○森
まさこ君 マニュアルとは何ですかという質問に
お答えいただけなかったんですけれ
ども、分からないなら分からないというふうに
お答えいただければと思います。
内閣府の説明によりますと、マニュアルとは
平成十五年十一月二十一日の閣議決定「緊急事態に対する
政府の初動対処
体制について」又は同日の「緊急事態発生時における閣僚の参集等の
対応について」の閣議了解、それからそれに対する細目のこの三つでございます。私は、このマニュアルと
大臣がお呼びになった閣議決定以下を読みましたけれ
ども、
大臣がいつ来るべきかというようなことは書いてありません。参集チームというのは危機管理監の下に作られる役所の組織でございます。
大臣については何時何分に来いとか、どの段階で来いとか書いてありません。つまり、
大臣というのはこの危機管理監の下にある参集チームを指揮する立場、一番トップですから来る来ないは御
自分の判断なんですよ。それを、お呼びが来ないから来ませんと。チリのときも、総理が公邸にいて、そこにも官房長官も外務
大臣もみんな行っているときに、防災
大臣、
国家公安委員長の姿がなかった。昼になってから来たということが言われていますが、それが自民党政権時代に作られたマニュアルに基づいていたから行かなかったというような答弁をなさいましたので調べましたけれ
ども、どこにも書いていなかったということは申し上げたいと思います。
福島県でも、この日は防災担当のみならず、市長以下、職員が四十人から五十人、各市町村にですよ、休日でしたけれ
ども役所に詰めて、朝九時から夜の十時まで緊張の中で事に当たっておりました。市長、村長、町長、市長の、トップは作業服に着替えて、避難勧告をいつ出すのか、出すのか出さないのか、出したときにはいつ解除するのか、それを情報収集をしながら
対策に追われていたわけでございます。勧告を受けた住民は家にはいられません。下着の準備なんかできないんです。
大臣はチリのときに家で下着の準備をしていたということでございましたけれ
ども、結果的に人災も大きな
被害もありませんでした。ただ、漁業の
被害は大きなものがございました。結果的に、人災などの大きな
被害もなかった、原子力発電所も安全でありましたけれ
ども、結果が問題ではございません。危機管理というのは、予防から情報収集、そして
対策を出してその反省に至るまで、その一連のサイクルが危機管理でございます。
行政の担当官というのは
自分で責任を持って判断しなければなりません。
福島県の相馬市の立谷市長も言っておりました。トップは、いつ来るんだ、おまえがいつ来いなんていうことはだれも教えてくれない。
自分の責任で判断して、そして
自分の責任で部下に指示をしなければならない。住民の生活と向き合った基礎自治体の市長さんたち、そして役所の
方々、住民の
方々も消防団の
方々、婦人消防団の
方々は、海を見回ったり炊き出しをして避難した
方々の夕食を準備したり、遊んでいる者はだれ一人としてございません。
私は、
被害がなかったからよかったということではなくて、
大臣がそのときに映画館にいて、電話があったけどまた映画館にいたということが報道されてしまう、御
自分の危機管理もままならない状態だと思います。そのときに秘書官もSPもいなかった、そして映画館にずっと居続けたということが、この地震に遭った県民が、今笑っていらっしゃいますけれ
ども、そういう県民が聞いたときにどう思うか。つまり、一番の
被害は県民に、国民に不安を与えたということなんです。防災
大臣が、
国家公安委員長がいざというときに
自分たちのしっかりとした心配をしてくれていないということがこの県民に不安を与えた。実際に浪江の駅では、先ほど
報告ありませんでしたけど、電車が二時間止まり、中に缶詰状態になって、二時間たってからようやくはしごで線路に降りて、五十二人の乗客の方がバスに乗って帰宅をいたしました。
総理が抑止力を勉強してやっと分かってきたということでございますが、
中井大臣も危機管理や防災ということについて勉強してやっと分かったということでは困るんです。
中井大臣の野党時代の発言は大変御立派です。言っていることとやっていることが違うということでは国民の信頼が得られないというふうに思います。
また、最後に申し上げますけれ
ども、SP、これについて、自民党時代にプライベートなときにはSPが帰っていいという、そういう決まりがあったんだということですが、私は前
国家公安委員長の
佐藤勉議員に確認をいたしましたが、そのような決まりは聞いていないし、
自分はそのような決まりがあるないにかかわらず、防災担当、
国家公安委員長であったならば、震度四のときにも……