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国務大臣(
仙谷由人君) 一概に江戸時代すべてを通じて普遍的に語れるものがあるのかないのか私は分かりませんけれ
ども、徳川幕藩体制のガバナンスというか政治というのは、なかなか巧妙なやり方だったと思います。
私が昔読んだ
小説の中で「孤愁の岸」という、あれは杉本何とか子さんという女性の作家だったと思いますが、薩摩藩が、木曽川だったでしょうか、長良川だったでしょうか、ここの改修を命ぜられて、平田靱負という家老がこれに従事する。徳川幕府からいえば、この治水が非常に重要だということもありましょうけれ
ども、薩摩藩の力をそぐために、薩摩藩から大人数が動員されてそこに来て、木材の買い付けから始まって、難渋しながら、失敗というかをしながらやらされるという。それで、最後に、でき上がったときにその家老は、藩に迷惑を掛けたということで切腹するんですね。そういう統治の
在り方というのは、非常に間接統治なんだけれ
ども、そのことを拒否させないという何かを持ちながら、しかし薩摩は、薩摩藩内といいましょうか、あるいは九州では極めて強い
影響力というか政治的な統治力を持ち続けたということであったんでしょう。
こういう体制を考えますと、各藩ごとに別に議会を持って、今でいう民主的というか民主主義的な統治形態を持っておったわけではないわけでありますが、英明な君主というか領主、藩主、英明であるということは、多分、有志といいましょうか人材を自分の近くに集めることができたということなんだろうと思いますが、そして、そういう人材の力で施策を進めて、やっぱり明治維新以降の富国強兵というこのスローガンになって現れてくるその
部分が各藩ごとにできているところはかなり藩としても豊かで、力を付け、先進的な文化をあるいは文明を取り入れることができたと。
結局、先ほどの
地方分権、我々が地域主権とか
地方主権とか言っていることを考えますと、今の都道府県、市町村という自治体に果たして
政府と言われるような存在になるような条件があるのかないのか。あるいは、住民を含めてそこに住まわれる方、あるいは県庁の、あるいは市役所の職員として
仕事をされる方も含めて、
地方政府を占める一員であるのか、
地方政府を背負っているというそういう意識があるのか。あるいは、その地域を経営するといいましょうか、運営していくというそういう意識の下に今行われているのかどうなのか。そして、そのようなことを担保する制度がちゃんとできているのかというふうなことを私は感じております。
それで、この地域主権は何よりも、やっぱりここまで来ますと、首長といいましょうか、首長部局の問題であるよりは、やはり
地方議会がガバナンスの一翼を担って物事を
決定していく。とりわけ財政的な、
地方財政、その各都道府県や市町村の財政を含めて、自立的、自主的に決めて執行していくと。そのために、今ずっと長く続いてきた国のある種の、何といいますか、手取り足取りの指揮命令なのか指導なのか、最近では技術的な助言ですか、何か助言と称する強烈な通達というふうなものをどうこなして、こなしていくというかやらせないようにするのか、あるいはそれを撤廃させるのかというふうなところにほとんど問題が集約をしてきているのではないだろうかというふうに思います。
先ほど
山本議員の御
質問に答えて、何というんですか、
原口大臣の方もなかなか微妙な
答弁をされておったわけでありますが、結局問題は、どうも
地方出先機関として、国家というか、国がというか、中央
政府が
出先機関を通じてやっていることが
地方政府との関係で果たして意味があるのか、あるいは
地方政府が本来やるべきことなのか、あるいは
地方政府がやった方がうまくいくのかということが、やっぱり今度の
新規採用問題をめぐっても改めてそういう問題出てくるんですね。つまり、そこの
新規採用あるいは定数を減らしても、それは多分、都道府県や市町村が代替をすればうまくいくというかその方が望ましいような問題、問題というかテーマというか、あるいは部局も私はまだまだ相当あると思います。
ただ、これ、例えば入管というふうなことの
新規採用者も減らそうとした場合に、まあ我が党もそうでありますが、前政権もようこそジャパンという運動をして、圧倒的に多くの、今六百万人か七百万人の海外からの旅行者を三千万に増やすとか二千万に増やすという政策を一方に掲げているわけですから、これは七百万人が倍の一千四百万人になっても、入管をどのようにこれから業務体制を拡充し充実させなければならないかという
観点から考えると、とても全体としては減らすわけにいかないというのは、これ常識的に明らかだと思うんですね。あるいはこれは税関もそうですね。
そういうときに、
地方出先で一律にそこに減員を掛けることができるのかという問題が一方であります。あるいは、入管を
地方政府に移管するということが、法務省が泣こうがわめこうがそのことがいいのかどうなのかということもあります。つまり、国の統一的な、あるいは国の直轄でやらなければならないそういう
仕事なのかどうなのかという、改めてその問い直しが必要と。
今、いろいろ
議論が錯綜してくるのは、そういうときに特区制度で、例えばもう沖縄なんかは沖縄県に任せて、なんかはというのは地政学的にそういう位置にあるという意味でありますが、蓬莱
経済圏とかなんとか昔ありましたけれ
ども、元々琉球共和国構想みたいなものがあるところでありますから、地政的にもう入管業務を全部任せてしまおうと、だれが入ってこようが出ていこうがそれは沖縄県に任せてしまおうと。
企業が入ってきて資本投下するのも、その税制も任せてしまおうというふうな考え方も特区とか地域主権の中には当然のことながら出てきます。
そういうことを考えていくときに、それは民主主義というか、その制度の下ではやはり議会がそれを担って、住民の皆さんあるいは波及する
日本全国の国民にどうやって責任を持つのかということを改めて考えざるを得ないと。結局のところ、重層的なガバナンスの関連をどうつくるのかということに尽きるのかなと思っております。
地域主権とか
地方分権については、私は
一つのかぎは、やはり議会、
地方議会がどこまで、総与党体制みたいなことではなくて、住民の意思とともに
決定機能を、あるいは政策立案機能をちゃんと果たし得る存在になるかどうか。これは各自治体でばらつきが現在はあるようでありますが、そういう議会改革、あるいはこの議会を担う
方々を選ぶ住民の意識改革、そして今名古屋で始まっておるようでありますけれ
ども、一体全体
地方議会というのはどういう存在でどういう地位であるということを住民の
皆さん方と一緒に考えて位置付けていくかと、ここがもう地域主権の、
地方分権のポイントになってきたと。
その関係で、この中央
政府の機能、
在り方、そして統治の機構の
在り方、構造を考えていく必要があるなと。最近は、まあ訳の分からぬ話になりましたけれ
ども、そんなふうに考えております。