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国務大臣(
仙谷由人君) 大変大きな
課題設定をいただいたわけでありますが、私どもはある歴史的な
段階でのこの
時代に立っているということを考えなければならないと。で、どういう
時代なのかという、この
時代認識が極めて重要だろうと思っております。
昨年の秋に「坂の上の雲」の
テレビドラマを見て、ある種の感動をほとんどの
日本国民は覚えたのではないかと思いますが、少なくとも一九四〇年ごろからは決定的に坂を、その
上り方を間違えて、いったん
日本という
国家が、あるいは
社会も破局を迎えたわけでありますが、そこから再び軽武装、
経済成長国家として坂を上り始めて、
時代認識としてはどうでしょう、一九八〇年までは
成功物語ということであったのかも分かりません。
しかし、確実に、一九八五年、八七年、
プラザ合意、
ルーブル合意で画される。今から考えますと、そのころからは、低
成長といいましょうか、あるいは
定常化状態の中で、我が国がどのような
統治構造、
統治機構を持ち、あるいは
国民、
市民がその中で
中央政府、
地方政府をどのように自らがつくっていくのかと、そういう観点がやや醸成されずに、やはり
明治以降の中央集権的な、
官僚的な
仕組みの中で、何とかなるだろうと、何とかそのうち良くなるだろうというふうなある種の
現状維持路線で来たことが現在の私は停滞を招いていると。これは、
経済の面だけではなくて、一人一人の精神のありようがそのようになっているのではないかと。
せんだってもベトナムに伺ってまいりましたが、多分、
明治三十年、四十年ぐらいの
状況でもありましょう、あるいは昭和三十年前後の
日本の
経済の
状況ということのようでありますが、そこでお会いした大学生といいましょうか、
青年男女の諸君のひたむきさと目の輝きというものは、やはり今の
日本には余り見られないような必死さが伝わってまいりました。
そういうことから今の
日本を振り返ってみますと、なぜこうなったんだろうか、何が必要なのかと、こういうことが、我々が
問題提起をしながら、
自分自身ができる限りそういうポジションで物事を考え、あるいは決め、そして実行していくということが必要なんだろうと思います。
鳩山内閣は、御承知のように、官を開き、国を開き、未来を開くと、こういう大
目標を立てております。その一方で、一方でというか、その系として新しい
公共という
問題提起もしております。従来、官がやるべきこと、あるいは官しかできないというふうに思われていたことも、実はそうではないんではないかと。
市民がそれを
共同で担うという
仕組みと、そういう在り方ができるのではないかという
問題提起でございます。
制度的には、今日、
総務省の
渡辺副
大臣もお見えになっているわけでありますが、そのことが実践できるような、
市民が
市民の判断で
資源配分に関与できる、それは多分
税額控除の
寄附金税制を行う、そういう
制度を持ち込むことによって、自らがそういう新しい
公共を担う主体のところに
税金を払う代わりに
寄附をすると、そのことによって自らが払う
税金がその分、
一定限度でありますけれども、
税額から控除されるという
仕組みをつくってはどうか。あるいは、そういうことを担う
団体を認定することを、官が上から目線で偉そうに、そういう
団体はすべて
犯罪人類似の
団体であるかのごとき性悪説に基づいて認定をしてきた今までのやり方を変えようではないかと、こういう
問題提起をしつつ、多分これは秋以降、成案となって出てくるでありましょう、そういう、官を一方から開くということも重要だと思います。
そして、私は、私
自身の母親が教師という
地方公務員の仕事を長く続けたこともございまして、
日本の公務を担っている
公務員の方々はいい人が多い、
能力のある人が多い、ひたむきにまじめな人が多い、ここは認めます。しかし、そのことによって自己閉塞的に、自己完結的に自らのやっていることの、何というか、
社会的な
意味、歴史的な
意味を問わないまま、あるいは問うことは悪であると言わんばかりの
考え方といいましょうか、身に付いた
一定の
考え方の下に一直線にまじめに突き進む。まじめであることが
犯罪であるかのようになったのが、私は、戦前の、戦争に突っ込んでいった
日本のこの
官僚システムのある種の結果としての間違いだったというふうに考えております。
そこで、私は、
大臣に就任をさせていただいたときに、職員の皆さん方に、この
日本の
官僚システムが持っているというか、
官僚の皆さん方が時としてそういう傾向に陥りやすい問題として、無謬性にとらわれ過ぎておるんではないかと。間違いを認めようとしないと。間違いはちゃんと認めて謝ろうではないかと。それから、やはり官尊民卑の偉い、偉くない話が随分まだ残っておるんではないかと。つまり、本省の
課長さんであれば、
民間会社の専務あるいは社長、会長と、会うのは
民間の社長さんであるというふうな、そういう官尊民卑の風潮がまだまだ残っておるんではないかと。それから、やはり何といいましても縦割り、補助金、
天下り、これを、省益を守ろうとする意識が強過ぎるんではないかと。さらには、内向き志向で、どうも自己保存的な本能が強過ぎるんではないかと。前例踏襲主義ももう行き着くところまで行き着いておって、言わば前例がどうだからということで考えるのはやめようじゃないかというふうな問題点を提起をしまして、フラットに、オープンにやろうではないかということを提起をしたと。
そのことから、そういうコンセプトで
公務員制度改革ができれば
日本の世の中は随分変わるだろうと、こういうふうに考えているところでございます。