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菅内閣総理大臣 まず、
国民の
皆さんに、今回の
北朝鮮の延坪島に対する
砲撃ということで本当に御心配をいただいている、それに対して
政府としてどう
対応しているか、こういう場でしっかりとお伝えをしたいと思います。
二十三日、これは勤労
感謝の日で休日でありました。私は
官邸のすぐ
そばの公邸におりまして、第一報を受けたのは十五時三十分、
秘書官から
連絡を受けました。
報道も流れているということを聞きましたので、すぐ
テレビをつけました。
御
承知のように、今回の
砲撃は、その約一時間前の十四時三十四分に
砲撃があった。ただ、これが発表されたのは、
韓国の正式な発表は十八時ごろであります。ですから、実際の
砲撃から約一時間後に私のところに
秘書官を通して
連絡があったわけですが、これは当然ながら、いろいろな
情報網を
我が国も持っておりますので、そういった
情報網から入ってきたことを私に伝えた、それが十五時三十分でありました。
そこで、すぐに
官邸に入ることは、私はすぐ
そばですからできるんですけれども、休日でありますので、
官邸には人は一般的にはおりません。そこで、
電話連絡でいろいろと
連絡をとって、できるだけ早く
関係する人に集まってもらいたい、こういうことを
指示いたしました。
その結果、十六時四十五分ごろに私
自身も
官邸に入りまして、
官房長官あるいは
官房副
長官さらには
危機管理監、そういうメンバーが集まって、それまでに集められた
情報をまず改めて聞くとともに、さらなる
情報収集、それから
不測の
事態に備えての万全の
体制をとるようにその場で
指示をすると同時に、
防衛大臣に対しても
電話で
連絡をいたしました。
防衛大臣は既に
防衛省の方におられたようでありますけれども、そういう形で
連絡をとったところです。その結果を、私はその直後に、いわゆるぶら下がりという形で、こういう
指示をしたと、
つまりは
情報収集にまず全力を挙げろ、
不測の
事態に備えろ、この二つのことを
指示したということを
記者団に申し上げました。
私は、当日は夕方から
宮中行事が入っておりましたので、服装を整えて、同日の十七時二十五分ごろ
皇居に伺いまして、そして十七時三十五分から二十時二十分まで
宮中行事に
出席をいたしました。その間も、
秘書官を連れていっておりますので、さらに
緊急事態が起きたときにはすぐ
連絡がとれるような、そういう
体制をとっておりました。
そして、
皇居から帰りまして、二十時三十分、それまでの間に既に
関係閣僚会議というものを招集するという手はずが整っておりましたので、その直前に、まず
官房長官と三人の副
長官から報告を受け、二十時四十五分から
関係閣僚会議を開催して、そして改めてその時点における
情報の
分析と今後の
対応について
協議を行いました。
私からは、三点、その場で申し上げました。一点は、
北朝鮮の今後の
動向等に関し
情報収集にさらに努めること、二点目は、
韓国、
米国と緊密に
連携し
対応すること、三点目は、
不測の
事態に対して備えるなど、
国民の皆様の安全、安心の確保に万全を期すこと、この三点をその中で申し上げました。そして、
政府としての
考え方を、
官房長官から
記者会見で
国民の
皆さんにお伝えしました。
何か、
我が国の
非難の
メッセージが少し遅かったのではないかという
指摘がありますけれども、この
関係閣僚会議を開くのが、私が
宮中行事から帰ってすぐに開いたわけですけれども、それが二十時四十五分になった
関係で、その直後に
官房長官から、そうした中身を含む
メッセージを出していただきました。
翌二十四日には、
政府として正式な
北朝鮮による
砲撃事件対策本部を設置して、第一回会合を行い、その場でも私から、許しがたい
蛮行であるということを申し上げたところです。
そしてさらに、昨日になりますが、その直後の十二時八分から、約二十分間にわたって
李明博大統領と
電話会談を行いました。
大統領からは、
日本の迅速な
支持表明あるいは
北朝鮮に対する
非難ということに対して
感謝の意を表され、私の方からも、
韓国、
アメリカとの
連携、さらには、この問題では
北朝鮮に
影響力を持っている
中国に対しても、しっかりそうした立場の責任を感じて
対応してもらわなければならない、こういうことを
話し合いまして、
外務大臣の方にその趣旨を伝え、
外務大臣が駐
日大使を呼んでその旨を伝えた。
ちょっと長くなりましたが、こういう経緯でありまして、迅速な
対応がしっかりととれてきた、このように申し上げて間違いないと私は思います。