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参考人(
川本裕子君) 早稲田大学の
川本裕子でございます。
本日は、参議院
行政監視委員会に
参考人としてお招きいただき、ありがとうございます。もとより浅学の身でございますけれども、私の経験に基づき、
独立行政法人改革についての所見を述べさせていただきます。
本論に入る前に、簡単な自己紹介と、私の
行政や経済に関する基本的な
考え方を一言申し上げます。
私は、元々、
組織経営、特に金融
機関経営を専門分野としてまいりました。二〇〇四年に
早稲田大学大学院の教職に就くとともに、幾つかの企業の社外取締役となり、経営実務の一端を経験しております。
政策との関連では、金融審議会の
委員として
議論に参加してまいりましたほか、後でも申し上げますけれども、二〇〇二年には道路
関係四公団民営化推進
委員会の
委員も経験いたしました。
私は、経済の基本は、
民間の活力を最大限発揮していくことだと思っております。この
民間の活力は、消費者が十分な情報の下に選択の自由を持ち、また企業が様々な創意工夫やチャレンジを許されることによって生まれます。政治において主権在民が基本原理であると同様に、経済においては、個人と企業が社会的なルールの下で自由に経済活動を行うこと、すなわち市場経済が基本
原則だと思っております。
もちろん、
政府には経済に関する重要な役割があります。まず求められるのは、自由で公正な競争を保障するルール作りやその施行です。また、失業保険、公的年金、医療など社会保障制度を運営することによって
国民のセーフティーネットをしっかり支えるのも
政府の大きな役目です。もちろん、こうした社会保障制度の維持は、
民間活力による経済成長が実現できて初めて可能となることは言うまでもありません。
政府がその役割を果たすために近年様々な
事業を担うようになった
独立行政法人について、今どのような視点で改革に取り組む必要があるか、
意見を述べたいと思います。お
手元に簡単な
レジュメがありますが、それに沿ってお話をいたします。
まず、
独立行政法人をめぐり指摘される問題にはいろいろな問題があります。非効率、無駄が多い、天下りの温床である、
業務が種々雑多でとらえどころがない、うまくいっていない理由には様々なレベルがあり、また
独立行政法人も多種多様なので、問題をどのように整理するかがまずは大事になります。
ここでは、私は三つのレベルに問題を整理したいと思います。それぞれのレベルに応じて改革の方向が分かれていきます。なお、例として挙げる
組織は、私が存じ上げている範囲であって、そのほかの
機関で多くの問題があるだろうということを付言しておきます。
問題点の三つのレベルと実例を申し上げます。
まず、
政策目的そのものが不適切というものです。例えば、
日本高速道路保有・債務返済支援機構が挙げられます。高速道路について、小泉内閣のときに民営化の
政策が打ち出され、私も、法律で設立された民営化の検討
委員会の
委員として
政策の
議論に参加した経験があり、本も出版いたしました。
旧道路公団による高速道路建設は、いわゆる料金プール制、すなわちどんぶり勘定の下で、建設費用の回収が終わった大都市間、あるいは大都市と大都市の間の料金
収入を地方の赤字路線の建設に回す
仕組みでした。地方には負担はなく、政治的にも人気があるプロジェクトで、コンクリートを大量に使用して交通量も余りない高速道路をどんどん造る結果となりました。道路はあれば便利ですから、自分でコストを負担しない限り、建設が野方図になされても反対する人はいないからです。道路公団の民営化は、こうした無駄な高速道路建設をやめ、
国民負担をこれ以上拡大させないために検討された
政策でした。その限りでは、一つのアイデアであると私は今でも思っております。
しかし、実際に
委員会でまとめられた報告書は、無駄な高速道路造りを今までと変わらず許容する危険の高い内容になってしまいました。報告書の一年後に
国会に提出された民営化法案では、更に後退した内容となりました。法案提出とともに、民営化
委員の有力メンバーは
辞任しました。
現在の
日本高速道路保有・債務返済支援機構は、こうした経緯で設立された
独立行政法人です。高速道路を国に代わって保有し、民営高速道路会社にリースして、そのリース料で債務返済をするというトンネル
機関的な存在です。こうした高速道路保有と運営が分離する今の
組織形態には
効率化の動機が極めて弱く、問題があります。
したがって、民営化の趣旨を真に実現しようとすれば、保有と運営を一体化する
組織形態にすべきだったということになります。つまり、こうした問題については、あるべき
政策そのものを
議論すべきであり、
独立行政法人の制度問題ではありません。
なお、高速道路の無料化は、
政権交代を機に活発化している
政策論ですが、無駄な道路を、高速道路を造らない、
国民負担を増やさないという
原則で臨むべきです。
国民から借金して高速道路建設している実態は変えようがありません。無料化すれば、現在は高速道路料金を徴収している借金の返済を税金で賄うという負担の付け替えが起こります。高速道路を無料化するかどうか、どう活用するかの話とは別に、既に山積した借金という後世への負担の問題は厳然として存在しており、
国民の前にデータを出して
議論すべきだと思います。負担面をきちんと
議論しない
政策面は無
責任であり、政治としての
責任を果たしているとは思えません。
次に、
政策目的は適切でも
政策手段として
独立行政法人形態に疑問なものがあります。ここでは都市再生機構を例に取りたいと思います。
平成十九年末の独法整理合理化
計画閣議決定で、更に
在り方を見直し、二十二年末に結論を出すとされました。昨年の
行政刷新
会議の
事業仕分では、私も
事業の見直しの検討に参加しました。そこでは、来年度
予算に計上されていた高齢者向けの居住環境の整備の
事業などが計上見送りとなりました。
私見では、例えばこの高齢者向けの居住環境の整備の問題については、お年寄りに住居面で必要な支援を行うという
政策目的は正当なものだと思います。しかし、その
政策を実現するために
独立行政法人都市再生機構が箱物造りをするという手法で行うことが適切であるとは思えません。
行政刷新
会議でも、
議論も、箱物よりも支援を必要とされる個々の高齢者に住宅クーポンなどで
補助を行う
政策の方が
効果的、効率的という
意見が交わされました。
二万人の職員を抱える
独立行政法人が自分の存続を優先して、箱物建設ありきの発想になっているのではないかが懸念されます。つまり、
組織が歴史的役割を終えても効率面での検討はせず、また、別の
政策を担ぐことで
組織の存続を図るという自己増殖的側面もあるかもしれません。
政策検討がゆがむ結果となります。こういう目で見直すべき
独立行政法人の
構造的問題だと思います。
さらに、
独立行政法人での
事業実施は適切なのですが、現実の
効果が不十分なものがあります。例えば、雇用・能力開発機構が挙げられます。
同機構は
平成二十年末に廃止が決定され、傘下の各
事業体、職業能力総合大学校、地方のポリテクセンターや職業能力大学校、短期大学などについて、それぞれ民営化や他
法人への引継ぎ、地方への移管などが行われることになっています。基本的には今の
政権でもこの方針が受け継がれるものと理解しています。
他方で、職業訓練の充実強化は、今後の経済成長や若者の貧困問題の解決、コンクリートから人への国づくりという点ではますます重要性を増している
政策分野です。これまで不効率や不祥事の温床になった部分があるとも聞きますが、だからといってその実施主体全体を廃止、縮小の方向で
議論していいのかという疑問は
残ります。
現在の雇用・能力開発機構の問題は、サービス分野など新たな産業
構造の
変化に対応した訓練や、真に就職に
効果のある訓練内容、手法のたゆみない
向上など、現実の
事業実施が
政策ニーズに鋭敏にこたえていないことにあります。
独立行政法人としてのPDCA、すなわちプラン・ドゥー・チェック・アクションのサイクルが
効果的に回っていません。
例えば、機構自前の訓練施設での物づくりを中心とする訓練に
現場の関心が偏りがちで、各地方の産業ニーズの吸い上げが不十分だという問題があります。また、訓練受講者の就職に本当に役立っているのかというミクロのデータ収集に基づく訓練内容の不断の
改善なども不十分です。非正規労働者の職業訓練が不足していて、企業も手が回らず悪循環に陥っているという実態がよく指摘されますが、これへの取組も明確ではありません。
本来、国直轄でやるよりも、PDCA、すなわち
計画したものが実行され、検証され、次の行動につながっていくサイクルを回しやすいのが独法であるはずです。公的な
事業を
効果的に行うためにつくられた
独立行政法人という
組織形態が、期待された役割を果たしていないのです。制度上あるいはガバナンス上の問題により、残念ながら現実が想定したように動いていないという問題です。したがって、
独立行政法人の制度改革という観点からは、例えば雇用・能力開発機構がどうやったらうまく
機能するのかということがシンボリックな試金石になると言っていいのではないかと思います。
では次に、三つのレベルに対応した改革の方向について述べたいと思います。
二のア、
政策自体の抜本的見直し、イ、
独立行政法人廃止を含めた
政策手段の見直しで指摘したレベルの問題は、
独立行政法人改革という枠組みでは
議論し切れません。アでは
政策体系全体の是非、イでは
政策手段の選択の問題をまずはきちんと
議論して結論を出すべきでしょう。仮に独法のトップや
役員にこうしたレベルの問題について質問をしても、
責任ある回答をする立場にはないということになります。独法の経営者は、あくまで国が正当と認めた
政策目的を達成する
事業の
効果的な実施に
責任を有するのであって、それ以下でもそれ以上でもありません。役所は時々こうした
責任を回避して独法に対応させたりする場合があるので、注意が必要です。
ウの、本来の
独立行政法人の制度的問題について指摘します。すなわち、
独立行政法人のガバナンスの
仕組みの改革、狭義の
独立行政法人改革です。
最初に、基本的問題として、現行通則法第二条、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないものの根源的問題があると思います。言ってみれば、国の上から目線です。現在の
独立行政法人通則法の第二条第一項の定義規定に注目します。そこでは、この法律において
独立行政法人とは、
国民生活及び社会経済の安定などの公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び
事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、
民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの、また一つの主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ
効果的に行わせることを
目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される
法人をいうと規定されています。
私は法律の
専門家ではありませんが、この中で、国が自ら主体となって直接に実施する必要がないという言い方に
最初から非常に引っかかっていました。今でもそうです。
制度設計思想として根本的問題が凝縮している感じがしますが、いかがでしょうか。書きぶりとして非常に国が偉そうにしています。あたかも、やんごとない国があえてやる必要がない重要性の低い
事業については、それなら独法にやらせればいいだろう、それで十分だろうと言っているように聞こえます。ある種、傲慢な国の態度がほの見える書きぶりのようにも思えます。
そうではなく、国直轄では
事業がとても
効果的、効率的にできないから、あえて言えば、国はその点で能力が低いので、独法という
組織形態に是非お願いしますという少し謙虚な姿勢がここは是非必要なのではないでしょうか。その意味で、通則法の哲学をいま一度根本的に見直してほしいと思います。
次に、国では公共
目的を
効果的に達成できないことこそ独法がやるという積極的意義付けの必要性について述べます。つまり、
独立行政法人が
事業をやる場合というのは、国が直接やる必要がないというような消極的な場合ではなく、国ではうまくできない、
独立行政法人という形でやらせる方が公共的な
政策目的を
効果的に実現できる場合だということを徹底させることです。直接やる必要がないものをやらせるという考えだと、どうしても独法は国の下請的上下意識から抜けられません。また、その結果として、
事業を選んで精選して独法にやらせるということにならないのではないでしょうか。
それでは、なぜ国ではうまくできないのでしょうか。それは、国家
公務員制度など国の人事上、
予算上の硬直性があるからでしょう。ここから、
独立行政法人は経営手法として国とは抜本的に異なる手法を採用すべきということになります。すなわち、公的な
事業を
民間的な経営手法で実現するのです。ここでいう
民間的な経営手法とは、客観的で測定可能な目標設定、経営
責任の明確さ、
組織運営や
事業手法の柔軟さ、革新性、サービスの質の敏感な対応、顧客志向、スピード、高い
効率性、
会計上の透明性です。
逆に言えば、こうした
民間的な経営手法で
事業をやらないのであれば、あえて実施
形態を
独立行政法人にする必要はないと思います。国が直接やるべきです。国の
行政組織にも消防庁や特許庁など、専門的
組織もあります。
②に沿った徹底したガバナンス改革について述べます。
こうした観点からすれば、現在の
独立行政法人については
民間経営手法に向けたガバナンスの改革が急務と考えます。もちろん、現在の制度でも各独法には外部有識者による
評価委員会が存在し、
企業会計原則も採用されていますが、ガバナンス、すなわち統治の基本となる点で抜本的な改革が必要だと思います。
一つは経営陣です。天下りの指摘もあります。統計的に有意性がまだ検証されていないということですが、やはり独法の積極的な位置付けからして、独法のトップは
民間企業の経営者の経験が不可欠ではないかと思います。しかも、トップ一人ではなく、チームで入ることが必要だと思います。そうでなければ、
民間的な経営手法の導入は不可能と言っていいでしょう。
私の経験から申し上げても、
民間企業の方で企業経営の実務経験を蓄えている
方々の中には、公共的な貢献をしたいという意欲と志を持つ人は多くいらっしゃいます。もちろん、独法の経営者に求められるのは、そのほかにも
政策についての専門的な知見や公的セクターのトップの役割を果たすための幅広いネットワークなどがあると考えられますが、経営陣がチームとして補ったり、オン・ザ・ジョブ・トレーニングで蓄積することも十分可能と考えられます。あくまで、基本は
民間の経営手法によって公的な
事業を一層
効果的にすることが
目的という基本を忘れないことです。そして、こうした経営陣の構想については、
行政が専門有識者と
意見交換もしながら公募による選定を進めていくべきことと思います。
なお、
民間の優秀な人は今の独法
役員の給与レベルでは雇えないという
意見も散見しますが、そういうことはないと思います。
民間で中堅以上の経営実務を積んだ意欲のある人であれば、むしろ今の給与水準より引き下げても人は探せると私は思います。
付言して申し上げれば、ここでいう独法経営陣の選定における
民間経験の重視は、今の独法に求められるのが
民間経営手法だからという観点で申し上げているのであって、
公務員の
方々に能力がないと申し上げているわけではありません。
むしろ私は、独法の経営陣に
民間の方が入る一方で、官の優れた人材が
民間でもっと活躍すべきだと思います。官の優れた人材は、
民間経営者には通常は蓄積されない幅広い知見やネットワークを有する方も少なからずいらっしゃいますので、それは今度は
民間企業の経営に生かしていくことで官民双方が共に発展するウイン・ウインの結果になることを願っております。これは、
日本における経営人材の市場を大きく、深くしていくことでもあります。人材の流動性を高め、いろいろな経験を持つ人がその経験を様々な場所で生かすことによって
日本経済を豊かに持続的に成長できるようにするのです。
もう一つ重要なのは、数値目標の積極的な導入です。
もちろん、独法は営利企業ではありませんので、利潤は経営の最終目標にはなりません。しかし、
民間企業における
利益と同じように、経営の目標となる指標を可能な限り数値化すべきです。もちろん、どのような目標数値の指標と水準が適切かは専門的な
議論が必要であり、常に
改善を図っていくべきですが、それでも数値目標は必要です。公共的な
政策の数値化は難しい面もありますが、もし目標の数値化ができないのであれば
民間手法になじまないということになり、むしろ独法にはやらせない方がいいと思います。
例えば、さきに例に取った雇用・能力開発機構でも、どのような産業にどのレベルの人材を有効に供給するかを産業、職種ごとに設定していくことが考えられます。目標設定のプロセスでは、職業訓練の実施主体の地域ごとに、地域がどのような産業を育成しようとしているのかというニーズの吸い上げなども必要となってきますし、目標達成度を検証するためのきめ細かいデータ収集や
分析も必要です。こうした目標設定を数値化して検証していくガバナンスの枠組みをしっかりした上で、どのように
事業を実施していくかについては経営陣に大幅な、自由な裁量を与えるべきでしょう。やり方については、創意工夫を生かしやすくすることが独法制度の基本だと思います。
さらに、PDCA、プラン・ドゥー・チェック・アクションを強化するためには、現実の
事業実施の実態からのフィードバックのスピードを早めることも重要だと思います。
民間企業並みのスピードで決算情報の開示を行い、決算情報を
予算を始め
事業の
計画に
反映することが最も大事です。これなくしては経営とは言えないと言っても過言ではありません。
この点では、本
委員会の担当に含まれるとも思いますが、本来は国こそが決算情報などの開示スピードを抜本的に上げることが喫緊の問題だと思っています。これまで、
予算は立てて、税金を使って
事業を行うけれど、その経過の検証もすぐには行われず、使いたいだけ使って、気付いたときには借金の山で既に手遅れという例が非常にたくさんあるように思います。その意味で、国の改革も急務ですが、むしろ独法が国に先駆けて開示を行っていく気概があってよろしいかと思います。
総じて今の独法の
評価委員会の制度に大きな弊害があるとは思いませんが、
評価をする手段、情報がまだ不十分です。数値目標の積極的導入や
会計情報の早期開示、さらには数値目標の達成
状況に関する情報の早期開示などにより
評価委員会による
評価の情報ベースを拡充することが独法PDCAの目指すべき道です。その際、
評価委員会による
評価は、けちを付けるための
評価ではなく、
事業を
効果的に行うための不可欠な
仕組みだという積極的な位置付け、理解の徹底も大事です。
最後に、これまでの経験から学ぶ点について少し述べたいと思います。
まず財政支出削減が至上
目的になる弊害、そして
法人数削減が至上
目的になる弊害、そして
公務員バッシング・シンドロームの弊害です。これまで述べましたことは私が考えるあるべき
独立行政法人の改革ですが、避けるべき弊害という点についてでございます。
これまでの改革の
議論では、大きく無駄が膨らんだシンボルとして独法が取り上げられ、財政支出が結果としてどれだけ削減できるかに関心が集まる傾向があったように思います。私がお話しした三つのレベルのうち、これはアかイの
議論です。もちろん
日本が抱える巨額の公債残高は大きな問題であり、時代の環境に即応し、効率的、
効果的な財政支出を目指した不断な見直しが必要なことは言うまでもありません。不要で無駄な
事業は、
独立行政法人であるかどうかにかかわらず、廃止すべきです。しかし、ウのように、
独立行政法人を改革し、
効果的に公的な
事業を行うべき問題についての
議論が深まらない
事態は避けなければならないと思います。一律の支出削減、削りやすいところから削るなどの改革は独法改革とは切り離して
議論すべきだと思います。
また、
行政改革という観点からは、
議論が時間切れになると数合わせの形で独法を統合し、数を減らしたことで成果を見せるという傾向もあります。独法のトップの数が減ることでシンボリックな意味はあるかもしれませんが、人事も含め元の
組織は実質上そのまま
残り、かえって透明性が低下する恐れもあり、ガバナンスの有効性も期待できません。これも十分注意すべき反省点と思います。
さらに、昨今の
公務員バッシングの弊害について申し上げたいと思います。
独法にも
公務員型と非
公務員型がありますが、
公務員だから悪いという風潮は懸念される点です。安易な
公務員バッシングは公的なものへの尊敬を失わせ、政治不信につながっていくようにも見えます。
公務員の能力を適正に
評価し、最大限その力を発揮させるのは政治家の責務であり、政治が
公務員に
責任を安易に転嫁しているように
国民から見られることが不信を更に増幅させます。
公務員には重要な社会的役割があり、政治がこれを正当に
評価しなければ、若い人の中には
公務員を目指す人もいなくなってしまいます。
独立行政法人の改革も、
公務員性善説あるいは性悪説のようなステレオタイプ、ラベル張りの認識を排し、客観的なデータに基づききちんとした制度を設計するという発想に立って取り組んでいただきたいと思います。
御清聴ありがとうございました。