○我部
参考人 こんにちは。琉球大学国際沖縄
研究所の我部政明といいます。
きょうは、この
委員会で
意見を述べる
機会をいただきまして、感謝申し上げます。
大学で仕事をしている
関係上、ちょっと話が長くなるのが職業病でありますが、なるべく短く、時間のとおり守っていきたいと思っています。うまくいけば、大学の職業病から少し回復して転職が可能かなというふうな気もしないでもありませんが、定年が近いので。それはないかと
思いますが。
きょうここで
意見を述べるのは、私の専門としています国際政治学の視点から、
日本の安全保障そして対米
関係、さらに沖縄にある米軍基地とのかかわりを軸にして、今後、将来にわたってとるべき
日本の安全保障の基本について述べたいと
思います。
二十一世紀に入りまして、二〇〇一年でありますが、アメリカで同時多発テロが起こりました。その後、世界はアメリカを軸とした一極構造へと進んでいくんだというふうに言われました。それからちょうど十年が経過しましたが、実際にアメリカの軍事力は他国を圧倒するだけの力を持っているというのは変わりありませんが、実際世界じゅうで、ある種の紛争、武力を行使するということがよく起こっております。と同時に、経済のグローバル化も進んでいて、通信や技術や文化までも国境を越えて浸透していく国際社会へと変わってきています。
私たちが住んでいますこの東アジアにおいても、いわば軍事力に頼っていく安全保障への傾斜ということが一方で進行しながら、同時に、貿易や
資源や投資をめぐって国境を越えてしまう一体化への圧力もまた顕著になっているところであります。こうした軍事化とグローバル化が両方同時に進行する
地域がこの東アジアであります。東アジアにおいてこの二つの流れの
中心にいるのが、
日本であり中国でありインドであり、またアメリカでもあります。
こうした流れは、東アジアにおける米軍の存在にも大きく影響を与えております。地理的にアメリカはアジアには位置していませんが、アジアの戦略環境を支え、不可欠な存在として、グローバルパワーとしてアメリカはこれまであり続けてきております。
冷戦のころ、大国として
行動するアメリカは、
地域の防衛のために配備されることを当然視しながらも、必要なときに必要な兵力を必要な場所へ送り込む展開能力を強化することを図ってきました。冷戦は、ある意味で、東西という地理的に分けられた二つの
地域がぶつかり合う、時には目で見ても確認できる、わかりやすい対立でした。
しかし、冷戦が終わって、東西の陣営の境界線付近に配備してきた米軍の再編が議論されたのは当然のことでした。九・一一以前に発足をしていたブッシュ政権では、いわば機動力と戦闘力にすぐれた能力ベースの軍隊へ米軍を変えていくというふうに構想しました。これまで、冷戦のような、仮想敵の
動きを監視して、侵略する相手を撃滅するということを基本としてきました。冷戦が終わった後のポスト冷戦の時代において、ブッシュ政権は、対応型からむしろこうした能力型へと転換をしてきました。その基本線は現在のオバマ政権でも引き継がれ、アフガンやイラク後も含めて、兵士を危険にさらすことなくアメリカの戦闘能力を高めるような努力を現在も続けております。
こうした中で、沖縄は、ちょうど来年で沖縄が
日本の施政権下に戻ってから四十年を迎えます。ちょうど六〇年後半のアメリカは、沖縄の不安定化が直ちにアメリカ軍の撤退要求へとつながりかねないとの危機感を深めて、そのまま沖縄問題を放置すればアメリカの国益を失いかねないと判断し、最もよい
日本との取引で合意されることを条件で、沖縄返還に合意をしたのです。言うまでもなく、沖縄からの要求や、それに呼応する
日本国内の
動き、さらには当時の佐藤政権の復帰への取り組みの姿勢もあったことも加えて、沖縄返還が
実現したのです。
一九七〇年前後の沖縄返還と、ちょうど米軍再編が行われている二〇〇〇年前後の沖縄における米軍再編には共通性があるように思われます。
これはどういうことかといいますと、例えばアメリカ
政府の中では、沖縄の人々の意向に逆らっては基地を維持することはできないという考え方であります。そして、わかってきたことは、沖縄の意向に影響を及ぼすことができるのは
日本政府であると。つまり、アメリカは、
日本政府との協働作業を通して沖縄での基地の安定使用を維持することができるのだというふうに考えたわけであります。その結果、沖縄返還後では、沖縄の施政を
日本政府にゆだね、行政的、財政的、政治的手段を通して、基地のフェンスと同様に、
日本政府に米軍基地を守らせるということを
実現したのであります。
現在進行している米軍再編は、いわば冷戦後のアメリカの軍事的役割と機能を変えていくという中で行われています。そうした一環の中で、沖縄にある米軍の再配置を行うというものであります。
ちょうどその検討が行われているさなか、九五年の九月に起きた少女レイプ事件を境にして、沖縄では米軍基地の整理を求める声が高まってきました。沖縄のこうした意向にこたえることは、アメリカにとって、あるいは
日本にとって、基地の安定使用を行っていくために必要なことでした。短期的には基地に向かっていく不満を和らげ、長期的には
日本政府の意向に従順な沖縄の人々に、沖縄県になってもらうというふうなことを目指してきたわけであります。
なぜ、こうした四十年の時間が経過してもなおアメリカ軍は沖縄の意向に左右されるのでしょうか。確かに、沖縄の人々の要求が、ある意味では身を切るような
状況からの声だということは言えると
思います。それ以上に、耳を傾けざるを得ない
事情が日米側にあるのです。
一九五二年に発効しました対日
平和条約あるいは旧安保条約、そのときに沖縄はアメリカの施政権下に置かれました。アメリカは、行政、立法、司法のパワーをもって自由に沖縄を使えることになりました。アメリカは、その結果、核兵器を配備し、貯蔵し、いかなる戦闘
行動もとり、さまざまな訓練を行い、日常的にはその家族や兵士たちにとって楽園のように暮らせる島々と沖縄をしたのです。
世界人権宣言で述べられるような、平等な人間としての沖縄の人々がこの島に住んでいるとは、アメリカは想定しませんでした。多くのアメリカ人は、人間は基地の中に住み、基地に包まれた沖縄という、基地の島沖縄というイメージをつくり出しました。つまり、そこにはまるで沖縄の人は存在しないかのように振る舞ってきたのです。
多くの
日本人も、こうした同様なイメージを抱きました。現行の安保条約は一九六〇年に発効していますが、この安保条約は、旧安保条約に比べれば、幾分かの対等性あるいは
相互性という言葉をうたっております。それは、沖縄に米軍基地が存在することによってこうしたことが可能になったのであります。つまり、
日本の安全は米軍の存在によって担保され、旧安保条約の前から、あるいは一九四五年から米軍は沖縄に集中して配備されてきました。
日本からすれば、アメリカ軍を配備することに伴うさまざまな負担を沖縄の人々に担わせることによって、
日本は
主権、独立、平和、豊かさ、安全を手にしたのです。アメリカは、自由に使える基地を握り続け、
日本の要望に可能な限りこたえて、国際社会で
日本を保護し、ある意味で
日本を甘えさせ続けてきました。つまり、戦後、友人のいない
日本にとって唯一の友達にアメリカがなったのです。
安全保障の観点でいえば、
日本は沖縄に依存してきました。そして、現在もそうです。アメリカは、外国
領土に六十年以上にもわたって自由に使える基地を提供してくれている
日本に感謝しています。アメリカは、冷戦を戦い、そして覇権国家として海外に多くの基地を置き、
日本にも当然置き、それらの基地の中でハブ的な役割を沖縄の基地に与えてきたのです。沖縄での基地の負担が
減少しないのは、日米それぞれが異なる利益を沖縄から得ているからであります。
しかし、同じ
日本人として沖縄の負担を
理解し、沖縄の人々へ何らかの償いをしなければならないと考える人は数多くいます。つまり、この犠牲を底辺に置く沖縄問題は、多くの
日本人の琴線に触れることでもあるわけです。しかしながら、沖縄に基地を置くアメリカにとっては、沖縄で基地を自由に使用できることというのは、
日本人が考える以上に大きな利益を得ているわけであります。
国際政治学の伝統的な考え方の
一つに、現実主義というのがあります。現実主義というものは、国際社会を無
政府状態として、国際社会を構成するのが国家だというふうに考えます。こうした国際社会の中では、だれも助けてくれない、自分だけが自分を助ける社会である、そして、国家はみずからの生き残りを最大の
目的として、国家の利益を最大化することをいつも考えているというふうに想定をしています。この考え方、現実主義に立てば、アメリカは友達であっても、
日本を助けることはないというふうになります。まれに助けることがあったとしても、アメリカの利益になると判断したときだけであります。
戦後、アメリカに感謝し続ける
日本人は、侵略によって
日本の生き残りが危うくなるときに、いつでもアメリカは
日本を助けてくれるのだと思っているのでしょう。もしそうだとすれば、現実主義者の
立場からすると、
日本人は空想に浸っているというふうに嘲笑するのかもしれません。
それにもかかわらず、
日本はアメリカのために基地を提供し続けてきました。今後も提供し続けようとしています。それは、単にお人よしだからではありません。大学のような高等機関で現実主義を学んだ優秀な
日本人の多くは、アメリカ軍を人質と呼ぶことがたまにあります。これは、アメリカ軍が
日本に引きとめられている以上、
日本にいる以上、
日本に侵略が行われたときにアメリカ軍基地もその侵略者の攻撃対象となる、したがってアメリカは
日本防衛のために軍事
行動を起こさざるを得ないという論理があるわけです。
確かに、米ソ間での緊張が高まり、一発触発の事態を想定すれば、例えば朝鮮半島におけるトリップワイヤー論、これは、三十八度線付近にアメリカ軍を配置して、北朝鮮がもし三十八度線を越えて韓国に侵略する場合には、まず先にアメリカ軍兵士がその攻撃対象となるということです。このことをトリップワイヤーというふうに呼んでいるわけですが、そのことによってアメリカは韓国防衛から自分だけ逃げ出すことができない、それと同じように
日本にいるアメリカ軍をとらえることができるというわけであります。
さて、二十一世紀の今日、アメリカに対して戦争をしかける国はあるのでしょうか。また、
日本に侵攻しようとする国があるのでしょうか。グローバル化した社会の中で、経済成長を遂げれば遂げるほど、戦争は引き合わない行為となってきます。むしろ、貿易や通信や投資で豊かさを追求する方がより現実的で、コストが低く大きな利益を生むということがわかってきます。今や
日本と中国とアメリカは、貿易・投資の世界では密接に結びついています。戦争で得られるよりもずっと容易に欲しいことが
実現しやすいというふうになっております。
相互に破壊し合うような核戦争は言うまでもなく、戦争へと拡大しかねない武力衝突ですら回避しようとします。もっとも、パワーややる気を誇示するためのパフォーマンスはよくあります。
こうした東アジアにおける戦略環境が
変化している中、沖縄に依存する
日本の安全保障政策は見直すときが来ていると
思います。つまり、沖縄に米軍基地を集中させる結果として生まれた
日本の負担、もうちょっと言えば、沖縄の人々の負担に見合わない軍事力を沖縄に張りつけているのです。冒頭に述べたように、沖縄から米軍基地を削減することは、
地域に張りつく戦略の必要性から脱却しようとしているアメリカの戦略の流れにも適合しているのです。時折、既得権益として
日本や沖縄にある米軍基地をとらえる専門家もいます。戦略環境の
変化やコストと利益を考慮せずにいられるのは、みずからの安全保障に無頓着でお人よしの
日本人の幻想に助けられているだけであります。
三・一一が、
日本の復興だけでなく、新しい
日本の起点となるという議論が多く出てきております。東
日本震災からの復興は新しい
日本の課題だとする考え方がありますが、六十年以上にわたって放置されてきた沖縄に甘え続ける安全保障政策を転換するときでもあります。いわば、脱沖縄依存の安全保障政策を検討していただきたいというふうに思っております。
以上であります。(
拍手)
〔秋葉
委員長代理退席、伊東
委員長代理着席〕