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片山参考人 私は、
被害者と
司法を考える会の代表をさせていただいております
片山徒有と申します。どうぞよろしく
お願いいたします。
きょうは、非常に重要な場面に呼んでいただきまして、私どもの話を聞いていただく機会を設けていただいたことに改めて御礼申し上げます。
私たちは、
被害者と
司法を考える会は、いろいろなことを考えてきました。今回は
公訴時効の問題について、
延長、
廃止がいいことなのだろうか、また、
遡及をすることについてはどう思うんだろう、そういうことを、この一年以上かけて何度も何度も話し合ってまいりました。
三つのことについて、まず結論からお伝えをしたいというふうに思います。
まず、
公訴時効の
延長、
廃止については反対をするということでございます。あと、
遡及適用についても反対をするということでございます。それにかえてというわけではございませんけれども、中間総括をぜひ取り入れていただきたいということを御提案したいというふうに思っております。
そういったことを含めて、お配りした
資料をもとに、少し御
説明をさせていただきたいというふうに考えております。
まず、私は、九七年の十一月に、息子の
片山隼という当時八歳だった男の子を交通事故で失った父親でございます。
今でも、毎年毎年五千人以上、交通事故で亡くなる方がおられます。私は被害当事者ではありません。父親ですので、家族です。遺族ということになります。しかしながら、突然被害に巻き込まれてしまった重みに耐え切れそうになく、自分自身、何のために今まで生きてきたんだろう、そういうふうに悲嘆に暮れたことも数多くありました。
息子の
事件は、当初、不起訴処分になりました。不起訴処分という言葉も私たちは知らなかったわけですけれども、十分な
捜査が尽くされたんだろうか、加害者はどういうふうなことを言っておられるんだろうか、そういうことを尋ねに東京地検に参りましたところ、答える義務はないと、非常に厳しい口調で言われてしまったわけでございます。
それから私が
被害者問題について考えてみようと心に決めまして、そのときに思ったのは、息子の
事件について、加害者を厳罰にではなくて、もう一遍
捜査をしてもらいたい、本当に不起訴処分が正しかったのか、それを明らかにしてもらいたい、
説明してもらいたいということでございました。
署名活動をしまして、いろいろな方から賛同の署名をいただきまして、合計二十四万人という大変多くの方の署名をいただき、
事件は、再起といって、不起訴処分が取り消しになり、再
捜査の結果、起訴され、随分
裁判は時間がかかったんですけれども、加害者は有罪になりました。
一つ学んだことといいますと、
被害者の
気持ちというのは、社会の中で、当時はなかなか理解されにくいものなんだなということが
一つありました。その後、
犯罪被害者等
保護法、基本法ができまして、私は、大いに変わってきたということを感じております。
わかりやすく言いますと、被害に遭って、社会で会う
方々のだれもが、自分の子が同じ事故に巻き込まれたらどんなにつらいだろう、悲しいだろうということを口々におっしゃっていただくほどになりました。それまでは、遠巻きに見ていて、かかわり合いをしない方がいいんじゃないかというふうに思った方の方が多かったと思いますけれども、その辺が随分変わってきたように思います。
そのような経験を生かしまして、
幾つかの
被害者支援、長期
捜査事件、長期
捜査、二年、三年ではなくてもっと時間がかかってしまうような
事件の
被害者支援もやってまいりました。
そのような経験で学んだことといいますと、
被害者が亡くなってしまうと、その御家族の方は、当然のことながら悲嘆に暮れ、同時に、恐怖に襲われるわけです。また再び同じような被害に自分たち、また、別の家族が遭うのではないか、そういったことも含めまして、いろいろと悩まれるということがあるのでございます。
ただ、ずっとそういう支援をしてまいりますと、
被害者は一人だけではない、遺族は一人だけではないということに改めて気づくわけでございます。どういうことかと申しますと、一年、二年、三年たちますと、御遺族の中には、御結婚あるいは就職を控えられる方も出てこられますし、それぞれの生活というものが歩き出すということが出てくるのだというふうに思います。私もそのような
事件の情報提供の窓口をやっておりまして、
被害者側の思いというのが、怖さではなくて強さで伝わっているなということを随分受けとめてまいりました。もうちょっと警察が恐怖心を取ってくださるような情報開示をしていただけたならば、幾分
被害者御遺族は楽になったのになということも多々あるわけでございます。
最近も、その情報提供ボックスを見てみますと、少し報道がされるごとに情報が集まっておりまして、五年たって六年たって十年たっても、決して人々は忘れていない、この国の
国民は皆、好意的であるというふうに私は実感をしているところでございます。
私は交通事故の
被害者遺族でございますから、当然、加害者が極刑になる、あるいは無期懲役になるということは想像ができないわけでございますけれども、
刑事事件というのは必ず
裁判があり、有罪判決を受ければ刑務所に送られ、そこで矯正教育を受けるものだというふうに私は理解しております。その後に、立ち直り、あるいは反省、悔い改めて、社会に戻ってきて、同じ社会の一員として一緒に暮らすこともあるのではないか。そのときに
被害者はどう思うか、遺族はどう思うか、加害者はどう感じるだろうということを複合的に考えていかなければならないのではないかというふうに考えております。
したがって、
公訴時効を長くして、延ばして、なくしてしまって、それで終わりというのは、
被害者にとってもいいことではないというふうに思います。
被害者にもその後の人生があります。立ち直って幸せになっていく必要があると思います。
被害者で終わりたくない、それを克服して新たな人生を築き上げたいと、だれもが思っていることではないかなと思っております。
最近、二〇〇五年にできた
公訴時効の
延長の結果もまだ十分に確認されていないのではないかと私は思っておりますけれども、そのような中で、なぜ今、
公訴時効の
延長、
廃止なのかということは、十分に私は理解ができておりません。
犯罪被害者等
保護法、基本法の流れからいくと、まず
被害者の回復、立ち直りを国全体が支えるというのが最初にあり、
処罰意識、いろいろなものを受けとめながら
被害者は真実を知りたい、それも国が支えていくということであろうというふうに思います。であるならば、今
進行中の
事件についても、
一定の期間、例えば十年たったごとに、
被害者、あるいは、
被疑者も含めておりますのでこれは地域社会の
市民というふうに言った方がいいと思うのですけれども、社会全般に対して
一定の情報公開をしていった方がいいのではないかと私は思います。
捜査というのは、お巡りさんが一生懸命足で
捜査資料を集めることも重要でございますけれども、一方では、集まってきた
資料を別の
視点で見ていくというのも大事なことではないかなというふうに考えております。そういった
意味でいいますと、例えば、都道府県ごとの警察がやっております
捜査を、では、警察庁全体が引き継いでやっていくという方法もあるのではないかなというふうに考えております。
遡及効については反対と申し上げましたけれども、後から決まった
法改正で裁くということを決めてしまうというのは、私どもは
憲法に抵触するというふうに考えておりますし、一般
市民の方も、
逃げ得は許さないということは当然わかるわけですけれども、それでも、ほかの
被害者の人に対する影響、また公訴期間を長くしたり短くしたりすることが果たして社会の安定につながるかどうかということについては、疑問を挟む人も多いのではないかなというふうに考えております。
今回の法案ができましてから、私たちは、北は北海道、南は九州、沖縄の各大学に
お願いをいたしまして、そこの学生さん、法科大学院の学生さんにアンケート調査を今やっているところでございます。
まだ集計が出ておりませんので、確定的なことは申し上げることができないのですけれども、さっと何枚か確認をしましたところ、
公訴時効の法案については、かなりの方が存じていらっしゃるということがわかっています。ただ、
公訴時効を
延長する、
廃止することについては、賛否相半ばするのではないかなという手ごたえがございます。
また、
被害者に対する、遺族に対する情報開示は十分かという質問に対しては、ほとんどの方が、十分ではないだろうとお答えになっておられます。それから、中間総括についても必要ではないかということも、ほぼ、大多数の方がそのように感じておられるということを、今手ごたえとして感じているところでございます。
数については、今、千五、六百集まっておりますけれども、徐々にもうちょっとふえていくのではないかなというふうに考えているところでございます。
公訴時効ということは、これから先の未来がどういう社会になるかということも含めての問いかけだというふうに私は思っております。私は、憎しみや怒りでこの社会がうごめいていくということは悲しくてなりません。ですから、
被害者の悲しみを多くの方が共有していただき、ともに支えていくような社会をつくっていただきたいというふうに思っております。そのようなことを含めまして、今回の三点の主張になっているわけでございます。
中間総括について少し補足をさせていただきたいというふうに思います。
中間総括は、警察が、
捜査中ということで
被害者に対してなかなか情報を開示していただけなかったということを受けて考えついたことでございます。
長期
捜査の
事件になりますと、私が経験した限りでいいますと、自分の経験とは違って、
被害者からもかなり警察は
意見を聞く、
事情を聞くということがあるように思います。
参考人扱いと言っては言い過ぎかもしれないのですけれども、もしかすると
事件のことについて御遺族がよく知っておられるのではないかという形で何度も何度も話を聞かれるということを、現実に見たり聞いたりしております。聞かれるばかりで
説明をしてくれない、一体何が知りたいのかわからないといった疑問もよく聞きます。そういう中で、不安感、恐怖感が再度強く思われてしまうのではないかなというふうに考えております。
そして、例えば、形見の品、携帯電話などについても、
捜査中であると返していただけないということで、亡くなられたときにどのようなことを思っていたのか、もしかしたらだれかに電話やメールをしていたのではないかという
気持ちもかなえられないということをよく伺います。
そういうことから、中間総括をして、今こういうことを
捜査しているんです、これからはこういうことを調べていきたいですということを
被害者に対して、また地域社会に対しても伝えていただきたいというふうに思っております。
時間が参りましたので、ここで区切らせていただきますけれども、何とぞ慎重な議論をしていただきたいというふうに思っております。どうぞよろしく
お願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)