○熊田
委員 民主党の熊田篤嗣です。
きょうは、
質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。
国民の生命と安全を守ることは、国家の最も基本的かつ重要な
役割だと
考えます。そういった
意味からいっても、
拉致問題解決は
我が国にとっての最重要
課題の一つだと
考えます。
しかし、この数年、
拉致問題解決への歩みは大きな
進展を見せてくることができませんでした。
関係者及び国民の皆様の中での閉塞感ばかりが募っていく
状況であったと思います。それだけに、昨年の
政権交代は、事態打開への大きな転換点として期待されたはずだと思います。
関係者の皆様も年を重ねていっている中で、もはや一刻の猶予もない。こういった中で、私はこれまでの経緯におけるポイントを振り返りつつ、今後への展望をお伺いしてまいりたいと思います。
まずは、これまでの経緯のところでの確認をさせていただきたいと思いますが、
北朝鮮による
拉致問題が大きく
進展したのは、二〇〇二年九月十七日の小泉
訪朝による日朝首脳
会談であったと思います。このときに、
北朝鮮は初めて公式に
日本人
拉致を認め、
日本政府が
調査を求めていた十三人に対し、四名生存、八名死亡、一名は入国確認できず、そういった旨を伝えてまいりました。その後、日朝平壌宣言が署名されたと確認しておりますが、しかし、例えばこの八名死亡でございますが、この時点では、あくまで先方からの一方的な伝聞であり、確固たる裏づけはなかったのではないかと思います。それは、その後、日朝実務
者協議を通じて得た
情報や物証が信憑性がなかった、ここからも明らかだと思います。
また、この日朝平壌宣言では、今後このような遺憾な問題が再び生じることがないよう適切な措置をとることは確認をしていますが、既に起きてしまった
拉致に対する具体的な言及が宣言の中にありませんでした。本来はこの時点で、これまでの
拉致事件に関しても、しっかりとした抗議あるいは今後どうするかという確認なりが文書にあってしかるべきだったのではないかと思います。
そういった
意味で、
武正副
大臣にお伺いをしたいと思うんです。
当時、小泉
総理、前
政権のことですから答え切れない部分もあるかもしれませんが、
金正日、国防
委員長の
立場でサインしていたと思いますが、から伝えられた
拉致被害の
状況に対する裏づけがないままに、なぜ日朝平壌宣言、そのまま安易に署名をしてしまったのでしょうか。
そして、もう一点、この平壌宣言ですが、真っ先に、一番目に、二〇〇二年十月中に
国交正常化交渉を
再開することをうたっています。しかし、実質的には、第十二回の正常化
交渉、本
会議が物別れに終わり、その後も
再開をされていません。この
対応は、少なくとも
拉致問題の包括的な
解決へとつながってないというのが現実だと思います。
そこで、もう一つお伺いしたいんですが、これも前
政権のことでありますが、今さらではありますが、
日本政府はなぜ正常化
交渉を軌道に乗せなかったんでしょうか。そもそも
拉致問題解決への道筋をあいまいにしたままで平壌宣言にサインをしたのは、時の
総理だったはずです。そのことを踏まえれば、まさしくこの後の正常化
交渉、
拉致や核のことも包括的に踏まえて行うべきであったという見方もあったのではないかと思います。
そういった
意味で、最初のボタンのかけ違え、あるいは
対応のまずさがあったのではないかと思いますが、そのあたりに対しての所見をお伺いできないでしょうか。