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国務大臣(
仙谷由人君) 私も少々、
議員のポジションのときは荒っぽい
質問をするものですから、事前に
質問通告をしますと、是非レクをしてくれと。いや、レクは要らない、こう言ったら、なおレクをしてくれということで二十人ぐらいが事務所に来てなかなか帰らない。あれもこれもと、むしろかえって
質問を集中的に浴びて、これはどうなっているんですか、あれはどうなっているんですかみたいな、そういう
質問取りをされて往生した結果がございますし、いかにも、姫井
議員がおっしゃるように、これ、新人の
職員なのか、若い
職員を鍛えるためにやっているのかどうなのか、これは平野さんにでも聞いたらよく分かるかも分かりませんが、これぐらい私から見て
公務員の
人件費を無駄にしている、要するに時間単位の賃金を無駄にしていることはないのではないかという気がします。
そして、それが縦割りですから、今度は持ち帰ってから
質問の割り振りにまた内部でバトルをどうもやっておるようです。つまり、おまえのところだとか、これはおれのところじゃないとか、この仕分がまずひとしきりあって、それから、夜、必死になって徹夜で答弁書をお書きになるということのように僕は推察をしておるんですが。
そのことが心理として、つまり、何というんですか、
大臣を余り傷つけたくないとか、政務三役に厳しい
質問をしてもらって後でまた問題になったらいけないという、そういう保守主義的な心理もあるんでしょうけれども、それだけだったら我々は感謝しなければいけないのか何かであろうと思いますが、しかしそこに縦割りと何か縄張意識と、更にそこに自分
たちの責任回避という意識までがあって、そんなことを聞いてもらっちゃ困ります、ここまでしか答えられませんというようなことを言うとすれば、それは豊かな国会
論議の芽を摘むものでありますから、そういうことがあってはならないと。
だから、私は、いざそういうことができるのかどうなのか。
一つの時間の制約の中で国会
審議というのはあります。
大臣になって初めて分かったのは、
衆議院と参議院と両方あるというこのことを、この厳粛なる事実に初めて気が付いて唖然としたのでありますが。つまり、毎日毎日国会
審議をしておりますと、
行政の実務の方もなかなかおろそかになりますし、そして結局、さっき政務三役が
質問取りをするという当初の心意気はどうしたんだという、
方針はどうしたんだという
質問が出かけましたけれども、これは現実に、国会の
委員会で、今日はお二人いらっしゃっていますけれども、ここに存在して、これが衆参あって、さあそれで
質問取りをせよと言われても、それは
質問をされる先生が今日もこれだけいらっしゃるわけですから、これはもう物理的に無理で、それで官僚の方々にお任せをするというかお願いをすると、こういう構造になっておるわけでございまして、誠に申し訳ないんですが、この国会
審議の在り方を
前提にする限りはなかなか、今おっしゃられたようなある種の無駄といいましょうか、あるいは余り合理性がないなと思われるような国会
論議を豊かで建設的なものにしていくのにはこれはなかなか直らないのかなと。どこかでこれは、むしろ国会の
論議の仕方にも相当関係があるわけでありますから。
先般、二十一世紀臨調が提起したように、
行政監視的な
審議をする時間、これはもう政治家はむしろ呼ばなくてもいいと、つまり
行政執行を監視する時間帯は、それは時間を取ってちゃんとやればいいと。それから、
法案の逐条
審議もそういう時間はそういう時間としてちゃんと取って、それはそれでしかるべき人を、それは
大臣呼んでもだれ呼んでもいいですけれども、そういうことをしっかりと
法律論的にも答えられる人を呼べばいいと。それから、もう少し広い大きい
政策議論をする場合に政務三役を呼ぶとか、何か工夫を国会の
審議の在り方としてしていただかないと、我々が、何というんですか、国会
論議の中から新たな合意
形成をして、そこで修正なりなんなりをしていくというそういう、何というんですか、議論の仕方、あるいは議会の在り方と
政府の在り方の関係をつくるためにはやっぱり何かそういう工夫といいましょうか、慣行的ルールみたいなものが必要なのかも分からないなと最近考えております。