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豊田委員 民主党の
豊田潤多郎でございます。
私の方からは、きょうは、
質問要旨でお配りしておりますが、
財政改革のことにつきましてお尋ねをいたしたい、あるいは
閣僚の
皆さんの決意、考え方をお聞きしたいと思っております。
そこにございますが、三点、第一に
財政危機の
現状についてということ、それから今日の深刻な
財政危機に至った
経緯とその原因、それから
最後に、
財政再建の
具体策についてということで話を進めてまいりたいと思っております。
お手元に
資料をお配りしております。
資料の一、二、三とございまして、専ら、お尋ねするテーマの、まず
財政危機の
現状と至った
経緯につきまして、よくおわかりのこととは思いますが、私の方から概略をこの
資料に基づいて御
説明し、その後、具体的な
財政再建の
対策、
具体策につきまして
閣僚の
皆さんからいろいろお聞かせを願いたい、このように思っております。
まず
資料の一でございますが、これは、ここにございます「
一般会計の
歳出、
税収及び
国債発行額」ということで、よくおわかりいただくようにということで、ちょっと長い
タームで、四十年という
タームでとっております。一番
左端が
昭和四十五年、一九七〇年でございまして、
右端が
平成二十一年、二十二が二〇一〇ということになりますけれども、これで四十年間の
タームでとっております。
御
案内のように、
特例公債の
発行が始まりましたのが
昭和五十年ということで、下の棒グラフの緑の
部分が
建設国債、それから上の方の紫色が
特例公債という
赤字公債であります。
ごらんのとおりで、
一般会計の
税収が赤の
折れ線グラフ、
一般会計の
歳出が全体の青の
折れ線グラフということで、これは見ていただくということで、いわゆる
フロー、毎年の
フローで見た
国債の
発行額等の
推移であります。
次の
資料二をおめくりいただきまして、
資料の二は、同じ四十年の
タームで、
国債発行残高等々がどうなってきているかということの、これは
ストックベースでございます。
左端が絶対額の兆円、単位は一兆円であります。それから、右側、これは国、
地方の
長期債務残高の対
GDP比ということで、この緑の
折れ線グラフが、右の指数、ゼロから上が一七〇、こうなっておりますが、このように
推移をしてきている。まさに、
平成二十一年度で見ていただきますと、国、
地方の
長期債務残高、一番
右端ですが、これが八百十六兆円。これは第一次の補正後の
数字です。それから、対
GDP比が一六九%と、国内総生産の一・七倍という
数字になっているということであります。
それから、もう一枚おめくりいただきまして、
資料の三でございます。これは先進七カ国の
政府債務残高、いろいろな統計のとり方があります、OECDの
資料を
もとにしておりますので、
社会保障基金というようなものも諸
外国との
制度の
関係で含んでおりますが、大ざっぱに言いまして、要するに、国の
借金、
国家の
借金の対
GDP比で、これは実は二十年の
タームでとっております。
最初の
資料一と二が四十年ですが、残りの直近二十年でこの
資料はとっております。
一番
左端の一九九一年というところを見ていただきますと、当時一番悪かったのがイタリアであります。その次がカナダ、それから
アメリカ、
日本。
日本はわかりやすいように
赤丸をしてあります。そして、フランス、
ドイツ、イギリスという形で来ているわけです。これが
ごらんのように
日本だけ突出して、
右端を見ていただきますと、一八九・六%という形で、
日本がこの二十年間に諸
外国に比べ大きく
政府債務残高を伸ばしている。伸ばすのは
余り好ましいことではないんですが、こういう
状況になっているという
資料でございます。
それで、一応これでよくおわかりだと思いますが、少し詳しくその
経緯というか背景を、私もその渦中にありました人間の一人として、ちょっと自分の体験も踏まえ、お話をいたします。
資料の二を見ていただきたいと思います。
資料の二は、
昭和四十七年のところに
赤丸がついておりますが、ちょっと私
ごとで恐縮なんですけれども、この
昭和四十七年は私が
社会人になった年でありまして、四十七年の四月に、
大学卒業後、実は
国家公務員、
大蔵省に入省いたしました。そのときの配属が
主計局の
総務課ということで、まず
最初に
予算からスタートをいたしましたが、そのときの先輩から言われましたことは、
予算編成の
鉄則というのは、入るをはかって出るを制す。ですから、
歳入、
税収をまず計算して、見積もりを立てて、それに見合う
歳出を作成するというか
編成する、これが
予算の基本的な
編成の
鉄則と言われまして、この当時は
健全財政を続けていたわけであります。
ところが、次に五十六年、これも
赤丸がしてありますが、これもちょっと私
ごとですが、当時、私、その後、海外の
勤務等を終えまして、
昭和五十六年に、約十年後にまた
主計局の今度は
総務課の
課長補佐で戻ってまいりました。そのときに、既にもうかなりの
国債の
発行残高になっておりました。これは、今と比べればまだ大したものではありませんけれども、当時にしてみれば、
予算の規模からいいまして、かなり危機的な
状況だということ。
それがどうして起こったかといいますと、
昭和四十七年と五十六年の間に、まず
昭和四十八年秋に第一次
オイルショックがありました。その後、その
景気対策でいろいろ財源を工面しなきゃならないということで、
昭和五十年から
赤字公債が
発行になった。そして、さらにその後に引き続き第二次
オイルショックが起きまして、その
オイルショックの
景気対策というために、当時サミットで、
福田総理でございましたけれども、
国際公約をいたしまして、三
国機関車論ということで、
日本と
アメリカと
ドイツ、この三国が
機関車となって世界の経済を引っ張れ、こういうことになって
財政の
拡大が行われ、
日本がさらにまた
国債を
発行して
景気の底入れを図った。こういう
状況の
もとに
国債の
発行が進んできたわけですが、その後の
景気の回復も多少ありましたけれども、
借金を全額返すというほどの
税収の伸びはありませんでした。
この累積、御
案内のように五十六年以降もどんどんたまってきておりますけれども、これは大変だということで、当時、
増税なき
財政再建ということが叫ばれまして、
増税をせずに、いわゆる
歳出削減でこの
赤字を解消していくと。そして具体的には、古い話ですけれども、当時の経団連の会長、
土光敏夫さんですが、それを担ぎ出しまして、
臨時行政調査会、いわゆる
臨調というのを始めたわけであります。
土光臨調ということでやりましたが、
総論は
賛成、しかし
各論は
反対というようなことで、実質的には
余り効果を上げなかった。
そういうこともありますし、ちょっと裏話でありますが、当時、私の
上司から、
歳出削減ももちろん大事だけれども、何とか
税収を上げる、
税収はこれは
法律事項ですから、
税外収入を何とか上げる方法がないかということを考えろと
上司から言われまして、うちの内部でいろいろと工夫をいたしました。
そのときに、今でこそ言えますけれども、
競馬、それから
宝くじ、こういうものを
国営でやってはどうかと。要するに、少しでも国の
収入に結びつくものなら、
競馬とか
宝くじ、そういう
国営のものもいいだろうという
議論もありました。さらには進んでカジノですね、
賭博場、これを
日本で開いて
国営でやろう、こういう
議論もありましたが、
一般国民の健全な生活ということにどうも
余りよろしくない、
射幸心をあおるということでよろしくないということで、こういう案は日の目を見ることはありませんでした。
さらに進んで、もういっそのこと、
国債を、この
赤字を減らすには、超
インフレ、
スーパーインフレを起こして、これによって国の
債務負担の軽減を図ろうか、こういうことも言われたんですが、これも問題がいろいろあってやめということで。
そういうことで
歳出削減で努力を続けていたわけですが、ちょっと長くなりますけれども、
昭和五十年代の半ばから、
与野党伯仲ということで、当時の
自民党、与党から、
歳出はふやせ、そして
増税はいかぬ、こういう圧力がかかりまして、
大蔵省としてはそういうことで、
予算をつくるときには必ず
歳出をふやす、それに見合う
歳入をふやすということで
増税をする、こういうセットで
提案をいつも提示していたんですが、当時の
自民党の
政調会とそれから
税調で、
財政再建に
総論は
賛成するが結局
各論反対ということになりまして、
歳入を大きく上回る
歳出の増加が続いていった、こういう
状況であります。
私も何度かそのときに
政調会とか
税調に足を運んでいろいろな
説明をいたしましたけれども、
最後に一言言われたのは、これは高度な
政治判断であるということで、
歳出はふやせ、
増税はいかぬ、こういうことを言われまして、結局その
つじつま合わせをどうするかというのは、そのときに
自民党の幹部の人が言われたのは、君
たち役人が知恵を絞るように、このように言われたわけです。しかし、これは実際に、手品ではありませんし、また打ち出の小づちがあるわけじゃありませんから、そんなことはできない、結局
借金でやるしかないということで
国債の増発が続いていった。
最後に、私
ごとばかり申し上げて恐縮ですが、
平成二年、
赤丸がついておりますが、これは私が
役所をやめた年であります。なぜかといいますと、
官僚の限界というのを痛切に
感じました。やはり国会の場でこの
財政赤字の解消ということをやっていただくしかない、
官僚が幾ら頑張ってもだめだというのを実感したので、私自身が
政治に飛び込もうと思ったわけでありますが、このことは、
自民党さんもいろいろと私はおっしゃりたいことがあると思います。また、我々も一生懸命当時支えました。しかし、戦後を振り返って、結果的に見ると、これは
自民党政権の最大かつ最悪の失政であると私は断言できると思っております。
それで、次に、時間がだんだん押してまいりましたので、具体的な
質問に入らせていただきます。
まず、
枝野大臣にお聞きをいたします。
その前に、
枝野大臣、本日、
大臣御就任、本当におめでとうございます。一生懸命支えてまいりますので、ぜひこれまでの御
経験とお力を発揮していただきたい、このように思っております。
まず、
事業仕分けについてお聞きしたいんですが、昨年の
事業仕分けの
実績等を振り返られて、今後のことを含め、どのように思っておられるか、お聞きしたいと思います。