○
松浪委員 自由
民主党の
松浪健太であります。
本
委員会の冒頭に
委員長から
お話がございましたけれども、先日、
ドイツの
視察に与野党で行かせていただいたわけであります。
特に、きょうの
質問者の中では、
ベビークラッペ、いわゆる
日本における赤ちゃんポストについて
視察をさせていただいて、本日
質問に立つのは私だけでございますので、これについて、また
大臣にもいろいろと、まだ詳細がまとまるまでには時間があるということですので、まず速報として、我々が見てきたこと、聞いてきたことを
大臣とともに考えてまいりたい。
先般、
大臣も所信表明をされたときに、私も母子家庭で育ったということをおっしゃっておられました。私なんかは、裕福ではないですけれども、恵まれたサラリーマン家庭に育ちまして、ただ、私の母なんかも母子家庭でありまして、女の子四人を母親一つの手で育てられた。それを聞いて、最近まで思いませんでしたけれども、先ほどから
お話しございますような
地域での手助けというようなものがなければ、四人もの
子どもを母親の、いわゆる女手一つで育てるということはなかなか難しかったんじゃないか。
そういう
意味で、最近、そんな話というのは母親の世代では聞くんですけれども、少子化のせいもあるかもしれませんが、それにしてもそういう話を
本当に聞かなくなったなというふうに思います。
我が国と
ドイツの背景というものも違うと思いますけれども、その違いも含めて、
大臣には
お話を聞いていただきたいとまずは思います。
我々、特にバイエルン州ミュンヘンのセント・ガブリエルという修道院に設置をされました
ベビークラッペ、いわゆる赤ちゃんポストを
視察させていただきました。やはり共通するのは、
ドイツにおいても賛否両論があるということであります。実際、我々も外務省を通しまして
現地で
視察、実はミュンヘンには二つあるんですけれども、一つは
病院に、一つは修道院に設置をされているわけです。
病院の方は、余り目立ちたくはない、こういうものは大々的に
お話しすることではないということで、我々との接触というのは実は片方は断られた経緯がございます。
病院の方は、当然
病院としての経営基盤があるわけですから、その中でやっている。
我が国における熊本の例と似たようなところがあるわけであります。
修道院の場合は、やはりさまざまな
施設を同じにやっていらっしゃる。例えば、家からDVなんかで逃げてきた女性をかくまう
施設を併設していたりとか、それからまた、
ドイツでここだけらしいですけれども、十二歳からですけれども、望まない妊娠をした女性をケアする、その方が
子どもを産んでいようが、産む前であろうが、ケアをする、そういう
施設と併設をされているというところでありました。
そこのシスターに我々
対応をいただいたわけでありますけれども、
ドイツの場合は連邦制でありますので、州によって取り組みも微妙に違うわけでありますけれども、基本的には、ものとしては非常に共通をしている。もともと発祥はハンブルクでありますけれども、そのハンブルクの例と我々が見せていただいたミュンヘンの例は、非常にものとしては似ているわけでありまして、この
ベビークラッペの扉をまずあける。扉をあけて、中にお母さんへの手紙が入っている。また、お母さんへの手紙に、そこに何が
最初にあるのかなと思えば、スタンプの朱肉のようなものがありまして、これで赤ちゃんの手や足形をお母さんに持っていってもらえるようにする。これは、ハンブルクでも、それを見たミュンヘンの例でも一緒であります。それをお母さんの思い出にしていただくのかなと私は
最初思ったんですけれども、それをお母さんが持っていれば、その手形、足形は、後になっても私が親なんだということを証明できる有力な証拠になるということであります。
その手続を申し上げますと、ドアを開いて、そして、
子どもを入れて閉めてしまえば、もうそれは二度と開きません。ただ、向こうの場合は、開かないわけでありますけれども、おっしゃっていたのは、閉じた瞬間に、修道院長さんとか看護師さんとか、そういう担当の皆さん四人の
携帯電話が鳴る。ですから、シスターもおっしゃっていたのは、私は、教会でお祈りするときも、どんなときでもこの電話だけはオフにすることはないんですよ、静かな教会であってもそれを第一に優先していますということをおっしゃっていまして、その次に手続がある。
青少年局にまず通報というかお知らせをする。そしてまた、
警察に捜索願が出ていないかというようなことを、しっかりと取り決めがあるということで
連携をするということでありました。
批判として向こうの国でもあるのは、やはりお母さん方に、望まない妊娠をした方々に、いわゆる赤ちゃんを捨てる、この
ベビークラッペというのも、赤ちゃんポストというのも、言葉はきついですね。ポストというのは、赤ちゃんを投げ入れる。クラッペというのも
ドイツ語でごみ箱のふたみたいなものを連想させる言葉らしいです。
ただ、言葉を幾ら飾っても、赤ちゃんをみずからは名前を明かさずに置くわけですから、どちらの国にも共通するのは、あえて言葉を飾るということをしていないという点で私は共通点を感じるわけでありますけれども、違うのは、
ドイツの場合は移民問題がございます。人口の二割に近い移民というものを抱える中で、十年以上前から
ベビークラッペが普及したという背景があって、ちょっと
我が国日本とその面で違うところがあるというのは重々に御承知おきをいただいた上で、特にこのミュンヘンの例を聞いていただきたいんです。
ミュンヘンにおいて、それでもシスターがおっしゃるのは、お母さんというのはそんなに簡単に
子どもは捨てないものなんだというふうにおっしゃっておられました。実際、ミュンヘンの例も約十年で約十人ほどしか、我々はもっと数が多いのかなと想像していたんですけれども、十人ぐらいです。
ただ、
日本と大きく違うのは、
日本の場合は、熊本の方は積極的に親の身元というのをできるだけ知る努力をする。こちらは、官公庁との取り決めがあるということで、一切そういう手続を、手続というか、こちらから積極的に調べることもしないし、聞くこともしない。ただ、親御さんからうちの赤ちゃんは元気にしていますかという電話があったりとかしたという例は幾つかあったということでありますけれども、身元判明は、約十件のうちで、ミュンヘンの場合は一件だということでありました。
ドイツにおいて急速に普及して、八十カ所、
我が国では一カ所でありますけれども、しかし、実績は十年間で約五百人ということを聞きましたので、一つ当たりで割っていくと、そこまで我々が想像したような、多いというような数ではないなというのが印象であります。
ただ、法的には、向こうの刑法二百二十一条というのがあるらしいんですけれども、それでは普通の場所に遺棄をすれば
保護者の
責任というのは問われるわけですけれども、ここは一応安全な場所だということで、刑法二百二十一条の
子どもを捨てるという、扶養
義務を果たさないということには当たらないということは、向こうの方では了解をされているということでありました。
しかしながら、
子どもが自分の出自を知るという権利を侵害するということには変わりがないということで、どこまで行っても割り切れない問題でありまして、政治は、与野党とかイデオロギーを余りかますことなくコンセンサスを得ていくというのが私は大事なことではないかなと。まさに、こういう微妙な問題だからこそ知恵を出さぬといかぬなということだと思います。
こうしたことを踏まえて、
大臣、私も
本当に
質問するのも難しい、答えるのも難しい問題だと思います。割り切れないものを割り切れないままに我々は
対応せないかぬということでありますけれども、まず、感想のようなものがありましたら、伺いたいと思います。