○自見
国務大臣 赤澤議員の
質問にお答えさせていただきます。
私も五年前は自由
民主党の党員でございまして、十二年前に
郵政大臣をやらせていただきました。
私は、率直に申しまして、ここは政治の場でございますから、
ユニバーサルサービスというのは、
郵便、
貯金、
保険が二万六千ぐらいの拠点がございまして、今三千三百の市町村の全部にかつてはございまして、実際歩いていますと、
先生御存じのように、うちではもう農協が合理化のためにその村から支店を引き揚げましたというふうな、決して情緒的な話じゃございませんが、
現実に非常に、東京におればなかなか理解しにくい話でございますが、私はさっき言ったように九州でございますから、九州の町、村に行きますと、そういった声を非常に聞く。
また、明治四年以来、
郵便が一番最初でございますが、たしか
郵便が明治四年、明治五年に
郵便貯金ができたと思っておりますが、大正時代に簡易
保険ができたと思います。やはりそれが
一つ、基本的な日本人としての、どんな
過疎地にいても、どんな僻地にいても、それだけは
国民が利用できる最低限のインフラだということですね。
私は、国家というのは自由と平等だということが大事でございますが、自由ということも非常に大事でございますが、やはり
国民であれば、どういった山村僻地におってもそのことが基本的に享受できる国家を保障せねばならないというふうな、少し青臭い考えでございますけれども、そういったことで実は
郵政民営化に
反対をさせていただいたわけです。
その最大の理由は、今いろいろ
お話がございましたが、十年たって一〇〇%
郵便貯金と
保険会社を民営化すると申しますと、確かに企業というものは
公益性、
公共性もあるものでございますが、私の町でもかつて、大手の私鉄が長い間赤字が続きまして、大手でございましたが、結局、その電車を引き揚げざるを得ないというような
状況を私も
政治家として経験をさせていただきました。当然ですが、営利
事業というのは営利を、利益というものを重視せざるを得ない。
そうなれば、
郵政大臣にさせていただいたものですから、山村僻地あるいは九州の、たしか十二年前は、
郵政三
事業は九州は全部赤字なんですね。そういった意味で、
郵政事業というのはきちっと
国民の最低限の、やはり日本人として
金融サービスと
郵便サービスは受ける必要があるのじゃないか、その可能性が、そういったきちっとした持続可能なビジネスモデルでないと私はいけないのじゃないか、そう思って、自分の判断で自分の行動をとらせていただいたわけでございます。
当時、五年前のあのときの御党の公約をよく見ていただきたいのですが、
郵政民営化は
改革の本丸だ、こう言っておりました。そして、小さな
政府でこそ、小さな
政府というのはマニフェストに三回大きい面に書いてありまして、小さな
政府で景気も社会保障もということを書いてありました。小さな
政府ですから、これはもう
大野先生を初め御専門でございますが、当然、必要な歳出までカットせざるを得ない。当然、大変なプライマリーバランスの話もございますけれども、私から言わせれば、それで必要以上に歳出を、
地方からも
地方交付税交付金を削減せざるを得ない。それから、骨太
方針二〇〇六というので、毎年毎年社会保障を二千二百億削っていかねばならない。それから
規制緩和。必要な
規制緩和は必要ですが、過度の
規制緩和。
そういうのをひっくるめて
市場原理主義と言う人もいますが、私はそういう思想そのものに、実は
政治家として、こういったことでは日本の国がうまくやっていけないと思って、それは私の信念、勝手な信念でございますが、それによって私は一年十カ月落選したわけでございますが、それを是正するために少しはお役に立とうと思って、実は参議院に来させていただいたわけでございます。
今、
先生から献金の話が出ましたけれども、私もことしで二十五年。おかげさまで、衆参、
与党、
野党、
与党、
野党、
与党とひっくり返りましたけれども、衆議院と参議院をやらせていただきました。やはり
政治家というのはきちっと
一つの考えを
実現するために、当然いろいろな支援団体はございますが、そして、その支援団体が合法、適法なものであれば、政治にはいろいろ必要な資金がかかりますから、それはありがたい話でございます。いろいろな団体から支援を受けたことはございますが、それゆえに自分の
政治家としての信念、考えというのは、いろいろな方から票をいただくわけでございますから、それは変えてはならないというふうに私は思っております。
確かに、今
先生御心配のとおり、
郵政研からたくさん献金をもらったんだからそれに縛られるんじゃないか、こういう話でございますが、これは
地方に十二ございまして、別々の独立した団体でございまして、会計者も違いますし所在地も違います。それから歴史的に申し上げれば、特定
郵便局というのは、少し長い話になりますけれども、これは明治四年にできたとき、大体……(
赤澤委員「
委員長、お願いします。そろそろ」と呼ぶ)