれども、もういいです、こればかりやっていても仕方ないので。
大臣
にお聞きしますけれども、未来への
日韓関係
、そのためにもやはり、いわゆる戦後処理問題というのは、まだまだ私自身は未解決だというふうに思っているわけですね。
大臣
も過去、民主党の政調会長なんかもやっておられて、民主党のいろいろ、
政策
立案の中心メンバーでもあられて、二〇〇九年の総選挙のときの
政策
インデックスにも「戦後諸
課題
への取り組み」として、例えば、先ほども言いましたけれども、国会
図書
館に恒久平和調査局を設置する国会
図書
館法だとかもろもろ、慰安婦問題等についても引き続き取り組むということも明記されているわけですけれども、特にこういった民間被害者の賠償とか補償とか戦後処理の問題について、
外務
省として、まだ
課題
は残っているというふうにお考えですか。
松本剛明
196
○
松本
(剛)国務
大臣
政府
の
立場
で申し上げれば、まず法的なことを申し上げなければいけませんが、これについてはもう既に御議論もあるところなので、繰り返さないということでございます。 その上で、先ほども議論があったわけでありますけれども、まさに、これまでのことについての義務であるとか補償であるとか、そういった法的な
立場
は既に解決済みという
政府
の
立場
は、私どももしっかり引き継いできておるわけでありますけれども、未来に向けて
日韓関係
を構築していくときに、やはりそれぞれの国民の気持ちというものが寄り添っていくようになることが大切であるといったときに、人道的な視点であるとか、そういったことで何ができるかということは、既に取り組んでいるものもありますし、
課題
として今まさに進行中のものもあるというふうに御理解をいただいていいと思います。
服部良一
197
○服部
委員
課題
は残っているというふうに受けとめさせていただいたわけです。 前回の
委員会
の中で、いわゆる幽霊貯金といいますか、軍事郵便貯金、外地郵便貯金について、総務省から答弁をいただきました。軍事郵便貯金については、七十万口、二十一億五千三百万、外地郵便貯金については、一千八百六十六万口座、二十二億六千六百万あるよということだったんですけれども、こういったものを原資にして戦後補償問題にかかわる支援
事業
に充てるということについて、私は、
一つ
のアイデアとして、非常にいいアイデアじゃないかなというふうに思うんですが、
外務大臣
、こういったことを利用するということについて、考慮に値するというふうには思われませんか。
松本剛明
198
○
松本
(剛)国務
大臣
先ほども申し上げたところと少し重複をいたしますけれども、御案内のとおり、日
韓国
交正常化の際に
締結
された
日韓
請求権・経済協力
協定
に基づいて、
日韓
間の個人の財産、請求権の問題については一括して処理をし、法的に完全かつ最終的に解決をされている、こういうことであります。その
意味
では、先生が
お話
しになったように、何と何をつなげて、どういうことをするかということを考えることが適当かどうかということは、議論をしなければいけないというふうに私も思っております。 何をなすべきかという
意味
では、先ほど少し御議論がありましたけれども、人道的観点から、個人に対する支援として、先生よく御案内のとおり、在サハリン
韓国人
の支援であるとか、
朝鮮
半島出身者の遺骨支援といったことを真摯に行ってきておりまして、何をなすべきかについては、やはり私どもとしても、なすべきことはしっかりなしてまいりたい、このように考えておりますが、繰り返しになりますけれども、財産、請求権の問題については、一括して処理して、法的に完全かつ最終的に解決されているという中で、今御指摘がありましたような、いわゆる財産等をどう考えるかということと補償という
言葉
をつなげるということは、法的な整理としては必ずしも適切ではないのではないかと考えておるところであります。
服部良一
199
○服部
委員
この幽霊貯金の扱いについては、
菅総理
自身も、ひとつ検討してみたいということも言われているわけで、
日本
でない海外のそういう貯金がずっと残って、これは一体、本当にどうするんですか。だから、やはりこういったことは、いい
意味
で活用していくということが僕は重要だというふうに思います。 最後に、きょう、
文化財
の問題、いろいろ議論が
参考人
を含めてございました。私は、例えば
対馬
の文書なんかもありますけれども、先ほども言いましたけれども、長い
文化交流
の
歴史
を見ますと、これは
日本
と
韓国
の共通の財産だとも言えるような面があるわけですね。そういう
意味
では、この問題をきっかけに、ただ単に所有権の論議だけじゃなくて、例えば巡回展示だとか、共同管理だとか利用だとか、幅広く利用を検討していくような専門家
委員会
を立ち上げた方がいいんじゃないかなというふうに私は思うんですけれども、
大臣
、いかがでしょうか。
松本剛明
200
○
松本
(剛)国務
大臣
今回対象となったものも含めて、何度か申し上げていますが、両国間は、長い交流の中で、それぞれの由来の文物が両国の間にあるというふうに私自身も理解をしておりまして、それを、双方の国々、
研究者
などの
アクセス
については先ほど御議論がありましたけれども、さらには、広く両国の国民がそういったものに触れる
機会
がある、目にする
機会
があるということも大変重要なことだと思います。 これをどのように進めていくかということについては、今先生から御提案がありましたような、専門家の力をかりるといったようなことも含めて今後の検討
課題
としてまいりたい、このように思っております。
服部良一
201
○服部
委員
ぜひよろしくお願いをしたいと思います。 質問を終わります。ありがとうございました。
小平忠正
202
○
小平委員長
これにて本件に対する
質疑
は終局いたしました。
—————————————
小平忠正
203
○
小平委員長
これより討論に入ります。 討論の申し出がありますので、これを許します。小野寺五典君。
小野寺五典
204
○小野寺
委員
自由民主党の小野寺五典であります。 私は、自由民主党・無所属の会を代表して、
日韓
図書協定
の
締結
につきまして、反対の討論を行います。 まず、今回の震災に対して、
協定
の対象となりました
韓国
からも、官民を挙げて多大な支援をいただきました。被災地選出の
議員
の一人として、厚く御礼を申し上げます。
韓国
は、基本的価値を共有する最も重要な隣国であります。今回の
協定
の目的である「相互理解に基づく
文化交流
及び
文化協力
」は、両国
関係
にとってまことに重要であり、我が党としても大いに推進すべきと考えております。しかしながら、今回の
協定
は、その目的を達成するには余りにも拙速かつ無定見に進められたものであり、我々がとても看過できるものではありません。 まず、この
図書
引き渡し
は、昨年の
総理大臣
談話
において、
日韓
併合百年に関連づけて、反省と
謝罪
の文脈の中で盛り込まれたものです。そもそも、請求権や
文化財
引き渡し
に関する問題は、
日韓基本条約
と同時に
締結
された諸
協定
により解決済みであります。にもかかわらず、解決済みの事案をいま一度俎上にのせることは、
未来志向
の
日韓関係
の構築を阻害する可能性があります。 また、
協定
の対象となる
図書
は、文化性、専門性が高く、
図書
の価値やそれを引き渡すことへの是非を判断するには、綿密な調査や専門家の
意見
聴取が不可欠であります。しかし、
政府
は、このような必要な手続を全く行わず、重要な国有財産を引き渡すことを極めて安易に決定しました。しかも、最終的に引き渡す
図書
は、
韓国
国会が
返還
要求をした百六十七冊の
朝鮮
王朝
儀軌のほかに千三十八冊が加わっております。だれがいかなる意図でこの基準をつくったのか、
政府
から明確な説明はありません。 さらに、この
協定
は、我が国が一方的に
図書
を引き渡す片務的な
内容
となっております。
文化交流
というのなら、相互主義に基づいて
日韓
双方がその所有する
図書
を譲り合い、両国が安易に
図書
への相互
アクセス
ができるようにすべきではないでしょうか。 しかしながら、
外務
省は、
韓国
に我が国の
図書
が存在することを、署名直前に我が党の新藤義孝
議員
が指摘するまで全く知らなかったのであります。初めから我が国の
図書
の
引き渡し
ありきで、一片の疑念も抱かず、調査もしなかった
政府
は、不作為の罪を問われるべきです。 さらに、
政府
には、この
状態
を是正すべく、
韓国側
に対し、我が国由来の
図書
を
引き渡し
てもらう旨の申し入れ等に関して、今後行う予定がないという
立場
を崩してはおりません。この
協定
は、
外交
の双務性という原則を履行せず、余りに拙速に進められたものです。
政府
に対しては、この
協定
を契機として、さらに我が国
文化財
の
韓国
への一方的な
引き渡し
が行われることがないよう強く求めたいと思います。そして、この
協定
の趣旨が真に生かされるためには、私
たち
国会の意思として、
韓国
にある貴重な
日本
図書
の
引き渡し
を
韓国側
に求めるための決議を行うべきだと提言いたします。 長らく政権党として、我が党は、
日韓
両国民の友情に基づく
関係
発展に努めてまいりました。これからも変わらず
韓国
とのきずなをさらに深め、
未来志向
の
関係
構築のために努める意思は変わりません。しかし、残念ながら、本来の目的が大きくねじ曲げられてしまったこの
協定
に反対であると申し上げ、私の討論を終わります。(
拍手
)
小平忠正
205
○
小平委員長
これにて本件に対する討論は終局いたしました。
—————————————
小平忠正
206
○
小平委員長
これより採決に入ります。
図書
に関する
日本国政府
と
大韓民国政府
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件について採決いたします。 本件は
承認
すべきものと決するに賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
小平忠正
207
○
小平委員長
起立多数。よって、本件は
承認
すべきものと決しました。 お諮りいたします。 ただいま議決いたしました本件に関する
委員会
報告書の作成につきましては、
委員長
に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
小平忠正
208
○
小平委員長
御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
—————————————
〔報告書は附録に掲載〕 ————◇—————
小平忠正
209
○
小平委員長
次に、
社会保障
に関する
日本国
と
ブラジル連邦共和国
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件、
社会保障
に関する
日本国
と
スイス連邦
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件及び
日本国
と
インド共和国
との間の
包括的経済連携協定
の
締結
について
承認
を求めるの件の各件を議題といたします。
政府
から順次趣旨の説明を聴取いたします。
外務大臣
松本
剛明君
。
—————————————
社会保障
に関する
日本国
と
ブラジル連邦共和国
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件
社会保障
に関する
日本国
と
スイス連邦
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件
日本国
と
インド共和国
との間の
包括的経済連携協定
の
締結
について
承認
を求めるの件 〔本号末尾に掲載〕
—————————————
松本剛明
210
○
松本
(剛)国務
大臣
ただいま議題となりました
社会保障
に関する
日本国
と
ブラジル連邦共和国
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件につきまして、提案理由を御説明いたします。
政府
は、平成二十二年一月以来、ブラジルとの間でこの
協定
の
交渉
を行いました。その結果、同年七月二十九日に東京において、我が方岡田
外務大臣
と先方
社会保障
大臣
との間で、この
協定
の署名を行った次第であります。 この
協定
は、我が国とブラジルとの間で年金制度に関する法令の適用について調整を行うこと及び両国の年金制度の加入期間を通算することによって年金の受給権を確立すること等を定めるものであります。 この
協定
の
締結
により、年金制度への二重加入等の問題の解決等を通じ、両国間の人的交流が円滑化し、ひいては経済交流を含む両国間の
関係
がより一層緊密となることが期待されます。 よって、ここに、この
協定
の
締結
について御
承認
を求める次第であります。 次に、
社会保障
に関する
日本国
と
スイス連邦
との間の
協定
の
締結
について
承認
を求めるの件につきまして、提案理由を御説明いたします。
政府
は、平成二十一年七月以来、スイスとの間でこの
協定
の
交渉
を行いました。その結果、平成二十二年十月二十二日にベルンにおいて、我が方在スイス大使と先方連邦保険庁長官との間で、この
協定
の署名を行った次第であります。 この
協定
は、我が国とスイスとの間で年金制度及び医療保険制度に関する法令の適用について調整を行うこと並びに両国の年金制度の加入期間を通算することによって年金の受給権を確立すること等を定めるものであります。 この
協定
の
締結
により、年金制度及び医療保険制度への二重加入等の問題の解決等を通じ、両国間の人的交流が円滑化し、ひいては経済交流を含む両国間の
関係
がより一層緊密となることが期待されます。 よって、ここに、この
協定
の
締結
について御
承認
を求める次第であります。 最後に、
日本国
と
インド共和国
との間の
包括的経済連携協定
の
締結
について
承認
を求めるの件につきまして、提案理由を御説明いたします。
政府
は、平成十九年一月以来、インドとの間でこの
協定
の
交渉
を行いました。その結果、本年二月十六日に東京において、我が方前原
外務大臣
と先方商工
大臣
との間で、この
協定
の署名を行った次第であります。 この
協定
は、両国間において、物品及びサービスの貿易の自由化及び円滑化を進め、投資の
機会
を増大させ、両国間の経済活動の連携を強化するとともに、自然人の移動、競争、知的財産等の幅広い分野での枠組みを構築するものであります。 この
協定
の
締結
により、幅広い分野において、両国間における経済上の連携が強化され、そのことを通じ、両国経済が一段と活性化し、また、両国
関係
が一層緊密化することが期待されます。 よって、ここに、この
協定
の
締結
について御
承認
を求める次第であります。 以上三件につき、何とぞ御審議の上、速やかに御
承認
いただきますようにお願いをいたします。
小平忠正
211
○
小平委員長
これにて趣旨の説明は終わりました。 次回は、来る五月十一日水曜日午前八時五十分
理事
会、午前九時
委員会
を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時三十八分散会